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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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仏の顔も三度

昔話もそうですが、昔から残っているものには言葉一つとっても含蓄があるものです。

”どれだけ穏やかな人でも道理に合わない事が重なれば仕舞いには怒り出す”

ですから、仕方ないんです。

道理に合わない事をされて怒っても仕方ないことなんです。

怒るという行為に罪悪感を感じてしまうかもしれませんが、

道理に合わない事をする方が元々おかしいんです。

人のせいにするのではなく、

まずは自分の行動を見直してみてください。

自分の行動が道理に合っていないなら矛盾が必ず生じます。

人の振り見て我が振り直せ、といいますが、

つまり、他人であればあるほど冷静に見えるものなんです。

本人以上に・・・。

あなたの行動は道理に合っていますか?

道理に合っていないなら、怒られても仕方ないんです。

道理に合っていないのにそのままにしていませんか?

そのままにしているから、怒られても仕方ないんです。

仏の顔も三度、ですからね。

高2の長男が不登校

今回のねえねえちょっとの質問はなかなか難しい問題だと思います。
難しい問題ですが、少しだけ考えてみたいと思います。

高校二年生の長男は、高一の三学期からほぼ不登校です。
いじめなどはなく、本人もどうして学校に行けないのか分からないそうです。
小さいころから頭は良かったのですが向上心はなく、今では勉強は無意味で将来のことなどどうでもいいと言います。
カウンセリングにも通っていますが、様子見の状況です。
このままだと退学せざるを得ません。
今後どのようにしてあげればいいか悩んでいます。

さて、今まで普通に出来てた日常生活がいきなり変わってしまった時、なにかしら理由を知りたい、
身近な人がそんな状況に陥ってしまった時、誰だってそう考えるでしょう。

確かに理由を求めるのはとても大事な事です。
ですが、理由がない、
そんな事も世の中には多々あります。

では、今回の質問ではどうなんでしょうか。
文面から察すると、実際のところは分かりませんが、これといった理由はなさそうです。

ただなんとなく休み出してしまい、それが続いてしまって学校に行きづらくなってしまった。
だから勉強は無意味で将来のことなどどうでもいいと言い、
もうどうでもいいからと投げやりになり、現実逃避をしている、そんな状況ではないでしょうか。

一度止まってしまうと、再び動き出す時の負担は相当なものです。
幸いな事と言っていいかどうか分かりませんが、
学生時代はそのような事は個人的になかったのですが、
社会人になってからバイクで事故ってしまい、数か月仕事を休んでいた時期がありました。
出社が決まった時の負担は当時は相当なものでした。
周りに迷惑をかけまくったので、周りの目も非常に気になっていました。

でもそれは仕方ないことなんです。
同じ人間である以上、
誰だって思考し、感情を持っているものです。
ですから物珍しい目で見られる、厳しい意見も言われる、
そんな視線も意見も仕方ないものなんです。

ですが、それも最初のほうだけ。
しばらく続きさえすれば、日常となり、そんな視線も意見もなくなります。

よい例が幸いなことに世の中にはあります。

世間を騒がせた芸能人も
しばらくすると普通に出ていますよね。

世の中そんなものなんです。

冷めた意見ですが、
世の中それほど他人に興味があるわけではないんです。
色々と面白いことがどんどん出てくるものなんです。
ですから興味があるのは最初だけ、そんなものです。
自分が思っている以上に
自分が問題視していることは
他人からしてみると
大した問題ではないんです。

さて、これはあくまでも
僕個人の考えと個人的体験による意見でしかありません。

今後どのようにしてあげればいいか悩んでいます、
との事ですが、
まずはあなたとしてはどうして欲しいのか、
それを冷静に簡潔に伝え、
それに対し、
息子さんはどうしたいのか、
それを大人として客観的に見て、
感情論ではなく、起こりうるであろう事実として話し合うのがいいのではないでしょうか。

残念な事に
限られた時間でしか選択できないものもあります。
何かを選択するということは
何かを選択しないということでもあります。

ですから、選択しなかったという後悔は常にあります。

悩み多き年代ですが、
悩みが悩みを生み出し、迷走してしまわないように・・・。

 

鶏が先か、卵が先か

一体どっちなんだろう、考えだしたらキリがない哲学の問題ですよね。
鶏が存在しなければ卵もないし、
かといって
卵が存在しなければ鶏もないし、
果たしてどっちなんでしょうね?

