free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

対人関係

夜9時からスマホダメ ~刈谷市の取り組みについて考えてみる~

今回のタイトルは、今朝(3月15日)の中日新聞の朝刊の記事の見出しです。
どのような内容かというと、"LINE"などのトラブルに子どもが巻き込まれるのを防ごうと、愛知県刈谷市の全小中学校が四月から、午後九時以降に児童生徒に携帯電話を使わせないルールを申し合わせる、という内容です。
正直、最初ちょっとだけ読んだ率直な感想は、"そこまで介入するか"、でした。
でも、記事を読み進めながら、ちょっと考えてみると、全く違う感想になりました。
どう変わったかというと、"なかなかいい取り組みではないかな"、に変わりました。
自分でも、これだけ考えが変わるというのはあまりなく、驚いています。
では、どうしてそうなったのか、説明させてもらいますね。
どうぞ、お付き合い下さい。

まずは、"そこまで介入するか"と感じたのは、どうも僕自信の考え方に一因があります。
このカウンセリングルーム、”free mental place 航”は、けっこう悩みながら名付けました。
自由なこころの空間、それを第一にしたいと思い、そのままストレートに出しました。
どうも僕自身の弱点は、自由の対になる、過干渉とかルールとか枠組みに反発を覚えてしまうんです。
個人主義と全体主義とも置き換えれますね。
それがそのまま出たのではないかな、と思います。
一応断わっておきますが、プロですので、もちろん問題はないですよ、念のため(笑)

さて、通常なら、この手の記事は読み進めても、僕の中では、”どうなのかなあ”で終わってしまいます。
それが今回、違っているのは、明確に目的を達成できるかもしれない、と思える箇所があるからです。
それがどこなのかというと、児童生徒愛護会委員長の言葉です。
”子ども自身がラインと距離を置く言い訳に使ってほしい。”
つまり、自分達を悪者として、それを言い訳にして、上手く距離をとってほしい、という点です。

良い悪いは別として、集団がまとまる一つの方法として、共通の敵を作るというのがあります。
俗にいう、スケープゴートというものです。
もちろん、された人はたまったものではありません。
ただ、確かに集団は一つにまとまるんです。

LINEの問題は、今更ここで書く必要がないぐらい色々な問題が出ています。
それを何とかしたいという目的を達成する為に、学校が自ら悪者(スケープゴート)になって目的(子どもを守る)を達成するわけです。
上手く距離を取れない子どもにとって、そんな子どもを見て心配してる親御さんにとっても、正に渡りに船ではないんでしょうか。

この取り組みを、上手く活用して、少しでも問題解決に結びつければいいなと切に願います。

口下手で役員の仕事 不安

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も少し趣向を変えて、原文をそのまま変えずに記載しています。
もちろん理由はありますので、どうぞ今回もお付き合いください。

地域の役員に選ばれ、受けることになりました。
多い時は月に五~六回、研修会や行事のための会合があり、あいさつをしたり、意見を言ったりする機会が多くなります。
口下手の私は、頭の中で話す内容を考えていても、その場になると何も話せなくなります。
これから二年の役員任期の間、人前で話すことができるか、不安でいっぱいです。

さて、今回、全く手を加えず、そのまま記載しました。
どうしてか、その理由はとても簡単です。
とても素晴らしく、分かりやすく、伝わりやすい文章だと、僕が感じたからです。
そのあなたの持っているものを、そのまま利用してみませんか?

頭の中で内容を考えているのを、文章にしてメモ書きとして持って人前で話す、というのはどうでしょう。
これだけ相手に伝わりやすい文章ですので、結果はかなり違ってくると思います。
口下手かもしれませんが、文章上手だと僕は思いますよ。
それを繰り返すことによって、人前でも話すという事に自信を持てるようになると思います。
自信が持てると、自ずと自分の意見も言えるようになるのではないかなと、僕は思います。

月に五回として、二年の任期で120回、少なくとも100回程度あるわけです。
最初は失敗しても、これだけ回数あるとしたら、なんとかなるように思えませんか?
文章上手なあなたなら、出来ると、僕は信じています。

