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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

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会話をして下さい

今回のコラムは、個人的なメッセージとして書かしてもらいます。

会話をする、コミュニケーションを取るという重要性というのは、当たり前だと思いますよね。
社会生活を送る上で、そんなの当たり前だよと思う時は、全く問題ない時です。
そんな時は、何も問題も負担もなく、愚痴とか不満を知ってか知らずか話しているものなんです。
それか、自分自身で問題を解決できている時なんです。
セルフケアというのが理想的ですからね。
自然治癒と言い換えてもいいかもしれません。
そんなスキルというのは、誰もが知らずに身につけているものなんです。

相手に気を使う、相手に対して話すと申し訳ないと思ってしまう、相手に負担を掛けたくない、心配させたくない、そんな時にこそ、そう自分が思える相手と会話をして下さい。
自分がどれだけ辛い思いをしているのか、自分だけで抱えこまないで下さい。
そう思う今の状況は、今のあなたの自然治癒能力をオーバーしているのかもしれません。
オーバーしてるゆえに、そんな自分を守るべき相手に見せたくないと思ってしまうものなんです。

とは言っても、自分の弱い部分を見せるというのは難しいものだと思います。
自分が守らなければならないと思っている相手なら尚更です。

難しいんですが、隠される方が相手にとっては負担に思う事も多々あります。
同じ生活を送っているなら、ほんのちょっとの生活のパターンの違いも気付くものではないでしょうか。
あれ、ちょっとおかしいなって思う時はあるものです。
いつもと違うぞ、気付くんですが、相手もまた、気を使って話さないんです。
指摘したら悪いなあなんて思ってしまのかもしれません。

これって、十分相手に負担を掛けてますよね。
少なくとも、守るべき相手に気を使わしてしまっているんです。

どうせ負担を掛けるなら、オープンにして負担を分かち合うようにしませんか?
あなたが守らなければならないと思える相手なら、その思いは通じるのではないでしょうか。
なぜなら、あなた自身が選んだ相手です。
なら、答えてくれるのではないでしょうか。
あなた一人では今の状況を解決するのは難しいかもしれません。
今までの問題を解決してきたスキルでは太刀打ちできない状況かもしれませんが、協力しあえば乗り越える事ができるかもしれません。

そういえばあの時、後で思い返すセリフ程、辛い思いをさせるものはありません。
辛い思いをさせたいんでしょうか?

辛い思いをさせたくないからこそ、自分が頑張るしかない、
それが全う出来るなら、全く問題はないです。
出来ない時こそ、出来なくなりそうだと思う時こそ、
会話をしてみて下さい。
最初のとっかかりだけが問題なんです。
とっかかりさえ乗り切れば、思いを吐き出せるはずです。

たった一歩なんですが、とてつもない一歩かもしれません。
踏み出しましょう、一歩を。
後は自然と流れていくものです。

なんて、偉そうにコラム書いてますが、
商売道具の名刺入れを飲み屋に忘れてきてしまいました。
僕もまた、反省しなければならないですね・・・。

 

 

世の中は"期待"にあふれている

個人的な事なんですが、最近ある出来事を知らされ、その内容に思わずがっかりしてしまいました。
どのような内容かは省かさせてもらいますが、僕にとっては残念に感じた出来事でしたね。

事実としての出来事は一つだけなんですが、個人個人によってその出来事の捉え方は違ってきます。
僕にとっては、その出来事に対してがっかり感が多きかったわけです。
どうしてがっかり感を感じたのか、それはそんな事はしないだろうという勝手な期待を相手にしていたんですね。
その期待を裏切られたように感じて、がっかりしちゃったわけです。
相手にとっては、自分の知らない所で勝手に期待されても、そんなの知らないよって言いたくなりますよね。
ちなみに、その場で僕と同じようにその出来事を聞いた人達もまた、それぞれ違った捉え方をしていました。

大事なのは、出来事に対してどう自分が感じようが、それはあくまでも自分個人の問題なんだと自覚する事です。
そして、自分が感じた事を相手に伝えるかどうかもまた、自分で選択できるということです。
伝えるのがいいのか、伝えないのがいいのか、自由に決めていいんです。
ちなみに今回の僕の選択は、相手に伝えない事を選びました。
なぜなら、自分の勝手な期待と気づいたからですね。
そして、その選択に対して、全く違和感を感じなかったからです。
もし、その自分の決定に違和感を感じるようなら、もう一度考えてみた方がいいかもしれません。
その違和感が"しこり"として自分の中に残ってしまうかもしれないからです。
"しこり"というのはやっかいなもので、相手との関係も変わってしまう事にもなりかねません。
それも一方的にですから、相手にとってはたまったものではありませんよね。

