free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

03月

妻との第二の人生に悩む

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の方は、退職後の奥さんとの暮らしで悩んでいるとのことです。
奥さんは気難しい性格で、物事の判断が自分の気分次第。
思い通りにならないとこの方と息子さんたち、学校や地域の人にまで文句を言い、恥ずかしい限り。
定年が迫り、この先ずっと奥さんと過ごす生活が待っているかと思うと、気分が沈むとのことです。
これまでのように聞き役に徹し、波風を立てないことを第一としていくよりないのでしょうか、とのことです。

なるほど、奥さんが気難しい性格で、思い通りにならないと周りに文句を言って、恥ずかしい思いをしてるんですね。
今はまだ仕事で会社で過ごせるけど、定年になったらずっと一緒に過ごす生活を思うと、気分が沈むんですね。
聞き役に徹し、波風を立てないことを第一としていくしかないのか、と考えているんですね。

さて、なかなか難しい問題ですね。
それでは、ちょっと考えてみましょうか。

どうでしょう、思い通りにならないと、程度の差はあれ、嫌な気持ちにならないでしょうか?
どうしてなんだろうって思う事、あるんじゃないでしょうかね?
そんな時って、誰かに愚痴を言いたくなることはありませんか?
その愚痴を聞いてもらえると、スッキリするって経験は、誰でも一度はあるのではないでしょうか?
となると、これまで取られてきた、聞き役に徹するという方法は、とても素晴らしい方法だと思いますよ。
ただ、徹するというのは、身構えてるようで、ちょっと苦痛に感じてしまうように感じますが・・・。

思い通りにしたい、ではなく、思い通りにならないから文句を言う、ではないんでしょうか?
奥さんは、文句(愚痴)を言って、スッキリしたい。
だから、まず、この方に話す。
でも、スッキリしない。
息子さんたちに話す。
でも、スッキリしない。
学校や地域の人に文句(愚痴)を言う。
そこでやっと、スッキリするか、諦める。

となると、最初で目的を達成さえすれば、学校や地域の人に文句を言って、恥ずかしい思いをする事もなくなるかもしれません。

話しを聞くって、簡単そうで、けっこう難しいものです。
なぜなら、話しを聞いてもらえたって、相手が感じなければならないからです。
こちらがするってわけではなく、正に相手次第なんですよね。
でも、それが達成されると、面白い事に人間関係って変化する可能性があります。
自分が変わる事によって、相手も影響を受けて、変化するんです。
それは、勝手に相手が変わるという事です。
そうなると、今までと違って、良好な関係になる可能性はあります。

話しを聞いてるよって、相手に分かるようにするには、相槌をとりいれると効果的です。
一度、取り入れてみて下さい。
非常に効果的ですよ。

ある日突然、花粉症が治るは本当? を読んで

実は、最近この手の話題をしていたんです。
この記事によると、どうもあくまでも「レアケース」とのことですが、では、僕は「レアケース」のようです。
僕も、花粉症が治ったのかどうか分かりませんが、気にならなくなりました。
これといって、何か対策をしたわけではありません。
以前は、くしゃみ鼻水、目のかゆみ、もうそれはひどいものでした。
でも、最近は苦しまなくなりました。
ですから、今回は、僕がした事を、とりあげてみようと思います。
ひょっとかしたら、そこに何かしらのヒントがあるかもしれません。
なんて書くと、いかにも怪しいですが、まああくまでも個人的体験談として気楽に読んで頂ければ幸いです。
では、お付き合い下さい。

そうですね、まずはインフルエンザが猛威を振るった年に、自己防衛として、マスクを常に着用するようにしましたね。
それまでは、どんだけ花粉症で苦しくても、マスクはしていませんでした。
息苦しいのが嫌でしたので・・・。
最初は本当に息苦しくて、しんどかったんですが、それからは、夏もマスクを着けていましたね。
暑くて大変でしたが・・・。
なんか息苦しいのも慣れると心地よいもので、変な安心感もありましたね。
それから、学校に通って、本格的にカウンセリングを学び始めたのもありますね。
それまでは、独学で学んでいましたが、資格を取りたいと思い立って、入学しました。
結果的には、ここで独学では無理だという事を思い知らされました。
と同時に、とてもたくさんの事を学び、それを消化した、と思います。
心と身体には、密接な関係がある、知識として独学でももちろん学べます。
それが、本当に自分の中で消化されたからこそ、身体にも変化が現れたのではないかな、と今では思っています。

