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11月

実家依存の義妹と甘い義母に閉口

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について書いてみます。
同居生活での悩みですので、同じような悩みを感じてる方も多いんではないでしょうか?

悩みの内容は、同居の義母と、嫁いだ義妹の関係で悩んでいるようです。
義妹が結婚するまでの八年間、彼女の弁当、洗濯もこの方がしていたようですね。
二年前に彼女が結婚して、肩の荷が下りた気がしたのに、義母が週末に義妹を家に呼ぶようです。
義妹は連絡なしで来ては、昼食を食べ、夕食の準備に間に合うように帰るとの事です。
義妹も義父母と同居のようですが、”夫の不在時に嫁ぎ先にいるのは暇”と言って、実家に帰ってるみたいです。
この方のご主人が義母に注意しても、”娘が実家に来て何が悪い”と、逆に非難されてしまうみたいです。

同居生活で、嫁いだ嫁として色々と気を使ってきたんでしょうね。
嫁として、多分家事全般もこなしているんですね。本当に大変だろうなと、僕は思いました。
義妹の洗濯はともかく、お弁当はちょっと負担に感じてたんですね。
義妹が結婚した時は、家事が少し減ってちょっとは楽になるって思ったんでしょうね。
それが、結局、休みにきて、お昼も食べてから帰られるとなると、本当辛いですよね。

どうなんでしょう?
義妹に対して同居する嫁としての心構えが足りない、それを甘やかす義母の態度が気に入らないと感じているんでしょうか?
親離れ、子離れが出来ていないという構図に見えているのかもしれませんね。
それが今まで自分が嫁としてやってきた分、許せないと感じてるのかもしれませんね。
でも、実際、義妹のように、自分の実家に帰る事が出来るんでしょうか?
多分出来ないのではないでしょうか?そんな自分を許せない、と感じるんではないですかね。
それか、自分の親御さんが甘くなくて、怒られるのかもしれませんね。
それが、嫁として当たり前、と考えてるんではないでしょうか?

義妹が実家に来る頻度が減ればいいんでしょうか?

台所を使われるのに、もし抵抗がないのなら、義妹に昼食を作ってもらうのもいいかもしれませんね。
たまには食べてみたい、とか頼んでみてはどうでしょうか?
休みに来るのではなく、お昼を作りにきてもらう、それを一緒に食べるなら、自分も楽が出来るのではないでしょうか。
どうせ来るのなら、その分、自分にも見返りをもらう、と考えてみるのもいいかもしれませんね。
休んでる姿を見たら、ひょっとかしたら、相手の考え方が変わるかもしれませんよ。
人に言われても、考え方は変わりません。自分が変えようとしない限り、本当の意味で人は変わりませんから。

でも、どうして、義母は週末に義妹を呼ぶのですかね?
なにか、義妹に、同居生活の悩みがあるのかもしれないし、ないのかもしれません。
どうなんでしょう、義妹との関係は分かりかねますが、さりげなく聞いてみるのもいいかもしれませんね。
なぜ、暇なのか、理由があるのかもしれませんし。
今は嫁ぎ先より、実家の方が居心地がいいだけかもしれません。
そのうち、自然に寄り付かなくなるかもしれません。
話し合ってみると、新しい発見があるかもしれませんよ。

 

 

飲酒で急変する夫にうんざり

水曜日の中日新聞の朝刊のコーナーに、ねえねえちょっと、というコーナーがあります。
人間関係の悩みや不安などを紹介しているみたいです。
以前から読んでいたんですが、悩みをこのこらむで僕なりに考えてみようかなって思い、取り上げてみます。
あくまでも、新聞という誰でも読める大衆紙に悩みを掲載しているので、そのまま書かさせてもらいます。
ご了承ください。

相談内容は、普段は優しい夫ですが、酒を飲むと急変、ささいなことで怒鳴るそうです。
そのせいで家族ともうまくいってないみたいですね。
酒を飲まないように働きかけても、受け止めてくれず、怒鳴らないように頼んでも聞いてもらえないようです。
健康診断でも、酒とたばこは禁止されていても、聞き入れない状態で、うんざりしてるようです。

周りの人達は、本当に苦労されてることでしょうね。
お酒さえ飲まなければいいのに、とお酒を飲まないように、色々とされたんでしょう。
でも、どうしても結果がでなくて、もううんざり、てとこなんですよね。
どうしたらいいんでしょうね?

