free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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自分自身

あなたはあなた、私は私

常に顔を合わせる関係ってのもいいものですが、たまにしか会わない関係ってのもいいものです。

以前会った時の状況が変化していて、話しをするだけでいい時間を過ごすことができます。

さて、そんな知り合いとつい最近会いました。
以前会った時は、色々悩みが多く、かなり辛そうだなって思ったものですが、上手く対処していました。
それだけでもよかったなって素直に思います。

今回はまた、違う相談を受けました。

どうも、骨髄バンクに登録したい、とのことです。
どう思う?と聞かれましたので、
”大賛成”、と速攻答えました。

人が人にできることは、多くありません。
なぜなら、人は自ら決断し、行動するからです。
例えアドバイスを受け、その通りにしたとしても、
その人がそのアドバイスを自ら決断し、行動した結果でしかありません。
それは、人が人に何かしたことにはなりません。

骨髄バンクに登録する、という行為は
人が人にできることだと、僕は思います。

それを自ら決断し、行動したい、
何を反対する理由があるんでしょうか。
その決断を尊重する、
ですから、大賛成なんです。

なんかいい話っぽくないですか。
でも、タイトルとなんか違くないかい、なんて思いませんかね。

さて、それでは続きを。

”でも、俺はしないけどね、だって痛いのキライだから。”

あなたはあなた、私は私・・・。

 

自分にとって必要なもの

今回の内容はちょっと(かなり)極論かもしれません。
あくまでも参考程度に読んでもらえれば幸いです。
では、

僕にとって、なくなってしまったら困ってしまうものは沢山ありますが、
本当に困ったことになってしまうものがたった一つあります。
それは何かというと、
”フリスク”なんです。

今はかなり症状はマシになりましたが、数年間、花粉症の症状にひどく苦しめられました。
そんな時に出会ったのが”フリスク”です。
たった二粒、それでくしゃみが出ちゃうんです。
強制的にくしゃみを出すと、くしゃみが止まるんですよね。
もうホントびっくりです。
ちなみに似たような商品を色々試しましたが、他は全くダメでした。

それからは忘れ物はあっても、フリスクは忘れずに持ち歩いています。
それだけではなく、常に鞄の中には数個のストックがあります。

なくなってしまったら、本当に困ってしまいます。
他の物では代用できません。
フリスクだけが僕の要求に答えられるんです。

さて、
なくなって困ってしまうが、代用ができるもの、
なくなって困ってしまい、代用ができないもの、
言葉的には似通っていますが、違いますよね。

あくまでも、自己責任の範疇ですが、
自分の要求を曲げてまで、続けなければならないものって本当に必要なものなんですかね。
自分の要求を曲げてまで、続けているのになんで、なんて思わせるものって必要なんでしょうかね。

話して通じないものって、本当に必要なんでしょうか。
話して通じないのに、続けるのに意味があるんでしょうか。

そんなもの、代用品が必ずあります。

無理をすると、どこかに歪みができます。
早めに手を打たないと、歪みはどんどん広がります。
手を打てるのは、自分自身だけです。

選択は後悔を含む

何かを選ぶということは、何かを選ばないということです。
そこには後悔は付き物だと思います。
あの時あっちを選んでいれば今頃・・・なんて後悔したことってありますよね。

誰だって何かを選択して、そして選ばなかった事を後悔するものなんです。

問題が大きかろうが小さかろうが、それは些細な問題です。
悩んでいる以上、その人にとってそれは大きな問題なんです。
たいした問題ではない、なんて本人がいうのであればそうなんでしょうが、他人が判断するものではありません。
選ばれなかった方を支持していた方は、それみたことかと言いたい気持ちも分からなくはないですが、そんなあなた自身も選択している以上、同じ事をしているはずなんです。

本人の問題は、本人だけのもの。
後悔も本人だけのもの。

それをそのまま、受け止めてあげましょう。

遺伝か環境か

個人的意見ですが、血液型で性格判断というものがどうも苦手です。
人をたった四種類に分けてしまうのって傲慢な気がしてしまってあまり好きな考え方ではありません。
統計学的な考え方ですから、それを考慮していればいいんですが、どうもそれを根拠に人付き合いしている人の話にはどうしても反発心が生まれてしまいます。
性格は遺伝する、というのもどうもダメですね。
生まれた時にすでに決まっているなんて、面白味も何もあったもんじゃないなんて考えてしまいます。
ですから、僕は環境が人を形成するって昔から考えているんですよね。
そこから何を学び、何を信じ、どのように感じ、どういった行動をするか、
各々違うからこそ、色々な可能性があって面白いんじゃね、って思っています。
人は自ら選択し、成長するからこそ面白いと考えていますね。

