本当に昔からの知り合いは知っているんですが、小学校時代の僕は凄い人見知りで、授業中当てられると人前で答える事出来なくて泣きだしちゃう、そんな子どもでした。
一番酷かったのが小学校4年生の時で、今、考えるとなんとかしてやろうなんて考えてたのかも、と思えるのですが、けっこうな頻度で担任の先生に当てられて、その度に泣きだす、誰も救われない、そんな繰り返しの一年間でした。
ホント当時はすっごい嫌で嫌で、一年間、嫌な思い出しかなかったですね。
担任の先生も大変だったろうなぁ、と今なら思えますが、子どもにしてみればとんでもないトラウマものです。
よく登校拒否起こさなかったと、ホント思います。
小学校4年生の時が一番酷かったと書きましたが、5年生で担任が変わり、なぜか泣き出しているイメージがないんですよね。
いや、実際変わったんですよね。
当てられても答えている、そうだったと思います。
嫌なイメージは強烈に残ってますが、いい思い出、普通の思い出は残らない、そんなエピソードと思ってもらっていいですね。
これは今回、このテーマを持ち出すまで考えた事なかったので書きながらの推測でしかないのですが、責任感を僕に与え、その責任感でプレッシャーに打ち勝つ、そんなスポコンみたいなノリで実際打ち勝っちゃったのかもしれませんね。
人見知りなんですが、なぜかクラス委員にはいつも推薦され、3年も、5年も6年もやらされたんですよね。
で、進行役とかするわけじゃないですか、みんなの前で。
でも、そんな記憶残ってないんですよね。
当たり前に、当然のごとく普通に過ぎていったんでしょうね。
残ってるのは、授業中当てられて、頭真っ白になって、何も話せなくて泣き出す、そんな僕の姿ですね。
それをまたかよ、なんて言いながら苦笑い浮かべている担任の姿ですね。
あ、断って起きますが、もちろん、既に解決済みの案件ですので、それだけはご了承くださいね。
さて、僕は何回もこらむでも書いていますが、今も高校時代の友人とずっと繋がっていて、年二回は必ず飲み会しています。
学生時代はもう、ホント毎日とまではいきませんがいっつも夜中まで遊んでましたね。
高校の、早い時期に、自分語りとでもいいましょうか、そんな黒歴史を語ったのを覚えています。
いや、違いますね、
あれ、いつだったのかな、とにかく話したのは覚えています。
そして受け入れられたのを覚えていますね。
うん、自分のことは案外、覚えていないものですね、てへ。
恥ずかしいと自分が思っていても、案外人に話してみるとそれほどでもなく、受け入れてもらえる人とは良い関係を築くことができます。
安心できるんでしょうね。
ただ、話す相手は選んだ方がいいですね。
中にはさらに傷口を広げる相手もいますからね。
いい出会いをしたものです。
いい出会いをした高校時代は、ホントいい思い出として残っていますね。
楽しかったですね。
もう一度戻りたい・・・、いやいや、そんなこと、ないですよ、うん。
さて、タイトルの、行動に歴史あり、です。
大学時代も何回もあったんですが、今はなお一層、行動に移しています。
どんな行動か、
一方的な関係で窮地に陥ってる人を、黙って見過ごすこと、できないんです。
一方的に責められ、今にも泣きだしそうな姿見ると、必ずフォローします。
見過ごせないんですよね、見ないふりできないんですよね。
感謝されますが、いつも僕がやりたくてやってることだから、と答えています。
いやあ、そりゃそうですよね、
僕はその景色を、4年生の僕自身に置き換え、当時僕自身が望んだことをただ、やってるだけなんですよね。
だからといって、やめるつもりもありません。
だって、見過ごせないですからね、
それはそれ、これはこれ、です。
人を助けているようで、実は過去の自分を助けている、
自覚していればオッケーだと、僕は思います。