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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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親子関係

夫と常に一緒 息詰まる

今回もねえねえちょっとの質問を考えてみたいと思います。
人間関係が拗れるのは関係が近ければ近いほどと念頭に置いてもらって読んでもらえれば幸いです。

夫のことを、うっとうしく感じます。
自営業の夫は二十四時間家にいるので、息が詰まりそうです。
娘二人はすでに嫁いでいるため夫との会話は少なく、テレビを見る時も別々。
私も更年期障害なのか言動にイライラしてしまい、ご主人が会社員の友達をうらやましく思ってしまいます。
こんな私は心が狭いのでしょうか。

さて、本当に難しい問題だと思います。
関係が近くない間柄なら、うっとうしく感じる相手とどのように接しますか?
なんとか上手くやっていく、なんて優秀な解答をされる方もおられるかもしれませんが、
正直、面倒くさくないですか?
ちなみにあくまでも僕個人的考え方ですが、身近でないなら関わらないようにしますかね。
だって自分自身の精神衛生上好ましくないですしね。
当たり前の事なんですが、自分を一番大事にしなければなりません。
でなければ、問題は拗れる一方です。

ですから、拗れちゃうんです、関係が近ければ近いほど。
だって、関わらないわけにはいかないですからね。

更年期障害かどうかは分かりかねますが、言動にイライラするのは普通の事だと思います。
うっとうしく感じる相手と接する時は。

ご主人が会社員の友達をうらやましく思ってしまうとの事ですが、
だからといって、自営業のご主人に会社員になってもらいたいんでしょうか。
違いますよね、今までの生活と今後の生活もありますから。
いきなり会社員になるなんてご主人に言われたら困っちゃいますよね。

となると、現実的な問題、自営業のご主人が二十四時間家にいるのは仕方ないことではないでしょうか。
それが今までとこれからの生活を支える仕事である以上。
相手が変わらない以上、自分が変わるしかありません。
というか、相手が変えれないと言い直した方がいいかもしれませんね。

この方がどのような生活パターンをされてるか分かりませんが、
自分だけの時間を作るようにすればいいのではないでしょうか。
自営業ですので、専業主婦とは思えませんが、 もしそうならパートに出るとか。
一緒に自営業をされているのなら、休みの時に習い事に出掛けるとか。

でも、ちょっとだけ考えて下さいね。
条件はお互い同じなんです。
相手も同じ思いを抱いているかもしれないんです。
というか、お互い様の可能性が大きいですが。
物事は常にお互い様なんです。

ですから、歩み寄ってみるというのもあるとは思います。
思った方が負け、なんて言葉があったかどうか定かではないですが、
思ってしまった以上、歩みよった方がいいかもしれないですね。
歩み寄る事によって、変化は起こります。

歩み寄る、会話をすることですね。
なんでもいいんです、
そのうち、言いたいことを言ってしまう、
それでいいんです。
喧嘩になってしまう。
いいんです。
といっても、暴力はダメですよ。

解決すれば、
お互いにお互いの距離感が分かります。
高望みでもなく、ないものねだりでもない、
現実に適した距離感が。

 

家事のやり方で妻怒る

さて、今回のねえねえちょっとの質問もまた、興味深い相談内容だと思います。
考え方の一つとして読んでもらえれば幸いです。
それでは、

妻と家事のやり方が違って、怒られるので困っています。
せっかく手伝っているのに、「洗濯物のたたみ方が違う」とか、「水を出しっぱなしにして食器を洗うな」とか小言ばかり言われて、私も子どももビクビクしながら生きています。
どうすれば妻の機嫌はよくなるでしょうか。

これは、正直、それほど難しくない問題だと思います。
少しキツイ指摘をしますが、手伝っているのか、邪魔をしているのか、たったそれだけではないでしょうか。

自分本位で相手の手伝いをする、
あなたはそんな事されたらどう思いますか?
余計仕事を増やされたと思いませんかね、
少なくとも僕はそう考えてしまいますね。
いやいや、やり方聞けよ、なんて思いながら・・・。