マスクを常に着用するようになった、
カウンセリングを本格的に学んで、資格をとった、
元々、花粉症ではなかったのかもしれない(あり得ないと思いますが、一応)、
とまあ、思い当たるのは、こんな点ですか。

参考になるかどうか分かりませんが、「レアケース」が存在する以上、治る可能性もあるわけです。
どうせなら、楽になりたいですよね。

 

義姉が母に冷たくあたる

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も一部文章の色を変更してあります。
それもあわせて、どうぞお付き合い下さい。

今回は、義姉の希望で、両親がお兄さん一家と同居している娘さんの相談です。
先日、お母さんが一ヶ月入院をしたとのことです。
お母さんは一刻も早く家に帰りたくて、退院日の朝、義姉に連絡すると"朝は忙しい"と言われ、病院で二時間待たされたと聞いた、との事です。
お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見える、とのことです。
育った生活環境で考え方が違うのは十分理解しているつもりですが、こんな仕打ちはないと思う、とのことです。

なるほど、お母さんから二時間待たされたというのを聞いて、こんな仕打ちはないと感じたんですね。
この方から見て、お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見えてるんですね。
本当にお母さんを大切に思われているんでしょうね。
大切に思っているお母さんが待っているのを想像して、義姉が冷たくしている、と考えているんですね。

さて、人間関係のトラブルの元は、実は思い込みが大半を占めています。
~のように見える、というのは、思い込みの可能性がありますね。
それを念頭においてもらうと、客観的に物事が見れるのではないかな、と思います。
この方は、育った生活環境で考え方が違うのは十分理解している、との事ですが、そのように考えれるのは本当に素晴らしいことだと、僕は思います。
ただ、今度はその考えに囚われてしまっているのではないかな、と感じました。
その考えに合わせようとして、今は、思考と感情にズレが生じている状態なのではないでしょうか?
無理に合わせようとすると、どうしてもズレは生じます。
自然に、自分なりの思考になるように消化する、というのも有効だと思います。
すると、そのようなズレは生じなくなるでしょう。

さて、今回このこらむを書くときに、父親に連絡を取って、ある確認をしました。
どんな確認かというと、僕の父親も以前入院していたので、退院のタイミングを確認しました。
それによると、病院側の指定ではなく、患者さん(家族)の指定なんですよね。
となると、退院の時間の目安は病院側と話し合われていたのではないでしょうか?
お母さんを迎えに来る、義姉は、"朝は忙しい"んですよね。
わざわざ日常生活で"忙しい朝"に退院の時間を指定はしないんではないでしょうか?
となると、”忙しい朝”を外した時間に退院する予定になっていたのではないでしょうか?

ここで、それぞれの"真実"が出てきています。
お母さんにとっての"真実"は、"一刻も早く帰りたくて、二時間も待たされた"です。
義姉にとっての"真実"は、"朝は忙しくて、迎えに行くのは無理"です。
どちらにとっても、尊重しなければならない言い分はあります。
ですから、それぞれの"真実"になるんです。

もっとも大事なのは、あなたは"当事者ではない"という"事実"です。
"真実"はそれぞれありますが、"事実"は一つだけです。
自分は"当事者でない"と冷静に考えてみて下さい。
すると、たくさんある"真実"の中からたった一つの"事実"が見えてくるのではないでしょうか。
それを自分だけの為に使うのもいいですし、お母さんと義姉の関係の間を取り持つのもいいでしょう。
あなたがどうしたいか、それによって、変化は訪れると思いますよ。

夜9時からスマホダメ ~刈谷市の取り組みについて考えてみる~

今回のタイトルは、今朝(3月15日)の中日新聞の朝刊の記事の見出しです。
どのような内容かというと、"LINE"などのトラブルに子どもが巻き込まれるのを防ごうと、愛知県刈谷市の全小中学校が四月から、午後九時以降に児童生徒に携帯電話を使わせないルールを申し合わせる、という内容です。
正直、最初ちょっとだけ読んだ率直な感想は、"そこまで介入するか"、でした。
でも、記事を読み進めながら、ちょっと考えてみると、全く違う感想になりました。
どう変わったかというと、"なかなかいい取り組みではないかな"、に変わりました。
自分でも、これだけ考えが変わるというのはあまりなく、驚いています。
では、どうしてそうなったのか、説明させてもらいますね。
どうぞ、お付き合い下さい。

