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手のかかる子、手のかからない子

手のかかる子、手のかからない子

よく言われる事で、手のかかる子ほどかわいいって言葉ありますよね。
僕もよくその事を昔から考えた事がありました。
僕の場合は、手のかかる子が羨ましいっていう感情がありましたね。
自分的には、手のかからない子だったと思っていましたから、手のかかる子が大人に手を差し伸べてもらうのを見て、またかとあきれる反面、羨ましいとかいいなあとか妬む気持ちがかなりありましたね。
手のかかる子、出来ない子、甘え上手な子、となるんでしょうか、この場合。
実際、可愛がられるんですよね、そういう子たちって。
だからと言って、自分がそうなりたいと思っても、弱音を吐けないんですよね。
自分が出来ないから、出来る相手が羨ましい、妬ましいという複雑な感情を抱いていたと思います。
でも、実は違っていたんですよね。

では、何が違っていたんでしょうか?
僕が手のかからない子だったというとこだったんでしょうか?(ちょっと書いてて不安に思いましたんで、親に確認しました、自覚通りちゃんと手のかからない子だったようです)。

さて、気を取り直してもう一度、何が違っていたんでしょうか?
手のかかる子も、手のかからない子も、子供らしく素直であればそれでいい、のではないでしょうか。
つまり、二つに無理に分ける事自体、違ってるのではないですかね。
手のかかる子はいつもどんな時も、手のかかる子なんでしょうか?
手のかからない子はいつもどんな時も、手のかからない子なんでしょうか?
そんな事ないですよね、もしそんな事があるとしたら、
手のかかり過ぎる子、手のかからなさ過ぎる子、となりますよね。
僕ほどうも、手のかからなさ過ぎた子だったんではないか、と思います。だから、当時、複雑な感情を抱いていたのではないかなと思います。素直に感情を出す事を自分でしないようにしていた、自分の気持ちに嘘をついてた、と思います。
だから、素直に感情を出せる子が疎ましくもあり、羨ましく妬ましいと思っていたんでしょうね。

ただ、ここで大事なのは、子供でも、自分で選択している、という事実なんです。
僕の場合を例に出しましたが、子供の時の僕であれ、僕が選択しているんです。
ここって、難しいとこなんですが、親の責任ではないんですよ。自分の責任なんです。
それを選択したのは親ではなく、自分だから、です。
責任を取るって、嫌ですよね。だから誰かの責任にしたいんです。だから、親の責任にしたいんです。
誰かのせいにしたら、楽ですよね。楽なんですけど、それだけなんです。
もし、問題だと思ってたとしたら、その問題は解決しないのではないかなと思います。
あくまでも、大人になって、問題だと思った場合の話しですが・・・。

さて、もう一つ。
物事は、可もなく不可もなく、です。
過剰過ぎるのも、過小すぎるのも、なく、です。
過剰過ぎるなと思うなら、過小にして、
過小すぎるなと思うなら、過剰にして、適切に、です。

 

 

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