free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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四つ角のコンビニにて

タイトルを見ると、まるで最近のコンビニ競争激化について書いてるみたいですが、全く違います。
と最初にお断りだけさせてもらいますね。

ただ、何気ない日常風景から少しだけ気づきを得てもらえばいいかなという、他愛ない内容です。
とはいっても、それがけっこう重要だと個人的には思っています。

なんて固い話から入らせてもらいましたが、四つ角のコンビニ、つまり信号に面してるコンビニの風景です。
僕は車通勤なんですが、いつもぼーっと考えることがあって、それがここ、つまり四つ角のコンビニの、とある日常の一コマを見る時です。
文章で起こすと少し分かりづらいかもしれませんが、コンビニから出ようとする車で、右折しようとしてただ待ってる車を、僕はいつもぼーっとしながら不思議に思うんです。

”なんで?”と。

車線をまたがないと出れないわけですから、その車はただひたすら車の流れが途切れるのを待ってるわけなんです。
で、いざ途切れたと思っても、右折して合流しようとするなら、これまた車の流れが途切れるタイミングを待たなければならないんです。
で、それを待ってると、逆の車線の流れが動き出す。
で、また繰り返す・・・。

そんな光景を、その車が合流したいだろう車線で、信号待ちしている車内からぼっと見ているんです、僕は。
”なんで?”と。
”無駄な時間を”と。

なぜ、そのように僕は感じるのか?
断言できますが、僕はそのような行動を取ることはないからです。

心理学的に大まかにとらえると、人は

”思考”⇒”行動”、”感情”か、
”思考”⇒”感情”、”行動”か、
どちらにしても、思考を元にして始まるわけです、人というものは。

同じ環境にあっても、人によって反応が違うなんてことばっかじゃないですか?
不思議でもなんでもないんです。
その環境においての、個人個人の思考が違うから、自ずと違いが出てくるわけです。
その違いを正そうなんて、できると思いますか?
自分が正しいと信じてることを、否定されて、素直に頷けますか?
僕は頷けないですね。
だって、正しいですもん、少なくとも自分の中では。

なんて事が起こってるわけです、
なんであんな行動をとるんだろうって思う相手は・・・。

つまり、思考を自ら修正しない限り、人は変わりません。
人から注意されて行動を改めたとしても、思考が変化してなければしばらくすると元に戻ります。
わかりやすくないですか?
単純に、こんな流れにそってるだけなんです。
理解できない行動をとる人ってのは・・・。

といっても、あくまでも理屈であって、それを修正するとなるとこれまた大変です。

”わかっちゃいるけど、やめられない”
以前もこらむで書いた気がしますが、なかなかやめられないんですよ、そーゆーものは。
自分の信じてきたものを、まずは疑って、そして、それを修正する。
理屈は簡単です。
ただし、できるかどうかは別問題です。
今の世の中、調べようと思えばなんでも調べられます。
は、言い過ぎかもしれませんが・・・。
まあ、ある程度の情報は調べられますよね。
で、調べて実際やってみて、できると思いますか?
できないんではないでしょうかね、大抵の人は。
だって、自分の信じてきたものを否定するんですよ、自己否定ですよ。
そんなこと、よっぽどの事、よっぽどの覚悟がなければできるわけないですよ、一人では。
まあ、よっぽどの事があると、改めざる得ないですけどね・・・。
できるなら、そんなよっぽどの事が起こる前になんとか出来るならいいんですが、暗に匂わせてるように難しいです、実際は。
ですから、”後に悔やむ”、つまり”後悔”することばっかなんですよね。
まあ、そこで”思考”を修正する機会を得るわけですから、悪いことばっかではないんですけどね。
でも、それを乗り越えたもの、”新しい思考”は強いものです。
ただ、本当に”正しい”かどうかは、これまた別問題ですが・・・。
まあ、本当に”正しい”ものってのがイマイチピンときませんが。
もちろん、一般常識はわきまえてるつもりですので、その意味の”正しい”ものは理解してますよ、念の為。

