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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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2019年

河村市長の写真燃やす動画

札幌の不自由展作品「法的措置検討する」

これはヒドイ。
今日はこらむ書く気はなかったんですが、新聞見て気が変わりました。

なんでも表現の自由ってうたえば個人攻撃していいって思考、どうにかなりませんかね。

こういう言い方もどうかと思いますが、僕も同じこと、書かせてもらいます。

同じ中日新聞の今朝の朝刊(12月24日)に、岐阜の中学校のいじめに関する記事が記載されています。
やってること、同じと違います?

おい、河村生意気だよな、写真燃やしてやれ、
センセー、表現の自由ってのですよー。
これはあくまでも芸術ですよー。
てか。

市民に考えてもらうって、バカにしすぎでしょ。
戦時中じゃあるまいし、ちゃんと選挙で結果でるっしょや。

自分がやられて嫌なこと、人にするな、
自分の事で分からないなら、大事な人がやられて嫌なこと、人にするな、

守らなければならない立場の人は、しっかり壁役を、
私で出来ないなら、公で、仕事として割りきって壁役を。

対岸の火事

過剰に反応することってないですか?
なんでこんなに反応するんだろう、なんでこんなイライラするんだろう、それはあなたに何かしら関係しているから反応しちゃうんです。

嫌な事より好きな事の方がイメージできるかもしれませんね。

趣味が合う人との会話ってめっちゃ楽しくないですか。
趣味にどっぷりハマっていればいるほど、時間が経つこと忘れていつまでも話せる、そんな経験ないですか。
僕はハマる時はとことんハマりますから、けっこうそんな経験多いですね。

でも、趣味が合わないと、どんだけアツく語られても全く響かないことないですか。

つまり、対岸の火事なんですよ。

自分に関連することには反応するけど、関連しないことは全く興味を引かない、対岸の火事。

物事にはいい面と悪い面があります。

いい面で起こることは、悪い面でも起こっています。

つまり、あなたにとって、何かしらの弱点とでもいいましょうか、触れられたくない、触れたくない、そんな弱点ゆえに過剰に反応する、まさに火事現場。

直したいな、そう思うなら、あえて踏み込んで下さい。
とことんまで踏み込んでいくと、適切な距離感をつかむことができます。

これは僕の個人的経験ですが、どっぷり趣味にハマると、ある時、適切な距離感になります。
といっても、ホントどっぷり、ですよ。
引かれるぐらい、僕は好きな事にはハマりますからね。周り関係なく、ホントに、いや、マジで。
それぐらいすると、やがて離れることできるんですよね、自然に。

あ、ちなみに数年単位ですよ、僕の場合は少なくとも。

弱点に関しては、あーなるほどと、自然に納得出来た時、解決となりますね。
これはどれだけ、真剣に逃げずに向き合うか、それ次第ですかね。

ただ、キッツイですよ、自分の弱点に向き合うということは。
自分の嫌な部分と向き合うということは。
逃げるのは楽ですけど、逃げたら今までと同じですからね。何も解決しません。同じことの繰り返し、です。
その代わり、得るものは大きいですよ。一本芯が通るというか、目に見えて変わります。

 

行動に歴史あり

本当に昔からの知り合いは知っているんですが、小学校時代の僕は凄い人見知りで、授業中当てられると人前で答える事出来なくて泣きだしちゃう、そんな子どもでした。
一番酷かったのが小学校4年生の時で、今、考えるとなんとかしてやろうなんて考えてたのかも、と思えるのですが、けっこうな頻度で担任の先生に当てられて、その度に泣きだす、誰も救われない、そんな繰り返しの一年間でした。
ホント当時はすっごい嫌で嫌で、一年間、嫌な思い出しかなかったですね。

担任の先生も大変だったろうなぁ、と今なら思えますが、子どもにしてみればとんでもないトラウマものです。
よく登校拒否起こさなかったと、ホント思います。

小学校4年生の時が一番酷かったと書きましたが、5年生で担任が変わり、なぜか泣き出しているイメージがないんですよね。
いや、実際変わったんですよね。
当てられても答えている、そうだったと思います。
嫌なイメージは強烈に残ってますが、いい思い出、普通の思い出は残らない、そんなエピソードと思ってもらっていいですね。
これは今回、このテーマを持ち出すまで考えた事なかったので書きながらの推測でしかないのですが、責任感を僕に与え、その責任感でプレッシャーに打ち勝つ、そんなスポコンみたいなノリで実際打ち勝っちゃったのかもしれませんね。
人見知りなんですが、なぜかクラス委員にはいつも推薦され、3年も、5年も6年もやらされたんですよね。
で、進行役とかするわけじゃないですか、みんなの前で。
でも、そんな記憶残ってないんですよね。
当たり前に、当然のごとく普通に過ぎていったんでしょうね。
残ってるのは、授業中当てられて、頭真っ白になって、何も話せなくて泣き出す、そんな僕の姿ですね。
それをまたかよ、なんて言いながら苦笑い浮かべている担任の姿ですね。

