free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

自分自身

誤った信念(考え)の結果

不快な思いをすることってありませんか。
誰もが同じ場所で生活している以上、その一人一人に考えがあって、その考えに基づいて行動しています。
その行動が場に即しているなら問題ないですが、場に即してない行動をされると、おいおい、て思っちゃいますよね。
一番分かりやすく、判断に困らないのは職場ですね。
仕事をする場なのに、それに相応しくない行動を取るのは分かりやすいと思います。
もちろん、判断をするのも人ですから、それが正しいとは限りません。
ひょっとかしたら、なんて思うのは大事だと思います。

ですが、結果論になりますが、誤った信念(考え)に基づいた行動というのは長い目を持たずとも自然淘汰されます。
つまり、相応しくないと判断されてその場からいずれいなくなりますね。
残念ながら、それは仕方ないことなんです。
職場というものは、ちゃんと目的があって、それに向けた集団である以上、相応しくない行動を取り続ける以上、自ずと結果がついてきます。
おやっと思ったなら、自分の行動から見直し、信念(思考)を確認するのが大事だと思います。
自分が正しいかもしれないけど、正しくないのかもしれない、
非常に矛盾したことなんですが、周りから思った反応が返ってきてない以上、見直さないといずれ取返しのつかないことになるかもしれません。

自分は被害者だ、と思うことがあるかもしれません。

ですが、それが周りから思った反応が得られない時は思い直して下さい。

本当に被害者だと周りが思ってる時の反応は暖かいものです。
見過ごせないと、必ず力になってくれる人が現れます。

そんな反応が得られない時は、この言葉を唱えて下さい。

お互い様、と。

自分が被害者だと思っている、相手も被害者だと思っている、
周りからの反応が得られない以上、一般常識的に考えて相手の方が正しいんでしょう。

自分の非を認める行為は難しいですが、不可能ではありません。
過ちを犯すがやり直す機会もあります。
やり直すためには、自ずから変わるしかありません。
自ずから変わった人は、自信に溢れ、非常に強いです。
悩み、迷い、自分で答えを出して、それに対し周りも評価してくれる、
自信にならないわけありません。

力強い言葉を発する人は、それなりの土台がある、です。
失敗した経験がある人は、更に力強いです。
失敗を乗り越え、今があるからです。
もし、また失敗しても、またやり直す事ができるでしょう。
更に、言葉に深みを持たして。

そんな人に成りたいですよね。

河村市長の写真燃やす動画

札幌の不自由展作品「法的措置検討する」

これはヒドイ。
今日はこらむ書く気はなかったんですが、新聞見て気が変わりました。

なんでも表現の自由ってうたえば個人攻撃していいって思考、どうにかなりませんかね。

こういう言い方もどうかと思いますが、僕も同じこと、書かせてもらいます。

同じ中日新聞の今朝の朝刊(12月24日)に、岐阜の中学校のいじめに関する記事が記載されています。
やってること、同じと違います?

おい、河村生意気だよな、写真燃やしてやれ、
センセー、表現の自由ってのですよー。
これはあくまでも芸術ですよー。
てか。

市民に考えてもらうって、バカにしすぎでしょ。
戦時中じゃあるまいし、ちゃんと選挙で結果でるっしょや。

自分がやられて嫌なこと、人にするな、
自分の事で分からないなら、大事な人がやられて嫌なこと、人にするな、

守らなければならない立場の人は、しっかり壁役を、
私で出来ないなら、公で、仕事として割りきって壁役を。

解り合えない人もいる

個人的な話しになりますが、高校時代からずっと美容院は変えていません。
その美容院もどうやって決めたかというと、母親の紹介という理由なんですよ。
めんどいのが嫌いなのか認めている人の意見には従うのか、どちらが先なのか定かではないですが、そんなとこ、ありますね。
もちろん、だからといってそればっかではないですよ。
めんどかろうがこだわるときはこだわるし、認めている人の意見に反発する時もありますし、まあいい感じに矛盾しているんでしょうね。
ちなみに僕には妹がいますが、妹も同じ感じで美容院に行き、違う美容院を選択しています。
同じ環境で育っても、同じ選択を取るとは限らないということなんでしょうね。

それだけ付き合い長いですから、僕が働きながらカウンセラーもやってることももちろん知っています。
で、この前ある相談事を受けて話したことなんですが、世の中には道具が溢れていて、いかにそれを使うかだけ、と話したんです。
僕はカウンセラーになってから以前に増して世の中のニュースを見聞きするようにしています。
僕にとってはこれほど有効活用できる道具はないと思うからです。
主観的にも客観的にも自分の考えの確認ができますし、いい意味で自分と他人の違いの確認もできますし、生きた事例だと思いますし、まさに宝の山やなんて感じですかね。

