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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

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言いたい時に、言いたい事を適切に伝える

僕は昔から文房具も好きで、ついつい必要ないものも買っちゃうんです。
で、実は週末に、ボールペンの替え芯を買いにあるお店に行ったんです。
で、そこでネットでは売り切れ状態になってたペンを見つけてしまったんです。
うわあ、どうしよう、確かに欲しかったけど、ペン余るぐらい持ってるしなあ、でもなあ・・・。

これも昔からなんですが、決断は割と早い方です。ホント買い物早いんですよね。
いつも一緒に買い物に行く人、誰彼かまわず言われますね。
本当に困った事ではないですので、自分の個性として受け入れていますが・・・。
と、言い訳を入れてるぐらいですから、お察しの通り、買っちゃいました。

で、ここから本題なんですが、ネットで見てるぐらいですから、値段は把握しています。
で、いざショーケースから出してもらって、会計になった時に、その把握してる値段ではなかったんです。
確かに、値札見て買い物したわけではないですので、商品に値札ついてるかどうかも確認してません。
どれだけ値段が違ったかというと、6千円高く言われました。
もちろん、その場で、”そんな高い?”と聞き返しました。
店員は、丁寧に、”値札をお持ちしますね”、と断ってその場を離れました。
その商品には、ちょっとしたカタログも付いていたので、僕の選んだペンも出ています。
で、実際店員が持ってきた値札は、別の商品の値札でした。

すぐにその場で、店員も非を認め、謝りました。
僕は、お客として、”値段を把握してたからよかったけど、知らなければその値段払っていたんだよ”、と一言言っておきました。それで、終わりです。もちろん、今後もそのお店に買い物に行きます。

普通かどうかはわかりませんが、トラブルなんてこんなものです。
言いたい時に、言いたい事を適切に伝えられれば、問題は起こらないんです。
怒りって悪い感情に思うかもしれません。でも、喜怒哀楽って言葉になるぐらい、必要なものなんです。
感情は自然に出るもの、それを素直に認めれば、何も問題になりません。
嬉しい事を素直に認める、出来ますよね。なぜ、怒りはダメなんでしょう?
そんな事はないはずです。だって、同じ感情です。むしろ、適切に出さないから、爆発するんです。

どうでしょう?僕のエピソードから何か得るものがあれば、頑張って一日に二つupしたかいもありますね。
流石に今後は難しいでしょうが・・・。なんせ、適度に頑張る、ですからね。

適度に~する

前回こらむでも最後に、可もなく不可もなく、と触れました。
以前にも、メインタイトルで書くぐらい、僕の中では重要なキーワードだなって考えています。
どうして、それほど重要視してるか、今回書いてみようと思います。

実は、可もなく不可もなく、と同じ意味合いで以前から使っている言葉が、適度に~してね、です。
主に使うのは、仕事(カウンセラー)を離れたプライベートです。
この言葉って、言われた相手が自分の判断で決めれるかなって思い、使い始めました。
例えば、適度に頑張ってね、と使ったとします。
自分でちょっとしんどいなあって感じてる人は、適度に力を抜こうかなって判断してくれるかもしれません。
自分でちょっと頑張り足りないなあって感じてる人は、適度に頑張ろうかなって判断してくれるかもしれません。
適度に頑張ってる人は、そのままの文面でとらえてくれるかもしれません。
あくまでも、判断基準は相手に任せる、という意味合いの言葉です。

自分で物事を解決出来る人は、僕も含めてですが、ある意味純粋ではない、と言えるかもしれません。
まさしく、適度に~する、ですね。
どう言う事かというと、困った事が起こったとしても、上手く教えられた事(自分で決めた事)を状況に応じて変化できるんです。上手く解釈出来る、ですかね。原則と例外を作っちゃうとか・・・。
それって、元々の教えられた事(自分で決めた事)とは違っていますよね。
ですから、純粋ではない、といえるかなと・・・。
もちろん、僕自分も含めてですので、悪い意味ではありませんよ、僕は自分好きですんで(笑)

物事には、丁度いい位置関係があります。
距離感、といってもいいかもしれませんね。
親子関係、仕事関係、友達関係、夫婦関係、それぞれ人に寄って立ち位置って違っていますよね。
では、適度に仲良くね、と使ったとします。
ちょっと踏み込み過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を取ろうとするかもしれません。
ちょっと離れ過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を縮めようとするかもしれません。
そういう人は、相手との関係で、思い当たる事があるわけです。
それは、本人にしか分かりません。
ですから、ここも判断基準は相手に任せる、です。

相手に任せるって、冷たいなあって感じますか?
では、こう言い換えるとどうですか?
相手を信じてるから、相手に任せてる、です。
信じるってのは、信じる事によって、信じた自分も責任も負ってるんです。
これが丁度いい距離感ではないかと、僕は思っています。

