free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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相談、質問

素直が一番

素直が一番、よく言われますよね。
実際、素直な相手に対応する時って、素直でない相手と対する時と違う対応しませんか。
僕はどうしてもしちゃいますね。
どうもダメなんですよね、どうしても見え見えな気がしちゃって。
余裕がある時はいいんですが、余裕がないとどうしても塩対応しちゃいますね。

自分がこうだからというわけではないのですが、対人関係を円滑にするには素直な対応ってとても重要です。

その場で終わる、ずっと引きずる、ちょっとした心遣いでその後の関係も違ってきます。

悪いことしたなぁって思うなら、下手な小細工をするより素直に謝る方が断然効果的です。
どうしてか、それは相手がスッキリするからです。
確かにその場はけっこうキッツいかもしれませんが、感情を吐き出させればそこで終わります。
仕方ないなあと諦めて、素直に謝ってみませんか。
ちなみに素直に従うではないですからね。
従うって時点で素直とはかけ離れちゃってますからね。

投影〜前回の続き〜

さて、今回は前回のねぇねぇちょっとの内容を心理学用語を使って、検証したいと思います。非常に分かりやすいと個人的に思いますので、是非お読み頂ければ幸いです。

投影という心理学用語があります。どのような内容かというと、書いて字のごとく”影を投げる”、つまり”自分が持っている不快な思考や感情を吐き出し、相手に投げる”となります。

あるものはある、ないものはない、当たり前ですよね。では、相手が思っていないことを自分が感じているっておかしいですよね。ないのにあるんです。もちろん、相手が気を使い、本当の事を言わないってのもありますが、相手の心が読める超能力者でもなければわかりません。

前回の内容に、”お酒好きな人は、私と一緒だと楽しめないのでは”と気になります、とありました。

実際、事実は確かめないとわからないんです。わからない以上、ないんです。では、楽しめないのでは、というのはどこにあるんでしょう。自分の中に、ですよね。自分が楽しめさせられない、と置き換えてもいいかもしれません。

“とりあえずビール”も苦手。苦手という後ろめたさのような感情が、周りと違うという違和感を感じているんです。

周りが違和感を抱くのではなく、自分が違和感を感じているんです。勝手にとつけると分かりやすいかもしれませんね。

弱くても好き、そんな自分をありのまま受け入れ、周りにも確認し、受け入れてもらう。まぁ、自分が思っている以上に周りは気にしていないものなんですが、確認をとり、自分自身納得できればいいのではないでしょうかね。

転入者があいさつ無視

本当に久しぶりになるのですが、色々なケースに適用できると思いますので、ねえねえちょっとの質問に答えてみたいと思います。

二年ほど前、二軒隣に家が建ち、小学生の子のいる夫婦が転居してきたそうです。
時折、朝の通勤時間帯にご主人と顔を合わせる時にあいさつしても目をそらされ無視されるそうです。
でも、間の家の人は”気さくないい人だよ”。
人見知りだと思うようにしていますが、ふに落ちません。

どうでしょう、こちらから話しかけてるのに無視されるってけっこう多くないですか。
そういう時ってけっこうイラっとするんではないでしょうか?
僕だけじゃないと思いたいですが・・・。

今回のこの方も、間の家の人との対応の違いであまりいい気分ではないのではないでしょうか。
他の人と差をつけられると不快な気分になりますよね。

感情は自然に出てくるものなので、例え不快な気分になっても仕方ないものです。
でも、そんな気分になった自分が嫌なので、理性で納得なせようとしてしまいます。
そんな事、思っちゃダメだって自分に言い聞かせるってとこですかね。
人見知りだと思うようにする、
でも、感情を理性で押さえつけようとしても、納得できるものではありません。
だから、ふに落ちない。

どうしたらいいのか。

理性は理性、感情は感情、別々に対処するんです。

理性で一番大事なのは、自分と相手の区別をつける事です。
あいさつをするのも自分の自由、しないのも自分の自由、
あいさつを返すのも相手の自由、返さないのも相手の自由、
つまり、
相手はあいさつ無視という対応をしているんです。
なら、それに対して、今度は自分が対応すればいいんです。
人見知りだと思うなら、それ相応の対応があるはずです。