ですが、ちょっとした話しを聞いて思わずその考え方が揺らいでしまいました。
余談ですが、自分が信じている考え方が揺らぐ体験ってのはとても重要です。
新しい可能性、新しい考え方を獲得できるチャンスなんです。
レベルアップなんていうと語弊があるかもしれませんが、間違いなく考え方の幅が広がり、視野が広がります。
個人的体験ですと、自分の今まで信じてきた根っこの部分がぐらんぐらん揺らぎまくり、自分にとっての正解が分からなくなります。
で、最終的に、今まで否定してきたものを
”それもありじゃね”
と思うようになりますね。軽薄に聞こえるかもしれませんが、あくまでも個人的意見、感覚ですんでそれを考慮して頂ければ幸いです。

話しが逸れてしまいましたが、どのような話しを聞いたかというと、
その人は、子供と一緒に過ごした期間は一年と半年程だったそうです。
それからは全く子供と会う事もなく、十数年過ごしていました。
その後色々あって、別れた奥さんと連絡をとるようになり、子供の話しを聞いたそうです。
その感想が、
”え、それって俺じゃね”
だったそうです。
奥さんも元々同意見だったようで、
”まるで誰かさんみたいじゃない”
だったとのことです。
二人とも同じ人物を想像していました。

その話しを聞いて、
”環境じゃなく、遺伝なの”
と、考えが揺らいでしまいました。
十数年かかった話しですので、重みがあり、簡単に否定もできません。

ですが、否定する必要はないのかもしれません。
あった以上、それは確実に存在しているからです。
ですから、
”それもありじゃね”
でいいのかな、なんて考え直しました。
流石に時間はかかりましたが・・・。

まあ、同じような思考を学習したから同じような感情が出て、同じような行動をするって考えもできるんですが、それで否定してしまうってのもまた、もったいないですよね。

そこまで思考で考えてみると、色々とごちゃごちゃとしてしまいます。
どこまでいっても際限なくなっちゃいます。

で、結局、頭で考えるんじゃなく、心で感じろ、なんてどっかで聞いたような言い回しに落ち着いちゃうんですよね。

何事にも目的がある

ルール、決まり事って好きですか?
なんて聞かれて好きって答える人ってそれほどいないんではないでしょうか?
まず、質問のニュアンス的に否定的答えを期待している気がしちゃいませんか?
だからなんとなく、流れを読んで否定しとこっかみたいな感じで答えちゃうとこってありませんかね。
まあ実際、書いてる本人である僕自身が認めてますからその通りなんですが・・・。
あとはまあ個人的に他人に縛られるってあまり好きな人っていないような思い込みですかね。

少し脱線しちゃいましたが、本題に戻すと、ルールとか決まり事ってめんどいってどうしても思っちゃうんですよね。
なければなくてもいいものもあるとは思うんですが、それはあくまでも個人的見解であって、ルールを設定した側にはもちろん、目的があったはずなんです。

そもそも何も問題がなければ、ルールとか決まり事って必要ないから存在すらしないんではないんでしょうか。
よくいう、良心、道徳心、一般常識に頼るみたいな感じですかね。
まあこれも個人的見解ですが、その考え方も後々は揉め事を誘発するとは思うんですが・・・。
人それぞれ価値観違いますからね。

で、結局のとこ、守れない、トラブルが多い等々でルールとか決まり事ができちゃうわけなんです。
仕方ないことなんですよね、めんどい事なんですけどちゃんとした目的があるんです。
当たり前すぎて意識すらしないですが、交通ルールとかそうですよね。
となると、守りさえすれば問題は起きないはずなんです。
大事なんですよね、ルールとか決まり事って。
めんどいですけど。

さて、実はこれを言いたかったのですが、めんどくさい人っ周りにいませんか?
本人は自覚できませんが、他人からみるとそう感じる人っていますよね。
という僕もめんどくさい人間だと自覚しています。まあ自覚してますんで許してねってとこですかね。
その人にはその人なりのルールとか決まり事があるんです。
というか、それがなければその人は困ったことになっちゃうんです。
ですから、仕方ないことなんです。

そう考えたら、少しだけ許せちゃう気になりませんか?

誉められると感謝の違い

個人的なことですが、誉められる事が実は昔から苦手です。
自分にとって、当たり前の事を、当たり前にしてるのに、なぜ誉められなければならないのか、どうしても根っこの部分で分からないからです。
自分がやりたいことを自分勝手にやってるだけなのに、
「偉いねえ」
なんて言われるとどうしても反発心が出てきます。
”いやいや、偉いことなんか、何もしてないし”
と、思った通り反論したり、
”ありがとうございます”
と、社交辞令で交わしたり、
おちゃらけた態度を取ったり、と使い分けています。

まあ、誉めるという行為事態が、相手主体の行為ですから仕方ないことなんですが、やはりどうしても苦手ですね。

ですが、感謝の言葉は僕にとってはとても嬉しいものです。

「話してて、楽になった」
「頭痛も収まったし、なんか重たいものが取れた気がする」

高校時代から通っている美容院の先生から言われました。

カウンセラーとして、クライエントさんに言われるのも嬉しいものですが、プライベートで言われるのはまた格別ですね。

僕にとって、カウンセラーになってよかったなあって思えた一日でした。

 

