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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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対人関係

残る言葉

久々にですが、けっこうな風邪をひいてしまいました。
40度近くまで熱が上がったのは10年ぶりぐらいですかね。
元々扁桃腺が弱く、学生時代とか笑い話になるタイミングでよく熱を出して、周りの人逹に看病とかしてもらってました。
ホント迷惑ばかりかけてましたね。

で、今回はある人に言われた言葉を思いだしました。

「馬鹿だから体調管理できないから風邪をひくんだ」

何を屁理屈言ってるんだと思いましたが、僕には全く出てこない言葉でしたね。
悔しいながら、確かにと、妙に納得もさせられました。

自分の中から出てこないものは、僕の場合ですがまずは反発心が出てきます。
多分、悔しいんでしょうね。
それから受け入れるかどうか判断します。
といっても、自分にとって想定外のことは大抵受け入れていると思います。
想定内のことは正直全く残りません。
あ、やっぱりね、ってとこで終わりです。

僕にとっての、新しいものが生まれるというのはこれが基本なのかなと思います。
もちろん、あくまでも僕個人の思考であって、人それぞれだと思います。
というか、人それぞれだからこそいいのではないでしょうか。

自分とは違うからこそ受け入れて、新しいものを生み出してみませんか。

素直が一番

素直が一番、よく言われますよね。
実際、素直な相手に対応する時って、素直でない相手と対する時と違う対応しませんか。
僕はどうしてもしちゃいますね。
どうもダメなんですよね、どうしても見え見えな気がしちゃって。
余裕がある時はいいんですが、余裕がないとどうしても塩対応しちゃいますね。

自分がこうだからというわけではないのですが、対人関係を円滑にするには素直な対応ってとても重要です。

その場で終わる、ずっと引きずる、ちょっとした心遣いでその後の関係も違ってきます。

悪いことしたなぁって思うなら、下手な小細工をするより素直に謝る方が断然効果的です。
どうしてか、それは相手がスッキリするからです。
確かにその場はけっこうキッツいかもしれませんが、感情を吐き出させればそこで終わります。
仕方ないなあと諦めて、素直に謝ってみませんか。
ちなみに素直に従うではないですからね。
従うって時点で素直とはかけ離れちゃってますからね。

いつもと違うことをしてみる

毎年恒例ですが、今年もインフルエンザの予防接種を受けてきました。幸いなことに、今まで一度もインフルエンザになったことはないのですが、予防接種って一度受けると気分的に受けないとかかりそうって思っちゃいます。本当につくづく不安って自ら作り出すものなんですね。

毎年同じ病院で受けていて、去年はすごく混雑していて午前中つぶれちゃいました。この後予定が色々あるので、今年は早めに病院に行ったら、10時前には終わっちゃいました。予想外に時間に空きが出来ちゃって、ちょっととまどっちゃっています。

さて、それではタイトルの内容です。一体なにをしたのか。

僕は基本用がない限り知らない人とは話しません。知らない人に勝手に話しかけられて煩わしく思った事があるからです。面倒に巻き込まれたくないので、やたらめったら他人に関わろうとはしないですね。

でも、今日はなんとなくお医者さんに自ら話しかけてみました。予想以上に早く呼ばれたし、いつもと違うことしてもいいんじゃない、なんて思ったかどうかは定かではありませんが。といっても、ちょっと疑問に思った事を聞いてみただけですが、看護士さんも巻き込んで聞いた事以上に興味深い話を教えてもらえました。

その後、いつもと違い、なんとなくですがそのお医者さんと看護士さんの僕に対する対応が柔らかくなったように感じました。
さりげない、ほんのちょっとしたコミュニケーションって本当に大事なんだなぁって、いつもと違うことをしてみて、つくづく感じました。
気分も悪くないですしね。