家事を手伝う、とても素晴らしいことだと思います。
が、相手が望んでいないやり方は逆にイライラさせるだけです。

ですから、相手はちゃんとどうして欲しいか言っています。

「洗濯物のたたみ方が違う」
「水を出しっぱなしにして食器を洗うな」
その通りに手伝えばいいだけです。

ちゃんと言われたようにさえすれば、機嫌が悪くなるはずありません。
むしろ、機嫌がよくなるでしょう、
だって、ちゃんと自分の望むように手伝ってもらっているんですから。

何に基準を置くか、
そこが重要ではないでしょうかね。

遺伝か環境か

個人的意見ですが、血液型で性格判断というものがどうも苦手です。
人をたった四種類に分けてしまうのって傲慢な気がしてしまってあまり好きな考え方ではありません。
統計学的な考え方ですから、それを考慮していればいいんですが、どうもそれを根拠に人付き合いしている人の話にはどうしても反発心が生まれてしまいます。
性格は遺伝する、というのもどうもダメですね。
生まれた時にすでに決まっているなんて、面白味も何もあったもんじゃないなんて考えてしまいます。
ですから、僕は環境が人を形成するって昔から考えているんですよね。
そこから何を学び、何を信じ、どのように感じ、どういった行動をするか、
各々違うからこそ、色々な可能性があって面白いんじゃね、って思っています。
人は自ら選択し、成長するからこそ面白いと考えていますね。

ですが、ちょっとした話しを聞いて思わずその考え方が揺らいでしまいました。
余談ですが、自分が信じている考え方が揺らぐ体験ってのはとても重要です。
新しい可能性、新しい考え方を獲得できるチャンスなんです。
レベルアップなんていうと語弊があるかもしれませんが、間違いなく考え方の幅が広がり、視野が広がります。
個人的体験ですと、自分の今まで信じてきた根っこの部分がぐらんぐらん揺らぎまくり、自分にとっての正解が分からなくなります。
で、最終的に、今まで否定してきたものを
”それもありじゃね”
と思うようになりますね。軽薄に聞こえるかもしれませんが、あくまでも個人的意見、感覚ですんでそれを考慮して頂ければ幸いです。

話しが逸れてしまいましたが、どのような話しを聞いたかというと、
その人は、子供と一緒に過ごした期間は一年と半年程だったそうです。
それからは全く子供と会う事もなく、十数年過ごしていました。
その後色々あって、別れた奥さんと連絡をとるようになり、子供の話しを聞いたそうです。
その感想が、
”え、それって俺じゃね”
だったそうです。
奥さんも元々同意見だったようで、
”まるで誰かさんみたいじゃない”
だったとのことです。
二人とも同じ人物を想像していました。

その話しを聞いて、
”環境じゃなく、遺伝なの”
と、考えが揺らいでしまいました。
十数年かかった話しですので、重みがあり、簡単に否定もできません。

ですが、否定する必要はないのかもしれません。
あった以上、それは確実に存在しているからです。
ですから、
”それもありじゃね”
でいいのかな、なんて考え直しました。
流石に時間はかかりましたが・・・。

まあ、同じような思考を学習したから同じような感情が出て、同じような行動をするって考えもできるんですが、それで否定してしまうってのもまた、もったいないですよね。

そこまで思考で考えてみると、色々とごちゃごちゃとしてしまいます。
どこまでいっても際限なくなっちゃいます。

で、結局、頭で考えるんじゃなく、心で感じろ、なんてどっかで聞いたような言い回しに落ち着いちゃうんですよね。

勇気を出して言ってみる

個人的な事なんですが、長年言い出す事が出来なかったことがありました。

勇気を出してついさっきなんですが、切り出してみました。

迷うぐらいならまずはやってみる。

なんて偉そうに言っていますが、大事な事こそ切り出しづらいものですよね。

僕にとっては、切り出すのに長年の時間を要する事だったんでしょう。

あっさり上手くいきました。

だからといって、嬉しさは減るものではありません。
むしろ、長年の時間だけ、嬉しいものです。

大事な事にはハードルを実際より高くしちゃうものです。
失敗を必要以上に恐れるからです。

ハードルを上げすぎちゃっていませんか?

