free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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対人関係

あおり運転免許取り消しへ

基本的には個人としては賛成ですね。
守れないではなく、守らないですからね。
集団から退場してもらうのも仕方ないでいいんではないでしょうかね。
ただ、基本的に、です。

どうも色々な事柄について、最近の流れは過剰に反応し過ぎてるように感じます。

ちょっと過保護すぎるでしょ、成長しないよとどうしても思える事柄も多々個人的に感じます。
まあ、自己保身は生物として当たり前のことですから責任問題で叩かれるよりはと考えちゃうんでしょうね。

だからといって、一方的というのは個人的に納得できないとこですね。

備えあれば憂いなし、
冤罪が増加するのも目に見えてますので、セルフケアの考えの応用でドライブレコーダーを備えた方がいいでしょうね。

その部分だけ切り取られるのが目に見えます。
原因を見ずに結果だけなんて一方的ですから。
やってないのにやったなんて絡まれても嫌ですからね。

客観的物的証拠、これに尽きます。

大学時代の女子会面倒

今回のねえねえちょっとの相談は、僕も年二回高校時代からの友人達と飲み会をしてる経験も踏まえ、考えてみたいと思います。

大学の同級生の女子会に行くのがおっくうです。
私は二十五年前に三重県に嫁ぎ、私以外の五人は郷里の兵庫県にいます。
女子会は半年に一度ですが、場所は兵庫か大阪。
往復の交通費や時間などを考えると大変で、「たまには三重か愛知で」と誘っても、お茶を濁されます。
もう行くのが嫌ですが、付き合いは続けたい。
どう伝えればいいでしょうか。

以前は僕も京都までよく出掛けてましたので、兵庫か大阪まで行く時間と交通費を考えるとホント大変ですよね。
もう行くのが嫌になるのもよく分かります。
かといって、長い時間をかけた付き合いも続けたい。
よく分かりますね。

さて、どう伝えればいいかですが、
コミュニケーションの基本は、本音を分かりやすく、端的に、です。
とは言っても、角が立ってはもちろんダメです。

まずは、どれだけの時間と交通費がかかっているか、
目で見て分かるように説明してみて、
長年自分がいかに頑張って(我慢して)きたか、分かってもらいます。
我慢してないと思うかもしれませんが、
理性で押さえつけてるだけで、負担というものは貯まっていくものです。
それが、いずれ爆発してしまう。
溜め込むという行為はそんな自然の流れです。
自分自身に言い聞かせる、それは既に我慢しているとなるのです。
誰かの犠牲の上に成り立っている関係は、いずれ必ず破綻します。
そうなる前にガス抜き、見直しが必要になってきます。
とはいっても、なかなか難しいものです。
人は誰もが面倒事は反射的に避ける傾向があります。
まさにお茶を濁す、です。
ですから、落とし所をどこにするか予め考えておきます。
ここまでは妥協できる、そんな最低ラインです。
最初は高めの要求を提示してみて、そこから要求を落とし、こちらも妥協しましたよ、
なんてアピールできればいいかな、と。
もちろん、曖昧でなく具体的に、です。
まとまればオッケーですが、まとまらなければ撤退しかないかもしれません。
現実問題、五対一ですのでこちらの方が可能性は高いでしょうね。
多数決とはそんな仕方ない、ある意味理不尽なものなんです。
そんな時は、誰かを悪者にして仕方なく感をアピールするのもありかな、と。
もちろん、身内の誰かをですよ。
まあ、旦那さんを悪者にするのが一番いいでしょうね。
噓も方便です。
実はこうこうこうで、本当は参加したいんだけど、ごめんね、と。
行ける時もあるかもしれないから連絡はしてね、なんてしれっと言えれば御の字かと。
結びつきが強化される一番の近道は共通の敵を作ることです。
それを上手く利用して、関係を維持する方向にもっていく。
まあ、長年の付き合いでしょうから家族関係もお互い把握しているかもしれませんが、そこは臨機応変で。

名古屋トーチ事故生徒 学校通えず

暴言、中傷、心にも傷
教員「罸が当たった」 ネットで「下手だから」

さて、最初にまずはお断りしておきます。
今回のこらむの内容も、前回の関連記事のこらむの内容も
あくまでも僕の個人的思考によるものです。
どうしても、僕には許せないことがあって、
それはカウンセラーとしては致命的かもしれませんが、
それを自覚しても、それでも、取り上げたいと思い、書かせてもらいました。
気分を悪くされる方もおられると思いますが、一つの声として読んでもらえたら幸いです。

