free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

対人関係

物事は捉え方次第

今朝の出勤途中の話になるんですが、

僕の前を走る車が曲がる道もないのに
右折のウインカーを出したんですよね。

おや?どうした?

まあ、道もないのですぐに戻したんですが、
そしたら、次は左折のウインカーを出したんです。

あー、コンビニあるから入りたいんだなあ、

と思いきや、そのまま直進。

おいおい、入らないんかい、
どないしたん?おもろいやっちゃなあ。

と、思わずにやけちゃいました。

結局、次の信号で左折していきましたが、
えらくゆっくりと曲がっていきましたね。

僕は朝はめちゃくちゃ早く出勤します。
そして、朝活なぞしています、
または、駐車場についてから寝落ちなど・・・。

ですから、この出来事は
朝の5時20分前後の出来事です。

 

彼は寝ぼけていたのかな、
はたまた、
嫌がらせでウインカー出したのかな、

 

そんなことはどうでもいいんです。

 

最終的に僕が選択したのは
いやあ、朝からおもろい奴やったなあ、
朝一から笑わせてもらったわ、です。

 

相手がどんな意図を持って行動しようが、
そこは敢えてスルーして。
物事を自分なりに捉えてしまう。

 

ただ、最も大事なことは、

うん、知っていた、という

意図的に解釈したという自覚を持っていることです。

 

そうしたら、
他人に振り回されることもなくなりますよ。

むしろ、
ちょっとだけ、優越感に浸れるかも・・・。

 

 

積もる子どものストレス

今朝(4/15)の中日新聞の記事のちょっとした問に答えてみたいと思い、あわてて書いてみました。
時間制限のある中、上手くまとまってくれればいいんですが、よろしければ参考にしてもらえば幸いです。
ちょっとだけ記事抜粋して書きますので、少しだけ我慢してくださいね。

「なんで勉強やピアノをしなくちゃいけないの。もう何もしたくない」。
休校延長が決まった六日、中学に進学したばかりの名古屋市の女子生徒が母親(四九)に声を荒げた。
もともとは何事もまじめに頑張るタイプ。
小学校卒業間際の大切な時間はウイルスに奪われたが、中学生活に希望を膨らませて勉強に励んでいた。
ピアノもコンクールに向けて練習を重ねていた。
しかし、そのコンクールも中止に。
女子生徒は張り詰めた糸が切れてしまったように大粒の涙を流し、自室に閉じこもってしまったという。
休校の長期化で、最大の懸念は子どもたちの精神面への影響だ。
友達と会えずに親と過ごす時間が長くなることや、部活や習い事などの生活の張りがなくなることでストレスが積もっていく。
また、子どもたちは大人ほど急な変化についていけず、浮き沈みが激しい。
励まし続けてきた母親は「仕方がないと思うけど、正直に言えば、学校を再開してほしい」と本音を明かす。
「子どもの話を聞いてくれるところやストレスを発散できる場所、親の相談相手がほしい」という訴えは、多くの保護者に共通する。

長くなりましたが、一部抜粋して書かせてもらいました。
さて、これは少しだけ発想の転換をしてみましょう。

無理に頑張ってきたことは、いずれ破綻してしまう可能性が大きいんです。
風船も膨らませすぎると破裂しちゃいますよね。
分かっていれば上手く調整できますが、分かってなければ、知らずに破裂しちゃいます。
今回、たまたまこのタイミングで破裂のタイミングがきたと、認識してみましょう。

真剣に、無理に頑張ってきたことが上手くいかなくなったのに、それを真剣に話しているのに、
それを話した相手が、真剣に答えてくれなかったらどんな思いになりますか?