会話をして下さい

今回のコラムは、個人的なメッセージとして書かしてもらいます。

会話をする、コミュニケーションを取るという重要性というのは、当たり前だと思いますよね。
社会生活を送る上で、そんなの当たり前だよと思う時は、全く問題ない時です。
そんな時は、何も問題も負担もなく、愚痴とか不満を知ってか知らずか話しているものなんです。
それか、自分自身で問題を解決できている時なんです。
セルフケアというのが理想的ですからね。
自然治癒と言い換えてもいいかもしれません。
そんなスキルというのは、誰もが知らずに身につけているものなんです。

相手に気を使う、相手に対して話すと申し訳ないと思ってしまう、相手に負担を掛けたくない、心配させたくない、そんな時にこそ、そう自分が思える相手と会話をして下さい。
自分がどれだけ辛い思いをしているのか、自分だけで抱えこまないで下さい。
そう思う今の状況は、今のあなたの自然治癒能力をオーバーしているのかもしれません。
オーバーしてるゆえに、そんな自分を守るべき相手に見せたくないと思ってしまうものなんです。

とは言っても、自分の弱い部分を見せるというのは難しいものだと思います。
自分が守らなければならないと思っている相手なら尚更です。

難しいんですが、隠される方が相手にとっては負担に思う事も多々あります。
同じ生活を送っているなら、ほんのちょっとの生活のパターンの違いも気付くものではないでしょうか。
あれ、ちょっとおかしいなって思う時はあるものです。
いつもと違うぞ、気付くんですが、相手もまた、気を使って話さないんです。
指摘したら悪いなあなんて思ってしまのかもしれません。

これって、十分相手に負担を掛けてますよね。
少なくとも、守るべき相手に気を使わしてしまっているんです。

どうせ負担を掛けるなら、オープンにして負担を分かち合うようにしませんか?
あなたが守らなければならないと思える相手なら、その思いは通じるのではないでしょうか。
なぜなら、あなた自身が選んだ相手です。
なら、答えてくれるのではないでしょうか。
あなた一人では今の状況を解決するのは難しいかもしれません。
今までの問題を解決してきたスキルでは太刀打ちできない状況かもしれませんが、協力しあえば乗り越える事ができるかもしれません。

そういえばあの時、後で思い返すセリフ程、辛い思いをさせるものはありません。
辛い思いをさせたいんでしょうか?

辛い思いをさせたくないからこそ、自分が頑張るしかない、
それが全う出来るなら、全く問題はないです。
出来ない時こそ、出来なくなりそうだと思う時こそ、
会話をしてみて下さい。
最初のとっかかりだけが問題なんです。
とっかかりさえ乗り切れば、思いを吐き出せるはずです。

たった一歩なんですが、とてつもない一歩かもしれません。
踏み出しましょう、一歩を。
後は自然と流れていくものです。

なんて、偉そうにコラム書いてますが、
商売道具の名刺入れを飲み屋に忘れてきてしまいました。
僕もまた、反省しなければならないですね・・・。

 

 

世の中は"期待"にあふれている

個人的な事なんですが、最近ある出来事を知らされ、その内容に思わずがっかりしてしまいました。
どのような内容かは省かさせてもらいますが、僕にとっては残念に感じた出来事でしたね。

事実としての出来事は一つだけなんですが、個人個人によってその出来事の捉え方は違ってきます。
僕にとっては、その出来事に対してがっかり感が多きかったわけです。
どうしてがっかり感を感じたのか、それはそんな事はしないだろうという勝手な期待を相手にしていたんですね。
その期待を裏切られたように感じて、がっかりしちゃったわけです。
相手にとっては、自分の知らない所で勝手に期待されても、そんなの知らないよって言いたくなりますよね。
ちなみに、その場で僕と同じようにその出来事を聞いた人達もまた、それぞれ違った捉え方をしていました。

