free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

07月

困った口癖

みなさん、口癖ってありますか?
僕は、けっこうあるみたいで、よく知り合いに指摘されます。
指摘されて、初めて気づくんですよね。
いやあ本当、自分では気づかないもんですよね。

で、指摘されるぐらいですから、相手にとっては非常に嫌な気分になるみたいです。
本当、気づかずに相手を嫌な気分にしてしまうって困ったことですよね。
なんて他人事みたいに書いてますが・・・。

指摘されたのを聞いた時、確かにそうだよなあって、素直に直そうって思ったんですよ。
でも、これがなかなか直らないんですよね。
指摘されて、意識するようになって、言う頻度は減ったんですが、話しに調子が出てくると出ちゃうんですよね。
癖ってのは、直そうと思うとなかなか手強いですよね。困ったもんです。

なんて手強いなんて言っててもしょうがないし、テーマで取り上げたので、今回じっくり考えてみたいと思います。

今の問題としては、意識してるときは言わなくなったけど、調子よくなると出ちゃうって点ですね。
ということは、言い換えると無意識に言ってしまうってことになりますかね。

なるほど、確かにこれでは、今まで口癖直らないのも仕方ないですね。
問題点をしっかり絞ってなかったので、対策が不十分だったみたいです。
僕自身の信念を検証してみて、当てはまる信念を特定してみました。
その信念を特定するときに、その信念が形成されたであろう場面も浮かんできました。

ある問題にじっくり取り組んでみると、関連した出来事がぱっと出てくるんです。
でも、大事なのは、その時に誤った信念として、自分自身で選択したことをまずは認めることです。
僕も間違いなく、誤った信念として選択してました。
あとは、自分で選択したことなので、自分で新しい信念を選択するだけです。

とまあ、自己洞察としては、このような流れになりますか。
あとは、普段の生活の中で、実際に試してみてどうだったか検証することになりますかね。
近々、実際に検証する場面があると思いますので、続きはその時にでも書きたいと思います。

祇園祭にて

今年も行ってきました、京都の祇園祭。
といっても、実は去年が初めてだったんですよね。
やはり、めっちゃ混むって分かってるとこには行きたくないってのが避けてた理由ですかね、やはり。
なんせ、日本三大祭りの一つですもんねえ。
で、去年はちょうど週末に日程が当たったから、まあ行ってみようかと。
毎年7月14日~16日が宵山、17日が山鉾巡行という日程になっています。

で、去年初めて見た感想は、ほんと一言、スゴいって一言に表されます。
今まで見に行ってなかったのがめっちゃもったいなかったです、素直に悔しいですね。
完全に四条烏丸河原町までの一区画を18時頃から23時まで封鎖だけでもスゴいですからね。
地元の人間ではなく、普段の四条烏丸を見てる人は、これだけでも感動します。

今年は急遽決めたので、京都に着いたのが19時頃、そこから21時まで見て回りました。
帰宅したのは、夜中の1時でしたね。
知り合いには、マジってびっくりされましたが、僕の中では、それだけの価値がありますね。
でも、確かにそれだけの価値あるんですが、それだけなのか、自分自身考えてみました。

京都滞在時間は、ざっと夕食の時間も含めて4時間ぐらいですか。
片道2時間、あらためて考えてみると、移動だけで滞在時間と同じ時間使ってるんですよね。
客観的に考えてみると、これは確かにマジでって思っちゃいますよね、我ながら。
でも、それだけのデメリットを上回るメリットが大きいんですよね。

人は、思考があって、行動を起こします。僕の場合は、迷うことなく、見たいって欲求に忠実なんでしょうね。
逆に言うなれば、行動に迷いがあるのは、思考がはっきりしていないとも言い換えれます。
ただ、物事には、良いも悪いもないと思います。決めるのは、他の誰でもない、自分自身です。
もし、問題になってきたと自分で感じたら、なりたいように自分で試行錯誤してみればいいと思います。
決めるのは自分ですからね。

あ、あと以前経験しているかどうかも、行動に影響を与えるかもしれませんね。
僕の場合ですが、学生時代に京都滞在30分ってのがありました。
いやあ、ムチャしたもんですよねえ・・・。

答えを知りたい欲求について

以前、教えたいという欲求について考えてみました。
今回はそれに対する、答えを知りたいという欲求について考えてみたいと思います。

では、一体どういう時に答えが知りたいと思うんでしょう?

悩んでいる時、もちろんですよね。答え知りたくなりますよね。
どうしたらいいのか分からないのは、本当に苦しいですよね。
あー 答えがあったら楽になれるんだろうなぁって考えますよね。

では、答えがあったら、本当に楽になれるんでしょうか?