自分が子供時代に同じ思いをしたことありませんか?
少なくとも、僕はあります。
僕は、あ、そうなんや、と冷めて流しましたが、相手に失望した思いは抱きました。
あくまでも個人的体験に基づく感想ですので、これは参考程度にしてもらえばいいですかね。

で、戻しますが、お子さんと真剣に向き合う絶好のチャンスと思って下さい。

お子さんが本当に思っている、真剣な感情を、残さず、ただ、聴いてあげてください。

真剣な思い、感情を、こちらもただ真剣に、残さずひたすら聴くことに徹する。

聴くことに徹する、ですから、こちらの考え、思いは全く必要ありません。
今回は、自分の思いはひたすら我慢して、ただ、相手の話を聴く。

くどいようですけど、けっこうシンドイ作業ですので、頑張ってください。

で、ちゃんと真剣に相手の思いを聴くことができると、相手はスッキリして冷静な判断ができるようになります。
多分、感謝の言葉が出てくるんじゃないですかね。
そこで、初めて、自分の意見を述べてみる、でいいと思います。

自室に閉じこもる、ということは、上手く向き合ってもらえなかったという結果です。

子どもみたいな行動を、ではなく、
大事な子どもだからこそ、今度こそ真剣に、という思いで向き合って下さい。

他人任せではなく、親としてしっかり向き合う、です。

真剣な思いはちゃんと相手に伝わります。
というか、
真剣な思いでないと相手に伝わりません。

あ、真剣な思いと言っても、アツくなってはダメですからね、もちろん。

感情に感情で向き合っても激流にぶつかっていくだけですからね。

喧嘩ってのはそんなもんなんですが、収まるとなんか達成感があるじゃないですか、
成し遂げたぜ感、とでもいいましょうかね。

あれ、心理学用語で説明できちゃいますからね。

あまりお勧めできない対人スキルの一種なんですからね。

忙しいかもしれませんが、それは置いといて、
とりあえず、
大事なお子さんのために、時間をとってあげましょう。

 

人の振り見て我が振り直せ~4月2日中日新聞朝刊記事から~

僕は早めに出社して、その時間を利用して色々なことをやっています。
その一環でこらむもアップしたりしています。
家を出る前に朝刊がきて、ぱっとだけ目を通して出社するんですが、今日は出る直前に配達されました。
そんな状況でぱっとだけ見て、気になった記事を取り上げて今回、こらむを書いてみたいと思います。
ぱっとだけですんで、
”いやいや、もっとデカい内容あったやろ”
という批判もあるでしょうが、気にしないでもらうと助かります。

今回は3つの記事を取り上げたいと思います。

まずは、
”感染し入院うそ 「軽率」「処罰を」批判が続出”
という記事です。
一日午後、新型コロナウイルスに感染して入院中だとインスタグラムに投稿した。
その後、エープリルフールの冗談だったと感染の事実を否定する再投稿をした。
再投稿で
”やりすぎだったが、短時間で大勢の人が心配してくれた。自分を守ることが大切な人々を守ると伝えたかった”などと弁明した。

・・・ホント、どうなんでしょうね、この方・・・。
ファンの方には申し訳ないですが、弁明も何言ってるか意味分かんないですよね。
まあ、抜粋してるから意味分かんないのかもしれませんが、大した弁明でもないでしょうし、たった一つの行動でこーなっちゃうといういい反面教師ではありますよね。
でも、なんかこの弁明の文面、どっかで似たようなの見たような気がするんですよね。
まあ、深く反省してください。

次は
”千葉女児虐待死で父控訴”
という記事です。
傷害致死罪などに問われた父が懲役16年とした千葉地裁判決を不服として東京高裁に控訴した。
弁護側は傷害致死罪の成立を認める一方、死亡に至るまでの暴行の多くを否定。
日常的な虐待はなかったとして情状酌量を求めていた。

ちょっと、今、書いててもすごく嫌な気分になっちゃいました。
気になった新聞記事は抜粋して読んで取ってありますので、被害者の心愛さんの手記も読んでます。
それなのに、暴行の多くを否定って・・・。
まだ躾って考えてるんですかね。
相手の権利を無視するものは例えどんな理由があろうと許されるものではありません。
それが納得いかないなら、同じことしないといけないのかもしれませんよね。
同じ躾として・・・。
そんな思考になっちゃってるんですよ。