大事なのは、出来事に対してどう自分が感じようが、それはあくまでも自分個人の問題なんだと自覚する事です。
そして、自分が感じた事を相手に伝えるかどうかもまた、自分で選択できるということです。
伝えるのがいいのか、伝えないのがいいのか、自由に決めていいんです。
ちなみに今回の僕の選択は、相手に伝えない事を選びました。
なぜなら、自分の勝手な期待と気づいたからですね。
そして、その選択に対して、全く違和感を感じなかったからです。
もし、その自分の決定に違和感を感じるようなら、もう一度考えてみた方がいいかもしれません。
その違和感が"しこり"として自分の中に残ってしまうかもしれないからです。
"しこり"というのはやっかいなもので、相手との関係も変わってしまう事にもなりかねません。
それも一方的にですから、相手にとってはたまったものではありませんよね。

相手に対して怒るというのもまた、一因として期待を裏切られたという思いがあります。
怒って相手に伝え、自分の期待に沿うようにするんですね。
でも、怒るという感情は強い感情ですので、制御が効かなくなってしまう事があります。
あちゃあ、言い過ぎたなあと後で後悔してしまうんですね。
そして感情を出しすぎた分、不自然な程、まるで取り繕うような行動に出てしまいます。
優しくなりすぎたり、しゃべりすぎたり自分なりにバランスを取ろうとするんです。
周りに同意を求めたり、自分の怒りを正当化しようとしたりもします。
自分ではバランスを取ってるつもりですが、そんな時は大抵、アンバランスに周りは感じます。
言い過ぎたなと自分が感じたなら、感じた通りに素直に相手に謝るのが一番です。
言い訳をするなって、相手に言いたくなる時ってありますよね。
それと同じです。
自分に対して言い訳をしちゃってるんです。

事態が一向に改善されないなって思ってるなら、そんな時は相手に対する評価を見直すいい機会かもしれません。
過小評価しているのか、過大評価しているのか、相手の評価を決めるのもまた、他の誰でもない自分です。
過大な期待というのは、どちらにとってもあまりいい結果にならない事が多いです。
お互いが被害者と思ってしまうんですね。
世の中は"期待"にあふれています。
自分が出来る事、出来ない事、
相手が出来る事、出来ない事、
見極めるのもまた、自分だけです。

長男の嫁が名前呼び捨て

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
ちょっと気になった部分を色を変更して書いていますので、参考にしていただければ幸いです。
それでは、どうぞお付きあい下さい。

今回の内容は、長男の妻が長男を呼ぶ時に名前を呼び捨てにするのが気になる、とのことです。
夫婦や兄弟で呼び合う分にはいいのですが、電話やメール、この方との会話でも呼び捨てです。
この方は夫をさん付けで呼び、次男、三男の妻も呼び捨てにはしていないそうです。
せめてこの方と話す時だけでも呼び捨てはやめてほしいのですが、角の立つ言い方はしたくありません。
長男に相談しても効果はありませんでした、とのことです。

なるほど、第三者として聞いたときに、名前を呼び捨てにしてるのが気になるんですね。
自分と話す時にはせめて呼び捨てをやめてほしいと思っているんですが、角の立つ言い方はしたくないんですね。
それでは、どうしたらいいんでしょうね。

今回、角の立つ言い方ははしたくありません、を色を変更してみました。
ところで、角が立つ時って、一体どんな時なんでしょう?
一般的には、一方的に要求する時とかが多いんではないかなと、個人的には思います。
今回のケースで考えてみると、たしなめるとか、礼節とかそんな事があるんではないでしょうかね。
確かに、そのように接すると、角が立つのかもしれませんよね。

