free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

時事ネタ

<ごめんな祭>高知県「後免町」で叫ぶ「ごめんなさい」を読んで

本当に、お祭りってたくさんありますよね。
こんなお祭りがあるなんて、全く知りませんでした。
どんなお祭りかというと、
<ごめんな祭>
いやあ、おもしろいと思わず心引かれちゃいました。

場所は、高知県南国市にある「後免町」というところだそうです。
地名にちなみ、「ごめん」の気持ちを伝える、シンプルかつ分かりやすいお祭りみたいですね。

「ごめんなさい」って、謝るって、なかなか難しいって感じませんか?
謝ればいいって分かっているけど、何かが邪魔をして、素直に謝れない。
そんな経験をしたことってあるんではないでしょうか。

今、現在、悪いことしたなあって思っている事があるなら、その自分の気持ちに素直に従ってみませんか?
「ごめんなさい」って、素直に自分の気持ちを相手に伝えてみませんか?
素直な気持ちを伝えてみると、相手にも伝わります。
逆に言うなら、素直じゃないと伝わりません。
"え、本当にそう思っているの?"
そう感じた経験って、ありませんか?
そう言われた経験って、ありませんか?
そう言いたい経験って、ありませんか?
それは、言葉と気持ちが一致していないんです。
どうです、思い当たりませんか?

素直に、「ごめんなさい」。
伝えて、みませんか?

あ、ちなみにお祭り自体は、今月の11日にありました。
書いてる途中で、違うコラムに手を出しちゃって、途中書きで放置しちゃってました。
「遅くなって、本当にごめんなさい。」

免罪符の乱用をしてませんか?

最近、ちょっとそんな事をふっと考えます。
そんな僕自身も、果たして免罪符の乱用をしていないかどうかというと、正直自信はありません。
ただ、自覚するかどうか、それだけでも大分違ってくるのではないかと思います。

最近のテレビ番組ですが、どうもやりすぎの気がしてなりません。
少し前はドラマもありました。
今回は、バラエティーで、です。

もちろん、お笑いは素晴らしい仕事だと思います。
個人的にも大好きです。

ですが、です。

相手は一私人です。
それをネタに笑いをとろうというのは、どうも免罪符の乱用だと、個人的に思います。

幸い、放映前に抗議を受け入れ、テレビ局も放映を中止しました。

少し、ほんの少しだけでいいです。
常識で考えてみて下さい。
傷つく人がいます。
少なくとも、放映によって、さらに深く傷つくことになります。
それは、もう、笑いではないのではないでしょうか。

笑いは素晴らしいものです。
元気の源になるものです。
沈んだ気分も、一瞬で明るい気分にしてくれます。
笑いは、本当に、素晴らしいものです。

笑いにする、
笑い(者)にする、

たった一言加わるだけで、全く違ったものになってしまいます。

テレビで放映されるという事が、どれだけ影響力があるのか、今一度、考えてみてもらいたいものです。

性的少数者、学校で被害 いじめ、暴力7割が経験、を読んで

うーん、正直この問題は非常にデリケートな問題だと、個人的に思います。
中一、中二がピークという事ですが、ちょうど微妙な年頃ともいえます。
同年代しかいない学校という空間では、自分達とは違うというだけで、受け入れられないと考えてしまうのも、ある意味仕方ないのかもしれません。
もちろん、身体的な暴力(20%、121人)、服を脱がされるなど(11%、66人)というのは論外です。それは個人の権利を踏みにじってますので、仕方ないでは済ましてはいけない問題です。
でも、被害者のほぼ半数(218人)は誰にも相談しなかったという結果からも、その子の辛さが伝わるのではないでしょうか。
理由を聞かれても、本当の理由を話して、受け入れてもらえないかもしれないという不安から、いじめ自体を我慢するという事を選択したんでしょうね。
本当に、辛い選択だと思います。

有効回答609人に対し、小学校から高校までの間に、誰にもカミングアウトできなかった人は39%、237人ぐらいの割合になります。
「理解されるか不安」や「話すといじめや差別を受けそうだった」というのが主な理由みたいです。
言葉による暴力(53%、322人)、無視・仲間外れ(49%、298人)という結果からも、その心配通りの結果になってしまっていますよね。
でも、個人的にはそれぐらい慎重な方がいいのではないかなと思います。
それほど、難しい問題なのではないかと思います。