とまあ、かなり、びっくりするぐらい脱線しましたが、修正せず、続けさせてもらいますね。
(修正したくないぐらい気分がのってしまったので・・・。まあこれも一つの例だと思っていただければなあって)

ではでは、あらためて、
僕の今回のボーとしてる時に、僕の中で起こってるものは、

”無駄な時間を過ごしたくない”⇒”左折して信号を使う”
僕ならね、となるんですよね。
だって、どう考えても、僕の中では、確実に早いわけです。それを使わない手はありません。
だから、”無駄な時間を”
となるわけです。
ですから、この車の行動が理解できないわけです。
だから、”なんで?”
となるわけです。
感情を生じさせるなら、僕が取らないと断言した、この車と同じ行動を取るなら生じますかね。
”イライラ”という感情が。
まあ、取るわけないですがね、何度も言いますが・・・。

不確定要素に頼るぐらいなら、確実な方法を取る。
急がば回れ、ですかね。
なんか改めて文章に起こしてみると、硬いなあって我ながら思っちゃいますが・・・。

とまあ、何気ないこんな日常の一コマでも、突き詰めると色々な発見があるものです。
で、案外こんな”思考”パターンは、どんな場面でも使われています。
ちなみに僕は多様しています。

何かをを見て、ぼーとしてる時間を、有効に使ってみませんか?

間違ってないなら許さないもあり

”喧嘩売ってるのか(怒)”
ある人の話しですが、60近い職場の人に言われたそうです。
もちろん、その人にそんなつもりは全くなかったので、逆に引いて冷静になったとのことです。

ちゃんと本人の許可ももらいましたので、ここに書かしてもらいますが、
内容を聞く限り、僕も個人的に思うところがあるのでここに書かしてもらいます。

事の発端は、元々の職場のルールがあって、それをその60近い相手の人が自分の都合で勝手に守らず、
結果、取引先に商品を届けた時に商品が全滅していた、とのことです。
それもクレームは取引先の店舗ではなく、取引先の本社から直接届いたとのことです。

ルールを守らず、商品を全滅させたのに、
それでもその60近い相手の人は自分の都合を押し通し、
他人の迷惑を顧みず、頑なにルールを守ろうとしません。

その人はどうしてもそれが許せず、上司とも相談し、ルール通り仕事をしようとしたそうです。
ちゃんと上司と打ち合わせし、許可ももらってです。
ルールさえ守れば、起こるわけがないと確信していたから、とのことです。

で、冒頭のその言葉です。

その人は、心底あきれ果て、上司に言ってくれと相手に言ったそうです。

そんな相手とこれからも関わっていかなければならないのか、
本当に憂鬱になる、とその人は話していました。

さて、ここからは主に僕個人的意見で書かしてもらいます。

まずは、職場で、ましてや仕事中にそんな言動をとる相手なんて気にする必要はありません。
仕事関係の関係なら、そんな相手は勝手に自分から外れていってるわけです。
そんな人は勝手にさせておけばいいんです。

これが身内とか、親しい相手ならまた対応は違ってきますが、
そんな関係でないなら、関わるだけストレスになるだけです。

タイトル通り、間違ってないなら許さないもあり、です。
もちろん、自己責任の範疇ですよ。

大人だから許す、
それもあるかもしれませんが、
大人だからこそ許せないこともある、
と、個人的に思います。

どちらが本人にとってしっくりする考え方なのか、
選択する自由は本人だけです。
もちろん、メリット、デメリットも含めてですよ。

転入者があいさつ無視

本当に久しぶりになるのですが、色々なケースに適用できると思いますので、ねえねえちょっとの質問に答えてみたいと思います。

二年ほど前、二軒隣に家が建ち、小学生の子のいる夫婦が転居してきたそうです。
時折、朝の通勤時間帯にご主人と顔を合わせる時にあいさつしても目をそらされ無視されるそうです。
でも、間の家の人は”気さくないい人だよ”。
人見知りだと思うようにしていますが、ふに落ちません。