で、タイトルです。

いいや、誰だって解り合えるという人ももちろんいるでしょうが、どうも僕はその考え方ダメなんですよね。
だって、マウント取ってボコボコ一方的に殴ってるイメージじゃないですか。
反転させてもらうならまだマシなんですが、そんな人はさらに倍返しなんて感じなんですよね。

だから、僕はゲシュタルト療法の考え方しっくりくるんですよね。

あなたはあなた、わたしはわたし。

別に同じじゃなくていいんじゃない、それでいいんじゃない、そんな感じですかね。

でも、だからといって押し付けるのはマウント取ってるのと同じですからね。

選択するのはあなた次第、てとこでしょうかね。

自分が納得できるのが一番、です。

あおり運転免許取り消しへ

基本的には個人としては賛成ですね。
守れないではなく、守らないですからね。
集団から退場してもらうのも仕方ないでいいんではないでしょうかね。
ただ、基本的に、です。

どうも色々な事柄について、最近の流れは過剰に反応し過ぎてるように感じます。

ちょっと過保護すぎるでしょ、成長しないよとどうしても思える事柄も多々個人的に感じます。
まあ、自己保身は生物として当たり前のことですから責任問題で叩かれるよりはと考えちゃうんでしょうね。

だからといって、一方的というのは個人的に納得できないとこですね。

備えあれば憂いなし、
冤罪が増加するのも目に見えてますので、セルフケアの考えの応用でドライブレコーダーを備えた方がいいでしょうね。

その部分だけ切り取られるのが目に見えます。
原因を見ずに結果だけなんて一方的ですから。
やってないのにやったなんて絡まれても嫌ですからね。

客観的物的証拠、これに尽きます。

大学時代の女子会面倒

今回のねえねえちょっとの相談は、僕も年二回高校時代からの友人達と飲み会をしてる経験も踏まえ、考えてみたいと思います。

大学の同級生の女子会に行くのがおっくうです。
私は二十五年前に三重県に嫁ぎ、私以外の五人は郷里の兵庫県にいます。
女子会は半年に一度ですが、場所は兵庫か大阪。
往復の交通費や時間などを考えると大変で、「たまには三重か愛知で」と誘っても、お茶を濁されます。
もう行くのが嫌ですが、付き合いは続けたい。
どう伝えればいいでしょうか。

以前は僕も京都までよく出掛けてましたので、兵庫か大阪まで行く時間と交通費を考えるとホント大変ですよね。
もう行くのが嫌になるのもよく分かります。
かといって、長い時間をかけた付き合いも続けたい。
よく分かりますね。

さて、どう伝えればいいかですが、
コミュニケーションの基本は、本音を分かりやすく、端的に、です。
とは言っても、角が立ってはもちろんダメです。

まずは、どれだけの時間と交通費がかかっているか、
目で見て分かるように説明してみて、
長年自分がいかに頑張って(我慢して)きたか、分かってもらいます。
我慢してないと思うかもしれませんが、
理性で押さえつけてるだけで、負担というものは貯まっていくものです。
それが、いずれ爆発してしまう。
溜め込むという行為はそんな自然の流れです。
自分自身に言い聞かせる、それは既に我慢しているとなるのです。
誰かの犠牲の上に成り立っている関係は、いずれ必ず破綻します。
そうなる前にガス抜き、見直しが必要になってきます。
とはいっても、なかなか難しいものです。
人は誰もが面倒事は反射的に避ける傾向があります。
まさにお茶を濁す、です。
ですから、落とし所をどこにするか予め考えておきます。
ここまでは妥協できる、そんな最低ラインです。
最初は高めの要求を提示してみて、そこから要求を落とし、こちらも妥協しましたよ、
なんてアピールできればいいかな、と。
もちろん、曖昧でなく具体的に、です。
まとまればオッケーですが、まとまらなければ撤退しかないかもしれません。
現実問題、五対一ですのでこちらの方が可能性は高いでしょうね。
多数決とはそんな仕方ない、ある意味理不尽なものなんです。
そんな時は、誰かを悪者にして仕方なく感をアピールするのもありかな、と。
もちろん、身内の誰かをですよ。
まあ、旦那さんを悪者にするのが一番いいでしょうね。
噓も方便です。
実はこうこうこうで、本当は参加したいんだけど、ごめんね、と。
行ける時もあるかもしれないから連絡はしてね、なんてしれっと言えれば御の字かと。
結びつきが強化される一番の近道は共通の敵を作ることです。
それを上手く利用して、関係を維持する方向にもっていく。
まあ、長年の付き合いでしょうから家族関係もお互い把握しているかもしれませんが、そこは臨機応変で。