となると、一方的でなければ、角が立つ可能性も低くなるのではないでしょうか?
そうですね、例えば、相手も立てて、その上こちらのお願いもしてみる、というのはどうでしょう。

それにはまず、相手が名前を呼び捨てにするという行為の悪い面だけでなく、良い面も考えてみないといけません。
良い面なんて本当にあるの、と思うかもしれませんが、なければそのような行為をするのでしょうか?
確かに自分にとってはないかもしれませんが、相手にとってはよい面があるのかもしれません。
例えば、ありのままの自分でいられるとか、取り繕う事のよって、なんか壁みたいなのを作っちゃいそうで嫌だとか、あるのではないでしょうか。
呼び捨てにする事によって、親しみを表しているのかもしれません。
この方との関係も、良いか悪いかは別として、遠慮しない分、フレンドリーな関係なのではないんでしょうか。
あくまでも推測ですので、実際はどうかは分かりません。
ですが、それらを含めつつ、お願いしてみるのがいいのではないでしょうかね。
少なくとも、一方的ではないですので、角の立つ言い方にはならないとは思いますよ。

義妹一家の来訪に閉口

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付きあい下さい。

今回の方は、還暦を過ぎた長男の奥さんで、義母(87)と夫、長男一家の計七人家族だそうです。
車で十分の近所に住む義妹は、正月やお盆など年に数回、義弟と子二人、その妻や孫まで連れて夕食に来るとのことです。
あいさつもありません。
子どもの代に替わったので、今後は遠慮してほしいのですが、どうすれば分かってもらえるのでしょうか、とのことです。
夫は妹がかわいいので、話せないとのことです。

なるほど、これはなかなか難しい問題ですね。
長男の嫁として、義母と同居されてる方は、そのような思いをされてる方もおられるのではないでしょうか。
さて、それではどう考えたらいいんでしょうね。

まずは、何が問題なのか、だと思います。
年に数回の夕食との事ですので、義妹と義弟家族の里帰りなのは頭では分かっているんではないでしょうかね。
なら、恒例行事として、義母も楽しみにしていると推測されるので、その機会がなくなる可能性は今は少ないのではないでしょうか。
今後はどうなるか分かりませんが・・・。
還暦過ぎるまで、この方が我慢してきた事はどんな事だったんでしょう。

多分ですが、七人家族ですので、毎日の食事の準備も大変なのではないでしょうか。
年に数回とはいえ、さらに倍に近い人数の準備はさぞ大変だろうと思います。
あいさつもありません、との事から、夕食の準備を手伝ってもらえてないのではないでしょうか。
一緒に作業すると、自然にあいさつをする間柄になると思いますので・・・。
それか、一緒に作業するのを、この方自ら望んでいなかったのかもしれませんね。
夫は妹がかわいいので、にこの方の気持ちが表れているように、僕には感じられました。

ずっと不満に思ってるのを我慢する事は、本当に辛くて苦しい事だと、僕は思います。
どうでしょう、一度ご主人に、自分が今まで思ってきた事を話すいい機会ではないんでしょうか。
同じように思うかもしれませんが、話せないと話さないは、似て非なるものです。
~だから話せないは、どこか相手の責任にしてしまっています。
~だから話さないは、自分で責任を持って選択しています。
それを見極める為にも、少しの勇気を持って、話してみませんか。
案外、話してみると、自分が思ってた以上に周りは気にしていない事は多いものです。
ほんのちょっとの勇気で、物事は大きく動き出しますよ。

娘の爪かみ、実母が非難

さて、今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について、考えてみようと思います。
今回の相談内容は、深く考えれば色々な事が出てくるのではないかなと、個人的に思いました。
ですから、個人的に気になる所を、今回は色を変えて書いてみたいと思います。
と、ちょっといつもと違う前振りですけど、どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、この方の五歳の娘さんが爪をかむ癖があるとのことです。
この方も、結婚するまで同じ癖があったとのことです。
母は「あなたのしつけができていない」と非難。「私は育児に成功したのに、あなたはなぜできないの」と言い、
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」と娘さんの手をたたくとのことです。
義父母は見守ってくれますが、娘のためにも、母とどう接すればいいか分からなくなる、とのことです。