確かに、自分のありのままを受け入れてもらえたら、これ程嬉しい事はないと思います。
でも、受け入れてくれる人もいれば、どうしても受け入れられないという人もいると思います。
それは、その人の考え方であって、どうこう強要できるものでもありません。
なぜなら、個人の考えを本当に尊重するなら、どちらも尊重しないといけませんよね。
ですから、それをどう受け止めるか、が大事なんではないでしょうか。
本当に理解して欲しい人、その人には理解してもらうように、真剣に打ち明ける。
真剣な思いというものは、必ず相手に伝わります。
相手も、真剣に考えて答えてくれるのではないでしょうか。
その結果はどうあれ、真剣に向き合ったというだけでも違ってくるのではないかと思います。

周りの大人ができるのは、環境を整えるよう、見守る姿勢が大事なんではないでしょうか。
見守るだけでいいのかと思うかもしれませんが、案外難しいものです。
見守ってもらえている、それだけでも心強く感じるのではないかと思います。
誰にもカミングアウトできなかった、それなら、自分達に打ち明けてもらえるよう、信頼関係を築く努力をするのもいいかもしれませんね。

引率の教頭自殺 脱出を非難され?を読んで

フェリー沈没事故で、修学旅行で生徒と教師の計340人が乗っていた高校の男性教頭が、救出された後に自殺していたことが18日、韓国警察当局への取材で分かったそうです。

事故も本当に悲しいニュースですが、このニュースも心が締め付けられる思いを感じました。
家族の気持ちも痛いほど伝わってきますし、この教頭の絶望感も痛いほど伝わってきます。

「約二百人の生死が分からず、一人で生きていけない。私にはすべての責任がある。私の体を火葬して、沈没した海域にまいてほしい」
教頭の財布の中に入っていた、遺書です。

何が正しくて、何が正しくないのか、色々な意見があると思います。
色々な意見があっていいと思います。

ただ、この悲しい連鎖が続かない事を、切に願います。

「ちゃんと説明できるのか」 小保方氏 会見へ心揺れる を読んで

いまさら説明が不要なニュースですよね。
でも、この一連の出来事で、小保方氏は心身の不調で病院に入院しています。

今はグローバル化の時代です。
世紀の発見として取り上げられることは、世界中に自分の存在を知られる事になります。
それは、今までの苦労が報われて、非常に嬉しい事でしょう。

では、それが手のひらを返すようになったら・・・。
世界中に自分の存在を知られています。
想像できないほどの苦しみでしょう。
とてつもない、ストレスだと思います。

「私の口からきちんと説明します」
「説明しようとしたら遮られ、言いたいことを言えなかった」
「不安な気持ちでいっぱいです。でも頑張ります。支えてください」

小保方氏は、言いたいことを言う為に、会場の費用も負担し、会見後は病院に戻るとのことです。

小保方氏が、自分の望んでいることができ、自分自身で納得できるのを、
僕は、切に願います。

自分が我慢すれば、うまくいく・・・ある事件の信念を考えてみる

少し前のニュース記事になりますが、ちょっと気になりましたので今回考えてみたいと思います。
あくまでも、事件にまで発展してしまったケースですので、それも考慮して読んで頂ければ幸いです。

”自分さえ我慢すれば、うまくいく”
ある事件を起こした容疑者の言葉です。
事件の内容はあえて省かせてもらいますが、大なり小なりこの考え方を持たれてる人は多いのではないでしょうか?
なぜなら、対人スキルとしては、短期的には有効な手段だからです。
相手の要求を聞いているわけですから、対人関係はスムーズにいきます。
相手にとっては、これ以上ない、とてもいい関係に感じるでしょう。
ただ、短期的には、です。

いずれ、そのまま続けていると、喧嘩になるでしょう。
喧嘩が増える事は、決して悪い事ではありません。
それは、親密さを増しているからとも言い換えれます。
親密な関係だからこそ、喧嘩は起こります。
親密な関係だからこそ、自分が我慢していたことを分かって欲しいという期待が生まれるのかもしれません。
それを受け入れもらえれれば、うまく修正がすんで、この点は問題がなくなるでしょう。

