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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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2014年

<ごめんな祭>高知県「後免町」で叫ぶ「ごめんなさい」を読んで

本当に、お祭りってたくさんありますよね。
こんなお祭りがあるなんて、全く知りませんでした。
どんなお祭りかというと、
<ごめんな祭>
いやあ、おもしろいと思わず心引かれちゃいました。

場所は、高知県南国市にある「後免町」というところだそうです。
地名にちなみ、「ごめん」の気持ちを伝える、シンプルかつ分かりやすいお祭りみたいですね。

「ごめんなさい」って、謝るって、なかなか難しいって感じませんか?
謝ればいいって分かっているけど、何かが邪魔をして、素直に謝れない。
そんな経験をしたことってあるんではないでしょうか。

今、現在、悪いことしたなあって思っている事があるなら、その自分の気持ちに素直に従ってみませんか?
「ごめんなさい」って、素直に自分の気持ちを相手に伝えてみませんか?
素直な気持ちを伝えてみると、相手にも伝わります。
逆に言うなら、素直じゃないと伝わりません。
"え、本当にそう思っているの?"
そう感じた経験って、ありませんか?
そう言われた経験って、ありませんか?
そう言いたい経験って、ありませんか?
それは、言葉と気持ちが一致していないんです。
どうです、思い当たりませんか?

素直に、「ごめんなさい」。
伝えて、みませんか?

あ、ちなみにお祭り自体は、今月の11日にありました。
書いてる途中で、違うコラムに手を出しちゃって、途中書きで放置しちゃってました。
「遅くなって、本当にごめんなさい。」

決めつけていませんか?

さて、今回のタイトルなんですが、一度目を閉じてでもいいですし、心に問いかけてみて下さい。
どうです、何か思い当たる事って、ありませんか?
思い当たる方は、ひょっとかしたら、対人関係でちょっとした行き違いがあったのかもしれませんし、これから行き違っちゃうかもしれません。
ちょうどいい機会です。今、気づきましたので、その事を今一度見直してみませんか。

対人関係は、相手に働きかける事によって、変化するものです。
例えば、こちらからの勝手な決めつけでも、変化しちゃいます。
親子関係、師弟関係等、上下関係ではよく起こり得る事です。
多くはあまりいい変化ではないでしょうね。
良い対人関係がいいですか、悪い対人関係がいいですか?
あなたにとって、どちらの関係がいいんでしょうね?

自分は決めつけていないなあ、って方ももちろんいますよね。
多分ですが、対人関係もスムーズにいってるんではないでしょうか?
ただ、ひょっとかしてですが、ある対応をする人とは上手くいってないのではないでしょうか?
例えば、勝手に決めつける人なんて、どうです?
思い当たらなければ、本当に素晴らしいと思います。
そのまま、ありのままの相手を受け入れているんでしょうね。

ちょっとした例として、僕の個人的行動をあげます。
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

この前なんですが、所用で名古屋まで電車を使いました。
幸いにも席に座れたんですが、電車が発車してから、近くに70歳後半ぐらいのおばあちゃん二人連れが来られました。
一人は前の席に座れたのですが、もう一人の方は座れませんでした。
プライベートの僕の格好を知ってる方は、そのままの姿を想像してください。
知らない方は、シルバーアクセをジャラジャラつけて、タブレットを片手に、音楽を聞いてる姿を想像して下さい。
そんな男が、立っているおばあちゃんの肩をトントンと叩いて、席を譲ります、とジェスチャーで表現して、席を立ちました。
おばあちゃんは最初断ったのですが、会釈をして、席に座りました。
そして、僕はそのまま音楽を聞きながら、タブレットを見て立っています。

どうです、想像できましたか?
この光景を想像して、どのように感じましたか?

