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時事ネタ

名古屋トーチ事故生徒 学校通えず

暴言、中傷、心にも傷
教員「罸が当たった」 ネットで「下手だから」

さて、最初にまずはお断りしておきます。
今回のこらむの内容も、前回の関連記事のこらむの内容も
あくまでも僕の個人的思考によるものです。
どうしても、僕には許せないことがあって、
それはカウンセラーとしては致命的かもしれませんが、
それを自覚しても、それでも、取り上げたいと思い、書かせてもらいました。
気分を悪くされる方もおられると思いますが、一つの声として読んでもらえたら幸いです。

今朝、9月17日付の中日新聞朝刊の記事の内容です。

内容は省かせてもらいますが、こうなる結果は予想の範疇だったはずです。

名古屋市教委は8月13日付で、火を付けた棒を使うトーチトワリングを本年度は実地しないよう市立の全中高校に通知。

すぐに取り止めの判断は素晴らしいと思います。
ですが、どれだけ安全対策をしようが、前回も書いた通り、
でかい火遊びです。
事故は人が行う行為である以上、ヒューマンエラーはなくなりません。
でかい火遊びはダメ、それで禁止でいいのではないでしょうかね。

ですが、今までがんばってきたことができなくなった不満はどこに向かうのか、
そんなの、一ヶ所しかありません。
向かわれた方は、たまったもんではありません。
本当、たまったもんではないですよね。

学校という集団の中で、色々な意見もある中、動くのは難しいのかもしれませんが、
それでも、動く時に動かないのはやはり問題と言われても仕方ないことなのではないでしょうか。
関係各所で、今回の件で関わってる方には耳の痛い話しだとは思いますが、
十分に反省をしてもらい、同じようなケースで二度と同じような対応をしないようしてもらいたいものです。

人は、自分に都合のいいものしか見ないし、聞きません。

物事には、必ず良い面、悪い面、二つあります。

立ち位置によって、見方が変わります。

悪口に聞こえるかもしれませんが、向こうに言わせれば正当な意見だと言うかもしれません。

自分が主張する以上、相手にも主張する権利があります。

ですから、主張は仕方ないことなんです。

ですから、見たくないものは、見ないでいいんです。

聞きたくないことは、聞かなくていいんです。

余裕が出来てから、

それから見たり、聞いたりすればいいんです。

それで、いいんです、はい。

余裕を取り戻すまで、味方をしてくれる人たちに頼ればいいんです。

必ず、学校の中にも味方をしてくれる人はいるはずです。

嫌なことは、嫌、とハッキリ言える人は必ずいます。

学校にいなくても、どこかにいます。

ゆっくりと、ゆったりと休息をとって、余裕を取り戻してもらいたいと、

切に願っています。

あおり 暴行と同じ

直接的危害なしも容疑適用
行為自体を罰する法整備へ

今朝の中日新聞朝刊の記事です。

いやあ、やっとですね。
動き出すまで時間がかかるのは仕方ないですが、罰則は必要でしょう。

当たり前のことなんです。
運転免許というのは、
運転を免除することを許す、みたいな意味あいです。

元々、危険な道具を使うことを、
あえて許されているんです。

普通に考えればいかに危険な行為か分かりますよね。
分からない、なんて言い訳も通じるはずないんですよ、元々。
運転免許、自ら取得してますから。

ただ、物事には必ず良い面と悪い面があります。
光があれば影ができる、切り離せません。
法定速度を守るというのは、遅すぎるのも守っていないと同義です。
たった一台の影響で、大渋滞になっちゃいますから。

とりあえず言えることは、
めんどくさいのにはかかわらない、全力でその場を離れる、
です。

闘争か、
逃走か、
選択によって未来は変わります。

どちらを選ぶかはあなた次第です。

 