ちょっとこれは動画でも取り上げてみたいと思います。

アップしたらリンクしますので、よろしければそちらも見てもらえば幸いです。といっても今思い付いたので、時間かかると思いますが。

”いじめ被害教諭が復職”
いや、これは全く勘違いで持ってきちゃって、てっきり、いじめ加害教諭だと思って、まじかーと思っちゃったんですよね。
で、よくよく見てみると、被害者じゃないですか。

いやいや、そっとしといてあげましょうよ、
取り上げる必要ないですよね、週刊誌じゃあるまいし。

がんばれーってことで。

いかがでしたか、かなり慌ただしく書きましたので、誤字脱字等あるかもしれません。

僕の慌ただしさも合わせて、

人の振り見て我が振り直せ、です。

蒲郡の「ウイルスまく」男性 コロナで死亡 書類送検へ

今朝、中日新聞朝刊のこの記事を見て、とても暗くモヤモヤしてしまいました。

最初に謝罪から入らしてもらいます。

この航のこらむで以前書かせてもらった内容で、この方の関係各社の方々に深く謝罪させてもらいたいと思います。
この方がどのような状態だったか知らなかったので、以前の内容で書かせてもらいましたが、知ってしまった以上、以前の内容とは著しく異なった見解を持っています。
異なった見解を持った以上、その内容について、深く反省したいと思います。
ただ、過程は違ってきますが、結果としては、そこまで僕も踏み越えるラインを超えれないと思いますので、その点だけは変わりません。
ただ、同意はできませんが、理解はできます。
詳しくは、動画で撮らしてもらいたいと思いますので、そちらをごらんになって下さい。
僕の稚拙な文章だと上手く伝えることができないでしょうし、とても長文になってしまうと思いますので、動画の準備はできていますので、見てもらうと幸いです。
準備出来次第、お知らせで発表させてもらいます。

この方が肝臓がんを患っていたと読んだ時、うわあ、と、とても暗い気持ちになりました。
ホント一瞬で気分というのはなるものですね。
この方が、その現実をどうやって受け入れたか、
とても深い葛藤があったと推測されます。
言葉だとたった一言ですが、とてもとても深い葛藤だったでしょうね。
その現実をこの方なりに受け止め、そしてやっていこうとしていたんでしょうね。

結果的には加害者という現実は変わりませんが、
この方はとんでもない被害を被った被害者でもあると、今回訂正させてもらいます。

ただ、この方は、とても深くまで色々と考えたんでしょうね。

黙ってばらまく行為もできただろうに、知人に連絡を取り、
どこかで自分では止めれない衝動的行動を止めてもらいたいと思い、連絡を取ったのかもしれません。
そこのところは分かりませんが、そう考えることもできるという推測ですが。

行動には、意味がある、と僕は考えています。
例え本人が自覚していなくても、深層心理で行動を起こすこともありえます。

僕はカウンセラーですので、個人を相手にします。
ですから、全体でみると、たった一人の出来事かもしれません。
ですが、その人にとっては、
全体でみるとたったそれだけのことと思われることでも、
それが全てであるんです。

今回の新型コロナ騒動、
とても深く考えなければならない、と僕は個人的に思います。

「ウイルスをまく」飲み屋をはしご

さて、既に大騒ぎのニュース記事について、僕もこらむで書かせてもらいたいと思います。
個人的に思うところがありますので、少々言葉がキツイかもしれませんが、一つの意見として読んでいただければ幸いです。

どうしてこんな行動を起こしたのか、なんて記事もありましたが、必要ですかね。
本人が知りたいというならとことん深くまで自己洞察してもらって、納得するまで内面に向き合ってもらえばいいだけです。
タイトルしか見てませんし、読みたいとも思いませんでしたので全く内容は知りませんが。

結果からすれば、ハッキリと危害を加えようとして行動していますし、言質も取られてますし、実際お店側に被害も出ていますし、営業停止もさせていますし、もうホント、色々アウトですよね。
「まるでテロ」と経営者の方がおっしゃられていましたが、いやいや、テロそのものです。
もし、銃が普通に流通しているなら、起こっていたかもしれませんね。