どうでしょう、こちらから話しかけてるのに無視されるってけっこう多くないですか。
そういう時ってけっこうイラっとするんではないでしょうか?
僕だけじゃないと思いたいですが・・・。

今回のこの方も、間の家の人との対応の違いであまりいい気分ではないのではないでしょうか。
他の人と差をつけられると不快な気分になりますよね。

感情は自然に出てくるものなので、例え不快な気分になっても仕方ないものです。
でも、そんな気分になった自分が嫌なので、理性で納得なせようとしてしまいます。
そんな事、思っちゃダメだって自分に言い聞かせるってとこですかね。
人見知りだと思うようにする、
でも、感情を理性で押さえつけようとしても、納得できるものではありません。
だから、ふに落ちない。

どうしたらいいのか。

理性は理性、感情は感情、別々に対処するんです。

理性で一番大事なのは、自分と相手の区別をつける事です。
あいさつをするのも自分の自由、しないのも自分の自由、
あいさつを返すのも相手の自由、返さないのも相手の自由、
つまり、
相手はあいさつ無視という対応をしているんです。
なら、それに対して、今度は自分が対応すればいいんです。
人見知りだと思うなら、それ相応の対応があるはずです。

自分がどうしたいのか、どうしたら自分にとって一番いいのか、
自分は自分、相手は相手、
片想いではなく、両想いになりましょう。
それが、適切な距離感となります。

さて、次は出てきた感情の方です。
出てきたものは処理するしかありません。
処理しない限り、いつまでも残ってしまいます。
感情は爆発力があり、パワーもありますから、理性で押さえ込む事は出来てもなくなりません。
感情が先、理性が後、後悔はさらにその後、ですかね。
ですが、処理さえすれば、スッキリと解消します。

どう対処するのか。
それは、感情を最後まで感じ続けることです。
最期まで感じ続けると、落ち着いてきます。
感情はいつまでも登りっぱなしではないのです。

悪い感情でイメージするとぴんとこないかもしれません。
なら、
良い感情でイメージしてみて下さい。
良いも悪いも同じ感情です。

嬉しい事って、いずれ落ち着きますよね。
つまり、嬉しい感情は最後まで味わっているから落ち着くんです。

なら、悪い感情も同じです。
最期まで味わってしまえば、落ち着きます。
ですが悪い感情を味わうのはなかなか難しいです。
それはそうですよね、嫌な感情なんて味わいたくないですよね。
そこをなんとか踏ん張って、自分の出したものを自分で片付ける、です。

迷いすぎてこじらせてしまった君に

本の書き出しで時々ですが、
誰々に贈るってありますよね。
普通に読んでる時は
うわぁなんて思っちゃうんですが、
今回は思うところがあって、
あえて
うわぁって思われる側に回ろうかと思います。
少しでも読んで楽になってもらえたら
幸いかなと思っています。

安定した生活、安定した仕事、
安定した関係、安定した収入、等々、
安定って言葉って安心しませんか。
だから人は迷った時に答えを求める傾向があります。
迷った時って、
グラグラ、フラフラ、等々
安定していない状況になってしまっているからなんです。
そんな状況って長く続くと思いますか。
続かないんです。
どうしてかというと、
不安定な状況というのは、
心が常に動いていて疲れてしまうからなんです。
答えがあると、少なくとも
安定して安心できます。
それがあなたにとって、
助けになろうとなかろうと・・・。

でも困ったことに、
心って見えないどころか、
存在も曖昧ですよね。
だからどんどん疲れていってるのに
気付かないんです。
そもそも存在も曖昧なのに、
疲れるって変って思うかも
しれませんが、
だからといって、
変化がないわけではありません。
心も身体もあなた自身です。
ですから、
身体にちょっとした変化が必ず現れているはずなんです。

では一体、どんな変化が現れると思いますか。

それは、調子悪いなぁって病院に行く事ってありませんか?
でも、実際診察してもらって、
別に異常がないって診断が出る時があります。

それなんです。

異常がないなら、調子悪いはずありません。
もちろん、嘘をついてるわけでもありません。
でも、調子悪いんです。
それが、心の疲れから身体に出る変化なんです。

困ったもんだなぁって思うかもしれません。
なんとかならないかなぁって思うかもしれません。

それを、身体が知らせてくれているんです。
なんとかしてほしくて、身体がメッセージを送っているんです。
だって、心も身体もあなた自身なんです。
身体も楽になりたいんです。

では、身体からのメッセージを受け取ったならどうしたらいいんでしょうか?