どうする?トーチ演舞

今回は、9月5日の中日新聞朝刊の記事について考えてみたいと思います。

というか、僕の結論を書かせてもらいます。

全くもって、考える必要もありません。
ここまでハッキリ書くのもどうかと思いますが、即刻止めるべきです。

練習中にトーチに巻いたタオルに染み込ませた灯油がたれ、服の袖に付着し、火を付けたトーチを振った時に引火し、右腕やひじに大やけどを負った。

今回の事故の内容です。

中学生の子供にとって、どれだけの恐怖ですか。
周りで見ている子供達も、どれだけの恐怖を感じたか、
本当に、心が痛みます。

市内では例年、十件前後の小規模なやけど事故が起きていた、
全くもって、お話しにもなりません。

まさに、起こるべくして起きた、人災です。

花火と一緒です、
見るだけでも十分感動できます。

演舞は大人が自己責任でやればいいんです。
それを子供達に見せて、感動してもらえばいいんです。
自己責任を持てない未成年に、危険なことさせて、どうするんですか。

子供が例えやりたいといっても、大人として、止めるべきです。
火遊び見つけたら、普通に叱るでしょ、
なにが違うんですか、でっかい火遊びでしょ。

体験して、良い思いでなんていっても、
こんな事故が起こってるのに、それでも言えますか。
感動じゃなく、達成感と違いますか?
自分の大切な子供が同じ事故にあっても、
同じことが言えますか?

今回は、ちょっと(かなり)思うところがあったので、書かせてもらいました。
気分を害された方がおられたら、本当に申し訳ありません。

事前に備える

今朝の事なんですが、コンビニから出るのに、右折しようとして待ってる車がいたんですよね。
合流する車線が信号変わったばっかなのに、全然混んでもいないのに。

左折して出りゃすぐいけるやん!何、その無駄な時間!!

僕の思考パターンでは、そういう判断しかできないんですよね。

全く知りもしない人なんですが、もし日常生活で関わるなら間違いなくトラブルになる思考の持ち主の人です。
あくまでも僕にとってはですがね。

出来事が起こった時に、条件反射でパンっと出るのが自動思考というものです。
その自動思考によって、行動と感情が決定します。

分かっているのにどうしても怒っちゃう。
あ~またやっちゃった。

後で後悔するのには、自動思考が関わっています。
まあ、後に悔やむから後悔なんですがね。
仕方ないんです、自動で出てくる思考ですからね。

とはいっても、嫌ですよね、後悔ばっかするの。

だから、対策を取るんです。

自分の弱点、自動思考を特定すれば、対策できますよね。
ぱっと出てくるから、行動を一つ付け足す、みたいな。
なんでもいいんです、手をたたくでも、握るでも、
なにか癖をいれちゃうイメージですかね。
ああ、いかんいかんてな感じですかね。

できる、できないではないんです。

誰もができないことなら、それはできないことです。
時間がかかるかかからないか、です。

まあ、これは自分の思考を直すという行為ですが。
直したくないなら直さなくていいと、個人的には思っています。

問題を解決するのに、もっとも大事なことがあります。

自分が納得すること、です。
自分が納得していないなら、何も変わりません。
直したくないのに直せと言われても直したくないですよね。
表面上をいくら装うが、見る人が見ればバレバレです。

人は変わらない、です。

でも、自分が納得しているなら、話しが違ってきます。
人は自分から変わる、になります。

事前にトラブルに備えておけば、いざという時、困りません。
自分が困らないように、
自分のために、
自分が出来ることを、
事故防衛として、備えましょう。

全体を把握する

時間は常に流れています。
これは変わることがない自然の定理です。

相談と愚痴って、比べてみるとちょっとした違いがあります。
理性と感情、客観的と主観的、等々で区別できます。
どちらがどちらに分類できるかは一目瞭然ではないかと思います。

頭では分かってるけど納得できない、というのは聞く方としてはまだマシなのですが、
頭で分かろうとせず納得できない、というのは聞くほうとして苦痛を持たらします。

一部分だけを切り取ったのと、
流れでその前の部分から見てるのでは、
自ずと答えが変わってきます。

問題の部分だけしか見ずにそれに対処すると、大きな歪みができます。
当たり前ですよね、物語と違うんです。
時間は流れているんです。
ぱっとその問題だけが発生するわけないんです。