孫を差別する義父

今回も、ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
途中、色を変更して書いているのは、原文のまま記載しています。
少し読みづらいかもしれませんが、ご了承下さい。

今回は、義父母と同居している方の相談です。
義父母の娘と同時期に、わが家にも子どもが生まれました。
娘の孫がかわいいのは分かりますが、義父の態度が明らかに違う、との事です。
娘の孫は何をするにも大事で心配。
この方のお子さんには、口調もきつく、"あなたがしっかりみておきなさい"と言われる、とのことです。
まだ子どもたちは幼く、分からず遊んでいますが、腹立たしく、平等に接してほしい、とのことです。

なるほど、同時期に生まれたのに、平等に接してもらえないと腹立たしく感じますよね。
ましてや、それが自分のお子さんだとなおさらでしょう。
さて、どうしたらいいんでしょうね?

ちょっと今回、書き方を変えてみました。
なぜかというと、文面を読ましてもらった時、僕は何か他人行儀な印象を感じました。
その部分を色を変更してみました。
僕の見当違いなら、本当に申し訳ありません。
ひょっとかしてですが、以前から義父とあなたはあまりいい関係ではないのではないでしょうか?
同居しているのに、わが家と書いてあるんですが、そこに何か強いこだわりがあるように感じました。
あえて分けている、という感覚ですかね。
そして、私は口を出さないから、”あなたがしっかりみておきなさい”と繋がっている気がしました。

もしくは、家族構成は分かりませんが、普段から同居している家族なら、孫とはいえ、厳しくなってしまうものではないでしょうか。
娘の孫というわけではなく、たまに会う孫には甘く接してしまう、とは考えられないでしょうかね。
確かに、平等ではないかもしれませんが、平等に接するのは難しいかもしれません。
ただ、娘さん家族も同居しているなら、また話しは別になってしまいますが。

義母かご主人に、義父の自分のお子さんに対する態度について相談してみてはどうでしょう。
明らかに態度が違うなら、二人も同じ事を感じているでしょう。
何か義父に働きかけてくれるきっかけになるかもしれません。
育て方というものは、自分が意識しなければ変わらないものです。
義父が昔からご主人に対しても同じような態度なら、本当の家族として接しているのかもしれません。
あるいは、義父自身もどうやって接していいのか分からないのかもしれません。
だから、つい厳しく接してしまうというのもあり得るかもしれませんね。

”守る” VS ”見守る”

今回は、”守る”と”見守る”について、その違いを考えてみようと思います。
たった一言、一つの動作、”見る”が入るだけで、似て非なるものになっちゃうんです。
タイトルでは、あえて VS とまるで対立してるように書いてみましたが、もちろん、どちらも大事で必要な事だと思います。
ただ、どちらかに偏りすぎると、どうも対する方にあまりいい思いをもたない傾向があります。
というか、誤解をしやすい、と言った方がいいかもしれませんね。
どのような誤解が生じるかと言うと・・・
”守る”が強すぎると、”見守る”傾向がある相手を見ると、冷たい人、無関心という印象を持ちやすいです。
ですから、そんな対応を見ると、さらに"守る"という行為をしてしまいます。
逆に、”見守る”が強すぎると、”守る”傾向がある相手を見ると、干渉し過ぎ、おせっかいという印象を持ってしまいますね。
ですから、そんな対応を見ると、さらに一歩引いて"見る"という行為になってしまいます。
でも、どちらも対象の相手に対して、大事に思ってるのは一緒なんですよね。

どちらも必要で大事な事なんです。
そして、もっとも大事なのは、対象の相手の意見が一番大事なんです。
それを念頭に置いておかないと、対象の相手が板挟み状態で、新たな問題に発展しちゃいます。
相手がどうしてほしいか、何を望んでいるのか、それを与えれると問題は何も起こりません。
当たり前のことなんですが、なかなか難しいですよね。
難しいなと思うなら、ひょっとかしたら、どちらかに偏っているのかもしれません。
足りない方をちょっと心掛けてしてみると、そのような問題もなくなるかもしれません。
"守る"傾向が強い人は、"見守る"を心掛けて、
"見守る"傾向が強い人は、"守る"を心掛けて。