語弊を恐れずにあえて書くなら、カウンセラーに相談して下さい。

身体からのメッセージは、あなた自身からくるメッセージです。
他の人の身体からくるメッセージではありませんよね。
ですから、経験談、体験談はその人だけのものなんです。
だって、身体違いますよね。
身体違うのに、経験談、体験談が参考になるんでしょうか。
たまたまよくなる事はあるかもしれません。
そもそもそれでよくなる人は問題はありません。
ちゃんと自分で解決してますから。
よくなればいいんですが、
よくなろうとするあまり、
こじらせちゃう、なんて事になってしまう人もいます。
そちらが問題なんです。

カウンセラーは、
その人の身体からのメッセージを、
正確にきいて、適切に対処する、
その技術を身に付けています。

もちろん、カウンセラーが問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは、
困っているあなた自身なんです。
カウンセラーはどうこうしたいという思いに気づいてもらい、
その手助けができる手法を持っているだけなんです。

人が人にできる事は思うほど多くありません。
ですが、安心してください。
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
ちょっとした怪我なら自然に身体って治りますよね。
今は自然治癒能力をちょっと自分で阻害しちゃっているだけなんです。
まさに、
こじらせちゃっている状態なんです。

他人の事はよく気づきます。
反面、自分の事は気づきません。
誰だって、
自分の本当の嫌なとこは知りたくないからなんです。

自分の本当の嫌なとこを知る、
とんでもなく
しんどい作業になります。
つきあう方もまた、
とんでもなく
しんどい作業になります。
お互いしんどい作業なので、
“そんな事ないよ”
と否定したくなります。
否定されると
そうかもしれないと思って
それ以上進まなくなります。
そして、
また同じ事を繰り返す事になってしまいます。
それは仕方ないことなんです。
だって、
自分を守る自然な行為ですから。

否定も肯定もせず、
そのまま進めていくと、
こじらせちゃった問題の本質がはっきりとみえてきます。
それに自ら触れ、受け入れると、
驚くほどあっけなく
問題は解決します。

だって、
本来人は自分でなんとかできるものなんです。
なんとかできるものを、
自らなんとかしないように、
知らずにこじらせちゃっただけなんです。
誰もができない事はできない事かもしれません。
しかし、できる人がいるなら、
できる事なんです。
違いがあるというなら、
できないようにしているのは、
自分しかいません。
自分で問題をこじらせちゃっているだけなんです。

自分自身をよく知り、
自分の欠点をよく理解し、
自分なりに上手く対処する、
そうすれば、
良くならないわけありません。

もちろん、
身体の異常もなくなっています。
だって、
楽になりたいってメッセージを
しっかりと受け取り、
ちゃんと対処していますから。

すぐにはよくならないかもしれません。
それだけ、長い時間あなたが苦しんできた証だからです。
今まで本当に苦しい思いをしてきたんですね。
でも、よくなります。
よくなるというと本当かよと思われるかもしれませんが、
元の元気だった頃に戻ります。
身体がそのように望んでいるからです。

純粋さというのは力があります。
身体からのメッセージは
よくなりたい、楽になりたいという純粋な思いそのままです。

その純粋な思いに答えるだけで
元の元気だった頃に戻れるんです。
もちろん、簡単ではありません。
ですが、大丈夫です。
身体も心もあなた自身だから。

死と再生

ちょっと、大袈裟なタイトルをつけちゃいました。
ドキッとした方もいるかもしれませんよね。
"死と再生"というテーマは、元々は"イニシエーション(通過儀礼)"という意味があります。
"通過儀礼"というのは、例えば成人式、結婚式などがありますね。
儀式を通して、今までの自分が一度"死"を迎え、そして新たに"再生"されるんです。