なるほど、本当に今回はどうすればいい分からないという状況なんではないかなと、僕は感じました。
それでは、状況を一度整理するとこから始めてみましょうか。

さて、それでは、まずは義父母の立場から、見て見ましょうか。
義父母が見ている景色は、そのままの景色なんではないかなと思います。
つまり、五歳のお孫さんが"爪をかむ癖がある"という、今、現在の景色だけです。
ですから、見守っているという立場にいるんではないでしょうか。
それか、それほど困った癖とは感じていないか、そのうち収まると考えているのかもしれませんね。

ひょっとかして、見守っている義父母に助けてもらいたい、とこの方は感じているのではないでしょうか?
本当に助けてもらいたいのは、誰なんでしょうか?
五歳の娘さんでしょうか、それとも・・・。

それでは、この方とお母さんが見ている景色とは、一体どんな景色なんでしょうか?
それは、娘さんの"爪をかむ癖"を見て、実は"自分達の過去の出来事"を見ているのではないでしょうか。
お母さんは、自分のこの方に対するしつけ、この方は自分自身の癖、それに対するお母さんへの思いを、今、ここで見てしまっているんです。
物事に過剰に反応しているなって時は、大抵、過去の出来事を今の景色に被せちゃってる時が多いです。
この方は、自分の癖がどうしてあったのか、原因は分かっているのではないでしょうか。
結婚するまで、という事は、母親と離れる事によって癖が直ったと考えているんではないでしょうかね。
その癖が出ていた時、一体どんな事を感じていたんでしょうね。

お母さんの言葉だけを見ると、この方を否定しているように僕は感じました。
否定されると、どうしても萎縮しちゃいますよね。
萎縮しちゃうと、どうしても自信を持てず、おどおどしてしまうのではないでしょうか。
おどおどしてる姿を見ると、相手はそれが気に入らず、また否定してしまう。
そして、さらに萎縮してしまう・・・。
抜け出せない、負の繰り返しになってしまっているのではないでしょうか。
抜け出せないと書きましたが、抜け出せない事はないです。抜け出さないだけなんです、実は・・・。

お母さんにとっても、この方の娘さんは大事なお孫さんです。
大事なお孫さんが将来、"爪をかむ癖"で苦労しないように、悪い事だと、しつけているんですよね。
その中には、ひょっとかして、この方の"爪をかむ癖"を直せなかったという"自責の念"もあるのかもしれません。
何かがなければ言葉もキツクなりません。だからといって、言われた方はいい気分にはなりませんよね。
手をたたくとこも見たくないですよね。

さて、問題は確かに娘さんの”爪をかむ癖”ですが、しつけについてになってる気がします。
ですから、ちょうどいい題材ではないですが、お母さんの言動をうまく利用して、娘さんにしつけをするのはどうなんでしょうか。
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」
そう言われて、実際自分がどんな悲しい気持ちになったか、そんな相手を悲しい気持ちにさせるような事はしないようにと、娘さんに話してみるのもいいかもしれません。
娘さんのために、でしたら、いがみ合うのは極力避けたいですよね。
なら、お母さんも立てなければなりません。
おばあちゃんはわざとそうやって言ってるんだよ、本当は仲がいいんだよ、とお母さんもいる場で娘さんに話せば、両方ともうまくいくような気がします。
器の違いではないですが、包み込むぐらいにされると、お母さんも毒が抜かれると思います。
そうすることによって、娘さんの”爪をかむ癖”も、ひょっとかしたら収まるかもしれません。
この方が癖が直ったように・・・。
すぐに収まらないとしても、いずれ爪をかまなくなると思いますよ。

決めつけていませんか?