なんていきなり書き出してしまいましたが、
哲学も心理学も考え方ってけっこう似通っていると個人的には考えています。
どちらも好きなんですよね。

ですが、今回の考え方は
別に答えを探求するわけではありません。

どっちでもいいんじゃない、
だって、そこに存在してるんだもん、
鶏も卵も、
なんて邪道な答えを出す考え方です。

人間関係がこじれてしまうとどうしても考えてしまうのが
被害者と加害者という構図です。
分かりやすいんですよね、明確な関係性って。
ですが、あくまでも分かりやすいだけであって
それが事実かどうか分かったものではありません。

そこで登場、
鶏が先か、卵が先か、です。

難しいんですよ、本当は。
難しいのに簡単な関係性で考えてしまうから問題は解決しないんです。

そこに存在しているんだもん、
では、そこに存在しているものは一体どんな問題なのか、
一般的、客観的視点に立って見てみましょう。

問題に解答が出ても、それは解答であって、
問題を解決する方法ではありません。

問題に解答が出たからと安心するのではなく、
問題を解決する為に何をするのか、
問題を解決する為に何ができるのか、
立ち止まるのではなく、
前に進んでみませんか。

進みさえすれば、
自ずと関係性も変わります。

関係性は後から成り立つものであり、
関係性は不変なものでもありません。

自分自身で決める、ですね。

家事のやり方で妻怒る

さて、今回のねえねえちょっとの質問もまた、興味深い相談内容だと思います。
考え方の一つとして読んでもらえれば幸いです。
それでは、

妻と家事のやり方が違って、怒られるので困っています。
せっかく手伝っているのに、「洗濯物のたたみ方が違う」とか、「水を出しっぱなしにして食器を洗うな」とか小言ばかり言われて、私も子どももビクビクしながら生きています。
どうすれば妻の機嫌はよくなるでしょうか。

これは、正直、それほど難しくない問題だと思います。
少しキツイ指摘をしますが、手伝っているのか、邪魔をしているのか、たったそれだけではないでしょうか。

自分本位で相手の手伝いをする、
あなたはそんな事されたらどう思いますか?
余計仕事を増やされたと思いませんかね、
少なくとも僕はそう考えてしまいますね。
いやいや、やり方聞けよ、なんて思いながら・・・。

家事を手伝う、とても素晴らしいことだと思います。
が、相手が望んでいないやり方は逆にイライラさせるだけです。

ですから、相手はちゃんとどうして欲しいか言っています。

「洗濯物のたたみ方が違う」
「水を出しっぱなしにして食器を洗うな」
その通りに手伝えばいいだけです。

ちゃんと言われたようにさえすれば、機嫌が悪くなるはずありません。
むしろ、機嫌がよくなるでしょう、
だって、ちゃんと自分の望むように手伝ってもらっているんですから。

何に基準を置くか、
そこが重要ではないでしょうかね。

あなたはあなた、私は私

常に顔を合わせる関係ってのもいいものですが、たまにしか会わない関係ってのもいいものです。

以前会った時の状況が変化していて、話しをするだけでいい時間を過ごすことができます。

さて、そんな知り合いとつい最近会いました。
以前会った時は、色々悩みが多く、かなり辛そうだなって思ったものですが、上手く対処していました。
それだけでもよかったなって素直に思います。

今回はまた、違う相談を受けました。

どうも、骨髄バンクに登録したい、とのことです。
どう思う?と聞かれましたので、
”大賛成”、と速攻答えました。

人が人にできることは、多くありません。
なぜなら、人は自ら決断し、行動するからです。
例えアドバイスを受け、その通りにしたとしても、
その人がそのアドバイスを自ら決断し、行動した結果でしかありません。
それは、人が人に何かしたことにはなりません。

骨髄バンクに登録する、という行為は
人が人にできることだと、僕は思います。

それを自ら決断し、行動したい、
何を反対する理由があるんでしょうか。
その決断を尊重する、
ですから、大賛成なんです。

なんかいい話っぽくないですか。
でも、タイトルとなんか違くないかい、なんて思いませんかね。

さて、それでは続きを。

”でも、俺はしないけどね、だって痛いのキライだから。”

あなたはあなた、私は私・・・。

 

自分にとって必要なもの

今回の内容はちょっと(かなり)極論かもしれません。
あくまでも参考程度に読んでもらえれば幸いです。
では、

僕にとって、なくなってしまったら困ってしまうものは沢山ありますが、
本当に困ったことになってしまうものがたった一つあります。
それは何かというと、
”フリスク”なんです。