成人式なら、今までの子供の自分が"死"を迎え、そして新たに大人として"再生"される。
結婚式なら、今までの息子(娘)が"死"を迎え、そして新たに夫(妻)として"再生"される。
つまり、個人としての自分は変わらないんですが、新たな立場に変わるという事です。

物事の解釈は、個人的に僕は自由だと考えています。
もちろん、転用も自由だと思います。
自分がいかに納得できるか、それだけだと思います。
そして、それが全てであり、始まりだと思います。

今までの自分と"決別"し、新たな自分として"再生"してみませんか?

義母と確執、優しくできず

今回も 中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の相談内容は、三十三年前に結婚して義父母と同居されてる方の相談です。
以来、生活習慣や考え方の相違から義母(81)と確執が続いているとのことです。
体調が悪いと時間かまわず長男の夫を起こしますが、たった一度、実家の父を見舞ったこの方を責めるとのことです。
義父を何度も検査に連れていったことは忘れているとのことです。
優しくしたいと思う反面、義母が許せません。
イライラして夫にあたってしまう自分も情けないとのことです。

これはなかなか難しい問題ですね。
義父母と同居してからの年数、確執が続いているんですよね。
義母が許せません、の部分に強い感情を僕は感じました。
確執が続いているので、イライラしてご主人に当たってしまうのも自然の流れではないでしょうか。
そんな自分を情けなく感じてしまうのもまた、自然の流れなのかなと思います。

優しくしたい、との事ですが、今はまだかなり難しいのではないでしょうか。
生活習慣、考え方の相違による確執が三十三年間続いていますので、既にこの方だけの問題ではなく、確執の関係で築かれた義父母との関係も出来上がっている気がします。
人間関係は、相手との関係性によって成り立ちます。
ですから、確執の関係性が出来上がっていると、その相手との間に起こる出来事も必然的に確執めいたことになってしまいます。
優しくしたいと思う反面、義母が許せません、ここはかなり重要だと僕は感じています。
相手に優しくする、はこちらから働きかける行為になります。
許せない相手に対して、優しくするのは、かなり難しいのではないでしょうか。
難しい事をしようとして、できないから、イライラして夫にあたってしまって、その結果、情けない気分になってしまう。
本当にお辛いですよね。
ですから、優しくするのは最終目標として、まずはその下準備として、離れてみるのがいいのではないでしょうか。
といっても、現実的な距離のことではありません。
生活習慣、考え方の相違はお互い様ですので、違って当たり前という考え方を持つ、という事です。
今は、お互いの距離が近すぎるのかもしれません。
近すぎるゆえ、確執が生じている可能性もあります。
あえて、離れすぎるぐらい離れてみて、そこから近づくのがいいのかもしれません。
自分と相手は違うと意識してみて、見えてくるものもあると思います。
義母と長男の夫との関係も違って見えるかもしれませんよ。

相手が何を考えているか分からない時は?

「あいつは何を考えてるか全く分からん」
そんな会話を、誰もが一度は聞いた事があるんではないんでしょうか?
そんな事を感じた瞬間も、一度ならずありますよね。
では、どうして、そんな風に感じるんでしょう?
そして、そんな時、どうしたらいいんでしょうか?

人は誰でも、考えがあって、それに基づいて行動しています。
ですから、実は分からんなりに、ちゃんとした理由はその人にはあるんです。
ただ、それが分かりづらいだけなんです。
なぜ分かりづらいのか、それは全てとは言いませんが、本当に単純な思い込みなんです。

どんな思い込みか、それは、自分本位で考えてから相手に聞いているんです。
答えを決めてから聞いている、と言ってもいいかもしれません。
ですから、自分の答えと違っているから、分からんになっちゃうんです。
これって、自分も分からんになるし、相手も分からんになっちゃうんです。
何一つ、自分の意見を聞いてもらえませんので・・・。
そして結局、分からんだらけになっちゃって、何一つ問題は解決しません。
だから、同じ事を繰り返しちゃうんです。
で、最終的にあいつはダメだって結論になっちゃうんです。
そして、ダメだって言われた方も、それを信じちゃうんです。
自信をなくし、本当にダメになっちゃう可能性が高くなっちゃいます。
何一つ良い事ないですよね。

では、どうしたらいいのか?

