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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

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決めつけていませんか?

さて、今回のタイトルなんですが、一度目を閉じてでもいいですし、心に問いかけてみて下さい。
どうです、何か思い当たる事って、ありませんか?
思い当たる方は、ひょっとかしたら、対人関係でちょっとした行き違いがあったのかもしれませんし、これから行き違っちゃうかもしれません。
ちょうどいい機会です。今、気づきましたので、その事を今一度見直してみませんか。

対人関係は、相手に働きかける事によって、変化するものです。
例えば、こちらからの勝手な決めつけでも、変化しちゃいます。
親子関係、師弟関係等、上下関係ではよく起こり得る事です。
多くはあまりいい変化ではないでしょうね。
良い対人関係がいいですか、悪い対人関係がいいですか?
あなたにとって、どちらの関係がいいんでしょうね?

自分は決めつけていないなあ、って方ももちろんいますよね。
多分ですが、対人関係もスムーズにいってるんではないでしょうか?
ただ、ひょっとかしてですが、ある対応をする人とは上手くいってないのではないでしょうか?
例えば、勝手に決めつける人なんて、どうです?
思い当たらなければ、本当に素晴らしいと思います。
そのまま、ありのままの相手を受け入れているんでしょうね。

ちょっとした例として、僕の個人的行動をあげます。
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

この前なんですが、所用で名古屋まで電車を使いました。
幸いにも席に座れたんですが、電車が発車してから、近くに70歳後半ぐらいのおばあちゃん二人連れが来られました。
一人は前の席に座れたのですが、もう一人の方は座れませんでした。
プライベートの僕の格好を知ってる方は、そのままの姿を想像してください。
知らない方は、シルバーアクセをジャラジャラつけて、タブレットを片手に、音楽を聞いてる姿を想像して下さい。
そんな男が、立っているおばあちゃんの肩をトントンと叩いて、席を譲ります、とジェスチャーで表現して、席を立ちました。
おばあちゃんは最初断ったのですが、会釈をして、席に座りました。
そして、僕はそのまま音楽を聞きながら、タブレットを見て立っています。

どうです、想像できましたか?
この光景を想像して、どのように感じましたか?

さて、どうして僕自身の行動をあげたかですが、僕が感じて、僕が行動した事だけが事実なんです。
それ以外は、実は決めつけになっちゃうんです。
つまり、あなたが想像した事であって、事実ではありません。
あと、登場するおばあちゃんが感じた事も事実です。
それ以外は、こちらもまた、決めつけになっちゃいます。

それでは、答え合わせです。
事実は、僕が見たくないから、僕の都合で座ってもらった、だけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。ただ、それだけです。
ですから、"優しい人"とか、”えらい”とか、とにかく褒められる事を言われると、僕は本当にいつも戸惑います。なぜなら、そんな気は全くないからです。
もちろん、そう感じているんだなとは思うようにしています。
どう思うかもまた、相手の自由だからです。

おばあちゃんがどう感じたかですが、これは本人しか分かりません。
感謝してるのかもしれませんし、余計な事しおって、かもしれません。
はたまた、年寄扱いしおって、かもしれません。
怖いから、素直に座っとこ、かもしれません。
ですが、これもまた、僕にとってはどうでもいい事なんです。
なぜなら、僕がしたくてした事なんです。
感謝されようが感謝されなかろうが、どうでもいい事です。

つまり、”このわがまま野郎が”、うん、これはしっくりきますね。これが正解なんです。
正解以外の僕だと思って付き合いを持つと、いずれズレが生じます。
それはそうですよね、本当の僕を見ていないんです。
決めつけた僕の姿を、そのまま僕に見ているんです。

ズレが生じているなと感じたら、ひょっとかしたら、勝手な決めつけをしてるのかもしれません。
そんな時は、修正をしてみて下さい。
どう修正するか、それは、今一度、じっくり相手を見て下さい。
今まで気づかなかった事が、必ずあるはずです。
それを受け入れると、ズレも必然的になくなります。
ありのままの相手を受け入れる、簡単そうで難しいものです。
難しいものですが、いい関係にはなれますよ。