相手に対して怒るというのもまた、一因として期待を裏切られたという思いがあります。
怒って相手に伝え、自分の期待に沿うようにするんですね。
でも、怒るという感情は強い感情ですので、制御が効かなくなってしまう事があります。
あちゃあ、言い過ぎたなあと後で後悔してしまうんですね。
そして感情を出しすぎた分、不自然な程、まるで取り繕うような行動に出てしまいます。
優しくなりすぎたり、しゃべりすぎたり自分なりにバランスを取ろうとするんです。
周りに同意を求めたり、自分の怒りを正当化しようとしたりもします。
自分ではバランスを取ってるつもりですが、そんな時は大抵、アンバランスに周りは感じます。
言い過ぎたなと自分が感じたなら、感じた通りに素直に相手に謝るのが一番です。
言い訳をするなって、相手に言いたくなる時ってありますよね。
それと同じです。
自分に対して言い訳をしちゃってるんです。

事態が一向に改善されないなって思ってるなら、そんな時は相手に対する評価を見直すいい機会かもしれません。
過小評価しているのか、過大評価しているのか、相手の評価を決めるのもまた、他の誰でもない自分です。
過大な期待というのは、どちらにとってもあまりいい結果にならない事が多いです。
お互いが被害者と思ってしまうんですね。
世の中は"期待"にあふれています。
自分が出来る事、出来ない事、
相手が出来る事、出来ない事、
見極めるのもまた、自分だけです。

"変わりたい"

"こんな自分は嫌だ"
"変わりたい"
この仕事をするようになって、本当によく聞く言葉だと、改めて思います。
そのように思う事って、誰でも一度はあるか、あったんではないでしょうか?

ふと、自分に当てはめて考えてみると、僕にもはっきりと思い当たる出来事はありますね。
高校までの自分が思う自分って、けっこう人見知りで、言いたい事も言えない自分だったと思います。
自分で言うのなんですが、シャイボーイってんですかね。
それが大学に入って、結構の頻度でバイトに入るようになって、学校以外の人と知り合う機会が一気に広がりました。
そのバイト先の先輩で、人見知りとは無縁に見える先輩がいました。

"羨ましい"
"こんな風になりたい"
"あ、ここまで言っても大丈夫なんだ"

そう思った事を思い出します。
当時、その人のように振る舞ってみようと考え、行動を真似してみました。

結果、どうなったかというと、自分的には積極的になったと思います。
真似した当初はやり過ぎかなって自分でも思うぐらいの行動でした。
厚かましいってんですかね。
でも、時間が経つにつれ、上手くバランスが取れたと思います。

何かが変わる時には、足りなかった分だけ、反対方向に向いてしまうものだと思います。
今までの反動なのかもしれませんね。
しかし、それも最初だけです。
最初だけ乗りきれば、自ずとバランスを自分なりに取るものです。
折り合い地点を見極める、そんな感じですね。

さて、それでは今現在の自分はどうかなと、改めて考えてみると、更に変わっていると思います。
自分にとって、まずはそれを第一に考えて行動していますね。
もし、また不都合が出てくるようなら、変えるでしょう。
今のところ、その必要性はないですけどね。

ちょっと長くなってしまいましたが、"変わりたい"という思いには必ず比較対象があります。
僕の場合だと、知り合った先輩になりますね。
何かと比べるから、今の自分に満足できなくなってしまうんです。
現状に満足しているなら、そんな事は起きません。
"変わりたい"という思いは、周りからではなく、自分の中から出てくるものなんです。
自分の中から出てこなければ、"変わりたい"という思いを達成するのは難しいかもしれませんね。
周りがどのように思おうが、自分が必要ないと思うと、"変えない"、となってしまいます。
言い訳を探す、何かのせいにする、事実を歪曲してみる、正当化する、等々、
"変えない"という事に、必死にしがみつこうとしてしまいます。
周りとズレが大きければ大きい程、"変えない"為に使うエネルギーは莫大になっているでしょう。
"変えない"のは、下手すると、"変わる"以上のエネルギーを使っている場合もあります。
何もしていないはずなのに、疲れているという時は、何もしていないのではありません。
"変えない"という、その場で止まるという為に、エネルギーを使ってしまっているんです。
流れに逆らうのにエネルギーを消耗するって、もったいないですよね。

どうせ同じエネルギーを使うなら、自分が"変わりたい"という変化に使いたいですよね。
必ず、その思いが出てきたきっかけになる出来事があったはずです。
その出来事をもう一度思い出して、どんな自分になりたいのか、はっきりと目的を持って取り組んでみる。
最初は疲れるかもしれません。
でも、流れにさえ乗ってしまえば、案外とするするとなっちゃうものです。

流れに乗るのも自分、流れに逆らうのも自分、ただ、それだけなんです。
"変わりたい"と思ったのも自分、"変えない"と思ったのも自分。
どうせなら、変化が起ころうとしているのを、大事にしてみませんか。

"ありがとう"言っていますか?