それは、自分本位でなく、相手本位で話しを聞くんです。
行動をしたのは、相手なんです。
行動をした以上、相手にも考えが必ずあるんです。
それが間違っているか、問題になってるから、行動に現れちゃうんです。

すると、自ずと問題点が明確になり、対策を立てれます。
もちろん、その時には、分からんという事はなくなっている可能性は高いです。
相手も自分の問題点に気づく事ができ、同じ事の繰り返しはなくなります。
お互いにスッキリし、信頼関係もできるかもしれません。

あなたは、どちらの方がいいと思いますか?

見方を変えるということ

少し前の話しになりますが、仕事としてではなく、ある人とちょっとだけお話しをする機会がありました。
その人は、職場の直属の上司にひどい事を言われ、かなり怒っていました。
一通り話し終えられ、その人がふっと聞いてきました。

「どうしてあんな事言っといて、しばらくしたら、笑いながら話しかけてこれるんだろう?普通、気軽に話し掛けてこないよね。」と・・・。

僕は少し考えて、こう答えました。

「ひょっとかしたらですが、その人は、自分でも言い過ぎたと思っているのかもしれませんよ。自分でも止める事が出来なくて、後で言った事に後悔してるのかも。だから、取り繕う為に、笑いながら気軽に話し掛けてくるのかも。」と・・・。

その人は、笑いながら聞いていましたが、ちょっとだけ、見方が変わったのかもしれません。
今まではそんな事、考えたこともなかったでしょうから。

人は自分の事ですら、理解する事は出来ません。
だから、絶えずカウンセラーである僕も自己洞察を欠かしません。
何か自分に違和感を感じたとき、
”今、何を感じたんだろう”と、自問自答をします。

自分の事ですら分からないのに、人の事は本当に理解できるんでしょうか?
僕の答えは、NOです。
ですから、僕は相手を理解する為に、自分が感じたことを相手に確認します。
そして、答えを擦り合わせて理解するようにしています。
そうしなければ、ただの思い込みになってしまいます。
思い込みほど、厄介なものはありません。

厄介なものですが、どうしても人は思い込みというものをしてしまいます。
どうせするものなら、上手く使いこなしてみませんか?
相手を悪く見るのは簡単です。
人は自分が可愛いものです。
相手を悪者にすることによって、自分を正当化してしまいます。
それが嫌な人もいるでしょう。
そんな人は、今度は相手を良く見すぎる思い込みをしてしまいます。
それはそれで無理があるので、長続きしません。

ほんの少しだけの、適度な思い込みでいいんです。
これなら、あるかも、という思い込みをしてみませんか?
そんな思い込みをしてみると、相手の見方が変わり、今までと違う事が起きるかもしれませんよ。

夜9時からスマホダメ ~刈谷市の取り組みについて考えてみる~

今回のタイトルは、今朝(3月15日)の中日新聞の朝刊の記事の見出しです。
どのような内容かというと、"LINE"などのトラブルに子どもが巻き込まれるのを防ごうと、愛知県刈谷市の全小中学校が四月から、午後九時以降に児童生徒に携帯電話を使わせないルールを申し合わせる、という内容です。
正直、最初ちょっとだけ読んだ率直な感想は、"そこまで介入するか"、でした。
でも、記事を読み進めながら、ちょっと考えてみると、全く違う感想になりました。
どう変わったかというと、"なかなかいい取り組みではないかな"、に変わりました。
自分でも、これだけ考えが変わるというのはあまりなく、驚いています。
では、どうしてそうなったのか、説明させてもらいますね。
どうぞ、お付き合い下さい。

