free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

05月

義母へのお礼なく不満

今回も、中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
僕がキーポイントだと思う部分を、今回も一部色を変更して記載しますので、読んでいただければ幸いです。
それでは、どうぞお付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のご主人が友人の母に駐車場を借りてお世話になっているので、お礼のお菓子を毎月と、お中元、お歳暮を届けているとのことです。
その友人は兄弟で義母に茶道を習いに来ているのですが、金銭はもちろん、何かを持ってきたことは一度もないとのことです。
義母は「好きで教えているのだからいいよ」といいますが、この方は釈然としない気持ちで、自分が細かいのでしょうか、との事です。

なるほど、こちらはお世話になってるお礼をしているのに、向こうもお世話になってるはずなのにお礼がないのは釈然としない、そんな思いをしているんですね。
これは、なかなか難しい問題だと思います。
こんな思いを経験された方も多いんではないでしょうか。
それでは、一体どうしたらいいんでしょうね。

まずは、自分と相手が全く別の考え方を持っていると考えたらいいのではないでしょうか。
毎月、お礼のお菓子を届けているのは本当に素晴らしい事だと思います。
でも、それはこの方が当たり前と思う事であって、他の人も当たり前と思う事だとは限りません。
この方の友人は、駐車場の契約で十分と考えているのかもしれません。
友人(の母)は駐車場を貸す、この方(のご主人)は駐車場代を払う、それで十分だと考えているのではないですかね。
もちろん、ここにも同じように、それは友人が当たり前と思う事であって、他の人も当たり前と思う事だとは限りません。
ですから、どううまく、自分の中で折り合いをつけるか、だと思います。
このままお礼を続けるか、続けないか、それもこの方次第だと思います。

さて、次に本題の、義母へのお礼なく不満、について考えてみたいと思います。
ここは本当に誰でもややこしくしちゃうとこだと、個人的に思います。
どうしてややこしくしちゃうのか、それは当事者と第三者を混同しちゃうからです。
この場合の当事者は、茶道を習う友人兄弟と、茶道を教える義母になります。
となると、当事者の義母は、今のままでいい、と言っているんです。
当事者間で了解済みなら、それ以上何もする事はないのではないでしょうか。
下手に第三者が関わっちゃうと、今までのバランスも崩れちゃうかもしれません。
かといって、釈然としない気持ちも残っちゃいますよね。
義母が気を使って言ってるのかもしれないし、本当にそう思って言っているのかもしれないですしね。
もし、確かめたいなら、友人にさりげなく聞いてみるのもいいかもしれません。
自分が紹介した手前、ちょっと心苦しいみたいな感じですかね。
ひょっとかしたら、なにかしらの回答が返ってくるかもしれませんよ。

娘の爪かみ、実母が非難

さて、今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について、考えてみようと思います。
今回の相談内容は、深く考えれば色々な事が出てくるのではないかなと、個人的に思いました。
ですから、個人的に気になる所を、今回は色を変えて書いてみたいと思います。
と、ちょっといつもと違う前振りですけど、どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、この方の五歳の娘さんが爪をかむ癖があるとのことです。
この方も、結婚するまで同じ癖があったとのことです。
母は「あなたのしつけができていない」と非難。「私は育児に成功したのに、あなたはなぜできないの」と言い、
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」と娘さんの手をたたくとのことです。
義父母は見守ってくれますが、娘のためにも、母とどう接すればいいか分からなくなる、とのことです。

なるほど、本当に今回はどうすればいい分からないという状況なんではないかなと、僕は感じました。
それでは、状況を一度整理するとこから始めてみましょうか。

さて、それでは、まずは義父母の立場から、見て見ましょうか。
義父母が見ている景色は、そのままの景色なんではないかなと思います。
つまり、五歳のお孫さんが"爪をかむ癖がある"という、今、現在の景色だけです。
ですから、見守っているという立場にいるんではないでしょうか。
それか、それほど困った癖とは感じていないか、そのうち収まると考えているのかもしれませんね。

ひょっとかして、見守っている義父母に助けてもらいたい、とこの方は感じているのではないでしょうか?
本当に助けてもらいたいのは、誰なんでしょうか?
五歳の娘さんでしょうか、それとも・・・。

それでは、この方とお母さんが見ている景色とは、一体どんな景色なんでしょうか?
それは、娘さんの"爪をかむ癖"を見て、実は"自分達の過去の出来事"を見ているのではないでしょうか。
お母さんは、自分のこの方に対するしつけ、この方は自分自身の癖、それに対するお母さんへの思いを、今、ここで見てしまっているんです。
物事に過剰に反応しているなって時は、大抵、過去の出来事を今の景色に被せちゃってる時が多いです。
この方は、自分の癖がどうしてあったのか、原因は分かっているのではないでしょうか。
結婚するまで、という事は、母親と離れる事によって癖が直ったと考えているんではないでしょうかね。
その癖が出ていた時、一体どんな事を感じていたんでしょうね。