あ、断って起きますが、もちろん、既に解決済みの案件ですので、それだけはご了承くださいね。

さて、僕は何回もこらむでも書いていますが、今も高校時代の友人とずっと繋がっていて、年二回は必ず飲み会しています。
学生時代はもう、ホント毎日とまではいきませんがいっつも夜中まで遊んでましたね。
高校の、早い時期に、自分語りとでもいいましょうか、そんな黒歴史を語ったのを覚えています。
いや、違いますね、
あれ、いつだったのかな、とにかく話したのは覚えています。
そして受け入れられたのを覚えていますね。
うん、自分のことは案外、覚えていないものですね、てへ。

恥ずかしいと自分が思っていても、案外人に話してみるとそれほどでもなく、受け入れてもらえる人とは良い関係を築くことができます。
安心できるんでしょうね。
ただ、話す相手は選んだ方がいいですね。
中にはさらに傷口を広げる相手もいますからね。
いい出会いをしたものです。
いい出会いをした高校時代は、ホントいい思い出として残っていますね。
楽しかったですね。
もう一度戻りたい・・・、いやいや、そんなこと、ないですよ、うん。

さて、タイトルの、行動に歴史あり、です。

大学時代も何回もあったんですが、今はなお一層、行動に移しています。

どんな行動か、

一方的な関係で窮地に陥ってる人を、黙って見過ごすこと、できないんです

一方的に責められ、今にも泣きだしそうな姿見ると、必ずフォローします。

見過ごせないんですよね、見ないふりできないんですよね。

感謝されますが、いつも僕がやりたくてやってることだから、と答えています。

いやあ、そりゃそうですよね、

僕はその景色を、4年生の僕自身に置き換え、当時僕自身が望んだことをただ、やってるだけなんですよね。

だからといって、やめるつもりもありません。

だって、見過ごせないですからね、

それはそれ、これはこれ、です。

人を助けているようで、実は過去の自分を助けている

自覚していればオッケーだと、僕は思います。

思考を特定する

人は誰でも思考を持っています。
考え方、価値観、正義、ルールとでも言えばいいですかね。
それに基づいて、行動と感情が現れてくるんです。

いつも同じことを繰り返して、いつも後悔する、
それは、思考が深く関わっているんです。

思考があって、行動と感情が現れる、
思考が変わらない限り、行動と感情は変わらない、となるんです。

さて、では僕の実体験を切り売りしたいと思います。

僕は物凄く早く出社するんです。
もうホント、ビックリしますよ。
でも、最初からではないんです、ちゃんとしたきっかけがあるんです。

以前の僕の出社時間はよくて始業30分前てとこでした。
通勤路はけっこう渋滞しますので、かなりの確率で毎日イライラすること、多かったと思います。
でも、何も変わらない日常を送っていましたね。

転機は違う事業所に移動したことです。
今までの約倍の通勤距離になり、必然的に早起きが必要になったんです。
もう、最初は大変でしたね、必然的に早起きの習慣を身に着けないといけなくなってしまいましたので。
なんとか30分出社時間を早め、対応し、遅刻は全くなかったですね。

ここで、僕の思考に、「他人に迷惑をかけてはならない」とう思考があります。
ゆえに、遅刻は全くないという結果に結びついています。
この、「他人に迷惑をかけてはならない」という思考はちょっと強固な思考だということを後で検証したいと思います。

約1年半、その事業所で勤め、以前からの今の職場に戻ったのですが、なんか習慣を元に戻すのめんどくさくて30分早く起きるままにしたんです。
どちらがめんどくさいか分かりませんが、とりあえず僕としてはそのままがめんどくさくない、てとこなんでしょうね。
事業所移る前の出社時間が8時前、戻った当初の出社時間は7時過ぎぐらいでしたかね。

どうしてか、それは通勤量が段違いだったんです。
早く出勤すると、それだけ車の台数が少なくて、必然的にイライラもない、
なら続ける努力しよう、てな感じですかね。
邪魔されないって、ホント気分いいんですよ。

