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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

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生活苦の姉が金の無心

今回のねえねえちょっとの内容は個人的にも思うところがあり偏った内容かもしれませんが、そこも含めて読んでいただければ幸いです。

一人暮らしを始めた姉が、多いときは週に2~3回、私のところにお金を借りにきます。
食費や娯楽費が自分の給料では間に合わないとのこと。
私自身も給料が少なく生活は苦しいのですが、助けてあげたくて何度かお金を貸しました。
でもそのことは両親には内緒です。
姉から私の携帯に電話が入るたびに苦痛です。

身近な人が困っていたら、なんとかしたいと思ってしまいますよね。
でも、人が人にできることは本当に限られた事しかありません。
例外はありません。
ギブアンドテイク、お互いイーブンでなければいずれ破綻します。
一方的に我慢を強いられるなんて、耐えられるわけないですよね。
貸したものは返さなければならない、
当たり前だと思っているかもしれませんが、
それができるなら、そもそもお金に困ることなんてありません。

さて、そんなことは既にこの方は理解しているのではないでしょうか。
両親と姉は既に揉めている、
自分の行為を知ると両親に怒られるから内緒にしている、
姉に口止めされている、
そんなとこではないでしょうか。
いずれにしても、誉められた行為ではないと自覚しているのではないでしょうかね。
食費や娯楽費、
思うところがあるような気がします。

さて、あとは覚悟の問題です。
このまま続けるなら、貸しではなく援助と自覚するしかありません。
今は返してもらえてるかもしれませんが、近い内返ってこなくなるでしょう。
既に返ってきてないかもしれませんが・・・。
もう嫌だ、
そう思うなら、キッパリ断るしかありません。
ただし、貸したものを返してもらう、
そんな甘い思いはサッパリ忘れたほうがいいでしょう。
なんとかなるなら、週に2~3回も借りにきません。
自分の行動は自分で責任を持つ、
当たり前のことですが、他人が関わると忘れがちになってしまいます。
貸したのは自分の意思、
返すのは相手の意思、
相手に委ねている以上、返ってこなくても仕方ありません。
キズはより浅いほうが治りが早いです。
少しでも、早めに処置をすることをお勧めします。

我慢しすぎると・・・

最近あった事なんですが、僕の二台前の車が法定速度40㎞の道路を20㎞で走行していたんです。
法定速度の半分の速度で走っているんですよ。
もちろん、後ろは大渋滞です。
僕が通勤途中ですので、めちゃくちゃ早い時間にも関わらず・・・。
これはあくまでも僕の考え方なんですが、法定速度を守らないというのは早すぎてももちろんダメですが、遅すぎるのも問題があると思います。
その結果が、僕の後ろの大渋滞という結果が証明していると思います。
ですが、僕の前の車、つまり大渋滞を引き起こしている車の後ろを走っている車の運転手さんですね、
ちょっと僕的には感心しているんですが、よくもまあ付き合ってるなあと思ってたんですよね。
もし、僕がすぐ後ろを走っていたなら、速攻抜かしていたと思います。
法定速度を守っていない車に付き合う必要はないですからね。
それでイライラするのも嫌ですし、そんなのに付き合う必要もないですからね。
ですが、僕の前の運転手さんは抜かすタイミングは沢山あったんですが、そんな素振りも全く見せず、律儀に後ろを走っているんですよね。
法定速度の半分の速度の車の後ろをですよ、
まあ僕も急いでるわけではないですし、直接後ろでもないですから抜かすわけにはいかず、そのまま走っていたわけですが。

で、その遅い車が信号で直進し、その後ろの車、つまり僕の前の車ですね、ちょうど僕と同じに信号を左折したんですよ、
つまり遅い車から解放されたわけです。

いやあ、ビックリですよ、
僕もそこそこ速度は出す時は出す方ですが、
全く着いていけませんでした。
あっという間に引き離されちゃいました。

車というものは、自分の意志で動かす事が出来ます。
つまり、ある意味、素の自分が出せるものだと個人的には考えています。
ですから、以前も書いたかもしれませんが、車に乗ると性格が変わるというわけではなく、
周りを気にする必要がなくなると勘違いするので、運転が荒っぽくなる人が多いと思うんですよね。

で、僕の前の運転手さんです。
気を使ってたんでしょうね、法定速度を守っていない人に対して。
過剰な程に。
その結果、その人が離れたと同時に、今までの鬱憤を晴らすような破天荒な運転をしちゃったんでしょうね。
僕はその一部始終を見ていたから納得できますが、見てない人にはどんな風に映っているんでしょうかね。

付き合うのは大事だと思いますが、
それによって、自分をなくす事になるほど我慢する必要は果たしてあるんでしょうかね。

何事にも言える事だと思いますが、
距離感というのは大事だと思います。
それも、他人目線ではなく、
あくまでも、本人目線に置ける距離感です。
もちろん、第一に置いてほしいのは、世間一般の常識ですよ。
常識なければ単なる我が儘でしかないですからね。
それを押し通すなら結果は自明の理ですよね。

普通に生活するだけでも学ぶ事は沢山あると思います。
何気ない日常こそ、色々な思惑が集まって
何気ない日常を作り出しているんです。
何気ない日常を知っているからこそ、
何気ない日常を壊してしまう違和感に気づけると思います。