お母さんの言葉だけを見ると、この方を否定しているように僕は感じました。
否定されると、どうしても萎縮しちゃいますよね。
萎縮しちゃうと、どうしても自信を持てず、おどおどしてしまうのではないでしょうか。
おどおどしてる姿を見ると、相手はそれが気に入らず、また否定してしまう。
そして、さらに萎縮してしまう・・・。
抜け出せない、負の繰り返しになってしまっているのではないでしょうか。
抜け出せないと書きましたが、抜け出せない事はないです。抜け出さないだけなんです、実は・・・。

お母さんにとっても、この方の娘さんは大事なお孫さんです。
大事なお孫さんが将来、"爪をかむ癖"で苦労しないように、悪い事だと、しつけているんですよね。
その中には、ひょっとかして、この方の"爪をかむ癖"を直せなかったという"自責の念"もあるのかもしれません。
何かがなければ言葉もキツクなりません。だからといって、言われた方はいい気分にはなりませんよね。
手をたたくとこも見たくないですよね。

さて、問題は確かに娘さんの”爪をかむ癖”ですが、しつけについてになってる気がします。
ですから、ちょうどいい題材ではないですが、お母さんの言動をうまく利用して、娘さんにしつけをするのはどうなんでしょうか。
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」
そう言われて、実際自分がどんな悲しい気持ちになったか、そんな相手を悲しい気持ちにさせるような事はしないようにと、娘さんに話してみるのもいいかもしれません。
娘さんのために、でしたら、いがみ合うのは極力避けたいですよね。
なら、お母さんも立てなければなりません。
おばあちゃんはわざとそうやって言ってるんだよ、本当は仲がいいんだよ、とお母さんもいる場で娘さんに話せば、両方ともうまくいくような気がします。
器の違いではないですが、包み込むぐらいにされると、お母さんも毒が抜かれると思います。
そうすることによって、娘さんの”爪をかむ癖”も、ひょっとかしたら収まるかもしれません。
この方が癖が直ったように・・・。
すぐに収まらないとしても、いずれ爪をかまなくなると思いますよ。

<ごめんな祭>高知県「後免町」で叫ぶ「ごめんなさい」を読んで

本当に、お祭りってたくさんありますよね。
こんなお祭りがあるなんて、全く知りませんでした。
どんなお祭りかというと、
<ごめんな祭>
いやあ、おもしろいと思わず心引かれちゃいました。

場所は、高知県南国市にある「後免町」というところだそうです。
地名にちなみ、「ごめん」の気持ちを伝える、シンプルかつ分かりやすいお祭りみたいですね。

「ごめんなさい」って、謝るって、なかなか難しいって感じませんか?
謝ればいいって分かっているけど、何かが邪魔をして、素直に謝れない。
そんな経験をしたことってあるんではないでしょうか。

今、現在、悪いことしたなあって思っている事があるなら、その自分の気持ちに素直に従ってみませんか?
「ごめんなさい」って、素直に自分の気持ちを相手に伝えてみませんか?
素直な気持ちを伝えてみると、相手にも伝わります。
逆に言うなら、素直じゃないと伝わりません。
"え、本当にそう思っているの?"
そう感じた経験って、ありませんか?
そう言われた経験って、ありませんか?
そう言いたい経験って、ありませんか?
それは、言葉と気持ちが一致していないんです。
どうです、思い当たりませんか?

素直に、「ごめんなさい」。
伝えて、みませんか?

あ、ちなみにお祭り自体は、今月の11日にありました。
書いてる途中で、違うコラムに手を出しちゃって、途中書きで放置しちゃってました。
「遅くなって、本当にごめんなさい。」

決めつけていませんか?

さて、今回のタイトルなんですが、一度目を閉じてでもいいですし、心に問いかけてみて下さい。
どうです、何か思い当たる事って、ありませんか?
思い当たる方は、ひょっとかしたら、対人関係でちょっとした行き違いがあったのかもしれませんし、これから行き違っちゃうかもしれません。
ちょうどいい機会です。今、気づきましたので、その事を今一度見直してみませんか。

対人関係は、相手に働きかける事によって、変化するものです。
例えば、こちらからの勝手な決めつけでも、変化しちゃいます。
親子関係、師弟関係等、上下関係ではよく起こり得る事です。
多くはあまりいい変化ではないでしょうね。
良い対人関係がいいですか、悪い対人関係がいいですか?
あなたにとって、どちらの関係がいいんでしょうね?