PTAの委員選びが強引

今回も、中日新聞のねえねえちょっとに掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のお子さんが通う小学校で毎年、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められ、そのたびに、憂鬱になるとのことです。
役を引き受けられない場合、その理由として、家の経済状況、子どもの病気や障害、自分の病気や介護など、私的なことまで言わなければ納得してもらえず、本来、任意加入のはずなのに、なぜここまで強いられるのか、理解に苦しみます、とのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですよね。
お子さんをお持ちの方は、どなたも思っている事なんではないでしょうかねえ。
さて、それでは、一体どうすればいいんでしょう。

それでは、ちょっとだけ考えてみましょうか。
まずは、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められるとの事を考えてみましょうか。
なぜ、くじ引きなんでしょう?
立候補者がいるなら、くじ引きになるんでしょうか?
確かに、やりたい人がいても、くじ引きにして平等にするとも考えられますが、まず可能性として、低いですよね。
となると、立候補者がいないから、くじ引きになるんですよね。
誰もやりたくないから、仕方なく、くじ引きで決めるしかない、となるんではないでしょうか。
それって、本当に強制的なんでしょうか?

さて、次に任意加入についてちょっと考えてみましょうか。
確かに、PTAは任意加入になってますよね。
入るのも自由、入らないのも自由、さて、どちらを選びます?
大抵の人は、入らない方を選ぶのではないでしょうか。
入らない人ばかりです。
それって、果たして、組織として成り立つのでしょうか?
大事なお子さんが通う小学校のPTAが組織として成り立ちません。
それでもいいんでしょうか?

物事にはちょうどいいバランスがあります。
どちらかに片寄っていると、倒れちゃいます。
でも、倒れないような何かしらの力が働きます。
それが、くじ引きという力ではないでしょうか。
個と集団のバランスとも言えますね。

あなたにとっての、ちょうどいい折り合うところを見つけてみませんか。

免罪符の乱用をしてませんか?

最近、ちょっとそんな事をふっと考えます。
そんな僕自身も、果たして免罪符の乱用をしていないかどうかというと、正直自信はありません。
ただ、自覚するかどうか、それだけでも大分違ってくるのではないかと思います。

最近のテレビ番組ですが、どうもやりすぎの気がしてなりません。
少し前はドラマもありました。
今回は、バラエティーで、です。

もちろん、お笑いは素晴らしい仕事だと思います。
個人的にも大好きです。

ですが、です。

相手は一私人です。
それをネタに笑いをとろうというのは、どうも免罪符の乱用だと、個人的に思います。

幸い、放映前に抗議を受け入れ、テレビ局も放映を中止しました。

少し、ほんの少しだけでいいです。
常識で考えてみて下さい。
傷つく人がいます。
少なくとも、放映によって、さらに深く傷つくことになります。
それは、もう、笑いではないのではないでしょうか。

笑いは素晴らしいものです。
元気の源になるものです。
沈んだ気分も、一瞬で明るい気分にしてくれます。
笑いは、本当に、素晴らしいものです。

笑いにする、
笑い(者)にする、

たった一言加わるだけで、全く違ったものになってしまいます。

テレビで放映されるという事が、どれだけ影響力があるのか、今一度、考えてみてもらいたいものです。

性的少数者、学校で被害 いじめ、暴力7割が経験、を読んで

うーん、正直この問題は非常にデリケートな問題だと、個人的に思います。
中一、中二がピークという事ですが、ちょうど微妙な年頃ともいえます。
同年代しかいない学校という空間では、自分達とは違うというだけで、受け入れられないと考えてしまうのも、ある意味仕方ないのかもしれません。
もちろん、身体的な暴力(20%、121人)、服を脱がされるなど(11%、66人)というのは論外です。それは個人の権利を踏みにじってますので、仕方ないでは済ましてはいけない問題です。
でも、被害者のほぼ半数(218人)は誰にも相談しなかったという結果からも、その子の辛さが伝わるのではないでしょうか。
理由を聞かれても、本当の理由を話して、受け入れてもらえないかもしれないという不安から、いじめ自体を我慢するという事を選択したんでしょうね。
本当に、辛い選択だと思います。

