時間は常に流れています。
これは変わることがない自然の定理です。
相談と愚痴って、比べてみるとちょっとした違いがあります。
理性と感情、客観的と主観的、等々で区別できます。
どちらがどちらに分類できるかは一目瞭然ではないかと思います。
頭では分かってるけど納得できない、というのは聞く方としてはまだマシなのですが、
頭で分かろうとせず納得できない、というのは聞くほうとして苦痛を持たらします。
一部分だけを切り取ったのと、
流れでその前の部分から見てるのでは、
自ずと答えが変わってきます。
問題の部分だけしか見ずにそれに対処すると、大きな歪みができます。
当たり前ですよね、物語と違うんです。
時間は流れているんです。
ぱっとその問題だけが発生するわけないんです。
理不尽を感じている方は多いと思います。
なら、それに対して自分で対応するしか手はありません。
いずれ気付いてくれるかもなんて期待してどれだけ経っていますか。
人は自分が見たいものしか見ません。
意識的にしろ、無意識にしろ無視ができます。
問題に感じたら自分で対処するしかありません。
前の部分から、具体的に分かりやすく、時系列に沿って説明して話し合うしかありません。
もちろん、自分も例外ではありません。
自分自身も見たいものしか見ていません。
ですが、話すことによって気付かされます。
客観的に物事を全体で見ることができます。
それを受け入れるかどうかでまた、対応が変わってくるでしょう。
過ちは仕方ありません。
大事なのは、同じ事を繰り返さないことではないでしょうか。
同じ事を繰り返すたびに、周りから人々は離れていきます。
それもまた、仕方ないことなんです。
それなりの理由がある、ということなんです。
選択肢は常に自分しか持っていません。
何を選ぶか、自由に選択できますが、自由ほど不自由なものはありません。
おかしなものですよね。