free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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自分自身

予言の自己実現

予言の自己実現という概念があります。予言というとなんか物々しいイメージですが、簡単にいうと、他人の言葉に乗せられるってとこですかね。

例えば、お医者さんが処方した薬がただのビタミン剤でも、個人によっては思わぬ効果をあげるなんてこともあります。個人差を生じさせるのは受け取り手次第なんですよ。自己実現ですからね。

誉められて伸びる、なんてよく言われますが、誉められることによって自信を持ち、さらに自身が成長していく、それもまた自己実現です。

とまあ、良い方に働くのもあれば、逆もしかりです。悪い方に働くのもあります。

あぁやっぱりね、なんて後で言われちゃうのが悪い方ですね。悪い予言を成就させちゃってますから。悪い評価だと、自信喪失しちゃてどんどんその通りに自己実現しちゃいます。

どうせ同じ自己実現なら、悪い予言を変えたりませんか。他人の評価なんてあとからついてくるものですし、いちいち気にしてたら切りがありません。全部同じになるなんてことはありえません。必ず反対意見は出ているはずです。バランスを保つために。ただ、それを見落としているだけです。

自信喪失しちゃうとオドオドしたり、ビクビクしたり受け身に回っちゃて自ら行動できなくなっちゃいます。まずはできることをちょっとずつやってみましょう。マイナスからプラスに転じるのは思ってる以上に難しいものではありません。できたというちょっとした自信さえあれば、あとは自己実現あるのみです。

なかなか禁煙できない

今回のねぇねぇちょっとの相談内容はカウンセラーとしてだけでなく、僕個人の経験があるので、経験談として書かさせてもらいます。それを考慮に入れて読んでもらえたら幸いです。

それでは、相談内容を書かさせてもらいます。

十年来の喫煙者。健康を考慮して禁煙したいと思いながら、なかなかできません。休日は吸わずに過ごせます。吸いたいとすら思いません。でも仕事などでイライラしたときなどは手放せなくなります。精神的に依存している状態だと思いますが、断ち切る方法はないでしょうか。

まずは、僕自身の喫煙経験を書かさせてもらいます。あくまでも個人的体験ですので、参考程度で読んで下さい。

僕も学生時代から喫煙していて、多い時には二時間で一箱吸った時もあります。この時はその場の雰囲気がどうしても耐えられなくて吸わざるえない状況でした。でも、周りの喫煙者が言うような吸わないとイライラするなんてのは全くなかったです。ですからニコチン依存症というのとは全くの無縁でしたね。

煙草が嫌いな人がいれば吸わなくても平気でしたし、家では基本的に煙草は吸わなかったですね。煙草の匂いが嫌いだったんですよ。知り合いが来た時は仕方なく吸ってましたが、自分だけの時は全く吸いませんでした。部屋が臭くなるのが嫌だったんです。わがままだとよく言われましたが・・・。

煙草の匂いが嫌でしたから、いずれ吸う煙草も人とはちょっと違ってきました。最終的にはそれが原因で、飲み会でも吸えなくなりました。お酒と煙草は付き物だ、なんて思っていたんですが、僕の勘違いだったようで吸わなくなっても全然平気でしたね。

プライベートの付き合いでも吸わなくなり、必然的に吸う場所は職場の休憩中のみ。職場ですからもちろん平日だけ。朝と昼の一日二本。それがいずれ朝の時間の一本だけ。それが数年続きましたね。一日一本だけですから禁煙する必要性も全く感じませんでした。お金、健康、気にする必要なんて全くないですから、ある意味、大人の嗜みなんて思ってたぐらいです。

それが吸わなくなって二年以上になります。きっかけは環境の変化です。職場の喫煙場所が変わって僕にとってのメリットが全くなくなったからです。ある日を境にピタッと吸わなくなりました。感覚的には禁煙したではなく、吸わなくなった、ですかね。今も全く苦にもなりません。