名古屋トーチ事故生徒 学校通えず

暴言、中傷、心にも傷
教員「罸が当たった」 ネットで「下手だから」

さて、最初にまずはお断りしておきます。
今回のこらむの内容も、前回の関連記事のこらむの内容も
あくまでも僕の個人的思考によるものです。
どうしても、僕には許せないことがあって、
それはカウンセラーとしては致命的かもしれませんが、
それを自覚しても、それでも、取り上げたいと思い、書かせてもらいました。
気分を悪くされる方もおられると思いますが、一つの声として読んでもらえたら幸いです。

今朝、9月17日付の中日新聞朝刊の記事の内容です。

内容は省かせてもらいますが、こうなる結果は予想の範疇だったはずです。

名古屋市教委は8月13日付で、火を付けた棒を使うトーチトワリングを本年度は実地しないよう市立の全中高校に通知。

すぐに取り止めの判断は素晴らしいと思います。
ですが、どれだけ安全対策をしようが、前回も書いた通り、
でかい火遊びです。
事故は人が行う行為である以上、ヒューマンエラーはなくなりません。
でかい火遊びはダメ、それで禁止でいいのではないでしょうかね。

ですが、今までがんばってきたことができなくなった不満はどこに向かうのか、
そんなの、一ヶ所しかありません。
向かわれた方は、たまったもんではありません。
本当、たまったもんではないですよね。

学校という集団の中で、色々な意見もある中、動くのは難しいのかもしれませんが、
それでも、動く時に動かないのはやはり問題と言われても仕方ないことなのではないでしょうか。
関係各所で、今回の件で関わってる方には耳の痛い話しだとは思いますが、
十分に反省をしてもらい、同じようなケースで二度と同じような対応をしないようしてもらいたいものです。

人は、自分に都合のいいものしか見ないし、聞きません。

物事には、必ず良い面、悪い面、二つあります。

立ち位置によって、見方が変わります。

悪口に聞こえるかもしれませんが、向こうに言わせれば正当な意見だと言うかもしれません。

自分が主張する以上、相手にも主張する権利があります。

ですから、主張は仕方ないことなんです。

ですから、見たくないものは、見ないでいいんです。

聞きたくないことは、聞かなくていいんです。

余裕が出来てから、

それから見たり、聞いたりすればいいんです。

それで、いいんです、はい。

余裕を取り戻すまで、味方をしてくれる人たちに頼ればいいんです。

必ず、学校の中にも味方をしてくれる人はいるはずです。

嫌なことは、嫌、とハッキリ言える人は必ずいます。

学校にいなくても、どこかにいます。

ゆっくりと、ゆったりと休息をとって、余裕を取り戻してもらいたいと、

切に願っています。

どうする?トーチ演舞

今回は、9月5日の中日新聞朝刊の記事について考えてみたいと思います。

というか、僕の結論を書かせてもらいます。

全くもって、考える必要もありません。
ここまでハッキリ書くのもどうかと思いますが、即刻止めるべきです。

練習中にトーチに巻いたタオルに染み込ませた灯油がたれ、服の袖に付着し、火を付けたトーチを振った時に引火し、右腕やひじに大やけどを負った。

今回の事故の内容です。

中学生の子供にとって、どれだけの恐怖ですか。
周りで見ている子供達も、どれだけの恐怖を感じたか、
本当に、心が痛みます。

市内では例年、十件前後の小規模なやけど事故が起きていた、
全くもって、お話しにもなりません。

まさに、起こるべくして起きた、人災です。

花火と一緒です、
見るだけでも十分感動できます。

演舞は大人が自己責任でやればいいんです。
それを子供達に見せて、感動してもらえばいいんです。
自己責任を持てない未成年に、危険なことさせて、どうするんですか。

子供が例えやりたいといっても、大人として、止めるべきです。
火遊び見つけたら、普通に叱るでしょ、
なにが違うんですか、でっかい火遊びでしょ。

体験して、良い思いでなんていっても、
こんな事故が起こってるのに、それでも言えますか。
感動じゃなく、達成感と違いますか?
自分の大切な子供が同じ事故にあっても、
同じことが言えますか?