人間の欲望ってのは、際限ないなんてセリフ、案外使うんですが、どんどんエスカレートしていくんですよね。
もっと、もっと、なんかヤバいセリフですが、今や出社時間、なんと6時前後。
それが当たり前のように続いているんです。
そんな早く出社して何しているの、よく聞かれますが、色々雑用していますね。
こらむのUPもけっこうな頻度、この時間を利用しています。
後はコンスタンスに読書に当てていますね。
電子書籍、ヤバいです、楽すぎて当初からヘビーユーザーと化しています。

さて、「他人に迷惑をかけてはならない」という思考の検証ですが、自分が努力しただけ、どんどん強固になっていくようです。
時々ですが、そんな時間だからこそかもしれませんがとんでもなく遅い車走っているんですよ。
このヤロー、邪魔するんじゃねえよ、とイライラするんですよね。
以前の出社時間なら、大人しくイライラしながら後ろにいたんですが、自分が努力して早めてまで気分がいいとこを邪魔されるの我慢ならない、てなっちゃったんですよね。
相手に対する時は、「他人(自分)に迷惑をかけてはならない」となり、許せないとなるんですよね。
なんて、わがまま、ですが感じちゃうもんは仕方ないですよね。

で、それに対し、ぼくが取った対応は、相手にしない、です。
つまり、そんな時間ですから脇道ももちろん車は走っていないんです。
ですから、すぐに脇道を選び、勝手に競争しています。
同じ時間帯を利用していますから、通勤電車みたいに全く知らないのに顔見知り現象とでもいいますかね。
あ、またアイツや、よっしゃこの脇道使って先回りや、てな感じですね。
密かな楽しみです、勝った時のよっしゃー!は格別ですね。
負けた時はこんちくしょーてな感じですがね。
も、もちろん安全ルール守っていますよ、交通違反ダメ、ぜったい。

この「他人に迷惑をかけてはならない」という思考は色々な場面に出てきます。
仕事でももちろん、プライベートでもです。
その場面場面で対応を変えていますが、最終的には相手にしない、になっていると思います。

正しい答えはない、僕と話したことある人はよく聞くセリフだと思います。
僕はこの方法を選びましたが、個人個人違う方法があると思います。
それがいい、むしろそう思います。
自分で出来ることを考え、自分で行動して、自分で対応する。
出来なかったらまた、違う方法を考えて実践する。
道路と一緒で、目的地があっても選ぶ道は色々ある、です。
最終的に目的地に着けばいいんです。
目的地に行く方法に拘っているのは、誰なんでしょうね。
拘っているなあ、と思うなら、自分自身に問いかけててみて下さい。
どうして、本当なの、と。
問いかけられると答えちゃうもんなんです。
会話ってそうですよね、無視できないですよね。
自分自身に問いかけてみて下さい。
何か出てくるかもしれませんよ。

解り合えない人もいる

個人的な話しになりますが、高校時代からずっと美容院は変えていません。
その美容院もどうやって決めたかというと、母親の紹介という理由なんですよ。
めんどいのが嫌いなのか認めている人の意見には従うのか、どちらが先なのか定かではないですが、そんなとこ、ありますね。
もちろん、だからといってそればっかではないですよ。
めんどかろうがこだわるときはこだわるし、認めている人の意見に反発する時もありますし、まあいい感じに矛盾しているんでしょうね。
ちなみに僕には妹がいますが、妹も同じ感じで美容院に行き、違う美容院を選択しています。
同じ環境で育っても、同じ選択を取るとは限らないということなんでしょうね。

それだけ付き合い長いですから、僕が働きながらカウンセラーもやってることももちろん知っています。
で、この前ある相談事を受けて話したことなんですが、世の中には道具が溢れていて、いかにそれを使うかだけ、と話したんです。
僕はカウンセラーになってから以前に増して世の中のニュースを見聞きするようにしています。
僕にとってはこれほど有効活用できる道具はないと思うからです。
主観的にも客観的にも自分の考えの確認ができますし、いい意味で自分と他人の違いの確認もできますし、生きた事例だと思いますし、まさに宝の山やなんて感じですかね。

で、タイトルです。

いいや、誰だって解り合えるという人ももちろんいるでしょうが、どうも僕はその考え方ダメなんですよね。
だって、マウント取ってボコボコ一方的に殴ってるイメージじゃないですか。
反転させてもらうならまだマシなんですが、そんな人はさらに倍返しなんて感じなんですよね。

だから、僕はゲシュタルト療法の考え方しっくりくるんですよね。

あなたはあなた、わたしはわたし。

別に同じじゃなくていいんじゃない、それでいいんじゃない、そんな感じですかね。

でも、だからといって押し付けるのはマウント取ってるのと同じですからね。

選択するのはあなた次第、てとこでしょうかね。

自分が納得できるのが一番、です。

あおり運転免許取り消しへ

基本的には個人としては賛成ですね。
守れないではなく、守らないですからね。
集団から退場してもらうのも仕方ないでいいんではないでしょうかね。
ただ、基本的に、です。