最近、ある機会があって、"ありがとう"という言葉をかけてもらう事が多くなりました。
といっても、もちろんこちらから働きかけているので、返事として返ってくるものです。
ですが、だからといってです。
やはり、"ありがとう"と、相手から感謝の言葉をもらうというのは、素直に嬉しいと思うものですね。

当たり前の事なんですが、当たり前と思わず、"ありがとう"と感謝の言葉を返す。
当たり前の事なんですが、当たり前と思わず、"ありがとう"という感謝の言葉を素直に受け入れる。

些細な事で、忘れがちになってしまう事なんですが、ほんのちょっとの事で上手くいく事もあるかもしれません。

"ありがとう"、言ってみませんか?
なにかしらの反応はありますよ。

フィギアスケートの中継を見て

最近、少しだけ生活スタイルが変わりまして、テレビを見る時間が増えました。
以前は、全くと言っていい程、テレビを見ない生活パターンでしたね。
で、フィギアの試合をテレビで見ていました。

見られていた方は、本当にビックリしたんではないでしょうか?
僕も他事をしながらテレビを見ていたんですが、思わずテレビに釘付けになってしまいました。
羽生選手と中国の選手が、試合前の公式練習で衝突してしまったんです。
激突といってもいいかもしれません。しばらくの間、起き上がることが出来ない羽生選手の状態が衝突の激しさを表していました。

テレビでも言っていましたが、公式練習の6分間の間に、希に今回のような選手同士の衝突はあるみたいですね。
ただ、今回のケースは今までと違っていたみたいです。

今までの選手は、試合を棄権していたそうです。
それはそうですよね、今から試合というのに、怪我をしたわけですから。
事実、羽生選手と衝突した中国の選手も、最初は棄権と出ていました。
それほど、フィギアスケートという競技は激しいスポーツなんでしょう。

ところが、再開された公式練習に、当の羽生選手が出てきたんです。
今までとは違うケースです。
もちろん、そんな激しい衝突の後ですので、それ相応の滑りしか出来ていませんでした。
でも、滑り終え、支えられながら、フラフラの状態で控え室に戻っていきました。
もちろん、試合に出るためにです。

試合が始まり、羽生選手の出番かと思いきや、棄権したはずの中国の選手がリンクに出てきました。
公式練習もせず、棄権と出ていたんですが、試合に出場するとのことです。
とても試合が出来る状態ではなかったんでしょうね、見ていて痛々しい状態でした。
今まで知らなかったんですが、回転技の着氷にかかる衝撃って、体重の三倍だそうです。
それは飛べるわけないですよね。
最初は棄権を受け入れ、直前の練習もしない状態で試合に出場したので、仕方ない結果だったのではないでしょうか。

羽生選手の演技が始まりました。
あんな衝突の後の演技です。
何回も転倒しましたが、鬼気迫る演技で、圧倒されました。
体ももちろん、精魂も使い果たした状態だったんでしょうね。
演技が終わった後、支えてもらってもまともに歩けない状態でした。

結果は二位でした。
あの状態であれだけの演技をするなんて、本当に凄いと素直に思いました。

さて、長くなっちゃいましたが、ここからが本題です。
今までと同じ事(衝突)が起こったのに、結果(出場)が違いました。
それだけではなく、それに相応しい結果(二位)もついてきました。
何が違ったんでしょう。

もちろん、人が違うから選択も違うというのは、至極当たり前です。
では、羽生選手と今までの選手とは、何が違っていたんでしょう。

おそらく、思考が違っていたのではないでしょうか。
その思考も、かなり強固な思考です。
強固な思考であるがゆえに、二位という相応しい結果もついてきました。
強固過ぎる思考といっても、ひょっとかしたら過言ではないかもしれません。
そうでなければ、今までと同じ棄権というケースになっていたと思います。
例え出場したとしても、その状況に相応しい結果になっていたでしょう。
中国の選手がそうであったように。

これは、どちらがいいか悪いかではありません。
どちらでもいいんです。
どちらでもいいんですが、ただ、強固な思考というのは、少なからず周りに影響力を与えます。
現に、賛否両論になっています。
ですが、それはあくまでも、周りの評価です。
本人にとっては、自分の目的の為に行動しただけなんです。
例え後悔する結果になったとしても、納得できているならそれでOKなんです。

願わくば、一日も早く怪我を直して、また素晴らしい演技を見せてもらいたいものです。