free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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時事ネタ

一発屋はお笑いだけじゃない

お笑いの一発屋ってあるじゃないですか。

あれって、結局、飽きられるってことなんですよね。

笑いという感情は気分を明るくしてくれて、高揚もしてくれますからありがたいものなんですよね。

笑いが世界を変える、言い過ぎかもしれませんがそれだけのエネルギーはもっているんじゃないですかね。

ただ、人間というものは欲深い生き物なんですよね。

飽きるんですよ、長く続けられると。

だから、瞬発力があるものは継続が続かないものなんです。

陸上も選手別ですよね、短距離の選手、長距離の選手と。

両立できないんでしょうね、多分。

分かりませんが・・・。

さて、ここから本題です。

負の感情で煽る一発屋もあるんです。

こちらは、飽きるとかではなく、ただ単なる瞬発力でしょうね。

だから、気づいたらいつの間にかいなくなってる、そんな人はその末路を辿っただけなんです。

いやあ、ホント気分悪いですよね、僕はホント嫌な気分になりましたね。

事実だろうと虚構だろうと、いずれ消えるでしょうから、どうでもいいちゃどうでもいいんですが。

「金がなくなったら離婚しかないですよね、、、仕方のないことです」

そんな世間は甘くないんじゃないですかね。

河村市長の写真燃やす動画

札幌の不自由展作品「法的措置検討する」

これはヒドイ。
今日はこらむ書く気はなかったんですが、新聞見て気が変わりました。

なんでも表現の自由ってうたえば個人攻撃していいって思考、どうにかなりませんかね。

こういう言い方もどうかと思いますが、僕も同じこと、書かせてもらいます。

同じ中日新聞の今朝の朝刊(12月24日)に、岐阜の中学校のいじめに関する記事が記載されています。
やってること、同じと違います?

おい、河村生意気だよな、写真燃やしてやれ、
センセー、表現の自由ってのですよー。
これはあくまでも芸術ですよー。
てか。

市民に考えてもらうって、バカにしすぎでしょ。
戦時中じゃあるまいし、ちゃんと選挙で結果でるっしょや。

自分がやられて嫌なこと、人にするな、
自分の事で分からないなら、大事な人がやられて嫌なこと、人にするな、

守らなければならない立場の人は、しっかり壁役を、
私で出来ないなら、公で、仕事として割りきって壁役を。

解り合えない人もいる

個人的な話しになりますが、高校時代からずっと美容院は変えていません。
その美容院もどうやって決めたかというと、母親の紹介という理由なんですよ。
めんどいのが嫌いなのか認めている人の意見には従うのか、どちらが先なのか定かではないですが、そんなとこ、ありますね。
もちろん、だからといってそればっかではないですよ。
めんどかろうがこだわるときはこだわるし、認めている人の意見に反発する時もありますし、まあいい感じに矛盾しているんでしょうね。
ちなみに僕には妹がいますが、妹も同じ感じで美容院に行き、違う美容院を選択しています。
同じ環境で育っても、同じ選択を取るとは限らないということなんでしょうね。

それだけ付き合い長いですから、僕が働きながらカウンセラーもやってることももちろん知っています。
で、この前ある相談事を受けて話したことなんですが、世の中には道具が溢れていて、いかにそれを使うかだけ、と話したんです。
僕はカウンセラーになってから以前に増して世の中のニュースを見聞きするようにしています。
僕にとってはこれほど有効活用できる道具はないと思うからです。
主観的にも客観的にも自分の考えの確認ができますし、いい意味で自分と他人の違いの確認もできますし、生きた事例だと思いますし、まさに宝の山やなんて感じですかね。

で、タイトルです。

いいや、誰だって解り合えるという人ももちろんいるでしょうが、どうも僕はその考え方ダメなんですよね。
だって、マウント取ってボコボコ一方的に殴ってるイメージじゃないですか。
反転させてもらうならまだマシなんですが、そんな人はさらに倍返しなんて感じなんですよね。