自分はどちらの傾向が強いか分からないなって思うなら、当事務所一押しの"エゴグラム"をお薦めします。
なんて、最後はちょっと宣伝になっちゃいましたが・・・。

名古屋駅の暴走車の事件について思うこと

この週末、痛ましい事件が起こりました。
地元の名古屋駅周辺で、暴走車が歩道に突っ込み、13人に重軽傷を負わせる、という事件です。
事件に巻き込まれた人達、近くで目撃された人達の恐怖、痛み、怒り等々を察すると、言葉になりません。
僕もよく行く場所ですので、こんな場所で、あり得ない事件が起こるのは、本当に怖いですね。

"人をはね殺そうと思った。誰でもよかった"
"わざと突っ込んだ。殺すつもりでやった"
"悪いことだとは分かっている"
反省するような言葉は述べていない。

犯行に及んだ犯人の供述のようですが、悪いことだと頭で理解しているつもりだから、今は反省の言葉を述べれないんでしょう。
自分の犯した罪を、これからの長い時間をかけて考えることによって、本当に心から反省するのではないでしょうか。
ただ、残念に思うことは、色々事情があると思いますが、行動に移す前に少しだけ考える時間が取れなかったのが残念でなりません。

自分でも呆然としてしまうような大きな事件を起こす事情は、確かにあるでしょう。
だからといって、他人に危害を加えていい理由にはなりません。
身勝手な犯行、と言われても仕方ないでしょう。
自分の犯した罪は、しっかりと自分で償っていってもらいたいものです。

色々な悩みを抱えていたから、極端な行動に走ってしまったのでしょう。
極端な行動に走ってしまう前に、悩みを相談する、カウンセリングを受けてもらいたいと、僕は心から願います。
もちろん、カウンセリングは万能ではありません。
ただ、少しだけ、考える時間は取れるのではないかなと思います。
その、少しの時間で、違う結果になったのかもしれません。同じ結果だったのかもしれません。
あなたは一人ではありません。
一人で抱え込まず、カウンセラーに寄り添ってもらって、一緒に考えませんか。

受験合否聞かれうんざり

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回は、お子さんが大学受験中の方の相談ですね。
職場の同僚にも同い年の子どもがいて、興味津々の様で、受験の状況を事細かく聞いてくるので、うんざりしているとのことです。
受験校、合否はどうなったかにいたるまで、のようですね。
受験の時期は本人だけでなく、家族もぴりぴりしているので、そっとしておいてほしいのに探られ、あまりの配慮のなさにいら立ちます、との事です。

なるほど、お子さんが受験中って、本当に気を使いますよね。
少しでもベストな状況で受験してもらおうと思って、お子さん中心の生活になっちゃいますよね。
ぴりぴりしていて、そっとしておいてほしいのに、あれこれ探られると、いら立ちますよね。

では、どうしたらいいんでしょうね。
そうですね、まずは、自分がどうしたいのか、自覚を持つのが第一ですね。
この文章から察すると、"そっとしておいてほしい"でいいんでしょうか。
そっとしておいてほしいのに、事細かく聞かれるから、"配慮ないと感じて"いら立つんですよね。
となると、聞かれなければ、"そっとしてもらえ"て、目的は達成されるわけです。
一番有効な方法は、"その場を離れる"というのがあります。
話題が、嫌な話題になったら、トイレに行くとか、その場を離れる事によって、話題をコントロールできます。
戻ってきたら、違う話題にすれば、いら立つ事もなくなるんではないですかね。