手を差し伸べるのは、本当の意味では、自分が楽をしたい、とも言えます。
自分が相手をコントロールできるから、少なくとも自分の不安はなくなりますよね。
でも、相手が自分で解決できる可能性も、奪ってしまっているんです。
大事なのは、見極め、ではないでしょうか?
ここまでは、大丈夫、でも、これ以上はキツイかも・・・。
そんな時は、一言、”大丈夫?”、と聞いてみましょう。
”大丈夫だよ”なら、見守ってみましょう。それだけでも、心強いものです。
”大丈夫じゃないかも”、なら、手を差し伸べてみましょう。今はまだ、解決出来ないのでしょう。
何か日常生活に弊害が出だしたら、”何かあった?”で見極められるかもしれません。

たった一言、されど一言、コミュニケーションはこれだけでも、十分成り立ちます。
大切なのは、必要な時に必要な事をする事、だけです。

では、適度に出来ない時は、どうすればいいんでしょう?
それは、自分一人で解決するのは、難しいかもしれませんね。
今までも周りの人に相談しても解決できない状態なんでしょうね。
そんな時の為に、プロのカウンセラーがいるんです。
体調悪い時は、病院に行ってお医者さんに診てもらいますよね。
それと同じです、心の調子が悪い時は、カウンセラーです。
きっとあなたの助けになると思いますよ。

 

 

 

 

 

 

早めに、的確に・・・

今までと違う事が自分の身に起こったとき、どうしますか?
例えば今までなら、こうなった原因は自分なりにはっきりしていたとします。
そうですねえ、次の日も仕事なのに、深夜まで飲んでいたとか・・・。
だから、今日は仕事中もしんどいんだ、いつも通りだよなあ、まあ仕方ないか、なんて・・・。
でも、ここまでしんどいことは今までなかったなあって・・・。
そういえば、今までなかった頭痛もするぞ、なんて・・・。

そんなとき、ちょっとだけ考えてみて下さい。
本当にあなたが考えてる原因が正しいんでしょうか?
もう一言付け足すなら、原因は本当にそれだけなんでしょうか?

何事もそうなんですが、まずは問題点を的確にとらえなければ、問題は解決できません。
自分が考えている問題点が正しければ、問題はいずれ解決すると思います。
もちろん、ちゃんと対策を考えて行動した結果、解決に結び付くイメージですね。
なら、もし、その自分の考えた問題点が違っていたら、その後はどうなっちゃうんでしょうね?

なんか想像しただけで、解決どころか、問題が変な方向に進んでいくのが目に見えますよね。
さらに、行動も起こしていたら、その行動によって新たな問題も起こる気がしませんか。

雪だるまを作った事ってないですか?
その時をちょっとイメージして下さい。
雪だるまって、最初から巨大な体ではないですよね。ある程度の塊を転がした結果、雪だるまが出来上がるんですよね。

もう 自分ではどうしたらいいか分からない、そんな状態は、既に雪だるまが出来上がった状態なんです。
元々の最初の塊なんて、出来上がった雪だるまからは分かんないですよね。
つまり、元々の問題点が、既に分からなくなっちゃってるんですよ。

そうなんです。この最初の取っ掛かりの塊で、対処出来るかどうかで結果が変わるんです。
同じ問題が起こっても、人によって感じ方も対応も違いますよね。
最初の塊で適切に対処できる人は、何も問題に感じる事もないのではないでしょうか?
問題自体が、その人にしてみれば、存在しないと言い換えてもいいでしょうね。
ですから、その人からすれば、さらに大きな雪だるまにしてしまうのが、理解できないんです。
逆に、最初の塊で対処できるのが、雪だるまにしてしまう人からすれば、理解できないんです。

理解できない同士なんです。それならば、どうすればいいんでしょう?

それは、お互いに歩み寄るのがいいのではないでしょうか?
そして、丁度いい着地点を見つけるんです。
可もなく不可もなく、ですよ。
丁度いい着地点でなければ、それは、塊でなく、既に雪だるまを作ってる作業に入っちゃってます。
大きな雪だるまになる前に、周りの雪を削って、塊を見つけましょう。

ここに、他の人の経験って、役に立つのでしょうか?

どうなんでしょうね、でも、可もなく不可もなく、となると・・・。

家庭料理で考えてみる

このこらむでも頻繁に取り上げているんですが、悩み事のの大半は人間関係のトラブルといっても過言ではありません。それぐらい人間関係って難しいもんなんですよね。
では、なぜそれだけ人間関係ってこじれるんでしょうか?
それは、自分の考え方がある以上、相手にも考え方があるから仕方ないわけなんです。
て、そんな一言で納得できるならいいんですが、そんな簡単ではないですよね。
てなわけで、今回は少しだけ深く考えてみますね。

カウンセリングという仕事を少しだけ説明しますと、困った出来事を深く掘り下げていくんです。
日常会話とは違ったアプローチで進めていくわけです。
そんな作業をすると、60分という時間は感覚的に短く感じます。
それぐらいカウンセリングの場というのは、非日常的空間になるんです。
本当に不思議な空間だなと、提供している自分でも思ってしまいますね。
で、掘り下げていくとどうなるかというと、全てとはいいませんが、問題が全く違う問題になっていくんです。
どんなふうになるかというと、大半は、家族関係の問題になっていくんですよ。
不思議に思いますか?でも、実は全然不思議でもなんでもないんですよ。