どうも色々な事柄について、最近の流れは過剰に反応し過ぎてるように感じます。

ちょっと過保護すぎるでしょ、成長しないよとどうしても思える事柄も多々個人的に感じます。
まあ、自己保身は生物として当たり前のことですから責任問題で叩かれるよりはと考えちゃうんでしょうね。

だからといって、一方的というのは個人的に納得できないとこですね。

備えあれば憂いなし、
冤罪が増加するのも目に見えてますので、セルフケアの考えの応用でドライブレコーダーを備えた方がいいでしょうね。

その部分だけ切り取られるのが目に見えます。
原因を見ずに結果だけなんて一方的ですから。
やってないのにやったなんて絡まれても嫌ですからね。

客観的物的証拠、これに尽きます。

大学時代の女子会面倒

今回のねえねえちょっとの相談は、僕も年二回高校時代からの友人達と飲み会をしてる経験も踏まえ、考えてみたいと思います。

大学の同級生の女子会に行くのがおっくうです。
私は二十五年前に三重県に嫁ぎ、私以外の五人は郷里の兵庫県にいます。
女子会は半年に一度ですが、場所は兵庫か大阪。
往復の交通費や時間などを考えると大変で、「たまには三重か愛知で」と誘っても、お茶を濁されます。
もう行くのが嫌ですが、付き合いは続けたい。
どう伝えればいいでしょうか。

以前は僕も京都までよく出掛けてましたので、兵庫か大阪まで行く時間と交通費を考えるとホント大変ですよね。
もう行くのが嫌になるのもよく分かります。
かといって、長い時間をかけた付き合いも続けたい。
よく分かりますね。

さて、どう伝えればいいかですが、
コミュニケーションの基本は、本音を分かりやすく、端的に、です。
とは言っても、角が立ってはもちろんダメです。

まずは、どれだけの時間と交通費がかかっているか、
目で見て分かるように説明してみて、
長年自分がいかに頑張って(我慢して)きたか、分かってもらいます。
我慢してないと思うかもしれませんが、
理性で押さえつけてるだけで、負担というものは貯まっていくものです。
それが、いずれ爆発してしまう。
溜め込むという行為はそんな自然の流れです。
自分自身に言い聞かせる、それは既に我慢しているとなるのです。
誰かの犠牲の上に成り立っている関係は、いずれ必ず破綻します。
そうなる前にガス抜き、見直しが必要になってきます。
とはいっても、なかなか難しいものです。
人は誰もが面倒事は反射的に避ける傾向があります。
まさにお茶を濁す、です。
ですから、落とし所をどこにするか予め考えておきます。
ここまでは妥協できる、そんな最低ラインです。
最初は高めの要求を提示してみて、そこから要求を落とし、こちらも妥協しましたよ、
なんてアピールできればいいかな、と。
もちろん、曖昧でなく具体的に、です。
まとまればオッケーですが、まとまらなければ撤退しかないかもしれません。
現実問題、五対一ですのでこちらの方が可能性は高いでしょうね。
多数決とはそんな仕方ない、ある意味理不尽なものなんです。
そんな時は、誰かを悪者にして仕方なく感をアピールするのもありかな、と。
もちろん、身内の誰かをですよ。
まあ、旦那さんを悪者にするのが一番いいでしょうね。
噓も方便です。
実はこうこうこうで、本当は参加したいんだけど、ごめんね、と。
行ける時もあるかもしれないから連絡はしてね、なんてしれっと言えれば御の字かと。
結びつきが強化される一番の近道は共通の敵を作ることです。
それを上手く利用して、関係を維持する方向にもっていく。
まあ、長年の付き合いでしょうから家族関係もお互い把握しているかもしれませんが、そこは臨機応変で。

名古屋トーチ事故生徒 学校通えず

暴言、中傷、心にも傷
教員「罸が当たった」 ネットで「下手だから」

さて、最初にまずはお断りしておきます。
今回のこらむの内容も、前回の関連記事のこらむの内容も
あくまでも僕の個人的思考によるものです。
どうしても、僕には許せないことがあって、
それはカウンセラーとしては致命的かもしれませんが、
それを自覚しても、それでも、取り上げたいと思い、書かせてもらいました。
気分を悪くされる方もおられると思いますが、一つの声として読んでもらえたら幸いです。