だから、僕はゲシュタルト療法の考え方しっくりくるんですよね。

あなたはあなた、わたしはわたし。

別に同じじゃなくていいんじゃない、それでいいんじゃない、そんな感じですかね。

でも、だからといって押し付けるのはマウント取ってるのと同じですからね。

選択するのはあなた次第、てとこでしょうかね。

自分が納得できるのが一番、です。

あおり運転免許取り消しへ

基本的には個人としては賛成ですね。
守れないではなく、守らないですからね。
集団から退場してもらうのも仕方ないでいいんではないでしょうかね。
ただ、基本的に、です。

どうも色々な事柄について、最近の流れは過剰に反応し過ぎてるように感じます。

ちょっと過保護すぎるでしょ、成長しないよとどうしても思える事柄も多々個人的に感じます。
まあ、自己保身は生物として当たり前のことですから責任問題で叩かれるよりはと考えちゃうんでしょうね。

だからといって、一方的というのは個人的に納得できないとこですね。

備えあれば憂いなし、
冤罪が増加するのも目に見えてますので、セルフケアの考えの応用でドライブレコーダーを備えた方がいいでしょうね。

その部分だけ切り取られるのが目に見えます。
原因を見ずに結果だけなんて一方的ですから。
やってないのにやったなんて絡まれても嫌ですからね。

客観的物的証拠、これに尽きます。

名古屋トーチ事故生徒 学校通えず

暴言、中傷、心にも傷
教員「罸が当たった」 ネットで「下手だから」

さて、最初にまずはお断りしておきます。
今回のこらむの内容も、前回の関連記事のこらむの内容も
あくまでも僕の個人的思考によるものです。
どうしても、僕には許せないことがあって、
それはカウンセラーとしては致命的かもしれませんが、
それを自覚しても、それでも、取り上げたいと思い、書かせてもらいました。
気分を悪くされる方もおられると思いますが、一つの声として読んでもらえたら幸いです。

今朝、9月17日付の中日新聞朝刊の記事の内容です。

内容は省かせてもらいますが、こうなる結果は予想の範疇だったはずです。

名古屋市教委は8月13日付で、火を付けた棒を使うトーチトワリングを本年度は実地しないよう市立の全中高校に通知。

すぐに取り止めの判断は素晴らしいと思います。
ですが、どれだけ安全対策をしようが、前回も書いた通り、
でかい火遊びです。
事故は人が行う行為である以上、ヒューマンエラーはなくなりません。
でかい火遊びはダメ、それで禁止でいいのではないでしょうかね。

ですが、今までがんばってきたことができなくなった不満はどこに向かうのか、
そんなの、一ヶ所しかありません。
向かわれた方は、たまったもんではありません。
本当、たまったもんではないですよね。

学校という集団の中で、色々な意見もある中、動くのは難しいのかもしれませんが、
それでも、動く時に動かないのはやはり問題と言われても仕方ないことなのではないでしょうか。
関係各所で、今回の件で関わってる方には耳の痛い話しだとは思いますが、
十分に反省をしてもらい、同じようなケースで二度と同じような対応をしないようしてもらいたいものです。