自分がどうしたいのか、どうしたら自分にとって一番いいのか、
自分は自分、相手は相手、
片想いではなく、両想いになりましょう。
それが、適切な距離感となります。

さて、次は出てきた感情の方です。
出てきたものは処理するしかありません。
処理しない限り、いつまでも残ってしまいます。
感情は爆発力があり、パワーもありますから、理性で押さえ込む事は出来てもなくなりません。
感情が先、理性が後、後悔はさらにその後、ですかね。
ですが、処理さえすれば、スッキリと解消します。

どう対処するのか。
それは、感情を最後まで感じ続けることです。
最期まで感じ続けると、落ち着いてきます。
感情はいつまでも登りっぱなしではないのです。

悪い感情でイメージするとぴんとこないかもしれません。
なら、
良い感情でイメージしてみて下さい。
良いも悪いも同じ感情です。

嬉しい事って、いずれ落ち着きますよね。
つまり、嬉しい感情は最後まで味わっているから落ち着くんです。

なら、悪い感情も同じです。
最期まで味わってしまえば、落ち着きます。
ですが悪い感情を味わうのはなかなか難しいです。
それはそうですよね、嫌な感情なんて味わいたくないですよね。
そこをなんとか踏ん張って、自分の出したものを自分で片付ける、です。

”どうしたらいい?”にちょっと味付けを

悩んでいる事を人に相談する時、
”どうしたらいいと思う?”
なんて聞いたり聞かれたりする事って多くないですか?

で、いざ聞かれた方は真剣に考えて答えてみても
なんとなく相手が煮え切らない答えしか返ってこない事もまた多いのではないでしょうか。

どうしてだと思いますか?

それは心理学的に考えると色々ありますが、
そこまで難しく考える事でもないのではないかな、と個人的には思います。

悩んでいる相手は、既に相談する前に色々考え抜いているんです。
考え抜いているからこそ、答え合わせみたいになってしまうんです。
答えが合わなければ反論するし、煮え切らない態度になります。
答えが合えばあったで、それで満足してしまいます。

ここでいう、答えは、
”私は~したい”に対する~の部分ですかね。

まるでクイズみたいですよね。

でも、さらにその先に進まなければ悩みは解決しません。
だって、”~したい”のが出来るなら悩むわけないですよね。
出来ないからこそ悩むんです。

ならいっそ、

”私は~したい!” けど ”どうしたらいい?”で悩んでみませんか?

自分がしたい事を、自分が出来る事によって、具体的にどのように変わるのか、
どうせ同じ悩むなら、建設的な方がいいですよね。

迷いすぎてこじらせてしまった君に

本の書き出しで時々ですが、
誰々に贈るってありますよね。
普通に読んでる時は
うわぁなんて思っちゃうんですが、
今回は思うところがあって、
あえて
うわぁって思われる側に回ろうかと思います。
少しでも読んで楽になってもらえたら
幸いかなと思っています。

安定した生活、安定した仕事、
安定した関係、安定した収入、等々、
安定って言葉って安心しませんか。
だから人は迷った時に答えを求める傾向があります。
迷った時って、
グラグラ、フラフラ、等々
安定していない状況になってしまっているからなんです。
そんな状況って長く続くと思いますか。
続かないんです。
どうしてかというと、
不安定な状況というのは、
心が常に動いていて疲れてしまうからなんです。
答えがあると、少なくとも
安定して安心できます。
それがあなたにとって、
助けになろうとなかろうと・・・。

でも困ったことに、
心って見えないどころか、
存在も曖昧ですよね。
だからどんどん疲れていってるのに
気付かないんです。
そもそも存在も曖昧なのに、
疲れるって変って思うかも
しれませんが、
だからといって、
変化がないわけではありません。
心も身体もあなた自身です。
ですから、
身体にちょっとした変化が必ず現れているはずなんです。