残る言葉

久々にですが、けっこうな風邪をひいてしまいました。
40度近くまで熱が上がったのは10年ぶりぐらいですかね。
元々扁桃腺が弱く、学生時代とか笑い話になるタイミングでよく熱を出して、周りの人逹に看病とかしてもらってました。
ホント迷惑ばかりかけてましたね。

で、今回はある人に言われた言葉を思いだしました。

「馬鹿だから体調管理できないから風邪をひくんだ」

何を屁理屈言ってるんだと思いましたが、僕には全く出てこない言葉でしたね。
悔しいながら、確かにと、妙に納得もさせられました。

自分の中から出てこないものは、僕の場合ですがまずは反発心が出てきます。
多分、悔しいんでしょうね。
それから受け入れるかどうか判断します。
といっても、自分にとって想定外のことは大抵受け入れていると思います。
想定内のことは正直全く残りません。
あ、やっぱりね、ってとこで終わりです。

僕にとっての、新しいものが生まれるというのはこれが基本なのかなと思います。
もちろん、あくまでも僕個人の思考であって、人それぞれだと思います。
というか、人それぞれだからこそいいのではないでしょうか。

自分とは違うからこそ受け入れて、新しいものを生み出してみませんか。

素直が一番

素直が一番、よく言われますよね。
実際、素直な相手に対応する時って、素直でない相手と対する時と違う対応しませんか。
僕はどうしてもしちゃいますね。
どうもダメなんですよね、どうしても見え見えな気がしちゃって。
余裕がある時はいいんですが、余裕がないとどうしても塩対応しちゃいますね。

自分がこうだからというわけではないのですが、対人関係を円滑にするには素直な対応ってとても重要です。

その場で終わる、ずっと引きずる、ちょっとした心遣いでその後の関係も違ってきます。

悪いことしたなぁって思うなら、下手な小細工をするより素直に謝る方が断然効果的です。
どうしてか、それは相手がスッキリするからです。
確かにその場はけっこうキッツいかもしれませんが、感情を吐き出させればそこで終わります。
仕方ないなあと諦めて、素直に謝ってみませんか。
ちなみに素直に従うではないですからね。
従うって時点で素直とはかけ離れちゃってますからね。

いつもと違うことをしてみる

毎年恒例ですが、今年もインフルエンザの予防接種を受けてきました。幸いなことに、今まで一度もインフルエンザになったことはないのですが、予防接種って一度受けると気分的に受けないとかかりそうって思っちゃいます。本当につくづく不安って自ら作り出すものなんですね。

毎年同じ病院で受けていて、去年はすごく混雑していて午前中つぶれちゃいました。この後予定が色々あるので、今年は早めに病院に行ったら、10時前には終わっちゃいました。予想外に時間に空きが出来ちゃって、ちょっととまどっちゃっています。

さて、それではタイトルの内容です。一体なにをしたのか。

僕は基本用がない限り知らない人とは話しません。知らない人に勝手に話しかけられて煩わしく思った事があるからです。面倒に巻き込まれたくないので、やたらめったら他人に関わろうとはしないですね。

でも、今日はなんとなくお医者さんに自ら話しかけてみました。予想以上に早く呼ばれたし、いつもと違うことしてもいいんじゃない、なんて思ったかどうかは定かではありませんが。といっても、ちょっと疑問に思った事を聞いてみただけですが、看護士さんも巻き込んで聞いた事以上に興味深い話を教えてもらえました。

その後、いつもと違い、なんとなくですがそのお医者さんと看護士さんの僕に対する対応が柔らかくなったように感じました。
さりげない、ほんのちょっとしたコミュニケーションって本当に大事なんだなぁって、いつもと違うことをしてみて、つくづく感じました。
気分も悪くないですしね。

投影〜前回の続き〜

さて、今回は前回のねぇねぇちょっとの内容を心理学用語を使って、検証したいと思います。非常に分かりやすいと個人的に思いますので、是非お読み頂ければ幸いです。

投影という心理学用語があります。どのような内容かというと、書いて字のごとく”影を投げる”、つまり”自分が持っている不快な思考や感情を吐き出し、相手に投げる”となります。

あるものはある、ないものはない、当たり前ですよね。では、相手が思っていないことを自分が感じているっておかしいですよね。ないのにあるんです。もちろん、相手が気を使い、本当の事を言わないってのもありますが、相手の心が読める超能力者でもなければわかりません。

前回の内容に、”お酒好きな人は、私と一緒だと楽しめないのでは”と気になります、とありました。

実際、事実は確かめないとわからないんです。わからない以上、ないんです。では、楽しめないのでは、というのはどこにあるんでしょう。自分の中に、ですよね。自分が楽しめさせられない、と置き換えてもいいかもしれません。

“とりあえずビール”も苦手。苦手という後ろめたさのような感情が、周りと違うという違和感を感じているんです。

周りが違和感を抱くのではなく、自分が違和感を感じているんです。勝手にとつけると分かりやすいかもしれませんね。

弱くても好き、そんな自分をありのまま受け入れ、周りにも確認し、受け入れてもらう。まぁ、自分が思っている以上に周りは気にしていないものなんですが、確認をとり、自分自身納得できればいいのではないでしょうかね。