勝手に絶望して、
勝手に癇癪を起こし、
勝手に周りを巻き込み、
勝手に自滅する、
そんなパターンです。

子どもの癇癪と同じです。

守られるのは、加害者ではなく、被害者です。

それは、絶対守らなければならない原則です。
例えどんな理由があろうと。

それはそれ、これはこれ、です。

犯した行動の責任は本人が負うものです。
当たり前ですよね、自己責任ってやつです。

自己責任の後に、どうしてかの理由です。
だから、情状酌量となるんです。

冷静になっちゃった今は後悔しまくりではないんでしょうかね、これからの事を考えると。

残念ながら、仕方ない事です。
それだけのことをしでかしてしまいましたので。
その責任を終えてから、そこからまたリスタートです。

しっかりと後悔して、しっかりと反省して、しっかりと責任をとって、
またやり直して下さい。

マスク10万枚 南京市へ発送

名古屋市 交流は停止しても

僕は個人的に尖った発言をする人は昔から苦手です。
河村市長の発言もけっこうそういうのがありますので、どちらかというと苦手な方ではあります。
ですが、それ以上にそのことで一方的に叩くという行為が嫌ですので、どうしても庇うという行動に出てしまいますね。
こらむでもそんな内容ありますよね。

ですが、そんな苦手な人でも、苦手なことだけをするわけではないんです。
どんな人でも、嫌な部分もあり、いい部分もあるんです。

無視をすることだって、先延ばしにすることだってできるのに、
「友人が困っとりゃ応援するという自然の情ですわ」

行動に移せる人はやはりすごいですね。

自ら動くことによって、色々なものが動き出す、
自然の流れです。

誤った信念(考え)の結果

不快な思いをすることってありませんか。
誰もが同じ場所で生活している以上、その一人一人に考えがあって、その考えに基づいて行動しています。
その行動が場に即しているなら問題ないですが、場に即してない行動をされると、おいおい、て思っちゃいますよね。
一番分かりやすく、判断に困らないのは職場ですね。
仕事をする場なのに、それに相応しくない行動を取るのは分かりやすいと思います。
もちろん、判断をするのも人ですから、それが正しいとは限りません。
ひょっとかしたら、なんて思うのは大事だと思います。

ですが、結果論になりますが、誤った信念(考え)に基づいた行動というのは長い目を持たずとも自然淘汰されます。
つまり、相応しくないと判断されてその場からいずれいなくなりますね。
残念ながら、それは仕方ないことなんです。
職場というものは、ちゃんと目的があって、それに向けた集団である以上、相応しくない行動を取り続ける以上、自ずと結果がついてきます。
おやっと思ったなら、自分の行動から見直し、信念(思考)を確認するのが大事だと思います。
自分が正しいかもしれないけど、正しくないのかもしれない、
非常に矛盾したことなんですが、周りから思った反応が返ってきてない以上、見直さないといずれ取返しのつかないことになるかもしれません。

自分は被害者だ、と思うことがあるかもしれません。

ですが、それが周りから思った反応が得られない時は思い直して下さい。

本当に被害者だと周りが思ってる時の反応は暖かいものです。
見過ごせないと、必ず力になってくれる人が現れます。

そんな反応が得られない時は、この言葉を唱えて下さい。

お互い様、と。

自分が被害者だと思っている、相手も被害者だと思っている、
周りからの反応が得られない以上、一般常識的に考えて相手の方が正しいんでしょう。

自分の非を認める行為は難しいですが、不可能ではありません。
過ちを犯すがやり直す機会もあります。
やり直すためには、自ずから変わるしかありません。
自ずから変わった人は、自信に溢れ、非常に強いです。
悩み、迷い、自分で答えを出して、それに対し周りも評価してくれる、
自信にならないわけありません。

力強い言葉を発する人は、それなりの土台がある、です。
失敗した経験がある人は、更に力強いです。
失敗を乗り越え、今があるからです。
もし、また失敗しても、またやり直す事ができるでしょう。
更に、言葉に深みを持たして。