友達の家でご飯をご馳走になった時、結婚されて初めて家庭料理を食べた時、戸惑った経験はないですか?
食事というものは、ある意味長年の習慣の積み重ねともいえます。
家庭料理って、その家族では当たり前のルールが分かりやすく見える形で表現されているんです。
夫婦といっても元は他人同士です。お互いの育ってきた家庭料理でも違いがあるわけです。
目に見える食事で違いがあっても、まだ見えるものだから、違和感があればお互いに話し合って、新しい家庭料理というものが出来上がっていくのではないでしょうか。

では、お互いの育ってきた家庭にもそれぞれの価値観がありますよね。こちらは目で見えません。
どんな時に、その違いに気づくんでしょうか?
それは、子供を育てる時に価値観の違いが出てくるのではないでしょうか。
価値観はその人の常識ともいえますから、違いがあるのならお互いに歩み寄るって難しいかもしれません。
ましてや大事な自分たちの子供です。自分が育ってきた価値観が一番だと自分が証明してるわけです。
もちろん、相手も同じです。相手の存在が相手の価値観を証明しているんです。
自分に自信があればあるほど、譲れないものですよね。喧嘩になっちゃうかもしれませんね。
では、そんな両親を見て、子供はどう感じるんでしょうか?
自分の為を思って喧嘩しているんだ、なんて考えないでしょうね。それは自分達大人の考えです。
自分の存在で喧嘩しているんだ、ではないでしょうか?
そして、子供なりに考えて対策を立てるんです。その対策はその家庭では有効です。
なぜなら、その家庭の価値観にあった対策だからです。それがその子供の常識になるわけです。

子供の頃決断した対策が、今、問題を起こしているわけです。
これは、家庭料理と一緒で、自分には当たり前のことです。
目に見えないものですから、表面的には分かりません。
問題を深く掘り下げていかない限り、問題の核心である、この決断には到達しません。
多分、今までも同じような事はあったんではないでしょうか。
その時は、目に見える表面的な対策しかしていないわけです。
ですから、同じことが繰り返されるんです。
そう考えると、人間関係のトラブルが多いのも納得できるんではないでしょうか。

もう一言付け足すと、誰も悪者はいないんです。
誰の責任でもないんです。
だって、自分の両親も子供だった時はもちろんあるんです。
同じように育ってきたと想像できますよね。
誰かに責任を押し付けるのではなく、今、困っているのは誰なのか、それは自分ですよね。
自分で決断したことを、成長した今の自分がもう一度決断し直すのが、建設的ではないんでしょうか。
そうすると、不思議に思うぐらい変化が訪れるかもしれませんよ。

流れに逆らわない

僕はクライエントさんと面談する時、毎回事前に準備して面談に臨むようにしています(誰でもでしょうが)。
前回までの話しの流れからみて、今回はこれを取り入れてみようかな、この話を深くしてみようかな、等々けっこうな時間使う時もありますね。
で、いざ面談を始めてみて、事前に準備したことを取り入れるかどうかというと、ほとんど取り入れないですかね。まあ僕が若輩者なのもあるかもしれませんが・・・。
ただ、無理に取り入れない方がなんとなく、個人的にですが、いいような気がしています。

こんな事がありました。
悩みを事前に聞いていて、取り入れる療法も決めて面談に臨みました。
で、いざ始めてみると、違う話しになっていました。
内容もなにもかも事前に知らされていた話しと全く違っています。
これはどうしたものかと、最初は思いました。
もちろん、違う話しになっていましたから、準備した療法は使えません。
ただ、丁寧に話を聴いていると、より悩みに深い、根本的な問題に近づいていました。
結論を述べると、面談が終わる頃には、ほとんど問題解決に近づいていました。

その時に僕がなにをしたかというと、大げさに言うと、特に何もしていません。
違う話しだよね、と確認することもなく、ただ、話しの流れに逆らわず、流れを止めず、流れに乗っただけです。
もちろん、流れが淀む時もありますので、その時には流れを促す事をしました。
ただ、それだけです。

カウンセリングの時間は基本一時間です。
より深く、根本的な問題に触れた瞬間、クライエントさんにとって、目まぐるしく感情が揺り動かされます。
なぜなら、より激しい抵抗も一緒に味わう事になるからです。
例えるなら、感情のジェットコースターと言っても過言ではないかもしれませんね。
カウンセリングを受けるって、クライエントさんにとって、実は非常に疲れるものなんです。
さらっと流れに乗るって書きましたが、難しさが伝わるでしょうか。
たった一時間、されど一時間・・・。
そこから得られる気づきという経験は、いつ立ち会っても素晴らしいものです。
プロになってよかったなあって心底嬉しく感じる瞬間ですね。

で、最初に戻りますが、事前に準備しても取り入れないなら、必要ないやなんて事は全くないですからね。
いつも変わらず、事前に入念に準備をしています。ご安心して下さいね。
もし、悩み事がおありなら、当カウンセリングルームをご検討して頂ければ幸いです。