まずは、"そこまで介入するか"と感じたのは、どうも僕自信の考え方に一因があります。
このカウンセリングルーム、”free mental place 航”は、けっこう悩みながら名付けました。
自由なこころの空間、それを第一にしたいと思い、そのままストレートに出しました。
どうも僕自身の弱点は、自由の対になる、過干渉とかルールとか枠組みに反発を覚えてしまうんです。
個人主義と全体主義とも置き換えれますね。
それがそのまま出たのではないかな、と思います。
一応断わっておきますが、プロですので、もちろん問題はないですよ、念のため(笑)

さて、通常なら、この手の記事は読み進めても、僕の中では、”どうなのかなあ”で終わってしまいます。
それが今回、違っているのは、明確に目的を達成できるかもしれない、と思える箇所があるからです。
それがどこなのかというと、児童生徒愛護会委員長の言葉です。
”子ども自身がラインと距離を置く言い訳に使ってほしい。”
つまり、自分達を悪者として、それを言い訳にして、上手く距離をとってほしい、という点です。

良い悪いは別として、集団がまとまる一つの方法として、共通の敵を作るというのがあります。
俗にいう、スケープゴートというものです。
もちろん、された人はたまったものではありません。
ただ、確かに集団は一つにまとまるんです。

LINEの問題は、今更ここで書く必要がないぐらい色々な問題が出ています。
それを何とかしたいという目的を達成する為に、学校が自ら悪者(スケープゴート)になって目的(子どもを守る)を達成するわけです。
上手く距離を取れない子どもにとって、そんな子どもを見て心配してる親御さんにとっても、正に渡りに船ではないんでしょうか。

この取り組みを、上手く活用して、少しでも問題解決に結びつければいいなと切に願います。

口下手で役員の仕事 不安

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も少し趣向を変えて、原文をそのまま変えずに記載しています。
もちろん理由はありますので、どうぞ今回もお付き合いください。

地域の役員に選ばれ、受けることになりました。
多い時は月に五~六回、研修会や行事のための会合があり、あいさつをしたり、意見を言ったりする機会が多くなります。
口下手の私は、頭の中で話す内容を考えていても、その場になると何も話せなくなります。
これから二年の役員任期の間、人前で話すことができるか、不安でいっぱいです。

さて、今回、全く手を加えず、そのまま記載しました。
どうしてか、その理由はとても簡単です。
とても素晴らしく、分かりやすく、伝わりやすい文章だと、僕が感じたからです。
そのあなたの持っているものを、そのまま利用してみませんか?

頭の中で内容を考えているのを、文章にしてメモ書きとして持って人前で話す、というのはどうでしょう。
これだけ相手に伝わりやすい文章ですので、結果はかなり違ってくると思います。
口下手かもしれませんが、文章上手だと僕は思いますよ。
それを繰り返すことによって、人前でも話すという事に自信を持てるようになると思います。
自信が持てると、自ずと自分の意見も言えるようになるのではないかなと、僕は思います。

月に五回として、二年の任期で120回、少なくとも100回程度あるわけです。
最初は失敗しても、これだけ回数あるとしたら、なんとかなるように思えませんか?
文章上手なあなたなら、出来ると、僕は信じています。

3.11について考えてみる

あの未曾有の東日本大震災から今日で3年経過しました。
3年という時間は、長いんでしょうか、短いんでしょうか?
時間の流れというものは、誰もが同じなんですが、感覚は立場によって変わってくるものなんでしょう。

人間というものは、日常生活において、何かおやっと感じた事があると、いつまでも心に引っ掛かかっているものです。
逆に言うならば、おやっと感じなければ、そのまま日常の中に埋もれてしまいます。
ですから、同じ経験をした人でも、覚えている人と覚えていない人がいるんです。

風化させない、忘れない。

震災にあわなかった僕たちは、日常生活に埋もれて忘れがちになってしまいます。
なら、せめて今日、この日だけは忘れないように、なにか自分に出来る事を考えてみませんか?
色々ニュースで取り上げています。それについて、自分なりに考えてみる。
それが、風化させない事に繋がるのではないかな、と思います。