投影〜前回の続き〜

さて、今回は前回のねぇねぇちょっとの内容を心理学用語を使って、検証したいと思います。非常に分かりやすいと個人的に思いますので、是非お読み頂ければ幸いです。

投影という心理学用語があります。どのような内容かというと、書いて字のごとく”影を投げる”、つまり”自分が持っている不快な思考や感情を吐き出し、相手に投げる”となります。

あるものはある、ないものはない、当たり前ですよね。では、相手が思っていないことを自分が感じているっておかしいですよね。ないのにあるんです。もちろん、相手が気を使い、本当の事を言わないってのもありますが、相手の心が読める超能力者でもなければわかりません。

前回の内容に、”お酒好きな人は、私と一緒だと楽しめないのでは”と気になります、とありました。

実際、事実は確かめないとわからないんです。わからない以上、ないんです。では、楽しめないのでは、というのはどこにあるんでしょう。自分の中に、ですよね。自分が楽しめさせられない、と置き換えてもいいかもしれません。

“とりあえずビール”も苦手。苦手という後ろめたさのような感情が、周りと違うという違和感を感じているんです。

周りが違和感を抱くのではなく、自分が違和感を感じているんです。勝手にとつけると分かりやすいかもしれませんね。

弱くても好き、そんな自分をありのまま受け入れ、周りにも確認し、受け入れてもらう。まぁ、自分が思っている以上に周りは気にしていないものなんですが、確認をとり、自分自身納得できればいいのではないでしょうかね。

予言の自己実現

予言の自己実現という概念があります。予言というとなんか物々しいイメージですが、簡単にいうと、他人の言葉に乗せられるってとこですかね。

例えば、お医者さんが処方した薬がただのビタミン剤でも、個人によっては思わぬ効果をあげるなんてこともあります。個人差を生じさせるのは受け取り手次第なんですよ。自己実現ですからね。

誉められて伸びる、なんてよく言われますが、誉められることによって自信を持ち、さらに自身が成長していく、それもまた自己実現です。

とまあ、良い方に働くのもあれば、逆もしかりです。悪い方に働くのもあります。

あぁやっぱりね、なんて後で言われちゃうのが悪い方ですね。悪い予言を成就させちゃってますから。悪い評価だと、自信喪失しちゃてどんどんその通りに自己実現しちゃいます。

どうせ同じ自己実現なら、悪い予言を変えたりませんか。他人の評価なんてあとからついてくるものですし、いちいち気にしてたら切りがありません。全部同じになるなんてことはありえません。必ず反対意見は出ているはずです。バランスを保つために。ただ、それを見落としているだけです。

自信喪失しちゃうとオドオドしたり、ビクビクしたり受け身に回っちゃて自ら行動できなくなっちゃいます。まずはできることをちょっとずつやってみましょう。マイナスからプラスに転じるのは思ってる以上に難しいものではありません。できたというちょっとした自信さえあれば、あとは自己実現あるのみです。