さて、どうして僕自身の行動をあげたかですが、僕が感じて、僕が行動した事だけが事実なんです。
それ以外は、実は決めつけになっちゃうんです。
つまり、あなたが想像した事であって、事実ではありません。
あと、登場するおばあちゃんが感じた事も事実です。
それ以外は、こちらもまた、決めつけになっちゃいます。

それでは、答え合わせです。
事実は、僕が見たくないから、僕の都合で座ってもらった、だけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。ただ、それだけです。
ですから、"優しい人"とか、”えらい”とか、とにかく褒められる事を言われると、僕は本当にいつも戸惑います。なぜなら、そんな気は全くないからです。
もちろん、そう感じているんだなとは思うようにしています。
どう思うかもまた、相手の自由だからです。

おばあちゃんがどう感じたかですが、これは本人しか分かりません。
感謝してるのかもしれませんし、余計な事しおって、かもしれません。
はたまた、年寄扱いしおって、かもしれません。
怖いから、素直に座っとこ、かもしれません。
ですが、これもまた、僕にとってはどうでもいい事なんです。
なぜなら、僕がしたくてした事なんです。
感謝されようが感謝されなかろうが、どうでもいい事です。

つまり、”このわがまま野郎が”、うん、これはしっくりきますね。これが正解なんです。
正解以外の僕だと思って付き合いを持つと、いずれズレが生じます。
それはそうですよね、本当の僕を見ていないんです。
決めつけた僕の姿を、そのまま僕に見ているんです。

ズレが生じているなと感じたら、ひょっとかしたら、勝手な決めつけをしてるのかもしれません。
そんな時は、修正をしてみて下さい。
どう修正するか、それは、今一度、じっくり相手を見て下さい。
今まで気づかなかった事が、必ずあるはずです。
それを受け入れると、ズレも必然的になくなります。
ありのままの相手を受け入れる、簡単そうで難しいものです。
難しいものですが、いい関係にはなれますよ。

PTAの委員選びが強引

今回も、中日新聞のねえねえちょっとに掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のお子さんが通う小学校で毎年、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められ、そのたびに、憂鬱になるとのことです。
役を引き受けられない場合、その理由として、家の経済状況、子どもの病気や障害、自分の病気や介護など、私的なことまで言わなければ納得してもらえず、本来、任意加入のはずなのに、なぜここまで強いられるのか、理解に苦しみます、とのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですよね。
お子さんをお持ちの方は、どなたも思っている事なんではないでしょうかねえ。
さて、それでは、一体どうすればいいんでしょう。

それでは、ちょっとだけ考えてみましょうか。
まずは、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められるとの事を考えてみましょうか。
なぜ、くじ引きなんでしょう?
立候補者がいるなら、くじ引きになるんでしょうか?
確かに、やりたい人がいても、くじ引きにして平等にするとも考えられますが、まず可能性として、低いですよね。
となると、立候補者がいないから、くじ引きになるんですよね。
誰もやりたくないから、仕方なく、くじ引きで決めるしかない、となるんではないでしょうか。
それって、本当に強制的なんでしょうか?

さて、次に任意加入についてちょっと考えてみましょうか。
確かに、PTAは任意加入になってますよね。
入るのも自由、入らないのも自由、さて、どちらを選びます?
大抵の人は、入らない方を選ぶのではないでしょうか。
入らない人ばかりです。
それって、果たして、組織として成り立つのでしょうか?
大事なお子さんが通う小学校のPTAが組織として成り立ちません。
それでもいいんでしょうか?

物事にはちょうどいいバランスがあります。
どちらかに片寄っていると、倒れちゃいます。
でも、倒れないような何かしらの力が働きます。
それが、くじ引きという力ではないでしょうか。
個と集団のバランスとも言えますね。

あなたにとっての、ちょうどいい折り合うところを見つけてみませんか。

免罪符の乱用をしてませんか?

最近、ちょっとそんな事をふっと考えます。
そんな僕自身も、果たして免罪符の乱用をしていないかどうかというと、正直自信はありません。
ただ、自覚するかどうか、それだけでも大分違ってくるのではないかと思います。

最近のテレビ番組ですが、どうもやりすぎの気がしてなりません。
少し前はドラマもありました。
今回は、バラエティーで、です。

もちろん、お笑いは素晴らしい仕事だと思います。
個人的にも大好きです。

ですが、です。

相手は一私人です。
それをネタに笑いをとろうというのは、どうも免罪符の乱用だと、個人的に思います。

幸い、放映前に抗議を受け入れ、テレビ局も放映を中止しました。

少し、ほんの少しだけでいいです。
常識で考えてみて下さい。
傷つく人がいます。
少なくとも、放映によって、さらに深く傷つくことになります。
それは、もう、笑いではないのではないでしょうか。