自分は決めつけていないなあ、って方ももちろんいますよね。
多分ですが、対人関係もスムーズにいってるんではないでしょうか?
ただ、ひょっとかしてですが、ある対応をする人とは上手くいってないのではないでしょうか?
例えば、勝手に決めつける人なんて、どうです?
思い当たらなければ、本当に素晴らしいと思います。
そのまま、ありのままの相手を受け入れているんでしょうね。

ちょっとした例として、僕の個人的行動をあげます。
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

この前なんですが、所用で名古屋まで電車を使いました。
幸いにも席に座れたんですが、電車が発車してから、近くに70歳後半ぐらいのおばあちゃん二人連れが来られました。
一人は前の席に座れたのですが、もう一人の方は座れませんでした。
プライベートの僕の格好を知ってる方は、そのままの姿を想像してください。
知らない方は、シルバーアクセをジャラジャラつけて、タブレットを片手に、音楽を聞いてる姿を想像して下さい。
そんな男が、立っているおばあちゃんの肩をトントンと叩いて、席を譲ります、とジェスチャーで表現して、席を立ちました。
おばあちゃんは最初断ったのですが、会釈をして、席に座りました。
そして、僕はそのまま音楽を聞きながら、タブレットを見て立っています。

どうです、想像できましたか?
この光景を想像して、どのように感じましたか?

さて、どうして僕自身の行動をあげたかですが、僕が感じて、僕が行動した事だけが事実なんです。
それ以外は、実は決めつけになっちゃうんです。
つまり、あなたが想像した事であって、事実ではありません。
あと、登場するおばあちゃんが感じた事も事実です。
それ以外は、こちらもまた、決めつけになっちゃいます。

それでは、答え合わせです。
事実は、僕が見たくないから、僕の都合で座ってもらった、だけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。ただ、それだけです。
ですから、"優しい人"とか、”えらい”とか、とにかく褒められる事を言われると、僕は本当にいつも戸惑います。なぜなら、そんな気は全くないからです。
もちろん、そう感じているんだなとは思うようにしています。
どう思うかもまた、相手の自由だからです。

おばあちゃんがどう感じたかですが、これは本人しか分かりません。
感謝してるのかもしれませんし、余計な事しおって、かもしれません。
はたまた、年寄扱いしおって、かもしれません。
怖いから、素直に座っとこ、かもしれません。
ですが、これもまた、僕にとってはどうでもいい事なんです。
なぜなら、僕がしたくてした事なんです。
感謝されようが感謝されなかろうが、どうでもいい事です。

つまり、”このわがまま野郎が”、うん、これはしっくりきますね。これが正解なんです。
正解以外の僕だと思って付き合いを持つと、いずれズレが生じます。
それはそうですよね、本当の僕を見ていないんです。
決めつけた僕の姿を、そのまま僕に見ているんです。

ズレが生じているなと感じたら、ひょっとかしたら、勝手な決めつけをしてるのかもしれません。
そんな時は、修正をしてみて下さい。
どう修正するか、それは、今一度、じっくり相手を見て下さい。
今まで気づかなかった事が、必ずあるはずです。
それを受け入れると、ズレも必然的になくなります。
ありのままの相手を受け入れる、簡単そうで難しいものです。
難しいものですが、いい関係にはなれますよ。

PTAの委員選びが強引

今回も、中日新聞のねえねえちょっとに掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のお子さんが通う小学校で毎年、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められ、そのたびに、憂鬱になるとのことです。
役を引き受けられない場合、その理由として、家の経済状況、子どもの病気や障害、自分の病気や介護など、私的なことまで言わなければ納得してもらえず、本来、任意加入のはずなのに、なぜここまで強いられるのか、理解に苦しみます、とのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですよね。
お子さんをお持ちの方は、どなたも思っている事なんではないでしょうかねえ。
さて、それでは、一体どうすればいいんでしょう。

それでは、ちょっとだけ考えてみましょうか。
まずは、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められるとの事を考えてみましょうか。
なぜ、くじ引きなんでしょう?
立候補者がいるなら、くじ引きになるんでしょうか?
確かに、やりたい人がいても、くじ引きにして平等にするとも考えられますが、まず可能性として、低いですよね。
となると、立候補者がいないから、くじ引きになるんですよね。
誰もやりたくないから、仕方なく、くじ引きで決めるしかない、となるんではないでしょうか。
それって、本当に強制的なんでしょうか?