今はかなり症状はマシになりましたが、数年間、花粉症の症状にひどく苦しめられました。
そんな時に出会ったのが”フリスク”です。
たった二粒、それでくしゃみが出ちゃうんです。
強制的にくしゃみを出すと、くしゃみが止まるんですよね。
もうホントびっくりです。
ちなみに似たような商品を色々試しましたが、他は全くダメでした。

それからは忘れ物はあっても、フリスクは忘れずに持ち歩いています。
それだけではなく、常に鞄の中には数個のストックがあります。

なくなってしまったら、本当に困ってしまいます。
他の物では代用できません。
フリスクだけが僕の要求に答えられるんです。

さて、
なくなって困ってしまうが、代用ができるもの、
なくなって困ってしまい、代用ができないもの、
言葉的には似通っていますが、違いますよね。

あくまでも、自己責任の範疇ですが、
自分の要求を曲げてまで、続けなければならないものって本当に必要なものなんですかね。
自分の要求を曲げてまで、続けているのになんで、なんて思わせるものって必要なんでしょうかね。

話して通じないものって、本当に必要なんでしょうか。
話して通じないのに、続けるのに意味があるんでしょうか。

そんなもの、代用品が必ずあります。

無理をすると、どこかに歪みができます。
早めに手を打たないと、歪みはどんどん広がります。
手を打てるのは、自分自身だけです。

#東北でよかった

以前もこらむで書いたような気がしますが、言葉というものは一度発せられると取り消せません。
僕はこらむを書くときは、ホント何度も何度も書き直したり修正ばっかです。
考えてる事をこらむとして文字に起こすだけなのに、です。
ですから、本番一回切りの言葉というものは、それだけで自分でも思わぬ取られ方をされるときがあります。
で、#なしの今回のタイトルです。
意味的には首都圏でなくて良かったということでしょうが、だからといって見過ごせる発言ではないでしょう。
立場が上になればなるほど、自分の発言が与える影響を考えなければなりません。
辞任も仕方ないでしょうね。

さて、それでは今回のタイトルです。

素晴らしい思考ではないでしょうか。
ネガティブキャンペーンではなく、上手に言葉を使って、全く違う意味で言葉を使う。

そして、行動し、大きな動きを作る。

それはそれ、これはこれ、
あなたはあなた、わたしはわたし、
違う人間だから、違って当たり前。

見習うところがたくさん、たくさんあると思います。

社長室での喫煙が苦痛

今回のねえねえちょっとの質問を考えることによって、色々な場面で応用が出来ると思いますので、是非とも参考にしてもらえたら幸いです。
では、早速。

小さな会社で社長秘書をしています。
社長がヘビースモーカーで、受動喫煙に悩んでいます。
事務所内は禁煙ですが、社長は社長室でたばこを吸います。
ぜんそくやアレルギーがある私は煙や臭いだけで息苦しくなります。
でも社長には良くしていただいており、本人には言えません。
我慢するしかないでしょうか。

これは本当につらいですよね。
ぜんそく、アレルギーがあるとはいえ、良くしてもらっている人にはなかなか嫌とは言えないですものね。
ましてや相手はヘビースモーカー、嫌がるの分かってて止めてくださいとは言い出しづらいですよね。
その流れで、自分さえ我慢すればなんとかなるって考えてしまったのも仕方ないですよね。

でも、ちょっと考えてみて下さい。

最終的には、なんともならないから、”我慢するしかないでしょうか”という自分を納得させる作業が必要になってしまっているんです。
本当に納得できてるなら、そのような行為は存在しないはずなんです。

となると、既に我慢の限界にきているんです。
本人は気づきにくいことなんですが、そのような状況の時には案外ちょっとした態度で不満が出てしまったりします。
意識して押さえようとするにも限界はあるんです。
目は口ほどに物を言う、でしたっけ、無意識というものは正直なんです。
純粋に自分自身を守りますから。

相手に言えないのも分かりますが、
相手に言わなければ何も変わりません。
相手もあなたに迷惑をかけている事すら気付きません。
となると、なんとかしたいと思った方が言い出さなければ物事は何も進みません。

他人と関わる以上、一方的な関係というのは必ず不満を抱くものです。
最初はいいんですが、いずれなんで自分ばっかり、なんてどうしても思ってしまうものです。
でも、あえていうなら、自分勝手に、関係を一方的にしてしまっているんです。
相手に言うぐらいならとか、相手にやってもらうぐらいならとか、自分で片付けた方が楽に思う事って多くないですか。
なんて言っている僕自身もその思考は強い方ですね。人の事をとやかく言えません。