理不尽を感じている方は多いと思います。

なら、それに対して自分で対応するしか手はありません。

いずれ気付いてくれるかもなんて期待してどれだけ経っていますか。
人は自分が見たいものしか見ません。
意識的にしろ、無意識にしろ無視ができます。

問題に感じたら自分で対処するしかありません。
前の部分から、具体的に分かりやすく、時系列に沿って説明して話し合うしかありません。
もちろん、自分も例外ではありません。
自分自身も見たいものしか見ていません。
ですが、話すことによって気付かされます。
客観的に物事を全体で見ることができます。

それを受け入れるかどうかでまた、対応が変わってくるでしょう。

過ちは仕方ありません。
大事なのは、同じ事を繰り返さないことではないでしょうか。
同じ事を繰り返すたびに、周りから人々は離れていきます。

それもまた、仕方ないことなんです。
それなりの理由がある、ということなんです。

選択肢は常に自分しか持っていません。
何を選ぶか、自由に選択できますが、自由ほど不自由なものはありません。
おかしなものですよね。

#僧衣運転 お墨付きだもん

今朝の中日新聞のある記事のタイトルです。
内容は省かせてもらいますが、僕的にはとても良い内容だと思います。

なんかこれってちょっとおかしくない、
そう思ったら、素直にその思いに反応し、声を出す。

声を出すことによって、表に出なかったものが表に出ることになり、
より多くの意見が出て、客観的に、冷静に判断される。

世間一般的な常識に基づいて、物事が変化する。

声を出したから、物事が変化します。
自分で声を出したからこそ、変化します。

声を出さなければ、変わりません。
いつまでも、同じままです。

自分さえ我慢すれば、いずれなんとかなる。
自分さえ我慢すれば、いずれ嵐も収まる。

そんなこと、ないです。
人が起こした行動である以上、収まってもまたすぐ嵐はやってきます。

見ていて、気分悪いなと思うなら、
素直にその思いに反応しましょう。

声を出して、行動することによって、
自分の気分の悪さも解消されますし、その人の助けになるかもしれません。

もちろん、何かを助けるということは、何かを助けないということです。
どんな尊い行動にも、責任が伴います。
自己満足にならないよう、
自己陶酔しないよう、自分の為に取った行動だと自覚しましょう。

真剣な思いは相手に届きます。
自分が信じて行動したことは間違いじゃなかったと、
あらためて思うことができると、経験上保証します。

こんな言葉は陳腐であまり好きではないんですが、
少しでも、優しい世界になればいいと、素直に思います。

win winの関係

個人的な話しなんですが、出勤途中に時々遭遇する車があって、そんなつもりは毛頭ないのですが、道を譲ってくれるんですよね。
車を寄せてハザードを点灯させ、僕の車を先に行かせたのを確認してからまた発進。
最初はえーっって思ったんですが、何回も続くといい関係だなと思っちゃうもんですね。
多分ですが、相手は後ろについてもらいたくない、
僕はもらえるものはもらっておく、
だからお互いにメリットだけ、
これこそ、win winの関係。
個人的な考え方なんですが、物事がスムーズにいく考え方だと思っています。

ちなみに煽り運転はしていませんよ、一応念のため。

駅のエスカレーターでもそうです。
公共交通機関ですので、どれだけ急いでいても駅に着くのは皆同じ。
でも、駅に着いた後は個人の都合次第です。
急いでいるなら、中部地区は道路と同じ。
関西地区はそれとは逆。
それ以外の地区はちょっと分かりませんが、その地区に合わせたローカルルールに合わせなければいけないでしょうね。
色々な意見はあるでしょうが、スムーズに進むと思います。
まあ、さらに個人的な意見を述べるなら、邪魔をされたくなければ階段を使え、ですかね。ちなみに本当に急いでいるときは僕は迷わず階段を使っています。
個人の努力でどうとでもなりますし、邪魔だなと思うのは勝手なこっちの都合でしかないですからね。

僕の考え方と全く違うのが、みんな一緒に、という考え方ですかね。
もしくは、自分と同じに、ですね。
この考え方、思考の持ち主の方とは、接触を極力避けています。
大抵、この考え方、思考をお持ちの方は、周りとのトラブルが耐えません。
なぜなら、積極的にアピールするんですよね。
みんな一緒に、だから仕方ないんですが、見ていて気分が悪くなるだけですからね。
ですから、避けます。逃げます。