人は、自分に都合のいいものしか見ないし、聞きません。

物事には、必ず良い面、悪い面、二つあります。

立ち位置によって、見方が変わります。

悪口に聞こえるかもしれませんが、向こうに言わせれば正当な意見だと言うかもしれません。

自分が主張する以上、相手にも主張する権利があります。

ですから、主張は仕方ないことなんです。

ですから、見たくないものは、見ないでいいんです。

聞きたくないことは、聞かなくていいんです。

余裕が出来てから、

それから見たり、聞いたりすればいいんです。

それで、いいんです、はい。

余裕を取り戻すまで、味方をしてくれる人たちに頼ればいいんです。

必ず、学校の中にも味方をしてくれる人はいるはずです。

嫌なことは、嫌、とハッキリ言える人は必ずいます。

学校にいなくても、どこかにいます。

ゆっくりと、ゆったりと休息をとって、余裕を取り戻してもらいたいと、

切に願っています。

あおり 暴行と同じ

直接的危害なしも容疑適用
行為自体を罰する法整備へ

今朝の中日新聞朝刊の記事です。

いやあ、やっとですね。
動き出すまで時間がかかるのは仕方ないですが、罰則は必要でしょう。

当たり前のことなんです。
運転免許というのは、
運転を免除することを許す、みたいな意味あいです。

元々、危険な道具を使うことを、
あえて許されているんです。

普通に考えればいかに危険な行為か分かりますよね。
分からない、なんて言い訳も通じるはずないんですよ、元々。
運転免許、自ら取得してますから。

ただ、物事には必ず良い面と悪い面があります。
光があれば影ができる、切り離せません。
法定速度を守るというのは、遅すぎるのも守っていないと同義です。
たった一台の影響で、大渋滞になっちゃいますから。

とりあえず言えることは、
めんどくさいのにはかかわらない、全力でその場を離れる、
です。

闘争か、
逃走か、
選択によって未来は変わります。

どちらを選ぶかはあなた次第です。

 

どうする?トーチ演舞

今回は、9月5日の中日新聞朝刊の記事について考えてみたいと思います。

というか、僕の結論を書かせてもらいます。

全くもって、考える必要もありません。
ここまでハッキリ書くのもどうかと思いますが、即刻止めるべきです。

練習中にトーチに巻いたタオルに染み込ませた灯油がたれ、服の袖に付着し、火を付けたトーチを振った時に引火し、右腕やひじに大やけどを負った。

今回の事故の内容です。

中学生の子供にとって、どれだけの恐怖ですか。
周りで見ている子供達も、どれだけの恐怖を感じたか、
本当に、心が痛みます。

市内では例年、十件前後の小規模なやけど事故が起きていた、
全くもって、お話しにもなりません。

まさに、起こるべくして起きた、人災です。

花火と一緒です、
見るだけでも十分感動できます。

演舞は大人が自己責任でやればいいんです。
それを子供達に見せて、感動してもらえばいいんです。
自己責任を持てない未成年に、危険なことさせて、どうするんですか。

子供が例えやりたいといっても、大人として、止めるべきです。
火遊び見つけたら、普通に叱るでしょ、
なにが違うんですか、でっかい火遊びでしょ。

体験して、良い思いでなんていっても、
こんな事故が起こってるのに、それでも言えますか。
感動じゃなく、達成感と違いますか?
自分の大切な子供が同じ事故にあっても、
同じことが言えますか?

今回は、ちょっと(かなり)思うところがあったので、書かせてもらいました。
気分を害された方がおられたら、本当に申し訳ありません。

事前に備える

今朝の事なんですが、コンビニから出るのに、右折しようとして待ってる車がいたんですよね。
合流する車線が信号変わったばっかなのに、全然混んでもいないのに。

左折して出りゃすぐいけるやん!何、その無駄な時間!!

僕の思考パターンでは、そういう判断しかできないんですよね。

全く知りもしない人なんですが、もし日常生活で関わるなら間違いなくトラブルになる思考の持ち主の人です。
あくまでも僕にとってはですがね。

出来事が起こった時に、条件反射でパンっと出るのが自動思考というものです。
その自動思考によって、行動と感情が決定します。

分かっているのにどうしても怒っちゃう。
あ~またやっちゃった。

後で後悔するのには、自動思考が関わっています。
まあ、後に悔やむから後悔なんですがね。
仕方ないんです、自動で出てくる思考ですからね。

とはいっても、嫌ですよね、後悔ばっかするの。

だから、対策を取るんです。

自分の弱点、自動思考を特定すれば、対策できますよね。
ぱっと出てくるから、行動を一つ付け足す、みたいな。
なんでもいいんです、手をたたくでも、握るでも、
なにか癖をいれちゃうイメージですかね。
ああ、いかんいかんてな感じですかね。