あと、ちょっと気になったのが、”探られる”という表現が気になりました。
確かに、聞かれたくない事を聞かれると、探られてるんじゃないかと思う事があると思います。
聞かれたくない事を聞くから、配慮がないと感じていら立つわけですよね。
ただ、聞かれたくないかどうか、相手は分かるんでしょうか?
相手は、会話として普通に聞いてるだけ、なんではないでしょうか。
となると、探っているわけではないんです。
探っていると考えてしまうと、違う可能性を見落としちゃうこともあります。
例えば、同い年の子どもを持つ親として、心配して聞いているのかもしれません。
合格してよかったね、って喜びを分かち合いたいのかもしれません。

あるいは、一方的に聞き出されて、”探られている”と感じているのかもしれませんね。
その場合は、相手と同じ事をする、という方法もあります。
”どうしてそんなに聞きたいの?”と、逆に質問して、聞き出してみてはどうでしょうか。
この方法なら、前述の可能性を確かめる事もできますよ。

音楽界、スポーツ界、最近のニュースの相似点

最近は、色々なニュースが世間を賑わしていますね。
18年間のゴーストライター、ある特定ボクシングジムの活動停止、この二つについてちょっと考えてみようと思います。
お付き合い下さい。

なぜ、この二つを選んだか、不思議に思うかも知れません。
たまたま同じ時期にニュースで取り上げられたから、もっともな意見だと思います。
では、なぜ同じ時期にニュースになるんでしょうね。
あくまでも僕の考えですが、この二つの問題、根っこは同じ問題なんですよ。
もちろん、繋がってるという意味ではありません。問題の本質が同じなんです。
同じような問題だからこそ、ひょっとかしたら、同じ時期に発表されるのかもしれませんね。

さて、本題に入ろうと思います。
まずは、あまりにもメジャーな例えを思い浮かべて下さい。
それは、"人"という文字です。
"人"という字はお互い支え合って・・・かの有名な先生の言葉ですよね。
で、そこからもう一つが、片一方が片一方を倒れるのを支えている、です。
だから、人はどちらかが損をしている、という見方です。

それを踏まえて、ここからです。
実は、これって、お互いなりたくてこのような役割を選んでいるんですよ。
だからどちらかが一方的に損をしているわけではないんです。
支えられたい人、支えたい人、お互いに自分がやりたい役割が一致してるから、"人"という文字が成り立つんです。
自分が落ち着く立ち位置、と表現しても過言ではないかもしれませんね。
自分が逆の立場になりたいかどうか考えてみると、納得できると思います。
この関係って、他にも思い当たるケースありませんか?
そうなんです、DVの問題も実は当てはまっちゃうんですよね。
そして、最後はお決まりのパターン、関係の破綻に向かっていっちゃうんです。

今回も、両方とも最悪の破綻に辿り着いちゃいましたよね。
今まで我慢してた鬱憤を、周りを巻き込んで、一番相手が困るであろうタイミングで解消しちゃうんです。
今までの関係が、ここで一気に入れ替わるんです。
その代償は、お互いにあまりにも大きすぎます。
ひょっとかしたらですが、自分も意図していない結末になったと思っているんではないでしょうかね。

そういえば、いつも自分はこんな関係の繰り返しをしているなと思った人もいるのではないでしょうか?
もし、思い当たるなら、ちょっとだけ立ち止まって考えてみて下さい。
また同じ嫌な気持ちを味わいたいのかどうか、自分がどうしたいのか・・・。
一人で考えて行動すると、同じ事を繰り返してしまう可能性は大きいです。
その前に、自分が信頼できる人に話してみるだけでも違う結果になるかもしれません。
自分を変えるのは、自分だけです。
ただ、変化を見守ってもらうだけでも、かなり心強く感じるものです。

嘘とどう向き合うか

人は誰でも嘘をつきます。
なんていきなり断定しちゃいましたが、嘘をついたことがない人なんていないんではないかなと思います。
そんな事ない、嘘は悪い事だから今まで嘘なんてついた事ないと反論したい人もいるかもしれません。
確かにその通りだと思います。嘘は悪い事だと思います。これ以上ない正論ではないかと個人的にも思います。
でも、ちょっとだけ考えて下さい。
自分の気持ちに正直に、嘘つくことなく生活できるのでしょうか?
自分の気持ちに正直に、嘘つくことなく生活したら、どんな状況になるんでしょう?
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