受け入れてもらえない時は?
同じ事を繰り返す(我慢する)か、はたまた関係が破綻するか、押し通すか、色々あるでしょう。
でも、多分ですが、他の事柄にしても、我慢してしまっている事は多々あるのではないでしょうか?
ですから、その個々について、いずれ喧嘩になるのが推測されます。
喧嘩になって、また修正されていく。
それが繰り返される。
ちょっと、疲れちゃいますよね、お互いに。

誰かの犠牲の上に、よりよい関係は成り立ちません。
他人の事はよくわかりますが、人間というものは、自分自身の事は案外気づきにくいものです。
そのような人は、自分の事は多分勘定に入っていないのではないでしょうか。
誰か、の中には、当然、自分も含まれています。
自分も含めての、相手との関係です。
どうせ築くなら、よりよい関係にしたいですよね。

ある日突然、花粉症が治るは本当? を読んで

実は、最近この手の話題をしていたんです。
この記事によると、どうもあくまでも「レアケース」とのことですが、では、僕は「レアケース」のようです。
僕も、花粉症が治ったのかどうか分かりませんが、気にならなくなりました。
これといって、何か対策をしたわけではありません。
以前は、くしゃみ鼻水、目のかゆみ、もうそれはひどいものでした。
でも、最近は苦しまなくなりました。
ですから、今回は、僕がした事を、とりあげてみようと思います。
ひょっとかしたら、そこに何かしらのヒントがあるかもしれません。
なんて書くと、いかにも怪しいですが、まああくまでも個人的体験談として気楽に読んで頂ければ幸いです。
では、お付き合い下さい。

そうですね、まずはインフルエンザが猛威を振るった年に、自己防衛として、マスクを常に着用するようにしましたね。
それまでは、どんだけ花粉症で苦しくても、マスクはしていませんでした。
息苦しいのが嫌でしたので・・・。
最初は本当に息苦しくて、しんどかったんですが、それからは、夏もマスクを着けていましたね。
暑くて大変でしたが・・・。
なんか息苦しいのも慣れると心地よいもので、変な安心感もありましたね。
それから、学校に通って、本格的にカウンセリングを学び始めたのもありますね。
それまでは、独学で学んでいましたが、資格を取りたいと思い立って、入学しました。
結果的には、ここで独学では無理だという事を思い知らされました。
と同時に、とてもたくさんの事を学び、それを消化した、と思います。
心と身体には、密接な関係がある、知識として独学でももちろん学べます。
それが、本当に自分の中で消化されたからこそ、身体にも変化が現れたのではないかな、と今では思っています。

マスクを常に着用するようになった、
カウンセリングを本格的に学んで、資格をとった、
元々、花粉症ではなかったのかもしれない(あり得ないと思いますが、一応)、
とまあ、思い当たるのは、こんな点ですか。

参考になるかどうか分かりませんが、「レアケース」が存在する以上、治る可能性もあるわけです。
どうせなら、楽になりたいですよね。

 

夜9時からスマホダメ ~刈谷市の取り組みについて考えてみる~

今回のタイトルは、今朝(3月15日)の中日新聞の朝刊の記事の見出しです。
どのような内容かというと、"LINE"などのトラブルに子どもが巻き込まれるのを防ごうと、愛知県刈谷市の全小中学校が四月から、午後九時以降に児童生徒に携帯電話を使わせないルールを申し合わせる、という内容です。
正直、最初ちょっとだけ読んだ率直な感想は、"そこまで介入するか"、でした。
でも、記事を読み進めながら、ちょっと考えてみると、全く違う感想になりました。
どう変わったかというと、"なかなかいい取り組みではないかな"、に変わりました。
自分でも、これだけ考えが変わるというのはあまりなく、驚いています。
では、どうしてそうなったのか、説明させてもらいますね。
どうぞ、お付き合い下さい。

まずは、"そこまで介入するか"と感じたのは、どうも僕自信の考え方に一因があります。
このカウンセリングルーム、”free mental place 航”は、けっこう悩みながら名付けました。
自由なこころの空間、それを第一にしたいと思い、そのままストレートに出しました。
どうも僕自身の弱点は、自由の対になる、過干渉とかルールとか枠組みに反発を覚えてしまうんです。
個人主義と全体主義とも置き換えれますね。
それがそのまま出たのではないかな、と思います。
一応断わっておきますが、プロですので、もちろん問題はないですよ、念のため(笑)

