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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

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落ち着ける場所

僕は学生時代から、京都が大好きで、京都によく行っています。
特にお気に入りの場所が、護国神社というとこで、坂本龍馬のお墓があるとこです。
ここは毎回京都に行ったら寄ってますね。ここから京都の街が一望できて、そこから京都の街並みを眺めるとなぜかよく分からないんですが、落ち着くんですよね。もう何十回行ったか分からないぐらい行ってます。
全然飽きることない、僕にとっての落ち着ける場所ですね。

カウンセラーの資格を取る前ですが、仕事でイライラすることがあって(内容は忘れちゃいましたが)、どうしても京都に行きたくなって、いつものように護国神社から京都の街並みを眺めていたら、不思議とイライラが収まりました。

当時はすごく不思議だなって感じたのを覚えています。

カウンセラーの資格を取った今は、いくつかの理由として、理解しています。が、なんか個人的に理屈じゃない気もしてますね。

落ち着ける場所があって、そこで自由に時間を使って、楽になる、うん、理屈なんかいらないですね。

ちなみに今の僕は、考えを整理する場所として、お風呂もお気に入りの場所になっちゃいました。
近場になって喜んでいいのかどうなのか・・・。

みなさんには、落ち着ける場所はありますか?

 

”真実”はたくさんある、”事実”はひとつだけ

ある人から聞いた話しで、家の庭にクロガネモチの木があって、そこに鳩が巣を作っていて、巣の中には卵もあったそうで、親鳥がいつも卵を温めてたそうです。
ところが、野良猫がどうも鳩なのか卵なのか狙ってたみたいで、気づいた時には 卵がなくなってたそうです。
その人は、野良猫が悪さしたから鳩がかわいそうだと思って、なんとかならないかと考えて、猫が悪さできないようにネットでも張ろうかなって話していました。

なるほど、ネットを張るという具体的な対策を講じることによって、その人は今後鳩が襲われるという自分が見たくない場面を防ぐことができるんだろうなと、僕は素直に思いました。

で、前置きが長くなっちゃいましたが、この話しの場面を今回使おうかなって思ってます。

ちょっと、想像してみてください。

襲った野良猫ですが、実は最近 子猫を産んで、子猫にお乳を与えるためいつもご飯を探しているんです。
ところが、近隣皆さんのマナーがしっかり行き届いているから、目につく食べ物はありません。
ここ数日、食べ物にありついていません。さすがにお乳も出なくなってきました。
そんなとき、ふと木を見上げると、鳩が巣を作ってるのに気づきました。
母猫として、このチャンスを逃すわけにはいきません。
思惑通り、ちょっと威嚇すると鳩は卵を残して飛んでいってしまいました。
巣に残された卵を食べ、なんとか子猫のためにお乳を出すことが出来るようになり、幼い命を守ることができました。

どうですか、最初の野良猫のイメージと違う印象を持ったんじゃないでしょうか?
悪戯ばかりする野良猫が、一気に母性愛に溢れた苦労している母猫になったんじゃないでしょうか?

僕なりにちょっと(かなり)脚色しちゃいましたが、僕たちの生活の場面でも、同じようなことがあるような気がしませんか?

人が知りえる情報って限られるし、その情報も自分の価値観というフィルターを通してみてしまうので、物事を客観的に見ることって非常に難しいことだと、個人的には思っています。

ですから、会話をすることって、非常に大事だと思います。なぜ、そんなことするんだろうって思うことがあったなら、そのまま相手に聞いてみてください。動物と違って、僕たち人間は会話というコミュニケーションという手段を持っています。僕個人的な考えですが、会話から情報を得ることによって、間違った解釈、誤解を少しでも防ぐことができるかもしれません。
もちろん、どんな事情があろうが、他人を傷つける行為をした以上、その行為の責任は償わなければなりません。可もなく不可もなくが大事ですが。

ちなみにこの話の元は、実際に僕の実家で普通に交わされた日常会話です。
日常会話ですが、それでもちゃんと本人にはここで書くよと了解済みです。
僕たちカウンセラーには守秘義務がありますので、職業上知りえた情報はむやみに他人に話すことはあり得ません。
こんな話しまでしてしまって大丈夫なんだろうかって心配になることもあるかもしれませんが、そんな時は逆に念を押すのもいいかもしれませんね。すごく安心させてもらえると思いますよ。

習慣を変えるということ

今までしてきた習慣を変えたいって思う事ってけっこうあるんじゃないでしょうか?
そして、その変化させたい習慣って、今までと全く逆のことが多いんじゃないですか?
さらにいうと、変化は簡単に起こせるけど、続かない事の方が多いんじゃないでしょうか?