どうでしょうか、今までうまくいっていた関係もギスギスした関係になった状況が想像できたんじゃないでしょうか?
自分の気持ちに正直になるのは大事な事ではありますが、それだけでは、人付き合いは上手くいきません。
つまり、周りと上手くやっていくために、自分の為に自分の気持ちに嘘をつくんです。
人付き合いが苦手な人、もしくは周りと衝突ばかりする人は、自分の気持ちに純粋に正直なのかもしれませんね。
嘘という言葉に抵抗があるなら、気を使う、と置き換えて下さい。
周りに気を使えない人もまた、人付き合いが上手く出来ないですよね。
それでは、せっかく気を使ったのに、と言いたい時って、どんな事を感じていますか?
そんな時は、自分の気持ちと違う行動をとった時が多いんじゃないでしょうか。
せっかく気を使ってしてあげたのにしなければよかった、とまではいかないまでも、近い気持ちにはなるんではないでしょうか?
でも、相手は気を使って欲しかったんですかね、勝手に気を使ったのは、誰なんでしょう?

さて、あなたは、今、誰かとギスギスした関係はありますか?
それは、あなたが自分の気持ちに、純粋に正直に行動してしまった結果も一因ではないのでしょうか?
それは良い事なのか悪い事なのかは分かりません。
ただ、自分で行動した結果ですので、責任は自分で取るしかないですよね。
もちろん、その関係で特に困っていないならそれでいいと思います。
自分を取り巻く環境を決めるのは、他の誰でもない、自分自身だけなんです。

その関係で困っているなら、どうしたらいいんでしょうか?
まずは、自分の為に、何が自分に出来るんだろう、と考えてみたらいいのではないでしょうか。
困っているのは、他の誰でもありません。あなた自身なんです。
自分の気持ちに、純粋に正直に行動してしまった結果も一因なら、まずは自分で出来る事として、その行動を修正する事が出来ますよね。
相手と上手く付き合う為に、自分の為に自分の気持ちに嘘をつく、その嘘とどう向き合っていくか、となるのではないですかね。
案外、向き合ってみると、今まで見えなかった、見えないようにしていた事に気づくものです。
関係は修復出来るものです。修復出来なかったとしても、何かしらの答えは出るものです。
何かしらの答えを出すのもまた、他の誰でもない、あなた自身なのです。

それでは、もう一つ・・・。
相手はなぜ嘘をつくのでしょう?
あなたとの関係を上手くやっていく為に、嘘をつく、とも考えられませんか?
嘘を貫く為に、更に嘘をつく、あなたとの関係を上手くやりたい為にやっているのかもしれません。
もちろん、それだけではありません。でも、そんな嘘もあるのではないでしょうか。
他人を変える事は出来ません、でも、あなた次第で、他人は勝手に自分で変わっていくんです。
その嘘とどう向き合っていくか、それもまた、あなた次第なのかもしれませんね。

 

一般常識の重要性~あるニュース記事を見て~

一昨日、あるネットニュースを見て、今までと対応が違っていたので、違和感を感じていたんですが、昨日の朝その記事のその後を見て、やっぱりなと納得しました。
どのようなニュースかというと、あるお笑い芸人がしてしまったニュース記事です。
一昨日の記事の内容では、この芸人のマネージャーがマネージャー自身で判断して問題に対応する、となっていました。
今までのこの会社の対応と違っていたので、おやっと違和感を感じていました。
昨日の朝、この記事の続きを見ると、この芸人の自作自演だったとのことでした。
会社から怒られ、当のマネージャーからはクレームの電話が鳴りやまず、本当の事を書いたとの事でした。

確かに、事情を見ると、かなりしんどい思いをしながらそれを続けてるみたいでした。
事情は分かりますが、だからといって取った問題対策がまずかったですよね。
タレントを守るのもマネージャーの仕事かもしれません。
でも、その行為によって、相手はクレームの電話をかけ続けてるわけです。
笑いをとるために、やってみたのかもしれません。
それなら、笑いの専門である会社が怒るわけありませんよね。
明らかに、笑いという仕事を逸脱してしまった行為をしてしまったんです。