有効回答609人に対し、小学校から高校までの間に、誰にもカミングアウトできなかった人は39%、237人ぐらいの割合になります。
「理解されるか不安」や「話すといじめや差別を受けそうだった」というのが主な理由みたいです。
言葉による暴力(53%、322人)、無視・仲間外れ(49%、298人)という結果からも、その心配通りの結果になってしまっていますよね。
でも、個人的にはそれぐらい慎重な方がいいのではないかなと思います。
それほど、難しい問題なのではないかと思います。

確かに、自分のありのままを受け入れてもらえたら、これ程嬉しい事はないと思います。
でも、受け入れてくれる人もいれば、どうしても受け入れられないという人もいると思います。
それは、その人の考え方であって、どうこう強要できるものでもありません。
なぜなら、個人の考えを本当に尊重するなら、どちらも尊重しないといけませんよね。
ですから、それをどう受け止めるか、が大事なんではないでしょうか。
本当に理解して欲しい人、その人には理解してもらうように、真剣に打ち明ける。
真剣な思いというものは、必ず相手に伝わります。
相手も、真剣に考えて答えてくれるのではないでしょうか。
その結果はどうあれ、真剣に向き合ったというだけでも違ってくるのではないかと思います。

周りの大人ができるのは、環境を整えるよう、見守る姿勢が大事なんではないでしょうか。
見守るだけでいいのかと思うかもしれませんが、案外難しいものです。
見守ってもらえている、それだけでも心強く感じるのではないかと思います。
誰にもカミングアウトできなかった、それなら、自分達に打ち明けてもらえるよう、信頼関係を築く努力をするのもいいかもしれませんね。

疑い深い義父、今後が心配

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の内容は、この方が同居の義父(82)に「物を取った」と言われたとのことです。
以前から物事がうまく進まないと他人の責任にすることがあり、最近特に血縁以外は信用しないとのことです。
今のところ認知症とは診断されていませんが、今後の介護を考えると、この方一人で世話をする自信がないとのことです。
近くの義姉とはあまりよい関係ではなく、疑い深い性格の義父とどう付き合えばいいのか、悩んでいるとのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですね。
義父に物を取ったと言われ、違うのに信じてもらえず、今後の介護を考えると、一人で世話をする自信もなくなってしまいますよね。
今でも疑い深い性格の義父なのに、この先、どう付き合っていけばいいのか悩んじゃいますよね。
では、一体、どうすればいいんでしょうね。

どうでしょう、まずは大まかに二つに分けて考えてみるのがいいんではないでしょうか?
今後の介護のこと、疑い深い性格の義父と付き合っていくこと、この二つに分けてみませんか。

まずは、今後の介護の事ですが、一人で世話をするのは難しいと思います。
家族で相談して、協力して介護していかなければ、抱え込み過ぎて、疲れ切っちゃうと思います。
今はあまりよい関係ではない義姉ですが、これを機会にして、関係を修復してみるのもいいのではないでしょうか。
義姉に色々義父の事を教えてもらうようにすれば、自然と関係も変わってくるかもしれません。
近くですので、関係さえ変われば、心強いですよね。

疑い深い性格の義父との付き合いですが、「物を取った」と言われたのは、今回が初めてだったんではないでしょうか。
疑われるのは本当にいい気分ではないですよね。
でも、義父にとっては、その物がなく、困ってるんですよね。
なら、どう付き合っていくか、ですが、一緒に探してみるのが一番いいんではないでしょうか。
実際義父は困っているわけですし、自分は取っていないわけですから、一緒に探す事によって、疑いが晴れるかもしれませんし、信用してもらえるかもしれません。
小さな事ですが、それが積み重なって、信頼関係になっていくものだと思います。
大変だとは思いますが、今後の関係が変わるかもしれませんよ。