そんな人に成りたいですよね。

一発屋はお笑いだけじゃない

お笑いの一発屋ってあるじゃないですか。

あれって、結局、飽きられるってことなんですよね。

笑いという感情は気分を明るくしてくれて、高揚もしてくれますからありがたいものなんですよね。

笑いが世界を変える、言い過ぎかもしれませんがそれだけのエネルギーはもっているんじゃないですかね。

ただ、人間というものは欲深い生き物なんですよね。

飽きるんですよ、長く続けられると。

だから、瞬発力があるものは継続が続かないものなんです。

陸上も選手別ですよね、短距離の選手、長距離の選手と。

両立できないんでしょうね、多分。

分かりませんが・・・。

さて、ここから本題です。

負の感情で煽る一発屋もあるんです。

こちらは、飽きるとかではなく、ただ単なる瞬発力でしょうね。

だから、気づいたらいつの間にかいなくなってる、そんな人はその末路を辿っただけなんです。

いやあ、ホント気分悪いですよね、僕はホント嫌な気分になりましたね。

事実だろうと虚構だろうと、いずれ消えるでしょうから、どうでもいいちゃどうでもいいんですが。

「金がなくなったら離婚しかないですよね、、、仕方のないことです」

そんな世間は甘くないんじゃないですかね。

河村市長の写真燃やす動画

札幌の不自由展作品「法的措置検討する」

これはヒドイ。
今日はこらむ書く気はなかったんですが、新聞見て気が変わりました。

なんでも表現の自由ってうたえば個人攻撃していいって思考、どうにかなりませんかね。

こういう言い方もどうかと思いますが、僕も同じこと、書かせてもらいます。

同じ中日新聞の今朝の朝刊(12月24日)に、岐阜の中学校のいじめに関する記事が記載されています。
やってること、同じと違います?

おい、河村生意気だよな、写真燃やしてやれ、
センセー、表現の自由ってのですよー。
これはあくまでも芸術ですよー。
てか。

市民に考えてもらうって、バカにしすぎでしょ。
戦時中じゃあるまいし、ちゃんと選挙で結果でるっしょや。

自分がやられて嫌なこと、人にするな、
自分の事で分からないなら、大事な人がやられて嫌なこと、人にするな、

守らなければならない立場の人は、しっかり壁役を、
私で出来ないなら、公で、仕事として割りきって壁役を。

解り合えない人もいる

個人的な話しになりますが、高校時代からずっと美容院は変えていません。
その美容院もどうやって決めたかというと、母親の紹介という理由なんですよ。
めんどいのが嫌いなのか認めている人の意見には従うのか、どちらが先なのか定かではないですが、そんなとこ、ありますね。
もちろん、だからといってそればっかではないですよ。
めんどかろうがこだわるときはこだわるし、認めている人の意見に反発する時もありますし、まあいい感じに矛盾しているんでしょうね。
ちなみに僕には妹がいますが、妹も同じ感じで美容院に行き、違う美容院を選択しています。
同じ環境で育っても、同じ選択を取るとは限らないということなんでしょうね。

それだけ付き合い長いですから、僕が働きながらカウンセラーもやってることももちろん知っています。
で、この前ある相談事を受けて話したことなんですが、世の中には道具が溢れていて、いかにそれを使うかだけ、と話したんです。
僕はカウンセラーになってから以前に増して世の中のニュースを見聞きするようにしています。
僕にとってはこれほど有効活用できる道具はないと思うからです。
主観的にも客観的にも自分の考えの確認ができますし、いい意味で自分と他人の違いの確認もできますし、生きた事例だと思いますし、まさに宝の山やなんて感じですかね。

で、タイトルです。

いいや、誰だって解り合えるという人ももちろんいるでしょうが、どうも僕はその考え方ダメなんですよね。
だって、マウント取ってボコボコ一方的に殴ってるイメージじゃないですか。
反転させてもらうならまだマシなんですが、そんな人はさらに倍返しなんて感じなんですよね。

だから、僕はゲシュタルト療法の考え方しっくりくるんですよね。

あなたはあなた、わたしはわたし。

別に同じじゃなくていいんじゃない、それでいいんじゃない、そんな感じですかね。

でも、だからといって押し付けるのはマウント取ってるのと同じですからね。

選択するのはあなた次第、てとこでしょうかね。

自分が納得できるのが一番、です。