free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

07月

次男の妻が節約に細かい

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみようと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、同じ敷地内に住む次男の妻が、物事をすべて金銭に結び付けて考え、行動しているとのことです。
特に公共料金の節約に細かいようで、貯金は殖えても人として大切なことを失ってしまうのではと心配しているとのことです。
小六の孫も、母親の小言にビクビクしているとのことです。
料理を工夫するなど違う方向で努力し、孫のためにも笑顔の絶えない家庭をと望みますが、どうすれば伝わるでしょうか、という内容です。

なるほど、これはなかなか難しい問題ですね。
ですが、具体的な方法がこの方にはあるような印象を僕は持ちました。
料理を工夫するなど、とありますが、この方は料理が得意なのかもしれませんね。
それなら、一緒に料理をして、教えながら伝えるのが一番いいのではないでしょうか。
食費も毎日掛かるものです。
となると、公共料金と同じように節約の対象になりますよね。
節約という目的に合致してますので、興味を持つかもしれません。
それか、なにか節約する知恵をお持ちなのかもしれませんね。
方法を伝えるのは、やはり直接教えるのがいいのではないでしょうかね。

一緒に料理をすることによって、他にもメリットがあると思います。
料理するには、水道、ガス、電気等、公共料金が関わっています。
どれだけ節約に厳しいのか、自分の目で判断できるのではないでしょうか。
どうでしょう、節約は悪いことなんでしょうか。
そうではないですよね、ただ、限度の問題ではないかなと思います。
この方と次男の妻とは、多分ですが考え方が違っているのではないでしょうか。
ですから、なんとかしたいという思いを持っているのではないですかね。
考え方が違うと、どうしても悪い事を相手がしてるように誰でも感じてしまいます。
それを続けることによって、人として大切なことを失ってしまうのではないか、と心配するのもその現れではないのかなと思います。
でも、果たして本当にそうなってしまうんでしょうか?
物事には、良い面と悪い面があります。
今は悪い面ばかりに目がいっていますが、良い面を見つける機会になるかもしれませんよ。

定年後の夫がテレビ漬け

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合下さい。

今回の内容は、ご主人が昔から自分の部屋で一人でテレビを見て過ごしているそうです。
定年後も起きてから寝るまでずっと見ているとのことです。
外出といえば犬の散歩で五分、畑は二日おきに一時間、ゴルフの練習が週二日、コンペ月二回だそうです。
友達から誘われれば出掛けますが、この方が図書館や喫茶店に誘ったり、アルバイトを提案したりしても拒否し、テレビばかりに依存しすぎて心配だとのことです。

なるほど、起きてから寝るまでずっとテレビを見ていると心配になっちゃいますよね。
今までは、仕事があるので、その時間は仕事をする事によって時間を過ごす事ができました。
定年になると、その時間をどうやって過ごしていいか分からず、もて余してしまうのかもしれませんね。
ですから、結果的にテレビを見て過ごすという生活習慣になってしまっているのではないでしょうか。
となると、仕事に変わる、新しい事を始めるのがいいのかもしれませんね。
自分の時間を作る、つまり、興味を持った事を始めてみる、趣味を作るという方法ですかね。
確かに、今は心配ですが、テレビを見ることによって、情報を収集するという考え方もできます。
自分が興味を持ったことなら、始めるきっかけとしては最適だと思います。
逆をかえすと、興味がなければ、始める事は難しいのではないでしょうか?
拒否するということは、興味がないという事かもしれません。
確かに、せっかく誘ってるのに、拒否されるとあまりいい気分にはなりませんが、今は仕方ないのかもしれません。
こちらに合わせてもらう、ではなく、相手に合わせる。
同じ番組を見て、情報を共有し、趣味に結びつきそうなら、さりげなく話し掛けてみて一緒にやってみる。
こちらから合わせにいってますから、拒否される可能性も低いかもしれません。
なかなか難しいかもしれませんが、毎日情報を収集していると考えて、いずれやってみたい事が出てくるはずです。
それを上手く後押し出来れば、テレビを見る時間が減るかもしれませんよ。

義母が勝手に家を出入り

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、隣に住む義母が留守中に合鍵で入り、自分で作ったおかずや畑で採れた野菜などを置いていくとのことです。
在宅でもチャイムも鳴らさず、玄関で声をかけるでもなく、居間のドアから入ってくるそうです。
勝手に入られるのが嫌で、夫に相談すると「そんなことを言う、おまえがおかしい」と言われたそうです。
勝手に入ってほしくないと上手に伝えたいのですが、どうすればいいのでしょうか、とのことです。

なるほど、これは本当に困りますよね。
自分の家に、勝手に入られるのが嫌なのに、おかしいと言われちゃうとどうしたらいいのか分かりませんよね。
では、上手に伝えるにはどうしたらいいんでしょうね。