自分にとっての、もっともよい手段をもちいればトラブルに巻き込まれる可能性は減らす事ができます。ここは個人の努力次第ですね。

「秋祭りで怒られPTSD」女児の逆転敗訴確定の記事を読んで

ちょっと気になる記事が出てましたので、触れてみたいと思います。
というか、正直、世間一般の常識でしょってレベルの裁判記事だと思います。
この記事を読んで、今まで理不尽な目に合ってきた人、
しっかりと裁判で判決として確定してますので、自信を持って、正しい事を正しいと言ってください。
理不尽な言動を取ってしまう人、
この記事を読んで、しっかりと反省して下さい。
記事をそのまま抜粋しますので、少々長くなりますが、一読の価値はあると思います。

埼玉県深谷市が管理する施設で開かれた秋祭りでボランティアに怒られ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、女児(9)が市に約190万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(戸倉三郎裁判長)は、女児の上告を受理しない決定をした。女児の逆転敗訴とした2審東京高裁判決が確定した。決定は25日付。4裁判官全員一致の結論。
判決によると、女児は5歳だった平成26年11月、家族とともに市内の施設で行われた秋祭りに参加。女児が輪投げゲームの会場に置かれた袋から景品の駄菓子を取り出したところ、ボランティアの高齢男性から注意された。近くにいた父親が駆けつけ、謝罪を求めて男性と口論。その後、女児はPTSDと診断された。
1審東京地裁判決は「男性に大声で注意され、口論を見たためにPTSDを発症した」として男性の過失を認め、使用者責任に基づいて市に約20万円の支払いを命じた。
一方、2審は「景品の駄菓子を勝手に取ろうとした女児を注意したのは社会通念上、全く正当」と指摘。「親として謝罪すべきなのに、道理に反して男性に謝罪を求め、警察に通報するなどした」とし、女児の請求を退けた。

最初は一部だけ抜粋で書こうかなとも思いましたが、少しでも正確に伝えたいと思い、全文抜粋としました。
こんな、僕個人としては、当たり前と思える事に4年も費やすなんて、正直いいとばっちりですよね。
この親も引くに引けない状況になっちゃった、なんて、思いたいぐらいですね。
止めてもらってありがとう、なんて思う心理ですかね。
本人の意見を知らないので、あくまでも希望的感想ですが。

一般常識は大事です。
常識ではありません。
一般常識です。
常識なんて、個人個人で微妙に違っています。
ですから、人間関係はトラブルの宝庫なんです。

あとは、子どものために、
怒られたからではなく、
口論を見たためにPTSDという点をしっかりと理解し、
子どもにしっかりと親として謝ってもらいたいと思います。
真剣な気持ちは相手に届きます。
お子さんのPTSDが直ることを祈っています。

「守れない」→「守らない」、「許せない」→「許さない」

以前にも書かせてもらいましたが、ずいぶん前から早起きする習慣をつけ、けっこうな頻度でこのこらむも朝の時間を使い更新しています。
そんな早い時間から車の運転をしていると、時々とんでもない運転をする車を見かけます。
今朝もそんな車を見かけました。
今朝は朝から雨が降っていて、交通量はいつもより多めです。
僕は直進ですので、信号が変わり、右折信号が出てからもしばらく待っていました。
右折する車もいないようです。
すると右折信号が消えてから、とんでもないスピードで、右折ラインから一台の車が直進していきました。
信号が切り替わる少しの時間を見越してでしょうが・・・。

ホント、時々見かけます。
あえて言わせてもらいますが、バカ野郎です。
こんなバカ野郎が勝手にどうなろうが知ったこっちゃないですが、一歩間違えれば大事故です。
バカ野郎が勝手に自爆するのは自己責任ですので知ったこっちゃないですが、巻き込まれたらたまったもんではありません。
ふと、もし、巻き込まれた事故を目撃した時、僕自身はどんな行動を取るだろうと考えました。
僕はそんなバカ野郎は「許せない」ので、そんな理不尽な事故を見過ごすことが出来ず、あえて証言するだろうなと思いました。
まあ、僕自身の普段の行動を考えたら、そうするでしょうね。
でも、それはあくまでも勝手な僕の我儘であって、どうこう言うものでもありません。
僕の思考に基づいて、見過ごすと「気持ち悪い」からであって、
どこまでいっても自己満足でしかありません。
ですから、そのあとの予定に関しては、ひたすら謝るの一点でしょうね。
自分の我儘によって、後の予定をないがしろにしているわけですからね。
なんてことまで考えてしまいました。

戻しますが、道路交通法ですら守れない人が、
罰則もついてない、ルール等を守ると思いますか?