笑いは素晴らしいものです。
元気の源になるものです。
沈んだ気分も、一瞬で明るい気分にしてくれます。
笑いは、本当に、素晴らしいものです。

笑いにする、
笑い(者)にする、

たった一言加わるだけで、全く違ったものになってしまいます。

テレビで放映されるという事が、どれだけ影響力があるのか、今一度、考えてみてもらいたいものです。

性的少数者、学校で被害 いじめ、暴力7割が経験、を読んで

うーん、正直この問題は非常にデリケートな問題だと、個人的に思います。
中一、中二がピークという事ですが、ちょうど微妙な年頃ともいえます。
同年代しかいない学校という空間では、自分達とは違うというだけで、受け入れられないと考えてしまうのも、ある意味仕方ないのかもしれません。
もちろん、身体的な暴力(20%、121人)、服を脱がされるなど(11%、66人)というのは論外です。それは個人の権利を踏みにじってますので、仕方ないでは済ましてはいけない問題です。
でも、被害者のほぼ半数(218人)は誰にも相談しなかったという結果からも、その子の辛さが伝わるのではないでしょうか。
理由を聞かれても、本当の理由を話して、受け入れてもらえないかもしれないという不安から、いじめ自体を我慢するという事を選択したんでしょうね。
本当に、辛い選択だと思います。

有効回答609人に対し、小学校から高校までの間に、誰にもカミングアウトできなかった人は39%、237人ぐらいの割合になります。
「理解されるか不安」や「話すといじめや差別を受けそうだった」というのが主な理由みたいです。
言葉による暴力(53%、322人)、無視・仲間外れ(49%、298人)という結果からも、その心配通りの結果になってしまっていますよね。
でも、個人的にはそれぐらい慎重な方がいいのではないかなと思います。
それほど、難しい問題なのではないかと思います。

確かに、自分のありのままを受け入れてもらえたら、これ程嬉しい事はないと思います。
でも、受け入れてくれる人もいれば、どうしても受け入れられないという人もいると思います。
それは、その人の考え方であって、どうこう強要できるものでもありません。
なぜなら、個人の考えを本当に尊重するなら、どちらも尊重しないといけませんよね。
ですから、それをどう受け止めるか、が大事なんではないでしょうか。
本当に理解して欲しい人、その人には理解してもらうように、真剣に打ち明ける。
真剣な思いというものは、必ず相手に伝わります。
相手も、真剣に考えて答えてくれるのではないでしょうか。
その結果はどうあれ、真剣に向き合ったというだけでも違ってくるのではないかと思います。

周りの大人ができるのは、環境を整えるよう、見守る姿勢が大事なんではないでしょうか。
見守るだけでいいのかと思うかもしれませんが、案外難しいものです。
見守ってもらえている、それだけでも心強く感じるのではないかと思います。
誰にもカミングアウトできなかった、それなら、自分達に打ち明けてもらえるよう、信頼関係を築く努力をするのもいいかもしれませんね。

疑い深い義父、今後が心配

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の内容は、この方が同居の義父(82)に「物を取った」と言われたとのことです。
以前から物事がうまく進まないと他人の責任にすることがあり、最近特に血縁以外は信用しないとのことです。
今のところ認知症とは診断されていませんが、今後の介護を考えると、この方一人で世話をする自信がないとのことです。
近くの義姉とはあまりよい関係ではなく、疑い深い性格の義父とどう付き合えばいいのか、悩んでいるとのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですね。
義父に物を取ったと言われ、違うのに信じてもらえず、今後の介護を考えると、一人で世話をする自信もなくなってしまいますよね。
今でも疑い深い性格の義父なのに、この先、どう付き合っていけばいいのか悩んじゃいますよね。
では、一体、どうすればいいんでしょうね。

どうでしょう、まずは大まかに二つに分けて考えてみるのがいいんではないでしょうか?
今後の介護のこと、疑い深い性格の義父と付き合っていくこと、この二つに分けてみませんか。