では一体、どんな変化が現れると思いますか。

それは、調子悪いなぁって病院に行く事ってありませんか?
でも、実際診察してもらって、
別に異常がないって診断が出る時があります。

それなんです。

異常がないなら、調子悪いはずありません。
もちろん、嘘をついてるわけでもありません。
でも、調子悪いんです。
それが、心の疲れから身体に出る変化なんです。

困ったもんだなぁって思うかもしれません。
なんとかならないかなぁって思うかもしれません。

それを、身体が知らせてくれているんです。
なんとかしてほしくて、身体がメッセージを送っているんです。
だって、心も身体もあなた自身なんです。
身体も楽になりたいんです。

では、身体からのメッセージを受け取ったならどうしたらいいんでしょうか?

語弊を恐れずにあえて書くなら、カウンセラーに相談して下さい。

身体からのメッセージは、あなた自身からくるメッセージです。
他の人の身体からくるメッセージではありませんよね。
ですから、経験談、体験談はその人だけのものなんです。
だって、身体違いますよね。
身体違うのに、経験談、体験談が参考になるんでしょうか。
たまたまよくなる事はあるかもしれません。
そもそもそれでよくなる人は問題はありません。
ちゃんと自分で解決してますから。
よくなればいいんですが、
よくなろうとするあまり、
こじらせちゃう、なんて事になってしまう人もいます。
そちらが問題なんです。

カウンセラーは、
その人の身体からのメッセージを、
正確にきいて、適切に対処する、
その技術を身に付けています。

もちろん、カウンセラーが問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは、
困っているあなた自身なんです。
カウンセラーはどうこうしたいという思いに気づいてもらい、
その手助けができる手法を持っているだけなんです。

人が人にできる事は思うほど多くありません。
ですが、安心してください。
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
ちょっとした怪我なら自然に身体って治りますよね。
今は自然治癒能力をちょっと自分で阻害しちゃっているだけなんです。
まさに、
こじらせちゃっている状態なんです。

他人の事はよく気づきます。
反面、自分の事は気づきません。
誰だって、
自分の本当の嫌なとこは知りたくないからなんです。

自分の本当の嫌なとこを知る、
とんでもなく
しんどい作業になります。
つきあう方もまた、
とんでもなく
しんどい作業になります。
お互いしんどい作業なので、
“そんな事ないよ”
と否定したくなります。
否定されると
そうかもしれないと思って
それ以上進まなくなります。
そして、
また同じ事を繰り返す事になってしまいます。
それは仕方ないことなんです。
だって、
自分を守る自然な行為ですから。

否定も肯定もせず、
そのまま進めていくと、
こじらせちゃった問題の本質がはっきりとみえてきます。
それに自ら触れ、受け入れると、
驚くほどあっけなく
問題は解決します。

だって、
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
なんとかできるものを、
自らなんとかしないように、
知らずにこじらせちゃっただけなんです。
誰もができない事はできない事かもしれません。
しかし、できる人がいるなら、
できる事なんです。
違いがあるというなら、
できないようにしているのは、
自分しかいません。
自分で問題をこじらせちゃっているだけなんです。

自分自身をよく知り、
自分の欠点をよく理解し、
自分なりに上手く対処する、
そうすれば、
良くならないわけありません。

もちろん、
身体の異常もなくなっています。
だって、
楽になりたいってメッセージを
しっかりと受け取り、
ちゃんと対処していますから。

すぐにはよくならないかもしれません。
それだけ、長い時間あなたが苦しんできた証だからです。
今まで本当に苦しい思いをしてきたんですね。
でも、よくなります。
よくなるというと本当かよと思われるかもしれませんが、
元の元気だった頃に戻ります。
身体がそのように望んでいるからです。

純粋さというのは力があります。
身体からのメッセージは
よくなりたい、楽になりたいという純粋な思いそのままです。

その純粋な思いに答えるだけで
元の元気だった頃に戻れるんです。
もちろん、簡単ではありません。
ですが、大丈夫です。
身体も心もあなた自身だから。

奇数だから?!