僕は、「守れない」と思います。

言い方を変えてみます。
「守れない」ではなく、
「守らない」です。

もう一度、書きます。

僕は、「守らない」と思います。

どうですか?
言い方一つで印象が変わりませんか?

ついでに、もう一つ、

僕は
「許せない」ではなく、
「許さない」です。

僕の、ちょっと考えたという行動に一貫性が出ていませんか?

誰にでも譲れないものがあると思います。
僕にとってはこの点が、とりあえず譲れない点なんでしょうね。

貴乃花親方も同じなんではないでしょうか?
とんでもない重圧だったと思います。
下げたくない頭も下げ、重々考え、熟考も重ね、身近な人たちとも相談を重ね、取った行動ですから、
尊重してあげてもいいのではないでしょうか。
ですから、
お疲れさま、
いままでよく頑張りましたね、
でいいのではないでしょうかね。

呪いの藁人形!?

以前もこらむで書いたと思いますが、車中はラジオをつけています。
けっこう有効なネタを提供してもらえて、僕的にはかなり重宝していますね。
で、今回もラジオから仕入れたネタで書かせてもらおうかなと思っています。

藁人形、です。
それも、呪いの藁人形です。
オドロオドロしいですねえ。
しかし、使うと使わないではストレスの減り方が
33%も違うというデーターが出たそうです。
どうですか、この数字!!
使わない手はありませんよね。

なんて、ちょっと悪ノリしてしまいましたが、
別段不思議な話でもなんでもないんです。
当たり前な、ストレス解消の一つの手段でしかないんです。

溜め込んでしまったものは、自然には消化されません。
当人の努力によって消化されるにすぎないんです。
知識を得る、気づきを得る、吐き出す、
腑に落ちるという表現がありますが、
本当に、心底納得するときはそんな感覚を味わいます。
で、その感覚を得たなら、悩みなんて解消されちゃっています。
納得できないからいつまでもどっかにひっかっかっちゃっているんです。

吐き出すという行為は、お酒の席でも有効ですね。
真剣に悩みに向き合うと、自然と感情は昂ります。
普段は意識して押さえていた感情がひょこっと顔を出します。

イメージしてもらうのは、狭いお風呂ですかね。
膝を曲げないとお湯につかれない湯船なんて最高ですね。
お湯から曲げた膝がひょこっと出ています。
まるで氷山の一角状態ですね。
水面が普段自分を押さえつけている、自分の中の常識のラインです。
道徳とか、規律とか、まあもろもろですかね。
それに当てはまるものは水面から上に、
当てはまらないものは水面から下に押し込まれます。
水面から上は意識、
水面から下は無意識、
浅瀬は前意識、
となります。
さて、お酒はそのラインをちょこっとだけ下げてしまいます。
普段は頑張って隠されている、氷山の一部が顔を出しちゃうんです。
それが、前意識となります。
普段隠しているもの、
そりゃ、酒癖悪くなりますよね。
でも、出しきるとかなりスッキリします。
ちなみに泣く行為は個人的見解ですが、
真剣さが増すほどカウンセリングと同じ効果はあると思います。
押さえ込まずに、ありのまま出しきる、ですね。
で、泣くぐらいならいいのですが、
暴力を伴ったのは、ちょっと頂けません。
他人の権利を無視していますからね。
それは許されることではありません。

で、藁人形です。
これはかなりいいと思いますね。
ちょっと取り入れたいと、真剣に検討しています。
途中で気づくというのもいいですしね、
そこまでやる必要あるのかな、と。
そこで気づきを得たならそれでよし、
やり抜いてスッキリするならそれもよし、
自分の悩みに自分で答えを出す、
理にかなってますよね。