free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
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11月

答えはそこにある

一方的な関係というのは成り立つものなのでしょうか?
個人個人で意見は違うのでしょうが、
僕は個人的には成り立たないと思います。
というか、僕は成り立たせないですね、あえて。

とは言っても、仕事ならある程度仕方ない面はあるとは思います。
ただ、あくまでもある程度です。
ある程度を超えたらどうなるのか?

我慢の限界、というものですね。
溜めてただけ、反動は大きくなります。
この世の中、そんなケース、ホントありふれていますよね。

なら、仕事とかしがらみがない場合はどうなんでしょうか?

仕事だから仕方ない、しがらみがあるから仕方ない、
なんて思い込むものがない状態です。

ある意味、地盤がない状態なわけです。考え方によっては。
それはもう、悩むわけです。
悩みを作ってしまうわけです。

では、どうすればいいんでしょう?

まずは、整理してみましょう。

誰かに話しを聞いてもらって、客観的に整理してもらうとか、
人によっては、話す事によって、客観的に整理できてしまうとか、
時系列でメール等のやり取りを見直すとか、
色々な方法はあるとは思います。

さて、これって一方的じゃないのと気づいたとしても、
だからといって、どうこうできるとは限りません。

踏ん切りが必要なんです。
踏ん切りをつける為に、一方的だと思える何かを聞いてみるんです。

一方的な関係を作る相手です。
踏ん切りをつける確証的な答えをくれるはずです。

さて、その後はどうしましょうか?
一方的な関係を、一方的に断ちますか?
それもありっちゃあありだと思います。
でも、それって、相手と同じことをしちゃってますよね。
なんかそれって悔しくないですか?

どうせなら、言いたい事を言って、スッキリするのが理想だと思います。
といっても、あくまでも理想ですので。
理想はあくまでも理想です。
無理する必要なんてこれっぽっちもありません。

そもそも、散々無理をしてきたんですから。
肩の荷を降ろしてほーっとしちゃって下さい。

 

傾聴とカウンセリングの違い

久々に、知り合いと飲みに行きました。
そこで指摘されたのですが、
”なんで?”
という概念が、どうも僕には欠けているようです。
会話の流れで、
”どこどこへ行く”
って話しになったのですが、それに対し、僕は
”お祝いしなきゃ”
と返事したのですが、
どうも、その流れは不自然らしく、
”どこどこへ行くんよ”
”なんで?”
”こうこうこうで、どこどこへ行くんよ”
”それじゃお祝いしなきゃね”
と、なるそうなんです。

結果的には、お祝いに近い内容なのでいいのですが、
相手からしてみると、
””なんで?”がないのに、どうしてお祝いって返事になるの?”
だそうです。

指摘されて初めて考えてみましたが、
”あ、そんな概念ないわ”と思い至りました。
いいのか悪いのか分かりませんが、ある程度の知り合いなら、ある程度行動も推測できますよね。
推測できる以上、”なんで?”ではなく、”へーそうなんだ”ぐらいなんですよね、僕の中では。
だからそこから推測して、今回は
”お祝いしなきゃ”
と返事したわけなんです。
指摘されなければ全く気づきもしないことなんですが、
いざ知ってみると、我ながら面白いものですね。

とまあ、こんな感じでスタートしたわけなんですが、
タイトルを見てもらうと、なんかえっらい難しい内容だと思われるかもしれません。

いやいや、全く違いますので。

本当に、基本さえ押さえてもらえれば、
ただの飲み会も悩みの解決の糸口に結びつくかもしれません。

では、その違いから。

傾聴というのは、相手の話すことを、そのまま否定もせず、受け入れる行為です。
老人ホームとかでは、傾聴ボランティアの方々が活躍されています。
ただ、話し相手になってもらう、否定もされず、ただ、そのまま受け入れてもらう。
ただ話しを聞いてもらえるだけでも、すごい安心感があります。
自分自身を受け入れてもらえた、肯定してもらえた、たったそれだけでも素直に嬉しいものです。
聞き上手、そんな人って周りでも人気ありませんか?
そのスペシャリストが、傾聴ボランティアの方々です。
しかし、相手が何か悩みがあったとしても、解決に結びつく可能性は低いです。
まあ、元々悩みの解決が目的ではないですからね。
でも、可能性が低いだけであって、解決に結びつくことももちろんあります。
あえて、勝手にと書いておきますが、話しながら勝手に解決してしまう、そんな方々もいます。

さて、一方カウンセリングというものはどういうものなのか?

まず、前提として、傾聴は基礎です。
傾聴を心掛けて相手の話しを聞いていると、話しの中に”矛盾”が生じているのが分かります。
傾聴だけなら、それはそのまま受け入れます。
ですが、カウンセリングではそれをそのまま受け入れません。
その矛盾こそ、問題のキーポイントとなるからです。
悩みがある以上、何か問題があったわけです。
となると、何かが流れを阻害しているから問題になったわけなんです。

問題にもよりますが、話しの中で矛盾は何か所も出てきます。
そこを相手に指摘してみるんです。
相手が話した内容のままに。
面白いことに、矛盾を指摘してみて話しを促してみると、
まるで関係ないと思える話始めの、最初の内容までつながったりします。

とまあ、あくまでもこれはカウンセラー目線での話しですが、
飲み会は飲み会、とくにこれといった療法もテクニックも使うわけではありません。
使うのは、傾聴と矛盾点の指摘。
そして、話しの促し。
たったそれだけです。
あとは相手がある時、勝手に気づいてくれます。
それはホントすぐに分かります、お互いに。
それをただひたすら待つだけです。

悩みを解決する、
いえいえ、
悩みを解決させる、
それがカウンセリングだと思います。

答えは与えられるものではなく、
答えはちゃんとそこにあるものなんです。
目を逸らさず、逸らしたものに向き合ってみませんか?