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Q&A はうつー

積もる子どものストレス

今朝(4/15)の中日新聞の記事のちょっとした問に答えてみたいと思い、あわてて書いてみました。
時間制限のある中、上手くまとまってくれればいいんですが、よろしければ参考にしてもらえば幸いです。
ちょっとだけ記事抜粋して書きますので、少しだけ我慢してくださいね。

「なんで勉強やピアノをしなくちゃいけないの。もう何もしたくない」。
休校延長が決まった六日、中学に進学したばかりの名古屋市の女子生徒が母親(四九)に声を荒げた。
もともとは何事もまじめに頑張るタイプ。
小学校卒業間際の大切な時間はウイルスに奪われたが、中学生活に希望を膨らませて勉強に励んでいた。
ピアノもコンクールに向けて練習を重ねていた。
しかし、そのコンクールも中止に。
女子生徒は張り詰めた糸が切れてしまったように大粒の涙を流し、自室に閉じこもってしまったという。
休校の長期化で、最大の懸念は子どもたちの精神面への影響だ。
友達と会えずに親と過ごす時間が長くなることや、部活や習い事などの生活の張りがなくなることでストレスが積もっていく。
また、子どもたちは大人ほど急な変化についていけず、浮き沈みが激しい。
励まし続けてきた母親は「仕方がないと思うけど、正直に言えば、学校を再開してほしい」と本音を明かす。
「子どもの話を聞いてくれるところやストレスを発散できる場所、親の相談相手がほしい」という訴えは、多くの保護者に共通する。

長くなりましたが、一部抜粋して書かせてもらいました。
さて、これは少しだけ発想の転換をしてみましょう。

無理に頑張ってきたことは、いずれ破綻してしまう可能性が大きいんです。
風船も膨らませすぎると破裂しちゃいますよね。
分かっていれば上手く調整できますが、分かってなければ、知らずに破裂しちゃいます。
今回、たまたまこのタイミングで破裂のタイミングがきたと、認識してみましょう。

真剣に、無理に頑張ってきたことが上手くいかなくなったのに、それを真剣に話しているのに、
それを話した相手が、真剣に答えてくれなかったらどんな思いになりますか?

自分が子供時代に同じ思いをしたことありませんか?
少なくとも、僕はあります。
僕は、あ、そうなんや、と冷めて流しましたが、相手に失望した思いは抱きました。
あくまでも個人的体験に基づく感想ですので、これは参考程度にしてもらえばいいですかね。

で、戻しますが、お子さんと真剣に向き合う絶好のチャンスと思って下さい。

お子さんが本当に思っている、真剣な感情を、残さず、ただ、聴いてあげてください。

真剣な思い、感情を、こちらもただ真剣に、残さずひたすら聴くことに徹する。

聴くことに徹する、ですから、こちらの考え、思いは全く必要ありません。
今回は、自分の思いはひたすら我慢して、ただ、相手の話を聴く。

くどいようですけど、けっこうシンドイ作業ですので、頑張ってください。

で、ちゃんと真剣に相手の思いを聴くことができると、相手はスッキリして冷静な判断ができるようになります。
多分、感謝の言葉が出てくるんじゃないですかね。
そこで、初めて、自分の意見を述べてみる、でいいと思います。

自室に閉じこもる、ということは、上手く向き合ってもらえなかったという結果です。

子どもみたいな行動を、ではなく、
大事な子どもだからこそ、今度こそ真剣に、という思いで向き合って下さい。

他人任せではなく、親としてしっかり向き合う、です。

真剣な思いはちゃんと相手に伝わります。
というか、
真剣な思いでないと相手に伝わりません。

あ、真剣な思いと言っても、アツくなってはダメですからね、もちろん。

感情に感情で向き合っても激流にぶつかっていくだけですからね。

喧嘩ってのはそんなもんなんですが、収まるとなんか達成感があるじゃないですか、
成し遂げたぜ感、とでもいいましょうかね。

あれ、心理学用語で説明できちゃいますからね。

あまりお勧めできない対人スキルの一種なんですからね。

忙しいかもしれませんが、それは置いといて、
とりあえず、
大事なお子さんのために、時間をとってあげましょう。

 

