以前ある知り合いに聞いたんですが、その人は車のクラクションを鳴らさないそうです。
鳴らされた相手が嫌な気持ちになるからとの事でした。
当時はなるほどねぇと聞いていたんですが、そうかもしれないし、違うかもしれないんですよね。
確かに相手が嫌な気持ちになるかもしれませんが、それはこちらには分からない事なんです。
なるかもしれないし、ならないかもしれない、感じるのは相手の自由なんです。
嫌な気持ちになったのは、以前自分が鳴らされた時の事なんです。
自分が嫌な気持ちになったから人にはそんな気持ちをさせたくない、だから自分は鳴らさない、そんな思考の流れだったんでしょうね。
でも、いずれ葛藤が生じるんです。
誰でもなんですが、信号待ちでぼーっとする時ってありますよね。
その人の前にたまたま青信号なのに動かない車があったとしたら、その人は一体どうするんでしょう。
そのまま待つんでしょうか?
それともクラクションを鳴らしてみて、新たなクラクションの可能性を手に入れるんでしょうか?
なんてちょっと大袈裟に感じるかもしれませんが、なにげなく過ぎていく日常の中にこそ、ちょっとしたつまずきがあるんです。
その時こそ、つまずいた内容を見直すチャンスです。
つまずかせているのは、他でもない、自分自身の思考なんです。
見直せるのは自分しかいません。
自分にとって、もっとより良い方法で日常生活を送ってみませんか?
なんて、通勤途中にクラクションを鳴らされてちょっと考えてみました。
ちなみに僕は嫌な気持ちにはなりませんでしたね。