さて、それでは、相談内容を見てみましょうか。似かよってるとこ多いと思いませんか。ちなみに投稿者の方のお名前は、喫煙者なのに副流煙は嫌、さんです。

この方は仕事のストレスで喫煙をしているわけです。ニコチン依存症ですとちょっと難しいですが、文面から判断するとその心配はなさそうですね。

ストレス対策として喫煙しているのですから、イライラのストレスの原因に向き合わなければ禁煙は難しいでしょう。

ですが、イライラを掘り下げていき、仕事上の何にイライラしているのか、そしてそのイライラの原因と向き合い、ちゃんとした対策をとれば喫煙というストレス対策は必要なくなり、禁煙どころか、喫煙する必要すらなくなると思いますよ。

判断基準を使い分ける

さて、まさか前回の続きを書く事になるとは思いもしませんでしたが、パソコンが入院するかどうかの決断をする事態になってしまいました。

といっとも、僕の中では既にほぼ決まっていて、入院して直してもらう方向になっています。

その判断基準はなにか、それは以前経験したかどうかという要因は大きいですね。

前のパソコンなんですが、ハードディスクが損傷して大変な思いをしました。

今回はシステム上のトラブルだったんですが、リカバリーして元に戻す作業中、見たこともないエラーメッセージが出てしまいました。

調べてみると、ハードディスクの損傷に関するエラーメッセージでした。

一度痛い目にあうと、人は学習し、同じ事にならないよう対処します。

電化製品等、機械関係は不具合が出た以上いずれ壊れます。ですから、遅かれ早かれ修理が必要になります。

なんとかなるか、なんて曖昧なものが一切入り込む余地がないんです。判断を鈍らせて取り返しのつかない状況を作るのはやはり人なんですよね。

修理するしかない、ですね。

さて、これは機械関係のトラブルだから単純で分かりやすいですが、人間関係に関してはそんな単純ではありません。

以前経験したかどうか、それを判断基準にしがちになりますが、人が絡んでくるとあくまでも同じようであって、同じではないんです。

時、人、場所が違ってる以上、状況が似通っているだけであって、同じはずありません。

ですが、以前痛い目にあっているので同じ思いをしたくないと思い、過剰に反応してしまいます。

それに相手も反応してしまいます。関係性というのはお互いに作り上げていくものだからです。

お互い様状態なんです。ですから、もしどうにかしたいなら、まずは自分から動くしかありません。どうにかしたいから動けるのであって、どうにもしたくないなら動かないですよね。

最終的には自分にとって納得のいく距離感に落ち着きますが、トラブルは少ないほうがいいですよね。

専門家の意見を素直にきく

私事で恐縮ですが、ここ一ヶ月程パソコンの調子が悪く、カスタマーサービスに二回相談しました。

なぜ二回かというと、一回目は一つのアプリがどうしても開けなくなり、原因が分からず相談しました。

結果、パソコンのシステム上の問題と判明し、まぁしばらくそのアプリを使わなくとも問題ないかと判断し、そのままにしました。

まぁいっか、は昔からの僕の思考(信念)で、問題を後回しにしますが、結局最終的には問題に取り組む事になります。

てなわけで、二回目の相談になります。

これは本当に困った事に、パソコンを立ち上げても一向に立ち上がらず、時間だけが無情に過ぎていくという症状になってしまいました。

ヤバい、ウイルス感染したか、とすごく心配になり、テンションも下がりまくりました。

で、相談してみたらウイルス感染ではなく、やはりシステム上の問題と判明しました。ウイルス感染という不安もなくなり、問題もはっきりし、問題に取り組む事となりました。

今はパソコンをリカバリーし、買った状態に戻し、もう一度、元の状態に戻す作業をしています。それがめんどくて、後回しにしていたんですが、やはり今回も同じ事をしちゃいました。

今朝はかなり寝不足ですが、やらなければという踏ん切りもついたので、徐々に元の状態に戻そうかなと思っています。

素人判断は不安がつきまとうものですが、専門家の意見を素直にきくと、不安がなくなり、問題に取り組めるものですね。

”どうしたらいい?”にちょっと味付けを

悩んでいる事を人に相談する時、
”どうしたらいいと思う?”
なんて聞いたり聞かれたりする事って多くないですか?