そんな時は、ちょっとだけ、視点を変えてみませんか?
お酒も問題なんですが、実は、普段は優しい、が問題なのかもしれません。
え、どういうこと?いいことじゃないの?って思うかもしれません。
もちろん、人に優しいってとても素晴らしいことだと思います。
なにが問題かというと、普段から優しすぎる、ということはないんでしょうか?
普段から、本当は怒りたいのに、怒ることができない、どうしても我慢してしまう。
だから、周りからみると、優しい人に見えるのかもしれません。
お酒を飲むと、普段から溜まった怒りを爆発させてしまって、怒鳴ってしまう。
本人は、溜まった怒りを吐き出す事が出来るので、その時はスッキリするのではないでしょうか。
その後は、自己嫌悪に陥るのかもしれません。
そして、普段の生活では、また怒ることが出来ないので、怒りを溜め込んでしまう。
そんな事をずっと繰り返してきたのかもしれません。
ストレス発散として、お酒を飲んでいるので、健康診断で止められても飲まずにはいられない状態なのかもしれませんね。溜めた怒りを吐き出す手段がなくなるわけですから。

となると、普段から怒りを溜め込まないようにしてもらうのがいいのではないでしょうか?
例えささいな事に感じても、それが積もると、本人にとってはささいな事ではなくなります。
塵も積もれば山となる、です。
ですから、そこを普段から聞き出してあげて、怒りを溜め込まないようにすれば、怒鳴る事はなくなるかもしれません。怒鳴る程の怒りがなくなるわけですからね。
本人も好きで怒りを溜め込んでいるわけではないんです。
怒ることはいけないことだ、と思い込んでいるのかもしれません。
ですから、助けが必要なんです。本人も苦しんでいると思います。嫌われたい人はいないですよね。

”俺は正直に生きているだけだ”と言ってますので、正直に普段から出してね、でいいのかもしれませんね。

 

状況も考慮しましょう

ある相談コーナーの質問が気になっていたので、ちょっと今回、勝手に回答してみようかなと思います。
最初に断っておきますが、かなり以前の内容ですので、詳しい内容は失念しています。
要点は押さえてると思いますので、それを考慮して読んでいただければ有難いかなと思います。

質問内容は、おばあちゃんからで、お孫さんの学校の発表会をお友達と見に行った時の出来事です。
お孫さんは、小学校6年生の女の子だったと思います。
どのような発表会かは書かれていなかったので、分かりませんが、学校行事の一環だと思われます。
おばあちゃんは、お孫さんの発表会を楽しみにしていたみたいで、花束を持って見に行ったみたいです。
発表会が終わった後、喜んでもらえると思って、お孫さんに花束を渡した時に、予期せぬ出来事が起こりました。
喜んでもらえるどころか、ありがとうの言葉すらなかったそうです。
おばあちゃんは情けなく思ったんでしょうね、ありがとうの一言も言わないお孫さんをなんとかしたい、という内容でした。

確かに、感謝の気持ちを伝えるのは大切な事だと思います。
たった一言、ありがとうで、おばあちゃんは情けない気持ちにはならなかったでしょうからね。
ただ、その状況をもっと詳しく見ないと、大事な事を見落としているかもしれません。
例えばですが、お孫さんは普段から感謝の気持ちを伝える事が出来ないのか、それとも、今回だけなのか。
これだけでも、かなり見方が変わってくると思います。
普段からでしたら、確かに感謝の気持ちを伝える大切さを教えるのも必要かもしれません。
では、今回だけの場合はどうなんでしょう?

それは、周りの状況が影響している可能性が大きいかもしれません。
クラスメートがいる前で花束を渡されたら嬉しいどころか恥ずかしく感じたかもしれません。
人前で渡される花束って、けっこう恥ずかしいそうですよ。
お孫さんの友達が、ひょっとかしたら、ご家族が誰も見に来ないと聞いていたかもしれません。
そんな友達の前で、嬉しそうに花束を受け取れるでしょうか?
そんな友達想いのお孫さんの方が、素晴らしいと思いませんか?
学校で、花束を受け取るのは、あまりいい事ではないと思っていたのかもしれません。
花束をもらったら、先生に怒られるかもしれないって思っていたら、ありがとうなんて言えないですよね。

あくまでも仮定で考えてみましたが、状況を考慮してから判断するって大事だと思います。
それをしないと、無用なトラブルが新たに発生しちゃいます。
一方的でない、お互いに話し合うって行為は、誰でも出来るコミュニケーションだと思います。
一方的な誤解ってけっこうたくさんあるものなんですよ。
ひょっとかして、自分が誤解しているだけかもって心当たりがあるなら、話し合ってみませんか?
笑い話になるかもしれませんよ。