判断基準を使い分ける

さて、まさか前回の続きを書く事になるとは思いもしませんでしたが、パソコンが入院するかどうかの決断をする事態になってしまいました。

といっとも、僕の中では既にほぼ決まっていて、入院して直してもらう方向になっています。

その判断基準はなにか、それは以前経験したかどうかという要因は大きいですね。

前のパソコンなんですが、ハードディスクが損傷して大変な思いをしました。

今回はシステム上のトラブルだったんですが、リカバリーして元に戻す作業中、見たこともないエラーメッセージが出てしまいました。

調べてみると、ハードディスクの損傷に関するエラーメッセージでした。

一度痛い目にあうと、人は学習し、同じ事にならないよう対処します。

電化製品等、機械関係は不具合が出た以上いずれ壊れます。ですから、遅かれ早かれ修理が必要になります。

なんとかなるか、なんて曖昧なものが一切入り込む余地がないんです。判断を鈍らせて取り返しのつかない状況を作るのはやはり人なんですよね。

修理するしかない、ですね。

さて、これは機械関係のトラブルだから単純で分かりやすいですが、人間関係に関してはそんな単純ではありません。

以前経験したかどうか、それを判断基準にしがちになりますが、人が絡んでくるとあくまでも同じようであって、同じではないんです。

時、人、場所が違ってる以上、状況が似通っているだけであって、同じはずありません。

ですが、以前痛い目にあっているので同じ思いをしたくないと思い、過剰に反応してしまいます。

それに相手も反応してしまいます。関係性というのはお互いに作り上げていくものだからです。

お互い様状態なんです。ですから、もしどうにかしたいなら、まずは自分から動くしかありません。どうにかしたいから動けるのであって、どうにもしたくないなら動かないですよね。

最終的には自分にとって納得のいく距離感に落ち着きますが、トラブルは少ないほうがいいですよね。

転入者があいさつ無視

本当に久しぶりになるのですが、色々なケースに適用できると思いますので、ねえねえちょっとの質問に答えてみたいと思います。

二年ほど前、二軒隣に家が建ち、小学生の子のいる夫婦が転居してきたそうです。
時折、朝の通勤時間帯にご主人と顔を合わせる時にあいさつしても目をそらされ無視されるそうです。
でも、間の家の人は”気さくないい人だよ”。
人見知りだと思うようにしていますが、ふに落ちません。

どうでしょう、こちらから話しかけてるのに無視されるってけっこう多くないですか。
そういう時ってけっこうイラっとするんではないでしょうか?
僕だけじゃないと思いたいですが・・・。

今回のこの方も、間の家の人との対応の違いであまりいい気分ではないのではないでしょうか。
他の人と差をつけられると不快な気分になりますよね。

感情は自然に出てくるものなので、例え不快な気分になっても仕方ないものです。
でも、そんな気分になった自分が嫌なので、理性で納得なせようとしてしまいます。
そんな事、思っちゃダメだって自分に言い聞かせるってとこですかね。
人見知りだと思うようにする、
でも、感情を理性で押さえつけようとしても、納得できるものではありません。
だから、ふに落ちない。

どうしたらいいのか。

理性は理性、感情は感情、別々に対処するんです。

理性で一番大事なのは、自分と相手の区別をつける事です。
あいさつをするのも自分の自由、しないのも自分の自由、
あいさつを返すのも相手の自由、返さないのも相手の自由、
つまり、
相手はあいさつ無視という対応をしているんです。
なら、それに対して、今度は自分が対応すればいいんです。
人見知りだと思うなら、それ相応の対応があるはずです。

自分がどうしたいのか、どうしたら自分にとって一番いいのか、
自分は自分、相手は相手、
片想いではなく、両想いになりましょう。
それが、適切な距離感となります。

さて、次は出てきた感情の方です。
出てきたものは処理するしかありません。
処理しない限り、いつまでも残ってしまいます。
感情は爆発力があり、パワーもありますから、理性で押さえ込む事は出来てもなくなりません。
感情が先、理性が後、後悔はさらにその後、ですかね。
ですが、処理さえすれば、スッキリと解消します。

どう対処するのか。
それは、感情を最後まで感じ続けることです。
最期まで感じ続けると、落ち着いてきます。
感情はいつまでも登りっぱなしではないのです。

悪い感情でイメージするとぴんとこないかもしれません。
なら、
良い感情でイメージしてみて下さい。
良いも悪いも同じ感情です。

嬉しい事って、いずれ落ち着きますよね。
つまり、嬉しい感情は最後まで味わっているから落ち着くんです。

なら、悪い感情も同じです。
最期まで味わってしまえば、落ち着きます。
ですが悪い感情を味わうのはなかなか難しいです。
それはそうですよね、嫌な感情なんて味わいたくないですよね。
そこをなんとか踏ん張って、自分の出したものを自分で片付ける、です。

”どうしたらいい?”にちょっと味付けを

悩んでいる事を人に相談する時、
”どうしたらいいと思う?”
なんて聞いたり聞かれたりする事って多くないですか?