今朝、9月17日付の中日新聞朝刊の記事の内容です。

内容は省かせてもらいますが、こうなる結果は予想の範疇だったはずです。

名古屋市教委は8月13日付で、火を付けた棒を使うトーチトワリングを本年度は実地しないよう市立の全中高校に通知。

すぐに取り止めの判断は素晴らしいと思います。
ですが、どれだけ安全対策をしようが、前回も書いた通り、
でかい火遊びです。
事故は人が行う行為である以上、ヒューマンエラーはなくなりません。
でかい火遊びはダメ、それで禁止でいいのではないでしょうかね。

ですが、今までがんばってきたことができなくなった不満はどこに向かうのか、
そんなの、一ヶ所しかありません。
向かわれた方は、たまったもんではありません。
本当、たまったもんではないですよね。

学校という集団の中で、色々な意見もある中、動くのは難しいのかもしれませんが、
それでも、動く時に動かないのはやはり問題と言われても仕方ないことなのではないでしょうか。
関係各所で、今回の件で関わってる方には耳の痛い話しだとは思いますが、
十分に反省をしてもらい、同じようなケースで二度と同じような対応をしないようしてもらいたいものです。

人は、自分に都合のいいものしか見ないし、聞きません。

物事には、必ず良い面、悪い面、二つあります。

立ち位置によって、見方が変わります。

悪口に聞こえるかもしれませんが、向こうに言わせれば正当な意見だと言うかもしれません。

自分が主張する以上、相手にも主張する権利があります。

ですから、主張は仕方ないことなんです。

ですから、見たくないものは、見ないでいいんです。

聞きたくないことは、聞かなくていいんです。

余裕が出来てから、

それから見たり、聞いたりすればいいんです。

それで、いいんです、はい。

余裕を取り戻すまで、味方をしてくれる人たちに頼ればいいんです。

必ず、学校の中にも味方をしてくれる人はいるはずです。

嫌なことは、嫌、とハッキリ言える人は必ずいます。

学校にいなくても、どこかにいます。

ゆっくりと、ゆったりと休息をとって、余裕を取り戻してもらいたいと、

切に願っています。

あおり 暴行と同じ

直接的危害なしも容疑適用
行為自体を罰する法整備へ

今朝の中日新聞朝刊の記事です。

いやあ、やっとですね。
動き出すまで時間がかかるのは仕方ないですが、罰則は必要でしょう。

当たり前のことなんです。
運転免許というのは、
運転を免除することを許す、みたいな意味あいです。

元々、危険な道具を使うことを、
あえて許されているんです。

普通に考えればいかに危険な行為か分かりますよね。
分からない、なんて言い訳も通じるはずないんですよ、元々。
運転免許、自ら取得してますから。

ただ、物事には必ず良い面と悪い面があります。
光があれば影ができる、切り離せません。
法定速度を守るというのは、遅すぎるのも守っていないと同義です。
たった一台の影響で、大渋滞になっちゃいますから。

とりあえず言えることは、
めんどくさいのにはかかわらない、全力でその場を離れる、
です。

闘争か、
逃走か、
選択によって未来は変わります。

どちらを選ぶかはあなた次第です。

 

どうする?トーチ演舞

今回は、9月5日の中日新聞朝刊の記事について考えてみたいと思います。

というか、僕の結論を書かせてもらいます。

全くもって、考える必要もありません。
ここまでハッキリ書くのもどうかと思いますが、即刻止めるべきです。

練習中にトーチに巻いたタオルに染み込ませた灯油がたれ、服の袖に付着し、火を付けたトーチを振った時に引火し、右腕やひじに大やけどを負った。

今回の事故の内容です。

中学生の子供にとって、どれだけの恐怖ですか。
周りで見ている子供達も、どれだけの恐怖を感じたか、
本当に、心が痛みます。

市内では例年、十件前後の小規模なやけど事故が起きていた、
全くもって、お話しにもなりません。

まさに、起こるべくして起きた、人災です。

花火と一緒です、
見るだけでも十分感動できます。

演舞は大人が自己責任でやればいいんです。
それを子供達に見せて、感動してもらえばいいんです。
自己責任を持てない未成年に、危険なことさせて、どうするんですか。

子供が例えやりたいといっても、大人として、止めるべきです。
火遊び見つけたら、普通に叱るでしょ、
なにが違うんですか、でっかい火遊びでしょ。

体験して、良い思いでなんていっても、
こんな事故が起こってるのに、それでも言えますか。
感動じゃなく、達成感と違いますか?
自分の大切な子供が同じ事故にあっても、
同じことが言えますか?

今回は、ちょっと(かなり)思うところがあったので、書かせてもらいました。
気分を害された方がおられたら、本当に申し訳ありません。