で、いざ聞かれた方は真剣に考えて答えてみても
なんとなく相手が煮え切らない答えしか返ってこない事もまた多いのではないでしょうか。

どうしてだと思いますか?

それは心理学的に考えると色々ありますが、
そこまで難しく考える事でもないのではないかな、と個人的には思います。

悩んでいる相手は、既に相談する前に色々考え抜いているんです。
考え抜いているからこそ、答え合わせみたいになってしまうんです。
答えが合わなければ反論するし、煮え切らない態度になります。
答えが合えばあったで、それで満足してしまいます。

ここでいう、答えは、
”私は~したい”に対する~の部分ですかね。

まるでクイズみたいですよね。

でも、さらにその先に進まなければ悩みは解決しません。
だって、”~したい”のが出来るなら悩むわけないですよね。
出来ないからこそ悩むんです。

ならいっそ、

”私は~したい!” けど ”どうしたらいい?”で悩んでみませんか?

自分がしたい事を、自分が出来る事によって、具体的にどのように変わるのか、
どうせ同じ悩むなら、建設的な方がいいですよね。

ストレスを溜め込む人、溜め込まない人

“ストレスも生きていればつきもの”

ある人の言葉からちょっと考えてみました。

当たり前ですよね、他人と関わる以上、自分の思い通りにばかりなるわけないんですから。

自分の思い通りにならないから、ストレスになるわけです。

でも、中には

“ストレスなんてないよ”なんて人もいます。

でも、ストレスがないよという人の言葉もその通りだと思います。

矛盾してますよね。でも、その矛盾のままでいいんです。

何が違うんでしょう。

ちょっとだけ昔を思い出して下さい。

“部屋を掃除しなさい‼”

なんて怒られた事ありませんか。

僕はしょっちゅうありました。今もありますが。

散らかしたものは散らかったまま、出したものは出したままなんです。

部屋の乱雑さは目に見えますから、他人も煩わしく思い、ついつい片付けろと言っちゃうわけです。

怒られるのは嫌ですが、見たくないものを見せられるのも嫌ですよね。まぁ怒るのも仕方ないかと納得するしかありませんよね。

部屋の掃除のように、

自分で出したものを、自分で片付ける。

当たり前の事です。

それを、やるかやらないか、だけなんです。

やってる人はストレスは溜まりません。

出したものを、すぐに片付ける、

後回しにして、ごちゃごちゃになって、何から片付けたらいいか分からなくなる、

どちらの方がいいですか?

迷いすぎてこじらせてしまった君に

本の書き出しで時々ですが、
誰々に贈るってありますよね。
普通に読んでる時は
うわぁなんて思っちゃうんですが、
今回は思うところがあって、
あえて
うわぁって思われる側に回ろうかと思います。
少しでも読んで楽になってもらえたら
幸いかなと思っています。

安定した生活、安定した仕事、
安定した関係、安定した収入、等々、
安定って言葉って安心しませんか。
だから人は迷った時に答えを求める傾向があります。
迷った時って、
グラグラ、フラフラ、等々
安定していない状況になってしまっているからなんです。
そんな状況って長く続くと思いますか。
続かないんです。
どうしてかというと、
不安定な状況というのは、
心が常に動いていて疲れてしまうからなんです。
答えがあると、少なくとも
安定して安心できます。
それがあなたにとって、
助けになろうとなかろうと・・・。