“ドリカムが昔3人だったって最近の子は知ってるのかな?”
なんて会話が出ました。

“それを言ったらポルノグラフィティだって、ELTだってそうだよねぇ”

で、ちょっと考えて、

“ひょっとかしたら、3人って数に問題があるんじゃないかな。
二人が仲良くて、一人が離れてくってあるのかもしれないよね。”

なんて話したら、納得していました。

親密になるのには、会話は欠かせません。
話し手と聞き手、やはり二人です。
カウンセリングも基本、二人です。
そういえば、一人っ子も寂しいと聞きます。

自分で話しながら、けっこう思い当たる事がどんどん出てきました。
一因としてはあるかもしれませんね。

余計な事をしない

この前の事なんですが、ある人と何気ない会話の中で、その人に聞かされた言葉があります。

“余計な事をしない”

その人はよかれと思ってある行為をしたんですが、それが相手には余計な行為だったみたいでトラブルになってしまったそうです。
その人はいい事をしたと思っていたので、人の好意を踏みにじるひどい相手だと憤っていた、とのことです。
でも、トラブルになってしまったのは事実です。
トラブルになってしまった以上、解決するしかありません。
そして、上司に言われたそうです。

“余計な事をしない”

よかれと思った好意はあくまでも自分の考えです。
相手が望んだものではありません。
なら、自分の好意は相手にとって余計な事だったわけです。
余計な事さえしなければ、トラブルにならなかった、というわけです。

それはこの人にとって、ストンと落ちた言葉だったんでしょう。
それからはこの言葉に従って行動して、この人なりに他人との付き合い方が上手くいくようになったみたいです。

こんな経験ってかなり多いんじゃないでしょうか。

余計な事をしてしまうから、問題がこじれてしまう。
余計な心配をするから、相手に苛立ってしまう。
余計な気遣いをするから、何も出来なくなって勝手にイライラしてしまう。
余計な事を考えて、今まで築き上げた関係をダメにしてしまう。
余計な手伝いをして、相手の成長を妨げてしまう。

しかし、このような問題が解決する時は、拍子抜けするぐらいアッサリ解決します。
どうしてなのか?
それは、勝手に自分が問題視してるだけだからなんです。
実際、起きてる事実としての事柄は変わらないんです。
あ、これは余計なんだと気づいた時、今までのわだかまりが驚くぐらいなくなっちゃいます。
数年、もしくは数十年のわだかまりが、です。

言葉とは力を持っています。
いい方向に働けばいいのですが、悪い方向に働いてしまう呪縛にもなってしまいます。

新しいものを手に入れた時って無性に使いたくなっちゃいませんか?
僕はしょっちゅうあります。
飽きるまで使って、やっと適度な距離感が分かります。

最初は呪縛でも、仕方ありません。
距離感を図りかねているんです。
これはこうだからと、言い訳するようになったらちょっと危険なサインです。
自分に言い訳しなければならない事は、到底他人も納得できない事が多いです。

調味料を入れて、自分好みの料理の味付けをします。
その味は、自分好みの味でしかありません。
その味付けを他人に押し付ける人ってそれほどいないんではないでしょうか。
さりげなく、脇に調味料を置いておく、そんなスタンスっていいですよね。

クラクション(スキル)の使い方

以前ある知り合いに聞いたんですが、その人は車のクラクションを鳴らさないそうです。
鳴らされた相手が嫌な気持ちになるからとの事でした。
当時はなるほどねぇと聞いていたんですが、そうかもしれないし、違うかもしれないんですよね。
確かに相手が嫌な気持ちになるかもしれませんが、それはこちらには分からない事なんです。
なるかもしれないし、ならないかもしれない、感じるのは相手の自由なんです。

嫌な気持ちになったのは、以前自分が鳴らされた時の事なんです。
自分が嫌な気持ちになったから人にはそんな気持ちをさせたくない、だから自分は鳴らさない、そんな思考の流れだったんでしょうね。

でも、いずれ葛藤が生じるんです。

誰でもなんですが、信号待ちでぼーっとする時ってありますよね。
その人の前にたまたま青信号なのに動かない車があったとしたら、その人は一体どうするんでしょう。

そのまま待つんでしょうか?
それともクラクションを鳴らしてみて、新たなクラクションの可能性を手に入れるんでしょうか?

