僕は学生時代から喫煙とお酒は普通に嗜んでいました。
喫煙に関しては、吸った後の部屋の臭いが嫌で基本的に外でしか吸っていませんでした。部屋に遊びに来る友人たちにも強要していたので不評でしたが・・・。
一応、当時から気遣いはしていて、一言声かけてから吸っていましたね,
嫌だと言われたら吸わないみたいな感じでした。
僕にとっては当時からそれが当たり前であって、我慢をしているわけでもありませんでした。
ですから、必然的に全く吸わない日も当時からあり、それが当たり前の日常でした。
年を重ねる毎に吸わない日が増えていき、最終的には平日に一日一本だけという、まるで高尚な趣味の域までいっちゃいましたね。
飲み会では最初の頃は吸っていましたが、嫌がられたら吸わなくなるのが当たり前になって、その場でも当時は話していましたが、そこまでいくと吸わないメリットもないし、吸うデメリットもないから止めないだろうな、なんて話していました。
で、全く吸わなくなって、早数年の現在です。
いやあ、まさか吸う場所がなくなるのが吸わなくなる理由になるなんて思いもしませんでした。
吸わないというストレスも、全くありません。まあ、当然ですよね。
お酒に関しても、学生時代から普通の学生のように頻繁に飲み会に参加して飲んでましたね。
当時、先輩がお酒が非常に強くて、めっちゃ鍛えられました。
ですが、中学時代に塾の先生がお医者さんでもあり、その先生に急性アルコール中毒の話しを中学時代に聞かされていて、飲めないという人に無理に飲ませるなと言われていました。
ですから、飲めない人の立場も理解できていたので無理強いはしませんでしたね。
ありがたい知識を頂いて自然に行動できているんですが、改めて考えてみると、中学生に何話してんのなんて思っちゃいますね、
本当にありがたいんですけどね。
家でもほぼ毎日飲んでいたんですが、それがここ半年ほど飲んでいないんですよね。
もちろん、飲まなければならない場では飲んでいますが、家で飲まなくなっちゃったんですよ。
場所がなくなったでもなく、お酒も家にあるんですが飲んでいないんです。
飲みたいと思わない、そんな最近の毎日ですかね。
もちろん、健康を害したなんてことも全くありません。
人は、基本、思考があって、そこから行動と感情が決まってきます。
ですから、思考が変わらない限り、行動はパターン化されます。
ゲーム、シルバー、映画、読書等々僕がハマった趣味ですが、全くやらなくなったものもあるし、買わなくなった、買うだけで観てない、買うスピードに消化するのが追い付かない、なんてそんな状況も以前からありました。
溜まっていく一方であり、集めるのが趣味なのかも、なんて状況ですね。
なんとなくですが、ああこういうわけで色々この人は止めていくのね、なんて予測できませんか。
僕も我ながら書きながらある一言が浮かんできました。
人は体験談を聞かせる、聞きたがるという面がありますが、あまり意味があるとは思えません。
思考が似通っていれば行動も感情も似通ってきますが、
思考が違っていれば、行動も感情も違いますので、理解に苦しみます。
理解できないわけではないんですが、あまりにヒドイと理解するのを放棄します。
疲れますよ、思考が違っている人と常に一緒にいるなんて、
喧嘩するななんて、そりゃ無理だわって話ですよ。
喧嘩しない為に我慢してその行動を常に見続けるわけですよ、
そりゃストレスも溜まりますわ、なんて言いたくなりますよね。
類(思考)は友を呼ぶ、なんて言い換えてもいいんじゃないですかね、
なんてちょっと大袈裟に書いちゃいましたが。
その人の今までの続かなかったエピソードを知ることにより、
その人の今までの続かなかった思考が理解できることによって、
その人のこれからの続けたくない習慣を思考に基づいて形成していく、
つまり、
数多くある、止める為の方法を、
自分の思考に基づいて選択する、
それが一番の近道であり、続くのではないでしょうか。
逆に言うなら、その習慣が思考にマッチしているなら、
その習慣を変えるのは非常に難しいでしょうね。
余程のことがない限り、改める必要性がありませんから。