でも困ったことに、
心って見えないどころか、
存在も曖昧ですよね。
だからどんどん疲れていってるのに
気付かないんです。
そもそも存在も曖昧なのに、
疲れるって変って思うかも
しれませんが、
だからといって、
変化がないわけではありません。
心も身体もあなた自身です。
ですから、
身体にちょっとした変化が必ず現れているはずなんです。

では一体、どんな変化が現れると思いますか。

それは、調子悪いなぁって病院に行く事ってありませんか?
でも、実際診察してもらって、
別に異常がないって診断が出る時があります。

それなんです。

異常がないなら、調子悪いはずありません。
もちろん、嘘をついてるわけでもありません。
でも、調子悪いんです。
それが、心の疲れから身体に出る変化なんです。

困ったもんだなぁって思うかもしれません。
なんとかならないかなぁって思うかもしれません。

それを、身体が知らせてくれているんです。
なんとかしてほしくて、身体がメッセージを送っているんです。
だって、心も身体もあなた自身なんです。
身体も楽になりたいんです。

では、身体からのメッセージを受け取ったならどうしたらいいんでしょうか?

語弊を恐れずにあえて書くなら、カウンセラーに相談して下さい。

身体からのメッセージは、あなた自身からくるメッセージです。
他の人の身体からくるメッセージではありませんよね。
ですから、経験談、体験談はその人だけのものなんです。
だって、身体違いますよね。
身体違うのに、経験談、体験談が参考になるんでしょうか。
たまたまよくなる事はあるかもしれません。
そもそもそれでよくなる人は問題はありません。
ちゃんと自分で解決してますから。
よくなればいいんですが、
よくなろうとするあまり、
こじらせちゃう、なんて事になってしまう人もいます。
そちらが問題なんです。

カウンセラーは、
その人の身体からのメッセージを、
正確にきいて、適切に対処する、
その技術を身に付けています。

もちろん、カウンセラーが問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは、
困っているあなた自身なんです。
カウンセラーはどうこうしたいという思いに気づいてもらい、
その手助けができる手法を持っているだけなんです。

人が人にできる事は思うほど多くありません。
ですが、安心してください。
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
ちょっとした怪我なら自然に身体って治りますよね。
今は自然治癒能力をちょっと自分で阻害しちゃっているだけなんです。
まさに、
こじらせちゃっている状態なんです。

他人の事はよく気づきます。
反面、自分の事は気づきません。
誰だって、
自分の本当の嫌なとこは知りたくないからなんです。

自分の本当の嫌なとこを知る、
とんでもなく
しんどい作業になります。
つきあう方もまた、
とんでもなく
しんどい作業になります。
お互いしんどい作業なので、
“そんな事ないよ”
と否定したくなります。
否定されると
そうかもしれないと思って
それ以上進まなくなります。
そして、
また同じ事を繰り返す事になってしまいます。
それは仕方ないことなんです。
だって、
自分を守る自然な行為ですから。

否定も肯定もせず、
そのまま進めていくと、
こじらせちゃった問題の本質がはっきりとみえてきます。
それに自ら触れ、受け入れると、
驚くほどあっけなく
問題は解決します。

だって、
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
なんとかできるものを、
自らなんとかしないように、
知らずにこじらせちゃっただけなんです。
誰もができない事はできない事かもしれません。
しかし、できる人がいるなら、
できる事なんです。
違いがあるというなら、
できないようにしているのは、
自分しかいません。
自分で問題をこじらせちゃっているだけなんです。

自分自身をよく知り、
自分の欠点をよく理解し、
自分なりに上手く対処する、
そうすれば、
良くならないわけありません。

もちろん、
身体の異常もなくなっています。
だって、
楽になりたいってメッセージを
しっかりと受け取り、
ちゃんと対処していますから。

すぐにはよくならないかもしれません。
それだけ、長い時間あなたが苦しんできた証だからです。
今まで本当に苦しい思いをしてきたんですね。
でも、よくなります。
よくなるというと本当かよと思われるかもしれませんが、
元の元気だった頃に戻ります。
身体がそのように望んでいるからです。