で、いざ聞かれた方は真剣に考えて答えてみても
なんとなく相手が煮え切らない答えしか返ってこない事もまた多いのではないでしょうか。

どうしてだと思いますか?

それは心理学的に考えると色々ありますが、
そこまで難しく考える事でもないのではないかな、と個人的には思います。

悩んでいる相手は、既に相談する前に色々考え抜いているんです。
考え抜いているからこそ、答え合わせみたいになってしまうんです。
答えが合わなければ反論するし、煮え切らない態度になります。
答えが合えばあったで、それで満足してしまいます。

ここでいう、答えは、
”私は~したい”に対する~の部分ですかね。

まるでクイズみたいですよね。

でも、さらにその先に進まなければ悩みは解決しません。
だって、”~したい”のが出来るなら悩むわけないですよね。
出来ないからこそ悩むんです。

ならいっそ、

”私は~したい!” けど ”どうしたらいい?”で悩んでみませんか?

自分がしたい事を、自分が出来る事によって、具体的にどのように変わるのか、
どうせ同じ悩むなら、建設的な方がいいですよね。

ストレスを溜め込む人、溜め込まない人

“ストレスも生きていればつきもの”

ある人の言葉からちょっと考えてみました。

当たり前ですよね、他人と関わる以上、自分の思い通りにばかりなるわけないんですから。

自分の思い通りにならないから、ストレスになるわけです。

でも、中には

“ストレスなんてないよ”なんて人もいます。

でも、ストレスがないよという人の言葉もその通りだと思います。

矛盾してますよね。でも、その矛盾のままでいいんです。

何が違うんでしょう。

ちょっとだけ昔を思い出して下さい。

“部屋を掃除しなさい‼”

なんて怒られた事ありませんか。

僕はしょっちゅうありました。今もありますが。

散らかしたものは散らかったまま、出したものは出したままなんです。

部屋の乱雑さは目に見えますから、他人も煩わしく思い、ついつい片付けろと言っちゃうわけです。

怒られるのは嫌ですが、見たくないものを見せられるのも嫌ですよね。まぁ怒るのも仕方ないかと納得するしかありませんよね。

部屋の掃除のように、

自分で出したものを、自分で片付ける。

当たり前の事です。

それを、やるかやらないか、だけなんです。

やってる人はストレスは溜まりません。

出したものを、すぐに片付ける、

後回しにして、ごちゃごちゃになって、何から片付けたらいいか分からなくなる、

どちらの方がいいですか?

迷いすぎてこじらせてしまった君に

本の書き出しで時々ですが、
誰々に贈るってありますよね。
普通に読んでる時は
うわぁなんて思っちゃうんですが、
今回は思うところがあって、
あえて
うわぁって思われる側に回ろうかと思います。
少しでも読んで楽になってもらえたら
幸いかなと思っています。

安定した生活、安定した仕事、
安定した関係、安定した収入、等々、
安定って言葉って安心しませんか。
だから人は迷った時に答えを求める傾向があります。
迷った時って、
グラグラ、フラフラ、等々
安定していない状況になってしまっているからなんです。
そんな状況って長く続くと思いますか。
続かないんです。
どうしてかというと、
不安定な状況というのは、
心が常に動いていて疲れてしまうからなんです。
答えがあると、少なくとも
安定して安心できます。
それがあなたにとって、
助けになろうとなかろうと・・・。

でも困ったことに、
心って見えないどころか、
存在も曖昧ですよね。
だからどんどん疲れていってるのに
気付かないんです。
そもそも存在も曖昧なのに、
疲れるって変って思うかも
しれませんが、
だからといって、
変化がないわけではありません。
心も身体もあなた自身です。
ですから、
身体にちょっとした変化が必ず現れているはずなんです。