まずは相手に伝えてみましょう。
お互い様、です。
話し合うことによって、お互いにちょうどいい落とし所がみつかるはずです。
もちろん、自分が言われて嫌だなって言い方は関係を悪くします。
どうしても我慢の限界を越えてしまった後には自然とキツい言動になってしまいます。
それは仕方ないことです。
だって、限界越えちゃってますから。
ですから、あえて意識して自分が言われて嫌ではない話し方で伝えてみましょう。
理想は、思った時に、短く端的に用件を伝える、です。

選択は後悔を含む

何かを選ぶということは、何かを選ばないということです。
そこには後悔は付き物だと思います。
あの時あっちを選んでいれば今頃・・・なんて後悔したことってありますよね。

誰だって何かを選択して、そして選ばなかった事を後悔するものなんです。

問題が大きかろうが小さかろうが、それは些細な問題です。
悩んでいる以上、その人にとってそれは大きな問題なんです。
たいした問題ではない、なんて本人がいうのであればそうなんでしょうが、他人が判断するものではありません。
選ばれなかった方を支持していた方は、それみたことかと言いたい気持ちも分からなくはないですが、そんなあなた自身も選択している以上、同じ事をしているはずなんです。

本人の問題は、本人だけのもの。
後悔も本人だけのもの。

それをそのまま、受け止めてあげましょう。

遺伝か環境か

個人的意見ですが、血液型で性格判断というものがどうも苦手です。
人をたった四種類に分けてしまうのって傲慢な気がしてしまってあまり好きな考え方ではありません。
統計学的な考え方ですから、それを考慮していればいいんですが、どうもそれを根拠に人付き合いしている人の話にはどうしても反発心が生まれてしまいます。
性格は遺伝する、というのもどうもダメですね。
生まれた時にすでに決まっているなんて、面白味も何もあったもんじゃないなんて考えてしまいます。
ですから、僕は環境が人を形成するって昔から考えているんですよね。
そこから何を学び、何を信じ、どのように感じ、どういった行動をするか、
各々違うからこそ、色々な可能性があって面白いんじゃね、って思っています。
人は自ら選択し、成長するからこそ面白いと考えていますね。

ですが、ちょっとした話しを聞いて思わずその考え方が揺らいでしまいました。
余談ですが、自分が信じている考え方が揺らぐ体験ってのはとても重要です。
新しい可能性、新しい考え方を獲得できるチャンスなんです。
レベルアップなんていうと語弊があるかもしれませんが、間違いなく考え方の幅が広がり、視野が広がります。
個人的体験ですと、自分の今まで信じてきた根っこの部分がぐらんぐらん揺らぎまくり、自分にとっての正解が分からなくなります。
で、最終的に、今まで否定してきたものを
”それもありじゃね”
と思うようになりますね。軽薄に聞こえるかもしれませんが、あくまでも個人的意見、感覚ですんでそれを考慮して頂ければ幸いです。

話しが逸れてしまいましたが、どのような話しを聞いたかというと、
その人は、子供と一緒に過ごした期間は一年と半年程だったそうです。
それからは全く子供と会う事もなく、十数年過ごしていました。
その後色々あって、別れた奥さんと連絡をとるようになり、子供の話しを聞いたそうです。
その感想が、
”え、それって俺じゃね”
だったそうです。
奥さんも元々同意見だったようで、
”まるで誰かさんみたいじゃない”
だったとのことです。
二人とも同じ人物を想像していました。

その話しを聞いて、
”環境じゃなく、遺伝なの”
と、考えが揺らいでしまいました。
十数年かかった話しですので、重みがあり、簡単に否定もできません。

ですが、否定する必要はないのかもしれません。
あった以上、それは確実に存在しているからです。
ですから、
”それもありじゃね”
でいいのかな、なんて考え直しました。
流石に時間はかかりましたが・・・。

まあ、同じような思考を学習したから同じような感情が出て、同じような行動をするって考えもできるんですが、それで否定してしまうってのもまた、もったいないですよね。

そこまで思考で考えてみると、色々とごちゃごちゃとしてしまいます。
どこまでいっても際限なくなっちゃいます。

で、結局、頭で考えるんじゃなく、心で感じろ、なんてどっかで聞いたような言い回しに落ち着いちゃうんですよね。