なぜ、簡単に起こせるけど、続ける事って難しいんでしょうか?

実は物事の変化って真逆の方が変わりやすいんです。以前にも書かせてもらいましたが、禁煙、ダイエットもそうですよね。変わらなきゃいけないって思うぐらい吸い過ぎ、食べ過ぎだとすぐに変化できるんです。
それほど自覚してなければ、変えたいって思わないから、変わらないんです。

では、なぜ続かないのか?

要因の一つとして、習慣化してるのがあると思います。
興味がおありなら、普通にしていること、例えば、お風呂で最初に洗う場所が決まっているなら(ちなみに僕は左手からです)違う場所から洗ってみて下さい。すごく違和感を感じると思います。そして、多分 気づいたら元に戻ってると思われます。
靴を最初に履く足とかもいいかもしれないですね。(ここでも僕は左足です)

習慣化してる事を変化させる事って大変なことなんです。ちなみに僕はお風呂も靴もダメでした。

もう一つ、気をつけなければならない要因があって、その行為によって、無意識にストレス対処をしている場合は気をつけなければなりません。ストレスを解消する手段を無理やり辞めてしまうので、反動が大きくなってしまう可能性があります。新しい対処方法を確立してからの方がいいでしょうね。

出来なくて自分はダメだなあって考えると落ち込んじゃいますよね。元に戻っただけって考えてみると少しは気が楽になるんじゃないでしょうか?個人的にそのように考えています。

 

口は災いの元

今回は あるニュース記事をみて、個人的意見として述べてみたいと思います。
あえてどの記事かはここで書くつもりはありません。あしからず。

文章だと書きなおすことができます。例えば、この僕のコラムのコーナーなんて、本当に何度も何度も書き直しばっかしています。自分が思ってた以上に文字にするのは難しいと、悪戦苦闘しています。

言葉はどうなんでしょう?一度言葉として発すると 取り消すことは出来ないですよね。言い間違えたとか、意味が違うとか、ある意味言い訳っぽいなあって自分でも思いながら訂正することしかできないですよね。あとはひたすら謝るとか、僕も本当によくやっちゃいます。

個人だと、口は災いの元、ということわざを教訓として気を付けようとすればいいと、僕は思います。

あえて、個人と書かしてもらいました。では、公人は?

今一度、自分の発する言葉の重みを考えてもらいたいですね。集団を維持するために誰かを犠牲にするのを仕方ないなんて、とても公人の言葉として発したなんて、僕には信じられないです。今までどれだけその人達は人間としての尊厳を傷つけられてきたのか、さらにまだ傷つけるのか、たった一言でも、とんでもない影響力があるんです。なにか思い違いをしてるとしか、思えません。

信頼関係を築くことは、本当に大変なことですよね。それと対照的に、信頼関係を失うことは、本当に簡単です。個人で築いた信頼関係なら、個人の問題です。失っても、個人責任です。
失うかもしれない信頼関係は、一体どれだけの時間と、どれだけの人達の上に築かれた信頼関係だったんでしょうね。

 

 

 

”変われる” vs ”変われない”

人って、”変われる”か”変われない”か、どう思いますか?
みなさん、色々 意見があるんじゃないでしょうか?
”変われる”時もあれば”変われない”時もあるなんて意見もあるかもしれないですね。

では、こうすればどうです?

”変わる” vs ”変わらない”

同じ意味合いなのに、ちょっとニュアンス変えただけで見方が変わったと思いませんか?

どちらも自分の意志で決めることが出来ると思えませんか?

あの人のおかげで”変わる”ことができた、あの人のせいで”変わらなかった”・・・
僕も昔はそんな風に考えたこともありました。

でも、違うんですよね。”変わった”のは自分の意志、”変わらなかった”のも自分の意志なんですよね。

人の本質は”変わらない”って意見もありますが、その人の本質って簡単に定義できるものなんでしょうか?
あなたの本質はこうだから”変わらない”なんて、言われたくないですね、少なくとも僕は。
”変わらない”のは自分自身で決めたことの方がいいですね。

人は、”変わりたい”なら、自分自身で ”変わる”ことが出来ると 僕は信じています。