では一体、どんな変化が現れると思いますか。

それは、調子悪いなぁって病院に行く事ってありませんか?
でも、実際診察してもらって、
別に異常がないって診断が出る時があります。

それなんです。

異常がないなら、調子悪いはずありません。
もちろん、嘘をついてるわけでもありません。
でも、調子悪いんです。
それが、心の疲れから身体に出る変化なんです。

困ったもんだなぁって思うかもしれません。
なんとかならないかなぁって思うかもしれません。

それを、身体が知らせてくれているんです。
なんとかしてほしくて、身体がメッセージを送っているんです。
だって、心も身体もあなた自身なんです。
身体も楽になりたいんです。

では、身体からのメッセージを受け取ったならどうしたらいいんでしょうか?

語弊を恐れずにあえて書くなら、カウンセラーに相談して下さい。

身体からのメッセージは、あなた自身からくるメッセージです。
他の人の身体からくるメッセージではありませんよね。
ですから、経験談、体験談はその人だけのものなんです。
だって、身体違いますよね。
身体違うのに、経験談、体験談が参考になるんでしょうか。
たまたまよくなる事はあるかもしれません。
そもそもそれでよくなる人は問題はありません。
ちゃんと自分で解決してますから。
よくなればいいんですが、
よくなろうとするあまり、
こじらせちゃう、なんて事になってしまう人もいます。
そちらが問題なんです。

カウンセラーは、
その人の身体からのメッセージを、
正確にきいて、適切に対処する、
その技術を身に付けています。

もちろん、カウンセラーが問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは、
困っているあなた自身なんです。
カウンセラーはどうこうしたいという思いに気づいてもらい、
その手助けができる手法を持っているだけなんです。

人が人にできる事は思うほど多くありません。
ですが、安心してください。
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
ちょっとした怪我なら自然に身体って治りますよね。
今は自然治癒能力をちょっと自分で阻害しちゃっているだけなんです。
まさに、
こじらせちゃっている状態なんです。

他人の事はよく気づきます。
反面、自分の事は気づきません。
誰だって、
自分の本当の嫌なとこは知りたくないからなんです。

自分の本当の嫌なとこを知る、
とんでもなく
しんどい作業になります。
つきあう方もまた、
とんでもなく
しんどい作業になります。
お互いしんどい作業なので、
“そんな事ないよ”
と否定したくなります。
否定されると
そうかもしれないと思って
それ以上進まなくなります。
そして、
また同じ事を繰り返す事になってしまいます。
それは仕方ないことなんです。
だって、
自分を守る自然な行為ですから。

否定も肯定もせず、
そのまま進めていくと、
こじらせちゃった問題の本質がはっきりとみえてきます。
それに自ら触れ、受け入れると、
驚くほどあっけなく
問題は解決します。

だって、
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
なんとかできるものを、
自らなんとかしないように、
知らずにこじらせちゃっただけなんです。
誰もができない事はできない事かもしれません。
しかし、できる人がいるなら、
できる事なんです。
違いがあるというなら、
できないようにしているのは、
自分しかいません。
自分で問題をこじらせちゃっているだけなんです。

自分自身をよく知り、
自分の欠点をよく理解し、
自分なりに上手く対処する、
そうすれば、
良くならないわけありません。

もちろん、
身体の異常もなくなっています。
だって、
楽になりたいってメッセージを
しっかりと受け取り、
ちゃんと対処していますから。

すぐにはよくならないかもしれません。
それだけ、長い時間あなたが苦しんできた証だからです。
今まで本当に苦しい思いをしてきたんですね。
でも、よくなります。
よくなるというと本当かよと思われるかもしれませんが、
元の元気だった頃に戻ります。
身体がそのように望んでいるからです。

純粋さというのは力があります。
身体からのメッセージは
よくなりたい、楽になりたいという純粋な思いそのままです。

その純粋な思いに答えるだけで
元の元気だった頃に戻れるんです。
もちろん、簡単ではありません。
ですが、大丈夫です。
身体も心もあなた自身だから。