なんてちょっと大袈裟に感じるかもしれませんが、なにげなく過ぎていく日常の中にこそ、ちょっとしたつまずきがあるんです。
その時こそ、つまずいた内容を見直すチャンスです。
つまずかせているのは、他でもない、自分自身の思考なんです。

見直せるのは自分しかいません。
自分にとって、もっとより良い方法で日常生活を送ってみませんか?

なんて、通勤途中にクラクションを鳴らされてちょっと考えてみました。
ちなみに僕は嫌な気持ちにはなりませんでしたね。

頑なには(本人なりの)理由がある

頑なな態度を取る人っていますよね。
"なんであんな頑ななんだろう、理解できない"
なんて思わず思っちゃいますよね。
でも、それってお互い様なんです。

だって、相手も頑なに拒否しているなら、こちらも頑なに言うこと聞かせようとしているんです。

こちらに理由があるのなら、もちろん相手にも理由があるわけです。
ただそれが何か分からないだけなんです。

もし、その理由を知りたいなら相手に聞くしかありません。
どれだけこちらが困っているか説明して、そして相手の頑なな理由を聞いてみるんです。
もちろん、相手も同じような手順になります。
そして、お互い歩みよれるようにして問題解決に向かいます。

どちらも困っていて、なんとかしたいという思いは共通なんです。
ただ、それが何か、お互いに理解り合えてないんです。

なんて考えてみると、歩みよってみようと思えませんか?

こちらが歩みよると、向こうも歩みよろうとします。
こちらが拒絶すると、向こうも同じように拒絶します。

どうせ困るなら、より建設的な事で困りたいですよね。

吐き出すという行為

愚痴というのは集団生活を送る上で必ず出てくるものだと思います。
どこかで妥協しなければ上手く周りと付き合っていけない事も多々あるからです。
今まで愚痴なんて言ったことないなんて人はいないんではないでしょうか?
もし、言ったことがないなんて人がいるなら、すぐにでも愚痴を吐き出してください。
愚痴を言う事は悪いことではありません。
むしろ、言わずに溜め込んで余計こじらせた方が後々面倒なことになります。

猫を飼われてる方はよくご存知だと思いますが、猫って毛玉を吐き出します。
毛玉とは、身繕いで身体を舐めた時に飲み込んでしまう自分の毛が固まったものです。
猫は自分の毛を消化する事ができません。
ですから、無理矢理吐き出すしかないんです。
毛玉を吐き出した後は、スッキリしています。
果たして、猫は身繕いを止める事が出来るんでしょうか?
猫として生まれてきた以上、身繕いをする行為が本能でしょうから止めるのは無理でしょうね。

猫って自分が吐き出した毛玉を掃除してくれるでしょうか?
そんな猫がいたら、それはそれで怖いですよね。
毛玉を吐き出すのは猫、それを掃除するのは飼い主、別々の役割なんですよね。
猫って時々甘えてくる時がありますが、ひょっとかしたら感謝を表してるのかもしれません。

愚痴、暴言、罵詈雑言、等々自分が吐き出すものは、自分の中で消化できないものです。
消化できない以上、猫の毛玉のように吐き出すしかないんです。
吐き出す人、それを聞いてくれる人、別々の役割なんです。
吐き出してスッキリしたら、それで終わりではなく、
聞いてくれた人には感謝を、聞かせた人には後でしっかりフォローをすると、
周りとの関係もそれほど悪い感じにはならないかもしれません。
何事もやりっぱなしが一番問題になりますからね。
それに、吐いた事に罪悪感を感じる自分のフォローになるかもしれません。

なんて事を、
コーヒーをおもっきしこぼしちゃって、
暴言吐きながら床掃除してる時に考えていました。
ホント暴言って出ちゃうものですよね。