最後に、震災で亡くなられた人達のご冥福を心からお祈りいたします。

臨床心理療法士 砂場航一郎

孫を差別する義父

今回も、ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
途中、色を変更して書いているのは、原文のまま記載しています。
少し読みづらいかもしれませんが、ご了承下さい。

今回は、義父母と同居している方の相談です。
義父母の娘と同時期に、わが家にも子どもが生まれました。
娘の孫がかわいいのは分かりますが、義父の態度が明らかに違う、との事です。
娘の孫は何をするにも大事で心配。
この方のお子さんには、口調もきつく、"あなたがしっかりみておきなさい"と言われる、とのことです。
まだ子どもたちは幼く、分からず遊んでいますが、腹立たしく、平等に接してほしい、とのことです。

なるほど、同時期に生まれたのに、平等に接してもらえないと腹立たしく感じますよね。
ましてや、それが自分のお子さんだとなおさらでしょう。
さて、どうしたらいいんでしょうね?

ちょっと今回、書き方を変えてみました。
なぜかというと、文面を読ましてもらった時、僕は何か他人行儀な印象を感じました。
その部分を色を変更してみました。
僕の見当違いなら、本当に申し訳ありません。
ひょっとかしてですが、以前から義父とあなたはあまりいい関係ではないのではないでしょうか?
同居しているのに、わが家と書いてあるんですが、そこに何か強いこだわりがあるように感じました。
あえて分けている、という感覚ですかね。
そして、私は口を出さないから、”あなたがしっかりみておきなさい”と繋がっている気がしました。

もしくは、家族構成は分かりませんが、普段から同居している家族なら、孫とはいえ、厳しくなってしまうものではないでしょうか。
娘の孫というわけではなく、たまに会う孫には甘く接してしまう、とは考えられないでしょうかね。
確かに、平等ではないかもしれませんが、平等に接するのは難しいかもしれません。
ただ、娘さん家族も同居しているなら、また話しは別になってしまいますが。

義母かご主人に、義父の自分のお子さんに対する態度について相談してみてはどうでしょう。
明らかに態度が違うなら、二人も同じ事を感じているでしょう。
何か義父に働きかけてくれるきっかけになるかもしれません。
育て方というものは、自分が意識しなければ変わらないものです。
義父が昔からご主人に対しても同じような態度なら、本当の家族として接しているのかもしれません。
あるいは、義父自身もどうやって接していいのか分からないのかもしれません。
だから、つい厳しく接してしまうというのもあり得るかもしれませんね。

”守る” VS ”見守る”

今回は、”守る”と”見守る”について、その違いを考えてみようと思います。
たった一言、一つの動作、”見る”が入るだけで、似て非なるものになっちゃうんです。
タイトルでは、あえて VS とまるで対立してるように書いてみましたが、もちろん、どちらも大事で必要な事だと思います。
ただ、どちらかに偏りすぎると、どうも対する方にあまりいい思いをもたない傾向があります。
というか、誤解をしやすい、と言った方がいいかもしれませんね。
どのような誤解が生じるかと言うと・・・
”守る”が強すぎると、”見守る”傾向がある相手を見ると、冷たい人、無関心という印象を持ちやすいです。
ですから、そんな対応を見ると、さらに"守る"という行為をしてしまいます。
逆に、”見守る”が強すぎると、”守る”傾向がある相手を見ると、干渉し過ぎ、おせっかいという印象を持ってしまいますね。
ですから、そんな対応を見ると、さらに一歩引いて"見る"という行為になってしまいます。
でも、どちらも対象の相手に対して、大事に思ってるのは一緒なんですよね。

どちらも必要で大事な事なんです。
そして、もっとも大事なのは、対象の相手の意見が一番大事なんです。
それを念頭に置いておかないと、対象の相手が板挟み状態で、新たな問題に発展しちゃいます。
相手がどうしてほしいか、何を望んでいるのか、それを与えれると問題は何も起こりません。
当たり前のことなんですが、なかなか難しいですよね。
難しいなと思うなら、ひょっとかしたら、どちらかに偏っているのかもしれません。
足りない方をちょっと心掛けてしてみると、そのような問題もなくなるかもしれません。
"守る"傾向が強い人は、"見守る"を心掛けて、
"見守る"傾向が強い人は、"守る"を心掛けて。

自分はどちらの傾向が強いか分からないなって思うなら、当事務所一押しの"エゴグラム"をお薦めします。
なんて、最後はちょっと宣伝になっちゃいましたが・・・。