違いは知っているか知らないか

最近の言葉で、フェイクニュースってありますが、別段真新しいことでもなんでもないんです。

要は今までの出来事といかに結びつけ、理解するか、です。

人間心理学は古代中国で既に出来上がっている、となんかの書籍で読んだ微かな記憶があります。
今は、確かにそうだなと、個人的に思います。

こらむでも書いたかもしれませんが、発掘された紀元前の木版に「最近の若者は・・・」なんて一文があったそうです。
どんな時代でも、人間である以上、考える事、思うことは同じなんです。
木版として、歴史が証明しちゃってますからね。
世代格差は今に始まったことではない、ですね。

古代中国で、と書きましたが、古代中国史の歴史漫画でいいんですが読んだことありますか?
僕は個人的に知識を得るのは漫画もあり、という考え方です。
むしろ、イメージしやすいし、理解しやすいし、押しぐらいかもしれませんね。
作り物は作り手の考え方が反映されていますから、映画だろうと本だろうと漫画だろうと違いはないと思います。
だから、個人によって好き嫌いがハッキリするし、分かり易さも変わってきます。

難しく書いてるけど、同じ内容じゃないの、なんて書籍は多々あります。
といっても、ついつい買っちゃうんですけどね。

と、それちゃいましたが、古代中国史。
かなりエグイです。
そんな時代と言っちゃえばそれまでなんですが、今の時代では考えられないことが普通に行われていたわけです。
権力があればなおさら、もう、ホント、ギャーって感じですね。

そんな極限状態に置かれた人間はどんな行動を起こすか、
倫理も規律もゆるゆるの時代、考えただけでめっちゃ怖くないですか。
まあ、実際、巻き込まれたら救いはないんですけどね。
理不尽だろうと、それはそんな時代だからこそ仕方ないことなんですよね。
その時代に生きていない現代の僕たちでは、本当の理解はできないことなんでしょうけど。

そりゃ人間心理学は出来上がりますわ。

疑心暗鬼を匂わす、
その結果どうなるか。
歴史が証明しているんです。

知識を得ることによって、惑わされない。
知ってることを結び付け、踊らされない。

圧倒的な力でねじ伏せる、
言葉が通じない相手を黙らせる方法の一手です。

これはとても有効な手段だと、個人的には思っています。
色々な場面で、効果的に使われて欲しいと、個人的には思っています。
もちろん、使い方を間違えない限りですが。
使い方を間違えると、これまた歴史が証明してますからね。

最近の紙不足問題は、僕の予想以上に速い解決をしそうです。

もう少しだけかかるかと思いましたが、かなり本格的に潰しにきましたね。

いい傾向だと、個人的には思います。

 

対岸の火事

過剰に反応することってないですか?
なんでこんなに反応するんだろう、なんでこんなイライラするんだろう、それはあなたに何かしら関係しているから反応しちゃうんです。

嫌な事より好きな事の方がイメージできるかもしれませんね。

趣味が合う人との会話ってめっちゃ楽しくないですか。
趣味にどっぷりハマっていればいるほど、時間が経つこと忘れていつまでも話せる、そんな経験ないですか。
僕はハマる時はとことんハマりますから、けっこうそんな経験多いですね。

でも、趣味が合わないと、どんだけアツく語られても全く響かないことないですか。

つまり、対岸の火事なんですよ。

自分に関連することには反応するけど、関連しないことは全く興味を引かない、対岸の火事。

物事にはいい面と悪い面があります。

いい面で起こることは、悪い面でも起こっています。

つまり、あなたにとって、何かしらの弱点とでもいいましょうか、触れられたくない、触れたくない、そんな弱点ゆえに過剰に反応する、まさに火事現場。

直したいな、そう思うなら、あえて踏み込んで下さい。
とことんまで踏み込んでいくと、適切な距離感をつかむことができます。

これは僕の個人的経験ですが、どっぷり趣味にハマると、ある時、適切な距離感になります。
といっても、ホントどっぷり、ですよ。
引かれるぐらい、僕は好きな事にはハマりますからね。周り関係なく、ホントに、いや、マジで。
それぐらいすると、やがて離れることできるんですよね、自然に。

あ、ちなみに数年単位ですよ、僕の場合は少なくとも。

弱点に関しては、あーなるほどと、自然に納得出来た時、解決となりますね。
これはどれだけ、真剣に逃げずに向き合うか、それ次第ですかね。

ただ、キッツイですよ、自分の弱点に向き合うということは。
自分の嫌な部分と向き合うということは。
逃げるのは楽ですけど、逃げたら今までと同じですからね。何も解決しません。同じことの繰り返し、です。
その代わり、得るものは大きいですよ。一本芯が通るというか、目に見えて変わります。