今朝、9月17日付の中日新聞朝刊の記事の内容です。

内容は省かせてもらいますが、こうなる結果は予想の範疇だったはずです。

名古屋市教委は8月13日付で、火を付けた棒を使うトーチトワリングを本年度は実地しないよう市立の全中高校に通知。

すぐに取り止めの判断は素晴らしいと思います。
ですが、どれだけ安全対策をしようが、前回も書いた通り、
でかい火遊びです。
事故は人が行う行為である以上、ヒューマンエラーはなくなりません。
でかい火遊びはダメ、それで禁止でいいのではないでしょうかね。

ですが、今までがんばってきたことができなくなった不満はどこに向かうのか、
そんなの、一ヶ所しかありません。
向かわれた方は、たまったもんではありません。
本当、たまったもんではないですよね。

学校という集団の中で、色々な意見もある中、動くのは難しいのかもしれませんが、
それでも、動く時に動かないのはやはり問題と言われても仕方ないことなのではないでしょうか。
関係各所で、今回の件で関わってる方には耳の痛い話しだとは思いますが、
十分に反省をしてもらい、同じようなケースで二度と同じような対応をしないようしてもらいたいものです。

人は、自分に都合のいいものしか見ないし、聞きません。

物事には、必ず良い面、悪い面、二つあります。

立ち位置によって、見方が変わります。

悪口に聞こえるかもしれませんが、向こうに言わせれば正当な意見だと言うかもしれません。

自分が主張する以上、相手にも主張する権利があります。

ですから、主張は仕方ないことなんです。

ですから、見たくないものは、見ないでいいんです。

聞きたくないことは、聞かなくていいんです。

余裕が出来てから、

それから見たり、聞いたりすればいいんです。

それで、いいんです、はい。

余裕を取り戻すまで、味方をしてくれる人たちに頼ればいいんです。

必ず、学校の中にも味方をしてくれる人はいるはずです。

嫌なことは、嫌、とハッキリ言える人は必ずいます。

学校にいなくても、どこかにいます。

ゆっくりと、ゆったりと休息をとって、余裕を取り戻してもらいたいと、

切に願っています。

あおり 暴行と同じ

直接的危害なしも容疑適用
行為自体を罰する法整備へ

今朝の中日新聞朝刊の記事です。

いやあ、やっとですね。
動き出すまで時間がかかるのは仕方ないですが、罰則は必要でしょう。

当たり前のことなんです。
運転免許というのは、
運転を免除することを許す、みたいな意味あいです。

元々、危険な道具を使うことを、
あえて許されているんです。

普通に考えればいかに危険な行為か分かりますよね。
分からない、なんて言い訳も通じるはずないんですよ、元々。
運転免許、自ら取得してますから。

ただ、物事には必ず良い面と悪い面があります。
光があれば影ができる、切り離せません。
法定速度を守るというのは、遅すぎるのも守っていないと同義です。
たった一台の影響で、大渋滞になっちゃいますから。

とりあえず言えることは、
めんどくさいのにはかかわらない、全力でその場を離れる、
です。

闘争か、
逃走か、
選択によって未来は変わります。

どちらを選ぶかはあなた次第です。

 

呼吸で整える

カウンセリングの場でも、普段の生活でも多用する手短な方法として、呼吸法があります。

例えば、イライラするなあ、なんて時、呼吸を整えると、案外落ち着くものです。
僕は結構、多用していますね。

方法なんですが、重点は吸う方ではなく、
吐き出す方に意識を向ける、ですね。
鼻から吸った時間と同じぐらい、ゆったりと口から吐き出す、ですね。

数度繰り返すと、落ち着きます。

寝る前にやってみるのも効果的らしいです。

僕は寝付きいいもので、先生からの受け売りですが。

手短で効果的、
胡散臭いかもしれませんが、普段の生活に取り入れてみたらどうでしょうかね。

 

事前に備える

今朝の事なんですが、コンビニから出るのに、右折しようとして待ってる車がいたんですよね。
合流する車線が信号変わったばっかなのに、全然混んでもいないのに。

左折して出りゃすぐいけるやん!何、その無駄な時間!!