言いたい時に、言いたい事を適切に伝える

僕は昔から文房具も好きで、ついつい必要ないものも買っちゃうんです。
で、実は週末に、ボールペンの替え芯を買いにあるお店に行ったんです。
で、そこでネットでは売り切れ状態になってたペンを見つけてしまったんです。
うわあ、どうしよう、確かに欲しかったけど、ペン余るぐらい持ってるしなあ、でもなあ・・・。

これも昔からなんですが、決断は割と早い方です。ホント買い物早いんですよね。
いつも一緒に買い物に行く人、誰彼かまわず言われますね。
本当に困った事ではないですので、自分の個性として受け入れていますが・・・。
と、言い訳を入れてるぐらいですから、お察しの通り、買っちゃいました。

で、ここから本題なんですが、ネットで見てるぐらいですから、値段は把握しています。
で、いざショーケースから出してもらって、会計になった時に、その把握してる値段ではなかったんです。
確かに、値札見て買い物したわけではないですので、商品に値札ついてるかどうかも確認してません。
どれだけ値段が違ったかというと、6千円高く言われました。
もちろん、その場で、”そんな高い?”と聞き返しました。
店員は、丁寧に、”値札をお持ちしますね”、と断ってその場を離れました。
その商品には、ちょっとしたカタログも付いていたので、僕の選んだペンも出ています。
で、実際店員が持ってきた値札は、別の商品の値札でした。

すぐにその場で、店員も非を認め、謝りました。
僕は、お客として、”値段を把握してたからよかったけど、知らなければその値段払っていたんだよ”、と一言言っておきました。それで、終わりです。もちろん、今後もそのお店に買い物に行きます。

普通かどうかはわかりませんが、トラブルなんてこんなものです。
言いたい時に、言いたい事を適切に伝えられれば、問題は起こらないんです。
怒りって悪い感情に思うかもしれません。でも、喜怒哀楽って言葉になるぐらい、必要なものなんです。
感情は自然に出るもの、それを素直に認めれば、何も問題になりません。
嬉しい事を素直に認める、出来ますよね。なぜ、怒りはダメなんでしょう?
そんな事はないはずです。だって、同じ感情です。むしろ、適切に出さないから、爆発するんです。

どうでしょう?僕のエピソードから何か得るものがあれば、頑張って一日に二つupしたかいもありますね。
流石に今後は難しいでしょうが・・・。なんせ、適度に頑張る、ですからね。

適度に~する

前回こらむでも最後に、可もなく不可もなく、と触れました。
以前にも、メインタイトルで書くぐらい、僕の中では重要なキーワードだなって考えています。
どうして、それほど重要視してるか、今回書いてみようと思います。

実は、可もなく不可もなく、と同じ意味合いで以前から使っている言葉が、適度に~してね、です。
主に使うのは、仕事(カウンセラー)を離れたプライベートです。
この言葉って、言われた相手が自分の判断で決めれるかなって思い、使い始めました。
例えば、適度に頑張ってね、と使ったとします。
自分でちょっとしんどいなあって感じてる人は、適度に力を抜こうかなって判断してくれるかもしれません。
自分でちょっと頑張り足りないなあって感じてる人は、適度に頑張ろうかなって判断してくれるかもしれません。
適度に頑張ってる人は、そのままの文面でとらえてくれるかもしれません。
あくまでも、判断基準は相手に任せる、という意味合いの言葉です。

自分で物事を解決出来る人は、僕も含めてですが、ある意味純粋ではない、と言えるかもしれません。
まさしく、適度に~する、ですね。
どう言う事かというと、困った事が起こったとしても、上手く教えられた事(自分で決めた事)を状況に応じて変化できるんです。上手く解釈出来る、ですかね。原則と例外を作っちゃうとか・・・。
それって、元々の教えられた事(自分で決めた事)とは違っていますよね。
ですから、純粋ではない、といえるかなと・・・。
もちろん、僕自分も含めてですので、悪い意味ではありませんよ、僕は自分好きですんで(笑)

物事には、丁度いい位置関係があります。
距離感、といってもいいかもしれませんね。
親子関係、仕事関係、友達関係、夫婦関係、それぞれ人に寄って立ち位置って違っていますよね。
では、適度に仲良くね、と使ったとします。
ちょっと踏み込み過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を取ろうとするかもしれません。
ちょっと離れ過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を縮めようとするかもしれません。
そういう人は、相手との関係で、思い当たる事があるわけです。
それは、本人にしか分かりません。
ですから、ここも判断基準は相手に任せる、です。