 

行動に歴史あり

本当に昔からの知り合いは知っているんですが、小学校時代の僕は凄い人見知りで、授業中当てられると人前で答える事出来なくて泣きだしちゃう、そんな子どもでした。
一番酷かったのが小学校4年生の時で、今、考えるとなんとかしてやろうなんて考えてたのかも、と思えるのですが、けっこうな頻度で担任の先生に当てられて、その度に泣きだす、誰も救われない、そんな繰り返しの一年間でした。
ホント当時はすっごい嫌で嫌で、一年間、嫌な思い出しかなかったですね。

担任の先生も大変だったろうなぁ、と今なら思えますが、子どもにしてみればとんでもないトラウマものです。
よく登校拒否起こさなかったと、ホント思います。

小学校4年生の時が一番酷かったと書きましたが、5年生で担任が変わり、なぜか泣き出しているイメージがないんですよね。
いや、実際変わったんですよね。
当てられても答えている、そうだったと思います。
嫌なイメージは強烈に残ってますが、いい思い出、普通の思い出は残らない、そんなエピソードと思ってもらっていいですね。
これは今回、このテーマを持ち出すまで考えた事なかったので書きながらの推測でしかないのですが、責任感を僕に与え、その責任感でプレッシャーに打ち勝つ、そんなスポコンみたいなノリで実際打ち勝っちゃったのかもしれませんね。
人見知りなんですが、なぜかクラス委員にはいつも推薦され、3年も、5年も6年もやらされたんですよね。
で、進行役とかするわけじゃないですか、みんなの前で。
でも、そんな記憶残ってないんですよね。
当たり前に、当然のごとく普通に過ぎていったんでしょうね。
残ってるのは、授業中当てられて、頭真っ白になって、何も話せなくて泣き出す、そんな僕の姿ですね。
それをまたかよ、なんて言いながら苦笑い浮かべている担任の姿ですね。

あ、断って起きますが、もちろん、既に解決済みの案件ですので、それだけはご了承くださいね。

さて、僕は何回もこらむでも書いていますが、今も高校時代の友人とずっと繋がっていて、年二回は必ず飲み会しています。
学生時代はもう、ホント毎日とまではいきませんがいっつも夜中まで遊んでましたね。
高校の、早い時期に、自分語りとでもいいましょうか、そんな黒歴史を語ったのを覚えています。
いや、違いますね、
あれ、いつだったのかな、とにかく話したのは覚えています。
そして受け入れられたのを覚えていますね。
うん、自分のことは案外、覚えていないものですね、てへ。

恥ずかしいと自分が思っていても、案外人に話してみるとそれほどでもなく、受け入れてもらえる人とは良い関係を築くことができます。
安心できるんでしょうね。
ただ、話す相手は選んだ方がいいですね。
中にはさらに傷口を広げる相手もいますからね。
いい出会いをしたものです。
いい出会いをした高校時代は、ホントいい思い出として残っていますね。
楽しかったですね。
もう一度戻りたい・・・、いやいや、そんなこと、ないですよ、うん。

さて、タイトルの、行動に歴史あり、です。

大学時代も何回もあったんですが、今はなお一層、行動に移しています。

どんな行動か、

一方的な関係で窮地に陥ってる人を、黙って見過ごすこと、できないんです

一方的に責められ、今にも泣きだしそうな姿見ると、必ずフォローします。

見過ごせないんですよね、見ないふりできないんですよね。

感謝されますが、いつも僕がやりたくてやってることだから、と答えています。

いやあ、そりゃそうですよね、

僕はその景色を、4年生の僕自身に置き換え、当時僕自身が望んだことをただ、やってるだけなんですよね。

だからといって、やめるつもりもありません。

だって、見過ごせないですからね、

それはそれ、これはこれ、です。

人を助けているようで、実は過去の自分を助けている

自覚していればオッケーだと、僕は思います。

思考を特定する

人は誰でも思考を持っています。
考え方、価値観、正義、ルールとでも言えばいいですかね。
それに基づいて、行動と感情が現れてくるんです。

いつも同じことを繰り返して、いつも後悔する、
それは、思考が深く関わっているんです。

思考があって、行動と感情が現れる、
思考が変わらない限り、行動と感情は変わらない、となるんです。

さて、では僕の実体験を切り売りしたいと思います。

僕は物凄く早く出社するんです。
もうホント、ビックリしますよ。
でも、最初からではないんです、ちゃんとしたきっかけがあるんです。

以前の僕の出社時間はよくて始業30分前てとこでした。
通勤路はけっこう渋滞しますので、かなりの確率で毎日イライラすること、多かったと思います。
でも、何も変わらない日常を送っていましたね。