人によって常識って違うと思います。
ですから、一般常識って、非常に重要になると思います。
今回のニュースでは、少なくとも、他人に迷惑をかけてしまっているんですよね。
自分も迷惑を被っている、その通りだと思います。
だからといって、自分を守る為に、他人に迷惑をかけるなら、その人達と一緒ですよね。
今まで耐えてただけ、限界を越えた行為って、過剰になってしまうんです。

ここでもうひとつ、大事な一般常識があるんです。
こちらは、非常に簡単なことです。
"相手が悪いことをしたら、怒る(叱る)"です。
分からないから、悪いことをしてるかもしれません。
だから、分かりやすく、怒って(叱って)教えるんです。相手に伝わるようにです。
ですから、この芸人は、すぐ反省できたと思います。
多分、同じことは二度としないのではないかと思います。

簡単な事程、難しいですよね。
難しいですけど、その後を考えたら、やりたいですよね。

新年のご挨拶と昨年末の出来事

新年明けましておめでとうございます。
昨年は皆様にとって、どんな一年だったんでしょう?
僕にとっての一年は、本当に有り難い一年だったと、素直に思える一年でした。
自分がやりたかった事を、色々な人の意見を参考にして、自分なりに”形”として表現する事が出来て、そして反応してもらえました。これ程、充実感を実感した一年は今までなかったと思います。
これからも、色々と取り入れていこうと考えています。
今後とも、free mental place 航 どうぞよろしくお願い致します。

さて、新年の挨拶を済ました後に、昨年末の話しをするのもなんですが、少しだけお付き合い下さい。
9月に僕自身がある決断をして、行動した結果、どのような事が自分に起こったかを、この 航のこらむ の中の”夢の検証”の中で少しだけ触れさせてもらいました。
結論から先に述べますと、十数年来の僕自身のわだかまりが、昨年末に本当の意味で解消されました。

もちろん、プロですので、自分自身の問題は既に解決済みです。
自分自身の問題に向き合って、何かしらの答えを出していなければ、カウンセリングという仕事はしてはいけないのではないかな、と僕は個人的には思っています。最低限、資格をとってですよ、もちろん。
ですので、自分自身としては、問題は解決済みだったわけです。
では、どうゆう事?と思いますよね。

僕は決断だけでなく、行動もしていましたので、自分に変化が起こったと、以前も書かせてもらいました。
行動した結果って、自分だけが受けるものなのでしょうか?
違いますよね、対象相手がいるからこそ、ある行動をするものですよね。
ですから、その行動って、その相手にも影響を与えてるわけです。
もちろん、その相手が行動してくれましたので、本当の意味の解消に結びついたと思います。
詳しくは書きませんが、こんな風になるなんて、想像もできませんでした。もちろん、とてもいい意味で、です。
僕一人だけなら、多分たどり着けなかった答えだと、今も思っています。

もちろん、これで終わりではありません。
ここからまた、新たな関係性が出来て、そして繋がっていくのではないでしょうか。
その為に、また行動する、の繰り返しをするわけです。
どんな答えになるか分からないからこそ、行動出来るのかもしれませんね。

世の中に正しい答えなんてない、と僕は思っています。
自分にとっての、正しい答えを見つけていくものではないでしょうか。
ですから、間違いもするわけです。間違いをしたから、終わりではないんです。
今は、自分にとっての、正しい答えにたどり着いていないだけ、なんです。
そして、やっとたどり着いたとしても、それがゴールではないんです。
今の自分にとっての、ゴール、でしかないのではないでしょうか。
多分、その先も続いていくんでしょうね、僕の場合のように・・・。
なんか、途方もない道のりですよね。
途方もない道のりだからこそ、時々、遠回り、道草、休憩、しちゃうんです。
途方もない道のりだからこそ、そんな時間を必要とするんでしょうね。
途方もない道のりだからこそ、あせらずに、です。