相手に任せるって、冷たいなあって感じますか?
では、こう言い換えるとどうですか?
相手を信じてるから、相手に任せてる、です。
信じるってのは、信じる事によって、信じた自分も責任も負ってるんです。
これが丁度いい距離感ではないかと、僕は思っています。

手を差し伸べるのは、本当の意味では、自分が楽をしたい、とも言えます。
自分が相手をコントロールできるから、少なくとも自分の不安はなくなりますよね。
でも、相手が自分で解決できる可能性も、奪ってしまっているんです。
大事なのは、見極め、ではないでしょうか?
ここまでは、大丈夫、でも、これ以上はキツイかも・・・。
そんな時は、一言、”大丈夫?”、と聞いてみましょう。
”大丈夫だよ”なら、見守ってみましょう。それだけでも、心強いものです。
”大丈夫じゃないかも”、なら、手を差し伸べてみましょう。今はまだ、解決出来ないのでしょう。
何か日常生活に弊害が出だしたら、”何かあった?”で見極められるかもしれません。

たった一言、されど一言、コミュニケーションはこれだけでも、十分成り立ちます。
大切なのは、必要な時に必要な事をする事、だけです。

では、適度に出来ない時は、どうすればいいんでしょう?
それは、自分一人で解決するのは、難しいかもしれませんね。
今までも周りの人に相談しても解決できない状態なんでしょうね。
そんな時の為に、プロのカウンセラーがいるんです。
体調悪い時は、病院に行ってお医者さんに診てもらいますよね。
それと同じです、心の調子が悪い時は、カウンセラーです。
きっとあなたの助けになると思いますよ。

 

 

 

 

 

 

早めに、的確に・・・

今までと違う事が自分の身に起こったとき、どうしますか?
例えば今までなら、こうなった原因は自分なりにはっきりしていたとします。
そうですねえ、次の日も仕事なのに、深夜まで飲んでいたとか・・・。
だから、今日は仕事中もしんどいんだ、いつも通りだよなあ、まあ仕方ないか、なんて・・・。
でも、ここまでしんどいことは今までなかったなあって・・・。
そういえば、今までなかった頭痛もするぞ、なんて・・・。

そんなとき、ちょっとだけ考えてみて下さい。
本当にあなたが考えてる原因が正しいんでしょうか?
もう一言付け足すなら、原因は本当にそれだけなんでしょうか?

何事もそうなんですが、まずは問題点を的確にとらえなければ、問題は解決できません。
自分が考えている問題点が正しければ、問題はいずれ解決すると思います。
もちろん、ちゃんと対策を考えて行動した結果、解決に結び付くイメージですね。
なら、もし、その自分の考えた問題点が違っていたら、その後はどうなっちゃうんでしょうね?

なんか想像しただけで、解決どころか、問題が変な方向に進んでいくのが目に見えますよね。
さらに、行動も起こしていたら、その行動によって新たな問題も起こる気がしませんか。

雪だるまを作った事ってないですか?
その時をちょっとイメージして下さい。
雪だるまって、最初から巨大な体ではないですよね。ある程度の塊を転がした結果、雪だるまが出来上がるんですよね。

もう 自分ではどうしたらいいか分からない、そんな状態は、既に雪だるまが出来上がった状態なんです。
元々の最初の塊なんて、出来上がった雪だるまからは分かんないですよね。
つまり、元々の問題点が、既に分からなくなっちゃってるんですよ。

そうなんです。この最初の取っ掛かりの塊で、対処出来るかどうかで結果が変わるんです。
同じ問題が起こっても、人によって感じ方も対応も違いますよね。
最初の塊で適切に対処できる人は、何も問題に感じる事もないのではないでしょうか?
問題自体が、その人にしてみれば、存在しないと言い換えてもいいでしょうね。
ですから、その人からすれば、さらに大きな雪だるまにしてしまうのが、理解できないんです。
逆に、最初の塊で対処できるのが、雪だるまにしてしまう人からすれば、理解できないんです。

理解できない同士なんです。それならば、どうすればいいんでしょう?

それは、お互いに歩み寄るのがいいのではないでしょうか?
そして、丁度いい着地点を見つけるんです。
可もなく不可もなく、ですよ。
丁度いい着地点でなければ、それは、塊でなく、既に雪だるまを作ってる作業に入っちゃってます。
大きな雪だるまになる前に、周りの雪を削って、塊を見つけましょう。

ここに、他の人の経験って、役に立つのでしょうか?

どうなんでしょうね、でも、可もなく不可もなく、となると・・・。