転機は違う事業所に移動したことです。
今までの約倍の通勤距離になり、必然的に早起きが必要になったんです。
もう、最初は大変でしたね、必然的に早起きの習慣を身に着けないといけなくなってしまいましたので。
なんとか30分出社時間を早め、対応し、遅刻は全くなかったですね。

ここで、僕の思考に、「他人に迷惑をかけてはならない」とう思考があります。
ゆえに、遅刻は全くないという結果に結びついています。
この、「他人に迷惑をかけてはならない」という思考はちょっと強固な思考だということを後で検証したいと思います。

約1年半、その事業所で勤め、以前からの今の職場に戻ったのですが、なんか習慣を元に戻すのめんどくさくて30分早く起きるままにしたんです。
どちらがめんどくさいか分かりませんが、とりあえず僕としてはそのままがめんどくさくない、てとこなんでしょうね。
事業所移る前の出社時間が8時前、戻った当初の出社時間は7時過ぎぐらいでしたかね。

どうしてか、それは通勤量が段違いだったんです。
早く出勤すると、それだけ車の台数が少なくて、必然的にイライラもない、
なら続ける努力しよう、てな感じですかね。
邪魔されないって、ホント気分いいんですよ。

人間の欲望ってのは、際限ないなんてセリフ、案外使うんですが、どんどんエスカレートしていくんですよね。
もっと、もっと、なんかヤバいセリフですが、今や出社時間、なんと6時前後。
それが当たり前のように続いているんです。
そんな早く出社して何しているの、よく聞かれますが、色々雑用していますね。
こらむのUPもけっこうな頻度、この時間を利用しています。
後はコンスタンスに読書に当てていますね。
電子書籍、ヤバいです、楽すぎて当初からヘビーユーザーと化しています。

さて、「他人に迷惑をかけてはならない」という思考の検証ですが、自分が努力しただけ、どんどん強固になっていくようです。
時々ですが、そんな時間だからこそかもしれませんがとんでもなく遅い車走っているんですよ。
このヤロー、邪魔するんじゃねえよ、とイライラするんですよね。
以前の出社時間なら、大人しくイライラしながら後ろにいたんですが、自分が努力して早めてまで気分がいいとこを邪魔されるの我慢ならない、てなっちゃったんですよね。
相手に対する時は、「他人(自分)に迷惑をかけてはならない」となり、許せないとなるんですよね。
なんて、わがまま、ですが感じちゃうもんは仕方ないですよね。

で、それに対し、ぼくが取った対応は、相手にしない、です。
つまり、そんな時間ですから脇道ももちろん車は走っていないんです。
ですから、すぐに脇道を選び、勝手に競争しています。
同じ時間帯を利用していますから、通勤電車みたいに全く知らないのに顔見知り現象とでもいいますかね。
あ、またアイツや、よっしゃこの脇道使って先回りや、てな感じですね。
密かな楽しみです、勝った時のよっしゃー!は格別ですね。
負けた時はこんちくしょーてな感じですがね。
も、もちろん安全ルール守っていますよ、交通違反ダメ、ぜったい。

この「他人に迷惑をかけてはならない」という思考は色々な場面に出てきます。
仕事でももちろん、プライベートでもです。
その場面場面で対応を変えていますが、最終的には相手にしない、になっていると思います。

正しい答えはない、僕と話したことある人はよく聞くセリフだと思います。
僕はこの方法を選びましたが、個人個人違う方法があると思います。
それがいい、むしろそう思います。
自分で出来ることを考え、自分で行動して、自分で対応する。
出来なかったらまた、違う方法を考えて実践する。
道路と一緒で、目的地があっても選ぶ道は色々ある、です。
最終的に目的地に着けばいいんです。
目的地に行く方法に拘っているのは、誰なんでしょうね。
拘っているなあ、と思うなら、自分自身に問いかけててみて下さい。
どうして、本当なの、と。
問いかけられると答えちゃうもんなんです。
会話ってそうですよね、無視できないですよね。
自分自身に問いかけてみて下さい。
何か出てくるかもしれませんよ。