前回、京都の伏見稲荷の"千本鳥居"と"おもかる石"について書きました。
今回、さらにその上にある、"こだま池"であった事について書きたいと思います。
先に結論から述べますと、撮っちゃったんです、心霊写真を、たぶん。
"こだま池"周辺では、写真を6枚ほど撮ったんですが、池を2枚撮ったんですよ。
で、その1枚を見たとき、"なんか もやかかってるよねえ"って話してたんです。
で、年が明けてしばらくしてから、寝る前にその時の写真を見てたんですよ。
"あれ?この写真って確かもやかかってたよな・・・"
なぜか もやが晴れていて、なにか写ってるんですよ。夜中の1時過ぎです、言い知れない不安でぞくぞくってきましたね。
"なんでこんな時間に写真見直しちゃったのかな、寝れんぞ"って思いながら、寝てました・・・。
見間違いもあるかなって考えて、一緒に見た人にも確認したら、やっぱし当時は写真にもやがかかってました。
僕は霊感というものは全くないです。でも、けっこう自分でも不思議な体験はしています。
霊感があるという人と知り合う機会もそこそこあって、その人達からいろいろな話しも聞いたりしています。
そのかいもあってか、当時から考え方のベースに、自分は見えないけど、見えるんならあるんだろうね、って素直に思えます。
そんな僕も今回、ばーんと写真として目の前に見せつけられたわけです。
今まで見たことがなかった僕は、この出来事をどのように受け止めたか?
寝ちゃったのが、そのままの答えだと、自分では思います。
そのまま、あるがままに受け入れてるから、自然に寝れちゃったんでしょうね、多分。
起こった出来事にこだわることがあると、それにとらわれて寝付けなくなるってあるんじゃないでしょうか。
もちろん、いろいろある寝付けない要因の一つだとは思いますが。
あと、僕の考え方に、幽霊って究極のクライアントなんじゃないだろうかってありますね。なにか心残りがあって、すごく苦しんでこの世に留まってるわけです。
なら、間違いなく僕の領分です。映画の”シックス・センス”が理想といっても過言ではないですね。
残念ながら、見ることはできないんですが・・・。
このように物事をとらえるって、その人の思考がすごく重要なんです。それによって、行動と感情が決まってくるんです。
ちなみに一緒にみた人は元々霊感が強くて、同じ体験をしても違う物事のとらえかたをしてました。
僕は個人的にそれぞれのとらえかたがあって、いいんじゃないかなって思います。だって、楽しくないですか、みんな違うって事を素直に受け入れるだけで、考え方が広がる気がします。
どうせなら、たくさん吸収したいですよね。