まずは、今後の介護の事ですが、一人で世話をするのは難しいと思います。
家族で相談して、協力して介護していかなければ、抱え込み過ぎて、疲れ切っちゃうと思います。
今はあまりよい関係ではない義姉ですが、これを機会にして、関係を修復してみるのもいいのではないでしょうか。
義姉に色々義父の事を教えてもらうようにすれば、自然と関係も変わってくるかもしれません。
近くですので、関係さえ変われば、心強いですよね。

疑い深い性格の義父との付き合いですが、「物を取った」と言われたのは、今回が初めてだったんではないでしょうか。
疑われるのは本当にいい気分ではないですよね。
でも、義父にとっては、その物がなく、困ってるんですよね。
なら、どう付き合っていくか、ですが、一緒に探してみるのが一番いいんではないでしょうか。
実際義父は困っているわけですし、自分は取っていないわけですから、一緒に探す事によって、疑いが晴れるかもしれませんし、信用してもらえるかもしれません。
小さな事ですが、それが積み重なって、信頼関係になっていくものだと思います。
大変だとは思いますが、今後の関係が変わるかもしれませんよ。

変わらない関係

個人的な話しになりますが、高一からの付き合いの親友達がいます。
かれこれ二十数年の付き合いになりますね。
本当に色々なことがあって、良い事も悪い事も全て知っている、そんな親友達です。
良い所も悪い所も、ではないですよ、本当に色んな事をしました・・・。
昔というと、なんかちょっと抵抗がありますが、毎日なんだかんだで遊んでいた、悪友達でもあります。
誰かに何かあったら、駆けつける、そんな青臭い事もありましたね。
これは反省してる事ですが、彼女と遊んでいる時も、誰かに何かあった時は、そっちを優先させていました。
もちろん、彼女とは喧嘩になりましたが、もっともらしい事を言って、押し切っちゃいました。
本当にごめんなさい、とここで謝っておきます。
言い合いも、喧嘩もたくさんしました。
絶交なんて事もありましたね。
でも、それ以上に、悪いと思ったことは、たくさん謝りました。

今はみんな忙しく、会う機会も長期休暇の時ぐらいになっていますが、会うと本当に居心地のいい空間を感じます。全く気を使う必要がない、ほっとする時間をそこに感じさせてくれますね。
昔と変わらない、そんな時間がそこには存在しています。
といっても、時間は残酷ですので、姿形は変わっちゃっていますが・・・。

こんな関係を話すと、誰からも決まって羨ましがられます。
確かに、時間は誰にでも平等に流れていますので、積み重ねられた時間は二度と手に入れる事はできないでしょう。
手に入れられなかった関係、二度と手に入らない関係だからこそ、羨ましく感じるんでしょうね。

でも、ちょっと待って下さい。
本当に羨ましいなら、今からでもそんな関係を築いてみてもいいんではないでしょうか?
確かに、高一からの関係となると、いい大人には無理ですよね。
でも、今からでも、今の友達達とそんな時間を積み重ねていけばいいのではないでしょうか?
どうせ続かない、そう思ったら続きません。
なぜなら、そう自分で決めてしまっているんです。

”変わらない”
僕が昔から決めている、彼等との関係です。
確かめてはいませんが、もちろん、僕一人だけではないと思います。
だからこそ、”変わらない関係”はずっと続いていくんでしょうね。

もちろん、努力はしていますよ、なんせこの前も前日に会う日程決まりましたからね。
次の日も、朝から一日予定ありましたが、合わせました。
そんな努力しているのは、僕だけでないのも、いいのかもしれません。
それもまた、昔から”変わらない関係”です。
なんて、いい話で締めれないのも、またいい関係だなと、素直に思います。

 

定年後の人付き合い悩む

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の方は、昔お世話になった方で、この三十年近くお付き合いがない方の訃報の連絡を受けたとのことです。
一般的には定年を迎え、年金生活になったら今までの付き合いを見直す時期と聞き、この方も身の回りの事を考えねばならないと感じてるとの事です。
知人の訃報連絡を受けた場合、自分が死んだ場合にどこまで知らせるか、どう考えたらいいのか、とのことですね。