何気ない日常を壊す違和感に、我慢しますか?
我慢するぐらいなら、何か対策を立てませんか?
その方が、より建設的だと、個人的には思います。
放り投げれるならいいんですが、そういうわけにもいかないなら、
対策たてた方がいいのではないでしょうか?
だって、我慢しすぎると・・・。

義母が植え込み私物化

今回は ねえねえちょっとの質問を考えてみたいと思います。

義母が自宅前の歩道の植え込みを私物化して困っています。
初めは花を植え、最近は苗木を植え支柱まで立てて、自分の庭のようにして手入れを楽しんでいます。
近所の方は、「きれいだね」と褒める方もいますが、「ちょっとやり過ぎ」という声も聞こえてきます。
義母は自分は正しいと思っているので、家族の意見は聞きません。

なかなか難しい問題ですよね。
自分が正しいと思っているなら、それを自分が止めるなんてありえませんよね。
だって、正しいんですもん、本当かどうかは別として。

さて、そんな自分は正しいと思っているらしい義母の行動をどのように止めさせたらいいのでしょうか?
と、勝手に止めさせたいと書いてしまいましたが、そこまで書かれていませんがその流れで進めたいと思います。
といっても、最終的にはどうするかになるとは思いますが。

家族の意見を聞かないので、それなら意見を聞かなければならない立場の人に登場してもらえばいいんです。
つまり、本来の所有者である、役所関係の方に。

告げ口みたいで嫌だと思うかもしれませんが、
そこで話しあえばいいのではないでしょうかね?
義母には義母の言い分があるでしょうから。
ダメならダメ、良いなら改めて許可をもらう。
それでスッキリするんではないでしょうかね。

自分でダメで止めず、使えるものは使う、
問題を解決する一つの手段として活用してもらえば幸いです。

勝手に問題を作る構造

昨日のことですが、ちょっと面白いことを経験しましたので早速書いてみたいと思います。

当人同士の間で、指示をし、それに従って行動していたのに、それを見ていた第三者が何かあったと勝手に勘違いし、すぐに様子を見に行く、という行動を取りました。
もちろん、何も問題があるわけありません。
簡単な指示を出し、それに従った、ただそれだけです。
ですから、すぐに戻ってきました。

ただ、その一連の行動全てを、その指示を出した当人である僕が見ていた、ただそれだけです。

もちろん、勝手に勘違いする理由もあるでしょう。
ですが、問題もない出来事に、
勝手に自分の価値観で判断し、
勝手に問題として見てしまい、
勝手に問題を捏造してしまい、
勝手に行動し、
その一部始終を当人の目の前で行い、
勝手に終わらせる。

流石に、目の前でされるとイラッとした感情になりますね。
まあ、いい例を提供してもらえたと、考え直しましたが。

どんな場面においても、
人は思考に基づいて行動します。
ですから、この人は、間違いなく、
どんな場面においても
同じ行動を取ります。
今までも、これからも。
思考を改めない限り。

たまたま今回は僕でしたが、
今までも同じようにイラッとした人はいるでしょうね。

問題を勝手に作ってしまい、
新たな問題に気づかず、
そのまま放置してしまう。

構造は至ってシンプルなものです。
気をつけましょう。

もちろん、自覚さえしていれば
何も問題はありません。

問題なのは、
無自覚、
それが一番の問題です。

内からでてくるもの

個人的な話しですが、僕はけっこう新しいものが好きで、電子書籍が出た当初も真っ先に飛び付いたものです。
本当に簡単にデータとして本が買える手軽さから、それまで全く手を出さなかったジャンルの書籍も購入するようになって、怖くて自分が今の時点で何冊書籍を持っているか数えたくないくらい所有しています。
元々映画も好きで、DVDが出た当初から買い集めていたので、こちらもまた、目に見えて数多く所有しています。
もちろん、今はデータとして購入しているので、こちらもまた数えたくないですね。
それだけ所有しているので、もちろん見ていない作品も数多くあります。
時間くっちゃいますからね、見よう、読もうとするとどうしても。

さて、映画では僕の中で以前からあった兆候だったのですが、本においても初めて体験した経験があります。
うーん、入ってこないな、難しいなあというのは作品によってあるのですが、
気持ち悪い、という感情を文章で初めて経験しました。
作者の人の描写がスゴいんでしょうね、なんかリアルに感じすぎて、
気持ち悪すぎて、その本は読むことが僕にはどうしてもできませんでした。

その人の作品はそれ以前に購入していて、その作品は僕的には面白く読む事ができました。
かなりある意味リアルに突き詰めた作品だなとは感じましたが、
多分どこか作り物であると僕には思えたので、気に入った作品になったと思います。

で、二冊目を購入したのですが、
僕にはどうしても作り物と思えなくて、リアルに想像してしまい、
気持ち悪くて読めなくなった、そんな感じですかね。

その作品は僕にはダメでしたが、好きな人にはたまらない一冊なんでしょうね。
僕にとっての一冊目の作品のように。

カウンセリングで問題を解決するにおいて、
自分の中にあるものに真摯に向き合う必要があります。
自己洞察というものです。
何気ない日常においては無視するものですが、
問題が起こった時には避けては通れないものです。
目を背けたくなるぐらい、自分にとって嫌なものです。

その人の内にあるものなのか、
その作品の人物の内に深く潜ったものなのか、
そんな作品は、見るものを深く揺さぶります。

カウンセリングの場にいるように。