勝手に入ることによって、どんな危険があるか、それを伝えてみてはどうなんでしょうか。
帰宅した後に、自分の知らないおかずや野菜が置いてあると、どう考えてしまうのか、それを伝えるんです。
義母は、自分のした行動だから、それによって相手がどう感じるか、どう考えるかまでは考えていないと思われます。
ですから、本当に、義母が置いていったものなのかどうか、分からないから怖いと伝えてみてはどうでしょうか?
今のご時世、何があるか分からないから、それを未然に防ぎたい等々、デメリットを伝えるんです。
そして、相手も立てる為に、素直にうれしいままもらいたいから、直接手渡しでもらえたら有難いと付け足すのもいいかもしれませんね。

在宅時に勝手に入られるのも、同様です。
泥棒かもしれない、強盗かもしれない、等々、怖い思いをどうしてもしてしまうと伝えてみるんです。
それを防ぐために、一声かけてほしいとお願いしてみてはどうでしょうか。
それだけで、安心して義母を迎えることができると、メリットを伝えるんです。

素直に思う事を伝えるのは、本当にとても大事な事です。
ただ、内容によっては、相手に不快な思いを与えてしまいます。
伝えすぎも、伝えなさすぎも後々トラブルに発展する可能性があります。
どちらの場合も、伝えた後に、なにか自分自身で感じる事があると思います。
言い過ぎたな、なら、今後は意識して、セーブを心掛ける。
言いなさ過ぎたな、なら、今後は意識して、思いを伝える。
どちらも、最初は難しいと思われます。
練習することによって、自分にとっての、ちょうどいい、着地点がわかると思います。
まずは、行動してみる、です。
誰のために、自分のために、です。
そして、その事を自覚する、です。

立ち止まる時、立ち止める時

週末に、新聞に乗ったある記事が気になりました。
どのような記事かは、あえて記載しませんが、その一部分だけ記載させてもらって、ちょっと考えてみたいと思います。

"集落の人に「殺していいか」と確認した上で、おりで捕まえて殺すことにした。"

起こしてしまった出来事は、なくすことはできません。
過去は変える事は出来ないからです。
ですから、何かしら決断して、行動に移す時は、事が大きければ大きいほど、自分一人では行動に移せません。
どうしても、迷いが生じるからです。
もちろん、事の大小は個人個人によって違います。
自分が決断できる範囲なら、迷うことなく行動に移せます。
自分が決断できる範囲以上ならどうするのか?
記載させてもらったように振る舞う事が多いです。
つまり、他人に相談した上で、"許可"をもらって行動に移すんです。
"許可"をもらって、と書きましたが、ここは一番食い違うとこだと思います。
つまり、水掛け論に発展する可能性が高いです。
事が大きいだけに、責任を負いたくないからです。
相談する方も、相談を受けた方も、お互いに、です。

では、どうしたらいいんでしょう?

まずは、立ち止まりましょう。
少なくとも、一人で行動に移せない事を、しようとしてるという自覚をもちましょう。
立ち止まる時、今がその時かもしれないと、今一度、よく考えてみましょう。
本当に、自分は自分自身の行動に責任が取れるのかどうか、冷静になってみましょう。
確認しなければ行動に移せないなら、尚更です。

それでは、周りの人はどうしたらいいんでしょう?

非常に見極めが難しいと思います。
自分の良心に従い、責任を持てるなら、"許可"をしてもいいんではないでしょうか。
ただし、巻き込まれるかもしれないという自覚も必要です。
自分が‘許可”をしたという”行為”に責任を持つ、自己責任を念頭に置いとかないといけないでしょうね。
そこまで責任をとれない、そんな時は、相手が自分で責任を取るように促しましょう。
自分の行動に、自分で責任を持つ、相手に自律を促します。
自分の良心に従い、どうしてもダメなら、その行動を立ち止めましょう。
それでも立ち止まらないなら、ここでもまた、自分で責任をとる、自律を促しましょう。

さて、立ち止まる時を見誤ると、どうなるのか?

行動はエスカレートするケースが多いと思います。
どうしてか、それはどこまでいっていいのか判断つかなくなっちゃうからだと思います。
なぜなら、既に、自分の判断基準を超えてしまっているからです。

この記事に関して記載させてもらった部分は、立ち止まる時だと僕が感じた部分です。
ですから、その後ももちろんあります。
その後の行動が問題になり、新聞記事になってしまったわけです。
確かに、語っている事は正しいのかもしれませんが、行っている行動とはかけ離れています。
行った行動を正当化できていない、なぜ正当化できないのか、その点を今一度、考えてもらいたいものです。