純粋さというのは力があります。
身体からのメッセージは
よくなりたい、楽になりたいという純粋な思いそのままです。

その純粋な思いに答えるだけで
元の元気だった頃に戻れるんです。
もちろん、簡単ではありません。
ですが、大丈夫です。
身体も心もあなた自身だから。

勇気を出して言ってみる

個人的な事なんですが、長年言い出す事が出来なかったことがありました。

勇気を出してついさっきなんですが、切り出してみました。

迷うぐらいならまずはやってみる。

なんて偉そうに言っていますが、大事な事こそ切り出しづらいものですよね。

僕にとっては、切り出すのに長年の時間を要する事だったんでしょう。

あっさり上手くいきました。

だからといって、嬉しさは減るものではありません。
むしろ、長年の時間だけ、嬉しいものです。

大事な事にはハードルを実際より高くしちゃうものです。
失敗を必要以上に恐れるからです。

ハードルを上げすぎちゃっていませんか?

切り替えも必要(落選運動)

話しが通じない相手はいます。
そんな相手に対してどう接すればいいんでしょうか?

まずは、いかに自分が迷惑しているか相手に話します。

相手が気づいていないだけかもしれないからです。
気づくことによって、反省して態度を改める可能性があるからです。
それで、目的は達成です。

では、それでも態度を改めない時はどうしたらいいんでしょうか?

最終的に、こちらが考えを改めなければならないでしょう。

変わってくれる、そんな期待をもっている自分の考えを。

“落選運動”

落選して、落ちてみなければ反省できないでしょうから。

人が変わるには、大きな出来事が必要です。
それを、運動として、意見として選挙で示す。

そして、反省してもらい、変わってもらう。

未来思考であり、より建設的ではないでしょうか。
素晴らしい考えだと、個人的に思います。

行動を掘り下げてみる

今夜は久々に親友達との飲み会でした。
前回からちょっと僕の周辺で色々変化があって、僕はその話しを実はこの飲み会でしか話さないんです。
自分で決めてるんでしょうね。
まるで、懺悔室みたいな感じにしてるんでしょうね、僕自身が。

で、詳しい内容は記さないんですが、改めて気づいたことがありました。

他人によく言う事って、自分自身出来てない事が本当多いんですよね。

僕がよく、自己犠牲ってありえないって言う事が多いんです。
まず自分があって、それから相手。
自分を蔑ろにするのはありえない、と。

でも、実際、しちゃってるんですよね、僕自身が。
自分でも自覚してるんですが、自己犠牲してる行動ってあるなぁって。

僕も親友達と同じ立場なら、全く彼らと同じ事を言うと思うんです。
つまり、それは違うだろ、と。
彼らが親身に話してくれると同じ事を、同じ立場なら話すと思うんです。
実際、色々考えましたから。

分かっちゃいるけど、止められない。
だけど、止めたい。
なら、簡単なんです。

止めたいって意思があるから。

でも、今のとこ、どうも僕の中の優先順位は今のままみたいでいいみたいです。

どうしてなんでしょう。

・・・

ちょっと、思い当たりました。

僕は以前、それを厳しい程、実行していたんです。
自己中って言われても仕方ないぐらい
でしたね、当時は。

でも今は一応、これ以上はダメって事を伝えてるんです。
そして、その通りにされると仕方ないかなって思っちゃうんです。
で、引き受ける。
どうも、そのラインは一般的にかなり低いみたいですが、以前よりはマシに思ってるんでしょうね。

人は嫌な思いをしたら、その行動を気づいて直します。
でも、どうも意識せず、行動を改める事もするみたいです。
長い時間をかけて、徐々に変化するんでしょうね。
徐々に一般的なラインまでいければいいかなって思っています。
じゃないと親友達に心配かけまくっちゃいますからね。