さて、今回のタイトルなんですが、一度目を閉じてでもいいですし、心に問いかけてみて下さい。
どうです、何か思い当たる事って、ありませんか?
思い当たる方は、ひょっとかしたら、対人関係でちょっとした行き違いがあったのかもしれませんし、これから行き違っちゃうかもしれません。
ちょうどいい機会です。今、気づきましたので、その事を今一度見直してみませんか。

対人関係は、相手に働きかける事によって、変化するものです。
例えば、こちらからの勝手な決めつけでも、変化しちゃいます。
親子関係、師弟関係等、上下関係ではよく起こり得る事です。
多くはあまりいい変化ではないでしょうね。
良い対人関係がいいですか、悪い対人関係がいいですか?
あなたにとって、どちらの関係がいいんでしょうね?

自分は決めつけていないなあ、って方ももちろんいますよね。
多分ですが、対人関係もスムーズにいってるんではないでしょうか?
ただ、ひょっとかしてですが、ある対応をする人とは上手くいってないのではないでしょうか?
例えば、勝手に決めつける人なんて、どうです?
思い当たらなければ、本当に素晴らしいと思います。
そのまま、ありのままの相手を受け入れているんでしょうね。

ちょっとした例として、僕の個人的行動をあげます。
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

この前なんですが、所用で名古屋まで電車を使いました。
幸いにも席に座れたんですが、電車が発車してから、近くに70歳後半ぐらいのおばあちゃん二人連れが来られました。
一人は前の席に座れたのですが、もう一人の方は座れませんでした。
プライベートの僕の格好を知ってる方は、そのままの姿を想像してください。
知らない方は、シルバーアクセをジャラジャラつけて、タブレットを片手に、音楽を聞いてる姿を想像して下さい。
そんな男が、立っているおばあちゃんの肩をトントンと叩いて、席を譲ります、とジェスチャーで表現して、席を立ちました。
おばあちゃんは最初断ったのですが、会釈をして、席に座りました。
そして、僕はそのまま音楽を聞きながら、タブレットを見て立っています。

どうです、想像できましたか?
この光景を想像して、どのように感じましたか?

さて、どうして僕自身の行動をあげたかですが、僕が感じて、僕が行動した事だけが事実なんです。
それ以外は、実は決めつけになっちゃうんです。
つまり、あなたが想像した事であって、事実ではありません。
あと、登場するおばあちゃんが感じた事も事実です。
それ以外は、こちらもまた、決めつけになっちゃいます。

それでは、答え合わせです。
事実は、僕が見たくないから、僕の都合で座ってもらった、だけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。ただ、それだけです。
ですから、"優しい人"とか、”えらい”とか、とにかく褒められる事を言われると、僕は本当にいつも戸惑います。なぜなら、そんな気は全くないからです。
もちろん、そう感じているんだなとは思うようにしています。
どう思うかもまた、相手の自由だからです。

おばあちゃんがどう感じたかですが、これは本人しか分かりません。
感謝してるのかもしれませんし、余計な事しおって、かもしれません。
はたまた、年寄扱いしおって、かもしれません。
怖いから、素直に座っとこ、かもしれません。
ですが、これもまた、僕にとってはどうでもいい事なんです。
なぜなら、僕がしたくてした事なんです。
感謝されようが感謝されなかろうが、どうでもいい事です。

つまり、”このわがまま野郎が”、うん、これはしっくりきますね。これが正解なんです。
正解以外の僕だと思って付き合いを持つと、いずれズレが生じます。
それはそうですよね、本当の僕を見ていないんです。
決めつけた僕の姿を、そのまま僕に見ているんです。

ズレが生じているなと感じたら、ひょっとかしたら、勝手な決めつけをしてるのかもしれません。
そんな時は、修正をしてみて下さい。
どう修正するか、それは、今一度、じっくり相手を見て下さい。
今まで気づかなかった事が、必ずあるはずです。
それを受け入れると、ズレも必然的になくなります。
ありのままの相手を受け入れる、簡単そうで難しいものです。
難しいものですが、いい関係にはなれますよ。