まずは、"そこまで介入するか"と感じたのは、どうも僕自信の考え方に一因があります。
このカウンセリングルーム、”free mental place 航”は、けっこう悩みながら名付けました。
自由なこころの空間、それを第一にしたいと思い、そのままストレートに出しました。
どうも僕自身の弱点は、自由の対になる、過干渉とかルールとか枠組みに反発を覚えてしまうんです。
個人主義と全体主義とも置き換えれますね。
それがそのまま出たのではないかな、と思います。
一応断わっておきますが、プロですので、もちろん問題はないですよ、念のため(笑)

さて、通常なら、この手の記事は読み進めても、僕の中では、”どうなのかなあ”で終わってしまいます。
それが今回、違っているのは、明確に目的を達成できるかもしれない、と思える箇所があるからです。
それがどこなのかというと、児童生徒愛護会委員長の言葉です。
”子ども自身がラインと距離を置く言い訳に使ってほしい。”
つまり、自分達を悪者として、それを言い訳にして、上手く距離をとってほしい、という点です。

良い悪いは別として、集団がまとまる一つの方法として、共通の敵を作るというのがあります。
俗にいう、スケープゴートというものです。
もちろん、された人はたまったものではありません。
ただ、確かに集団は一つにまとまるんです。

LINEの問題は、今更ここで書く必要がないぐらい色々な問題が出ています。
それを何とかしたいという目的を達成する為に、学校が自ら悪者(スケープゴート)になって目的(子どもを守る)を達成するわけです。
上手く距離を取れない子どもにとって、そんな子どもを見て心配してる親御さんにとっても、正に渡りに船ではないんでしょうか。

この取り組みを、上手く活用して、少しでも問題解決に結びつければいいなと切に願います。

孫を差別する義父

今回も、ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
途中、色を変更して書いているのは、原文のまま記載しています。
少し読みづらいかもしれませんが、ご了承下さい。

今回は、義父母と同居している方の相談です。
義父母の娘と同時期に、わが家にも子どもが生まれました。
娘の孫がかわいいのは分かりますが、義父の態度が明らかに違う、との事です。
娘の孫は何をするにも大事で心配。
この方のお子さんには、口調もきつく、"あなたがしっかりみておきなさい"と言われる、とのことです。
まだ子どもたちは幼く、分からず遊んでいますが、腹立たしく、平等に接してほしい、とのことです。

なるほど、同時期に生まれたのに、平等に接してもらえないと腹立たしく感じますよね。
ましてや、それが自分のお子さんだとなおさらでしょう。
さて、どうしたらいいんでしょうね?

ちょっと今回、書き方を変えてみました。
なぜかというと、文面を読ましてもらった時、僕は何か他人行儀な印象を感じました。
その部分を色を変更してみました。
僕の見当違いなら、本当に申し訳ありません。
ひょっとかしてですが、以前から義父とあなたはあまりいい関係ではないのではないでしょうか?
同居しているのに、わが家と書いてあるんですが、そこに何か強いこだわりがあるように感じました。
あえて分けている、という感覚ですかね。
そして、私は口を出さないから、”あなたがしっかりみておきなさい”と繋がっている気がしました。

もしくは、家族構成は分かりませんが、普段から同居している家族なら、孫とはいえ、厳しくなってしまうものではないでしょうか。
娘の孫というわけではなく、たまに会う孫には甘く接してしまう、とは考えられないでしょうかね。
確かに、平等ではないかもしれませんが、平等に接するのは難しいかもしれません。
ただ、娘さん家族も同居しているなら、また話しは別になってしまいますが。

義母かご主人に、義父の自分のお子さんに対する態度について相談してみてはどうでしょう。
明らかに態度が違うなら、二人も同じ事を感じているでしょう。
何か義父に働きかけてくれるきっかけになるかもしれません。
育て方というものは、自分が意識しなければ変わらないものです。
義父が昔からご主人に対しても同じような態度なら、本当の家族として接しているのかもしれません。
あるいは、義父自身もどうやって接していいのか分からないのかもしれません。
だから、つい厳しく接してしまうというのもあり得るかもしれませんね。