僕の思考パターンでは、そういう判断しかできないんですよね。

全く知りもしない人なんですが、もし日常生活で関わるなら間違いなくトラブルになる思考の持ち主の人です。
あくまでも僕にとってはですがね。

出来事が起こった時に、条件反射でパンっと出るのが自動思考というものです。
その自動思考によって、行動と感情が決定します。

分かっているのにどうしても怒っちゃう。
あ~またやっちゃった。

後で後悔するのには、自動思考が関わっています。
まあ、後に悔やむから後悔なんですがね。
仕方ないんです、自動で出てくる思考ですからね。

とはいっても、嫌ですよね、後悔ばっかするの。

だから、対策を取るんです。

自分の弱点、自動思考を特定すれば、対策できますよね。
ぱっと出てくるから、行動を一つ付け足す、みたいな。
なんでもいいんです、手をたたくでも、握るでも、
なにか癖をいれちゃうイメージですかね。
ああ、いかんいかんてな感じですかね。

できる、できないではないんです。

誰もができないことなら、それはできないことです。
時間がかかるかかからないか、です。

まあ、これは自分の思考を直すという行為ですが。
直したくないなら直さなくていいと、個人的には思っています。

問題を解決するのに、もっとも大事なことがあります。

自分が納得すること、です。
自分が納得していないなら、何も変わりません。
直したくないのに直せと言われても直したくないですよね。
表面上をいくら装うが、見る人が見ればバレバレです。

人は変わらない、です。

でも、自分が納得しているなら、話しが違ってきます。
人は自分から変わる、になります。

事前にトラブルに備えておけば、いざという時、困りません。
自分が困らないように、
自分のために、
自分が出来ることを、
事故防衛として、備えましょう。

習慣を変えるということ

つい最近の事ですが、友人も同じ習慣を変えた事を知りました。
2~3ヵ月、1日、
同じ習慣を変えるのにかかった日数です。

さて、どちらがどちらでしょう?

もちろん、僕は専門家です、ですから分かりますよね。

なんて言いたいのですが、残念な事に僕は2~3ヵ月かかりました。

話を聞いた時、マジビビりました。
まさかたった1日で変えたなんて、と。
僕が2~3ヵ月もかかったのに・・・飲みの席でしたので、うっとおしく絡んでやりました、悔しかったので。
昔から出来る奴でしたので仕方ないですよね。うん、仕方ない・・・。

少々愚痴っぽくなってしまいましたが、どんな習慣を変えたかというと、
歯ブラシを濡らしてから歯磨き粉を塗るか、
歯ブラシを濡らさずに歯磨き粉を塗るか、
つまり、毎日欠かさず行う歯磨きの習慣です。

これほど分かりやすい習慣を変えるというケースはないです。
誰もが小さい頃から毎日欠かさず行ってきた行為、
それを意識して変化させ、今まで通り自然に呼吸するが如く変化させる。
非常に難しいと、僕は思います。
たった1日で変えた奴もいますが・・・。

イコールではないですが、有言実行と不言実行に近いです。
意識して出来るのは当たり前、
だって、自然ではないですよね、意識してますから。
意識してない時に出来るようになって、それがずっと続くようになれば習慣が変わり根付いたという事です。

1日目から強い意志をずっと持ち続け、無意識化でも濡らさず歯ブラシをする。
その一方、
何度も歯ブラシを無意識化で濡らしてしまい、あちゃぁと朝っぱらから思ってしまう。
・・・個人差が現れますね。

今までの自然が不自然に、不自然が自然に、
歯磨きという対した事ない習慣の変化ですが、達成した経験はいい経験だと個人的には思います。
時間の程度は個人によって違いますが、要は達成さえすれば、いいんです。
そう、いいんです。
大事な事ですんで、2回書いときました。

どんな事を変化させたいか、
変化する内容は違えど、辿る過程は一緒ですからね。

全体を把握する

時間は常に流れています。
これは変わることがない自然の定理です。

相談と愚痴って、比べてみるとちょっとした違いがあります。
理性と感情、客観的と主観的、等々で区別できます。
どちらがどちらに分類できるかは一目瞭然ではないかと思います。

頭では分かってるけど納得できない、というのは聞く方としてはまだマシなのですが、
頭で分かろうとせず納得できない、というのは聞くほうとして苦痛を持たらします。

一部分だけを切り取ったのと、
流れでその前の部分から見てるのでは、
自ずと答えが変わってきます。

問題の部分だけしか見ずにそれに対処すると、大きな歪みができます。
当たり前ですよね、物語と違うんです。
時間は流れているんです。
ぱっとその問題だけが発生するわけないんです。

理不尽を感じている方は多いと思います。

なら、それに対して自分で対応するしか手はありません。

いずれ気付いてくれるかもなんて期待してどれだけ経っていますか。
人は自分が見たいものしか見ません。
意識的にしろ、無意識にしろ無視ができます。

問題に感じたら自分で対処するしかありません。
前の部分から、具体的に分かりやすく、時系列に沿って説明して話し合うしかありません。
もちろん、自分も例外ではありません。
自分自身も見たいものしか見ていません。
ですが、話すことによって気付かされます。
客観的に物事を全体で見ることができます。