できる、できないではないんです。

誰もができないことなら、それはできないことです。
時間がかかるかかからないか、です。

まあ、これは自分の思考を直すという行為ですが。
直したくないなら直さなくていいと、個人的には思っています。

問題を解決するのに、もっとも大事なことがあります。

自分が納得すること、です。
自分が納得していないなら、何も変わりません。
直したくないのに直せと言われても直したくないですよね。
表面上をいくら装うが、見る人が見ればバレバレです。

人は変わらない、です。

でも、自分が納得しているなら、話しが違ってきます。
人は自分から変わる、になります。

事前にトラブルに備えておけば、いざという時、困りません。
自分が困らないように、
自分のために、
自分が出来ることを、
事故防衛として、備えましょう。

全体を把握する

時間は常に流れています。
これは変わることがない自然の定理です。

相談と愚痴って、比べてみるとちょっとした違いがあります。
理性と感情、客観的と主観的、等々で区別できます。
どちらがどちらに分類できるかは一目瞭然ではないかと思います。

頭では分かってるけど納得できない、というのは聞く方としてはまだマシなのですが、
頭で分かろうとせず納得できない、というのは聞くほうとして苦痛を持たらします。

一部分だけを切り取ったのと、
流れでその前の部分から見てるのでは、
自ずと答えが変わってきます。

問題の部分だけしか見ずにそれに対処すると、大きな歪みができます。
当たり前ですよね、物語と違うんです。
時間は流れているんです。
ぱっとその問題だけが発生するわけないんです。

理不尽を感じている方は多いと思います。

なら、それに対して自分で対応するしか手はありません。

いずれ気付いてくれるかもなんて期待してどれだけ経っていますか。
人は自分が見たいものしか見ません。
意識的にしろ、無意識にしろ無視ができます。

問題に感じたら自分で対処するしかありません。
前の部分から、具体的に分かりやすく、時系列に沿って説明して話し合うしかありません。
もちろん、自分も例外ではありません。
自分自身も見たいものしか見ていません。
ですが、話すことによって気付かされます。
客観的に物事を全体で見ることができます。

それを受け入れるかどうかでまた、対応が変わってくるでしょう。

過ちは仕方ありません。
大事なのは、同じ事を繰り返さないことではないでしょうか。
同じ事を繰り返すたびに、周りから人々は離れていきます。

それもまた、仕方ないことなんです。
それなりの理由がある、ということなんです。

選択肢は常に自分しか持っていません。
何を選ぶか、自由に選択できますが、自由ほど不自由なものはありません。
おかしなものですよね。

#僧衣運転 お墨付きだもん

今朝の中日新聞のある記事のタイトルです。
内容は省かせてもらいますが、僕的にはとても良い内容だと思います。

なんかこれってちょっとおかしくない、
そう思ったら、素直にその思いに反応し、声を出す。

声を出すことによって、表に出なかったものが表に出ることになり、
より多くの意見が出て、客観的に、冷静に判断される。

世間一般的な常識に基づいて、物事が変化する。

声を出したから、物事が変化します。
自分で声を出したからこそ、変化します。

声を出さなければ、変わりません。
いつまでも、同じままです。

自分さえ我慢すれば、いずれなんとかなる。
自分さえ我慢すれば、いずれ嵐も収まる。

そんなこと、ないです。
人が起こした行動である以上、収まってもまたすぐ嵐はやってきます。

見ていて、気分悪いなと思うなら、
素直にその思いに反応しましょう。

声を出して、行動することによって、
自分の気分の悪さも解消されますし、その人の助けになるかもしれません。

もちろん、何かを助けるということは、何かを助けないということです。
どんな尊い行動にも、責任が伴います。
自己満足にならないよう、
自己陶酔しないよう、自分の為に取った行動だと自覚しましょう。

真剣な思いは相手に届きます。
自分が信じて行動したことは間違いじゃなかったと、
あらためて思うことができると、経験上保証します。

こんな言葉は陳腐であまり好きではないんですが、
少しでも、優しい世界になればいいと、素直に思います。