今回は、ちょっと(かなり)思うところがあったので、書かせてもらいました。
気分を害された方がおられたら、本当に申し訳ありません。

呼吸で整える

カウンセリングの場でも、普段の生活でも多用する手短な方法として、呼吸法があります。

例えば、イライラするなあ、なんて時、呼吸を整えると、案外落ち着くものです。
僕は結構、多用していますね。

方法なんですが、重点は吸う方ではなく、
吐き出す方に意識を向ける、ですね。
鼻から吸った時間と同じぐらい、ゆったりと口から吐き出す、ですね。

数度繰り返すと、落ち着きます。

寝る前にやってみるのも効果的らしいです。

僕は寝付きいいもので、先生からの受け売りですが。

手短で効果的、
胡散臭いかもしれませんが、普段の生活に取り入れてみたらどうでしょうかね。

 

事前に備える

今朝の事なんですが、コンビニから出るのに、右折しようとして待ってる車がいたんですよね。
合流する車線が信号変わったばっかなのに、全然混んでもいないのに。

左折して出りゃすぐいけるやん!何、その無駄な時間!!

僕の思考パターンでは、そういう判断しかできないんですよね。

全く知りもしない人なんですが、もし日常生活で関わるなら間違いなくトラブルになる思考の持ち主の人です。
あくまでも僕にとってはですがね。

出来事が起こった時に、条件反射でパンっと出るのが自動思考というものです。
その自動思考によって、行動と感情が決定します。

分かっているのにどうしても怒っちゃう。
あ~またやっちゃった。

後で後悔するのには、自動思考が関わっています。
まあ、後に悔やむから後悔なんですがね。
仕方ないんです、自動で出てくる思考ですからね。

とはいっても、嫌ですよね、後悔ばっかするの。

だから、対策を取るんです。

自分の弱点、自動思考を特定すれば、対策できますよね。
ぱっと出てくるから、行動を一つ付け足す、みたいな。
なんでもいいんです、手をたたくでも、握るでも、
なにか癖をいれちゃうイメージですかね。
ああ、いかんいかんてな感じですかね。

できる、できないではないんです。

誰もができないことなら、それはできないことです。
時間がかかるかかからないか、です。

まあ、これは自分の思考を直すという行為ですが。
直したくないなら直さなくていいと、個人的には思っています。

問題を解決するのに、もっとも大事なことがあります。

自分が納得すること、です。
自分が納得していないなら、何も変わりません。
直したくないのに直せと言われても直したくないですよね。
表面上をいくら装うが、見る人が見ればバレバレです。

人は変わらない、です。

でも、自分が納得しているなら、話しが違ってきます。
人は自分から変わる、になります。

事前にトラブルに備えておけば、いざという時、困りません。
自分が困らないように、
自分のために、
自分が出来ることを、
事故防衛として、備えましょう。

習慣を変えるということ

つい最近の事ですが、友人も同じ習慣を変えた事を知りました。
2~3ヵ月、1日、
同じ習慣を変えるのにかかった日数です。

さて、どちらがどちらでしょう?

もちろん、僕は専門家です、ですから分かりますよね。

なんて言いたいのですが、残念な事に僕は2~3ヵ月かかりました。

話を聞いた時、マジビビりました。
まさかたった1日で変えたなんて、と。
僕が2~3ヵ月もかかったのに・・・飲みの席でしたので、うっとおしく絡んでやりました、悔しかったので。
昔から出来る奴でしたので仕方ないですよね。うん、仕方ない・・・。

少々愚痴っぽくなってしまいましたが、どんな習慣を変えたかというと、
歯ブラシを濡らしてから歯磨き粉を塗るか、
歯ブラシを濡らさずに歯磨き粉を塗るか、
つまり、毎日欠かさず行う歯磨きの習慣です。

これほど分かりやすい習慣を変えるというケースはないです。
誰もが小さい頃から毎日欠かさず行ってきた行為、
それを意識して変化させ、今まで通り自然に呼吸するが如く変化させる。
非常に難しいと、僕は思います。
たった1日で変えた奴もいますが・・・。

イコールではないですが、有言実行と不言実行に近いです。
意識して出来るのは当たり前、
だって、自然ではないですよね、意識してますから。
意識してない時に出来るようになって、それがずっと続くようになれば習慣が変わり根付いたという事です。

1日目から強い意志をずっと持ち続け、無意識化でも濡らさず歯ブラシをする。
その一方、
何度も歯ブラシを無意識化で濡らしてしまい、あちゃぁと朝っぱらから思ってしまう。
・・・個人差が現れますね。

今までの自然が不自然に、不自然が自然に、
歯磨きという対した事ない習慣の変化ですが、達成した経験はいい経験だと個人的には思います。
時間の程度は個人によって違いますが、要は達成さえすれば、いいんです。
そう、いいんです。
大事な事ですんで、2回書いときました。

どんな事を変化させたいか、
変化する内容は違えど、辿る過程は一緒ですからね。