さて、通常なら、この手の記事は読み進めても、僕の中では、”どうなのかなあ”で終わってしまいます。
それが今回、違っているのは、明確に目的を達成できるかもしれない、と思える箇所があるからです。
それがどこなのかというと、児童生徒愛護会委員長の言葉です。
”子ども自身がラインと距離を置く言い訳に使ってほしい。”
つまり、自分達を悪者として、それを言い訳にして、上手く距離をとってほしい、という点です。

良い悪いは別として、集団がまとまる一つの方法として、共通の敵を作るというのがあります。
俗にいう、スケープゴートというものです。
もちろん、された人はたまったものではありません。
ただ、確かに集団は一つにまとまるんです。

LINEの問題は、今更ここで書く必要がないぐらい色々な問題が出ています。
それを何とかしたいという目的を達成する為に、学校が自ら悪者(スケープゴート)になって目的(子どもを守る)を達成するわけです。
上手く距離を取れない子どもにとって、そんな子どもを見て心配してる親御さんにとっても、正に渡りに船ではないんでしょうか。

この取り組みを、上手く活用して、少しでも問題解決に結びつければいいなと切に願います。

3.11について考えてみる

あの未曾有の東日本大震災から今日で3年経過しました。
3年という時間は、長いんでしょうか、短いんでしょうか?
時間の流れというものは、誰もが同じなんですが、感覚は立場によって変わってくるものなんでしょう。

人間というものは、日常生活において、何かおやっと感じた事があると、いつまでも心に引っ掛かかっているものです。
逆に言うならば、おやっと感じなければ、そのまま日常の中に埋もれてしまいます。
ですから、同じ経験をした人でも、覚えている人と覚えていない人がいるんです。

風化させない、忘れない。

震災にあわなかった僕たちは、日常生活に埋もれて忘れがちになってしまいます。
なら、せめて今日、この日だけは忘れないように、なにか自分に出来る事を考えてみませんか?
色々ニュースで取り上げています。それについて、自分なりに考えてみる。
それが、風化させない事に繋がるのではないかな、と思います。

最後に、震災で亡くなられた人達のご冥福を心からお祈りいたします。

臨床心理療法士 砂場航一郎

名古屋駅の暴走車の事件について思うこと

この週末、痛ましい事件が起こりました。
地元の名古屋駅周辺で、暴走車が歩道に突っ込み、13人に重軽傷を負わせる、という事件です。
事件に巻き込まれた人達、近くで目撃された人達の恐怖、痛み、怒り等々を察すると、言葉になりません。
僕もよく行く場所ですので、こんな場所で、あり得ない事件が起こるのは、本当に怖いですね。

"人をはね殺そうと思った。誰でもよかった"
"わざと突っ込んだ。殺すつもりでやった"
"悪いことだとは分かっている"
反省するような言葉は述べていない。

犯行に及んだ犯人の供述のようですが、悪いことだと頭で理解しているつもりだから、今は反省の言葉を述べれないんでしょう。
自分の犯した罪を、これからの長い時間をかけて考えることによって、本当に心から反省するのではないでしょうか。
ただ、残念に思うことは、色々事情があると思いますが、行動に移す前に少しだけ考える時間が取れなかったのが残念でなりません。

自分でも呆然としてしまうような大きな事件を起こす事情は、確かにあるでしょう。
だからといって、他人に危害を加えていい理由にはなりません。
身勝手な犯行、と言われても仕方ないでしょう。
自分の犯した罪は、しっかりと自分で償っていってもらいたいものです。

色々な悩みを抱えていたから、極端な行動に走ってしまったのでしょう。
極端な行動に走ってしまう前に、悩みを相談する、カウンセリングを受けてもらいたいと、僕は心から願います。
もちろん、カウンセリングは万能ではありません。
ただ、少しだけ、考える時間は取れるのではないかなと思います。
その、少しの時間で、違う結果になったのかもしれません。同じ結果だったのかもしれません。
あなたは一人ではありません。
一人で抱え込まず、カウンセラーに寄り添ってもらって、一緒に考えませんか。