それを受け入れるかどうかでまた、対応が変わってくるでしょう。

過ちは仕方ありません。
大事なのは、同じ事を繰り返さないことではないでしょうか。
同じ事を繰り返すたびに、周りから人々は離れていきます。

それもまた、仕方ないことなんです。
それなりの理由がある、ということなんです。

選択肢は常に自分しか持っていません。
何を選ぶか、自由に選択できますが、自由ほど不自由なものはありません。
おかしなものですよね。

#僧衣運転 お墨付きだもん

今朝の中日新聞のある記事のタイトルです。
内容は省かせてもらいますが、僕的にはとても良い内容だと思います。

なんかこれってちょっとおかしくない、
そう思ったら、素直にその思いに反応し、声を出す。

声を出すことによって、表に出なかったものが表に出ることになり、
より多くの意見が出て、客観的に、冷静に判断される。

世間一般的な常識に基づいて、物事が変化する。

声を出したから、物事が変化します。
自分で声を出したからこそ、変化します。

声を出さなければ、変わりません。
いつまでも、同じままです。

自分さえ我慢すれば、いずれなんとかなる。
自分さえ我慢すれば、いずれ嵐も収まる。

そんなこと、ないです。
人が起こした行動である以上、収まってもまたすぐ嵐はやってきます。

見ていて、気分悪いなと思うなら、
素直にその思いに反応しましょう。

声を出して、行動することによって、
自分の気分の悪さも解消されますし、その人の助けになるかもしれません。

もちろん、何かを助けるということは、何かを助けないということです。
どんな尊い行動にも、責任が伴います。
自己満足にならないよう、
自己陶酔しないよう、自分の為に取った行動だと自覚しましょう。

真剣な思いは相手に届きます。
自分が信じて行動したことは間違いじゃなかったと、
あらためて思うことができると、経験上保証します。

こんな言葉は陳腐であまり好きではないんですが、
少しでも、優しい世界になればいいと、素直に思います。

目は口ほどにものを言う

人は生きていくうえでどこかしらの集団に必ず属しています。
学生なら学校、社会人なら会社、地域社会等、好き嫌いに関わらず他人と関わらなければ生きていけません。
ですから、人間関係というものはなくなるものではありません。
なくならない以上、上手く付き合っていくしかありません。
しかしながら、付き合い方がどうも下手なかたがいます。
他人と衝突するのは仕方ありません。
自分が譲れないものがあると同等に、相手にも譲れないものがあるんです。
それが正反対だったら、衝突しないはずありません。
表面上、衝突していなくても、正反対なら裏では衝突していることもありますが、表に出ない以上、上手に折り合いをつけているんでしょう。

まったく相手の意見を無視し、屈服させようとする考え方の方がおられます。
そんな方は、ふと、立ち止まっって、周りの景色を見てください。

目は口ほどにものを言う、そんな言葉があります。

あなたが常識的に正しければ、周りの目は冷たくないでしょう。

あなたが常識的に正しくなければ、仲の好い人以外の目は非常に冷たいでしょう。

しかし、あまりに続くと、仲の好い人も徐々に離れていきます。
その人にも譲れないものがあるのに、あえて譲っているからです。
しかしいずれ、我慢の限界を越えてしまい、離れていきます。
もちろん、仲のよくない人が寄ってくるわけありません。
だって、その人はトラブルだらけだからです。
近寄りたくないですよね、仕方ありません。
近寄られたくない人に、無理矢理近づいても嫌がられるに決まっています。
お互いにとって、近づかないのがお互いの好い距離感なんです。

言葉ほど、あてにならないものはありません。
人は言葉ではどうとでも言い繕うことができますが、自分が気づかずに無意識に身体に本心が出てしまいます。
なんか伝わっていないな、なんて感じたら自分が感じた感覚を信じてみてください。
相手のちょっとした行動に答えが出ています。
その人は、あなたの意見を本心では受け入れていないんです。

どうして受け入れられないのか、考えてみてください。

どんな些細な出来事にも、意味があります。
いちいち拾っていたらキリがありません。
しかし、見逃してはいけないものを見逃すと、後で苦労をすることになってしまいます。

ヒントは沢山あるんです。
それをいかに拾い自分なりに上手く生かすか、それだけの違いなんです。

受け入れなければならないものは受け入れましょう。

違う行動をすると、違う反応が返ってきますから。