少し前のニュース記事になりますが、ちょっと気になりましたので今回考えてみたいと思います。
あくまでも、事件にまで発展してしまったケースですので、それも考慮して読んで頂ければ幸いです。
”自分さえ我慢すれば、うまくいく”
ある事件を起こした容疑者の言葉です。
事件の内容はあえて省かせてもらいますが、大なり小なりこの考え方を持たれてる人は多いのではないでしょうか?
なぜなら、対人スキルとしては、短期的には有効な手段だからです。
相手の要求を聞いているわけですから、対人関係はスムーズにいきます。
相手にとっては、これ以上ない、とてもいい関係に感じるでしょう。
ただ、短期的には、です。
いずれ、そのまま続けていると、喧嘩になるでしょう。
喧嘩が増える事は、決して悪い事ではありません。
それは、親密さを増しているからとも言い換えれます。
親密な関係だからこそ、喧嘩は起こります。
親密な関係だからこそ、自分が我慢していたことを分かって欲しいという期待が生まれるのかもしれません。
それを受け入れもらえれれば、うまく修正がすんで、この点は問題がなくなるでしょう。
受け入れてもらえない時は?
同じ事を繰り返す(我慢する)か、はたまた関係が破綻するか、押し通すか、色々あるでしょう。
でも、多分ですが、他の事柄にしても、我慢してしまっている事は多々あるのではないでしょうか?
ですから、その個々について、いずれ喧嘩になるのが推測されます。
喧嘩になって、また修正されていく。
それが繰り返される。
ちょっと、疲れちゃいますよね、お互いに。
誰かの犠牲の上に、よりよい関係は成り立ちません。
他人の事はよくわかりますが、人間というものは、自分自身の事は案外気づきにくいものです。
そのような人は、自分の事は多分勘定に入っていないのではないでしょうか。
誰か、の中には、当然、自分も含まれています。
自分も含めての、相手との関係です。
どうせ築くなら、よりよい関係にしたいですよね。