なるほど、三十年ってかなり長い年月ですよね。
そんな長い年月、お付き合いがなかった知人の訃報の連絡を受け、どうすればいいか、とまどっているように感じました。
では、どう考えたらいいんでしょうね。

この方の訃報の連絡は、会社関係で連絡を受けたのではないでしょうか。
どうなんでしょう、どちらを選ぶにしろ、とまどいはあるような気がします。
なら、より少ない方を選んだ方がいいのではないでしょうか。
長い年月、お付き合いもないとの事ですので、それも考慮されればいいと思います。

どこまで知らせるかですが、お葬式の規模や費用に影響するので、知らせる範囲は慎重に考えられた方がいいのではないでしょうか。
一般的には、友人や知人、所属している団体、町内会などへの連絡は最も親しかった人に伝え、その人から他の仲間へ連絡をお願いするみたいです。
少なくとも、今回の事で、知らせる知人の、ある程度の範囲は絞られたんではないかなと思います。
知らされて、相手がどうしようか悩むぐらいの関係なら、知らせなくてもいいのではないでしょうかね。

生きている以上、死というものは、誰もが避けては通れないものです。
なかなか難しいものですが、一般常識と自分の気持ちを上手く折り合いをつけ、自分自身が納得できるように考えるようにするのが、一番いいのではないでしょうか。

引率の教頭自殺 脱出を非難され?を読んで

フェリー沈没事故で、修学旅行で生徒と教師の計340人が乗っていた高校の男性教頭が、救出された後に自殺していたことが18日、韓国警察当局への取材で分かったそうです。

事故も本当に悲しいニュースですが、このニュースも心が締め付けられる思いを感じました。
家族の気持ちも痛いほど伝わってきますし、この教頭の絶望感も痛いほど伝わってきます。

「約二百人の生死が分からず、一人で生きていけない。私にはすべての責任がある。私の体を火葬して、沈没した海域にまいてほしい」
教頭の財布の中に入っていた、遺書です。

何が正しくて、何が正しくないのか、色々な意見があると思います。
色々な意見があっていいと思います。

ただ、この悲しい連鎖が続かない事を、切に願います。

義父母の喫煙どう言えば

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の方は、ご主人が長男で、最近新居を建て義父母と同居予定の主婦の方です。
ご夫婦二人はたばこを吸わないのですが、義父母は吸うとの事です。
洗濯物などににおいが付くのも、部屋の壁紙が変色するのも嫌との事です。
子どもは二人いるとのことですね。
"外で吸って"とお願いしたいのですが、どう言えばいいのか悩みます。
冬は雪が降るので、ためらいも。
親思いのご主人から話してもらうのは期待できない、とのことです。

なるほど、これはなかなか難しいですね。
義父母に、たばこを"外で吸って"もらうには、どうしたらいいのか、悩んでしまいますよね。
ご主人から話してもらうのではなく、ご自分で言わなければならないなら、尚更色々考えちゃいますよね。
それでは、一体、どう言えばいいんでしょうか?

多分ですが、この方の中で、ある程度どのように言おうか決まってるように、僕には感じられました。
子どもさんがいるとの事ですので、それを絡めて考えているのではないでしょうかね?
例えば、”子どもの健康に悪いので”みたいな感じですかね。
お孫さんを思う、義父母の情に働きかけるお願いですね。
それを上手く伝えると、義父母は外で吸ってくれると予想がついてるんじゃないですかね。
ただ、何か一方的過ぎる気がして、言い出しづらい気にもなってるのではないでしょうか。
冬は雪が降るし、夏は暑いですよね。
そう考えると、どうしてもためらっちゃいますよね。

なら、いっそ、”外で吸って”というお願いをちょっと考えてみませんか?

義父母の部屋の中でだけ、たばこを吸ってもらう、というのはどうなんでしょう?
洗濯物ににおいも付かないし、義父母の部屋の壁紙は変色しちゃいますが、自分達で掃除してもらえば問題もないのではないでしょうか?
外ではないですので、外の環境の変化を気にする必要もないですし、お孫さんの健康という点でもちゃんと理に適ってると思われます。
親思いのご主人も、納得できるのではないでしょうか。
なにより、一方的ではないですので、言い出しやすいと思われますよ。