こう考えることはできないでしょうか?本当は答えが分かっているから、悩んでいると。

えっ、どう言う事?と思うかもしれませんが、では、なぜ、悩むんでしょう?
できないからに決まってるじゃない、と聞こえてきそうですね。
何に対してできないんでしょう。あなた自身が持ってる答えに対してできないんですよね。

そうなんです、答えを知りたいわけではないんです。多分理想としての答えは持ってるんですよ。
ただ、それが出来ないんですよ。ですから、こうなりたい理想の自分自身をまずは想像してみるんです。
何が出来たらいいんだろうって考えてみるんです。
それが考えられるなら、問題は自分自身で解決できる可能性は高いんじゃないでしょうか?

では、それができないときは?

違う問題点があるんでしょうね、自分自身では気づきにくい問題点が・・・。
ただ、漠然としてたことが具体的になるだけでも、かなり進歩ではないんでしょうか?
一歩とはいいませんが、半歩だけでも踏み込んでみませんか?

心の強弱?

時々、心を強くしたい、メンタル面を強くしたいって話しを聞きます。
強くなれば悩むことなんてなくなるってことみたいです。
傷つけられたくないって気持ちもあるみたいですね。
確かに傷つくのって怖いですよね。出来ればそんな状況を避けたいですよね。
では、心が強ければ悩むことも傷つくことも避けられるんでしょうか?
ちょっと考えてみたいと思います。

強くするってことは、鍛えるってことになるんでしょうか?
てことは、鍛えられる環境にいなければできないですよね。
では、心が鍛えられる環境ってのはどんな環境なんでしょう?
なんか、僕の想像力が片寄ってるのかもしれませんが、非常につらい状況にいるように想像しちゃいますね。
では、心が強い人は、そんな環境をどうやって手に入れたんでしょうか?
なんか施設とかって話しは、個人的に苦手なので、ちょっとスルーさせてもらいます。
それ以外で考えると、あえて自分からそんな環境を作り出してる可能性がありそうですね。
案外気づかないことが多いんですが、状況って自ら作り出してることって意外と多いんです。

なんか非常に抽象的な話しになってきました。
もともと心って概念自体が抽象的だから仕方ないのかもしれません。
なんとなくですが、鍛えるってのは、イコールではないですが、慣れるに近いような気がしてきました。

どうなんでしょう、心が強い=打たれ強いでいいんでしょうか?
場数を踏んで、状況に慣れて、冷静に対処するってことになるんでしょうかね。
どうも個人的に根性論には懐疑的な意見をもってますんで、釈然としないですが・・・。

では、打たれ強い人は悩むことはないんでしょうか?
確かに危険回避能力は高いのかもしれませんねえ。
勝手に問題を解釈して、勝手に理解して、新たな問題を作っちゃう可能性の方が多いような気がしますが・・・。

同じ問題は存在しないと考えて、客観的に冷静に見極めて対処するって事が理想になるんでしょうか?
そんな人ってすごいですよね、素直にそう思います。ただ、近寄りづらいですよね、多分。

どうですか、結論として、今、悩んでることに真剣に向き合ってみる事が大事なんじゃないでしょうか?
とことん向き合ってみて、自分なりの答えを出すのが一番いいような気がします。
時間はかかるかもしれません、かからないかもしれません。
非常につらいかもしれません、つらくないかもしれません。
あくまでも、納得させるのは自分自身です。
自分自身を納得させるまで考えてみませんか?

思い込み (過干渉)

この前テレビを見てた時、魚の活き造りが出ていました。
刺身は鮮度が大事と言いますが、捌かれてるのにまだ動いてるんですよね。
個人的に刺身は好きですが、これってまさに人間の食に対する欲求の表れなんじゃないでしょうか。

どうも僕は食に対する欲求はそれほど強いほうではなくて、食べれればいいかなって感覚に近いですかね。
さすがに不味いものを食べたいとは思いませんが・・・。
だから、個人的意見としてですが、どうも活き造りは残酷に見えちゃうんですよね。
うわあ動いてるよ~って感じですかね。

食物連鎖からみても、人間は他の生き物を食べるわけです。
ですから、別に残酷なわけでもなく、普通に食事してるだけなんですよね。
そう考えると、ただ、それを見るか見ないかだけなんですかね。
僕はどうも見たくない気持ちが大きいんでしょうね。

さて、人は同じものを見ていても、感じ方は違います。
みなさんも色々と感じることはあるんじゃないでしょうか?

どうでしょう、なかには魚が痛くて動いててかわいそうと思う人もいるんじゃないでしょうか。
すごく共感的で優しい気持ちをもってるんでしょうね。

でも、ちょっとまってください。

実は、魚類には痛覚を感じる神経がないんですよ。神経がない以上、痛くはないんですよね。
逆に"痛みってなに?"って聞かれるかもしれませんよね、もちろんしゃべれませんが。

ある光景を見て、気をきかせたのに、相手は分かってくれない。
周りに気を使える人は、そんなことを感じることもあるんじゃないでしょうか。
そんな時は、ひょっとかしたら気を使い過ぎてるのかもしれません。
まずは自分でできることを試してみたら、今までと違う結果になるかもしれませんよ。