さて、次に任意加入についてちょっと考えてみましょうか。
確かに、PTAは任意加入になってますよね。
入るのも自由、入らないのも自由、さて、どちらを選びます?
大抵の人は、入らない方を選ぶのではないでしょうか。
入らない人ばかりです。
それって、果たして、組織として成り立つのでしょうか?
大事なお子さんが通う小学校のPTAが組織として成り立ちません。
それでもいいんでしょうか?

物事にはちょうどいいバランスがあります。
どちらかに片寄っていると、倒れちゃいます。
でも、倒れないような何かしらの力が働きます。
それが、くじ引きという力ではないでしょうか。
個と集団のバランスとも言えますね。

あなたにとっての、ちょうどいい折り合うところを見つけてみませんか。

免罪符の乱用をしてませんか?

最近、ちょっとそんな事をふっと考えます。
そんな僕自身も、果たして免罪符の乱用をしていないかどうかというと、正直自信はありません。
ただ、自覚するかどうか、それだけでも大分違ってくるのではないかと思います。

最近のテレビ番組ですが、どうもやりすぎの気がしてなりません。
少し前はドラマもありました。
今回は、バラエティーで、です。

もちろん、お笑いは素晴らしい仕事だと思います。
個人的にも大好きです。

ですが、です。

相手は一私人です。
それをネタに笑いをとろうというのは、どうも免罪符の乱用だと、個人的に思います。

幸い、放映前に抗議を受け入れ、テレビ局も放映を中止しました。

少し、ほんの少しだけでいいです。
常識で考えてみて下さい。
傷つく人がいます。
少なくとも、放映によって、さらに深く傷つくことになります。
それは、もう、笑いではないのではないでしょうか。

笑いは素晴らしいものです。
元気の源になるものです。
沈んだ気分も、一瞬で明るい気分にしてくれます。
笑いは、本当に、素晴らしいものです。

笑いにする、
笑い(者)にする、

たった一言加わるだけで、全く違ったものになってしまいます。

テレビで放映されるという事が、どれだけ影響力があるのか、今一度、考えてみてもらいたいものです。

性的少数者、学校で被害 いじめ、暴力7割が経験、を読んで

うーん、正直この問題は非常にデリケートな問題だと、個人的に思います。
中一、中二がピークという事ですが、ちょうど微妙な年頃ともいえます。
同年代しかいない学校という空間では、自分達とは違うというだけで、受け入れられないと考えてしまうのも、ある意味仕方ないのかもしれません。
もちろん、身体的な暴力(20%、121人)、服を脱がされるなど(11%、66人)というのは論外です。それは個人の権利を踏みにじってますので、仕方ないでは済ましてはいけない問題です。
でも、被害者のほぼ半数(218人)は誰にも相談しなかったという結果からも、その子の辛さが伝わるのではないでしょうか。
理由を聞かれても、本当の理由を話して、受け入れてもらえないかもしれないという不安から、いじめ自体を我慢するという事を選択したんでしょうね。
本当に、辛い選択だと思います。

有効回答609人に対し、小学校から高校までの間に、誰にもカミングアウトできなかった人は39%、237人ぐらいの割合になります。
「理解されるか不安」や「話すといじめや差別を受けそうだった」というのが主な理由みたいです。
言葉による暴力(53%、322人)、無視・仲間外れ(49%、298人)という結果からも、その心配通りの結果になってしまっていますよね。
でも、個人的にはそれぐらい慎重な方がいいのではないかなと思います。
それほど、難しい問題なのではないかと思います。

確かに、自分のありのままを受け入れてもらえたら、これ程嬉しい事はないと思います。
でも、受け入れてくれる人もいれば、どうしても受け入れられないという人もいると思います。
それは、その人の考え方であって、どうこう強要できるものでもありません。
なぜなら、個人の考えを本当に尊重するなら、どちらも尊重しないといけませんよね。
ですから、それをどう受け止めるか、が大事なんではないでしょうか。
本当に理解して欲しい人、その人には理解してもらうように、真剣に打ち明ける。
真剣な思いというものは、必ず相手に伝わります。
相手も、真剣に考えて答えてくれるのではないでしょうか。
その結果はどうあれ、真剣に向き合ったというだけでも違ってくるのではないかと思います。

周りの大人ができるのは、環境を整えるよう、見守る姿勢が大事なんではないでしょうか。
見守るだけでいいのかと思うかもしれませんが、案外難しいものです。
見守ってもらえている、それだけでも心強く感じるのではないかと思います。
誰にもカミングアウトできなかった、それなら、自分達に打ち明けてもらえるよう、信頼関係を築く努力をするのもいいかもしれませんね。