この前の事なんですが、ある人と何気ない会話の中で、その人に聞かされた言葉があります。
“余計な事をしない”
その人はよかれと思ってある行為をしたんですが、それが相手には余計な行為だったみたいでトラブルになってしまったそうです。
その人はいい事をしたと思っていたので、人の好意を踏みにじるひどい相手だと憤っていた、とのことです。
でも、トラブルになってしまったのは事実です。
トラブルになってしまった以上、解決するしかありません。
そして、上司に言われたそうです。
“余計な事をしない”
よかれと思った好意はあくまでも自分の考えです。
相手が望んだものではありません。
なら、自分の好意は相手にとって余計な事だったわけです。
余計な事さえしなければ、トラブルにならなかった、というわけです。
それはこの人にとって、ストンと落ちた言葉だったんでしょう。
それからはこの言葉に従って行動して、この人なりに他人との付き合い方が上手くいくようになったみたいです。
こんな経験ってかなり多いんじゃないでしょうか。
余計な事をしてしまうから、問題がこじれてしまう。
余計な心配をするから、相手に苛立ってしまう。
余計な気遣いをするから、何も出来なくなって勝手にイライラしてしまう。
余計な事を考えて、今まで築き上げた関係をダメにしてしまう。
余計な手伝いをして、相手の成長を妨げてしまう。
しかし、このような問題が解決する時は、拍子抜けするぐらいアッサリ解決します。
どうしてなのか?
それは、勝手に自分が問題視してるだけだからなんです。
実際、起きてる事実としての事柄は変わらないんです。
あ、これは余計なんだと気づいた時、今までのわだかまりが驚くぐらいなくなっちゃいます。
数年、もしくは数十年のわだかまりが、です。
言葉とは力を持っています。
いい方向に働けばいいのですが、悪い方向に働いてしまう呪縛にもなってしまいます。
新しいものを手に入れた時って無性に使いたくなっちゃいませんか?
僕はしょっちゅうあります。
飽きるまで使って、やっと適度な距離感が分かります。
最初は呪縛でも、仕方ありません。
距離感を図りかねているんです。
これはこうだからと、言い訳するようになったらちょっと危険なサインです。
自分に言い訳しなければならない事は、到底他人も納得できない事が多いです。
調味料を入れて、自分好みの料理の味付けをします。
その味は、自分好みの味でしかありません。
その味付けを他人に押し付ける人ってそれほどいないんではないでしょうか。
さりげなく、脇に調味料を置いておく、そんなスタンスっていいですよね。