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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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航のこらむ
サイト管理人のこらむです。
読み物として見て下さい。何かヒントになるかもしれません。
少しでもあなたの助けになれば幸いです。

ブログ一覧

定年後の夫がテレビ漬け

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合下さい。

今回の内容は、ご主人が昔から自分の部屋で一人でテレビを見て過ごしているそうです。
定年後も起きてから寝るまでずっと見ているとのことです。
外出といえば犬の散歩で五分、畑は二日おきに一時間、ゴルフの練習が週二日、コンペ月二回だそうです。
友達から誘われれば出掛けますが、この方が図書館や喫茶店に誘ったり、アルバイトを提案したりしても拒否し、テレビばかりに依存しすぎて心配だとのことです。

なるほど、起きてから寝るまでずっとテレビを見ていると心配になっちゃいますよね。
今までは、仕事があるので、その時間は仕事をする事によって時間を過ごす事ができました。
定年になると、その時間をどうやって過ごしていいか分からず、もて余してしまうのかもしれませんね。
ですから、結果的にテレビを見て過ごすという生活習慣になってしまっているのではないでしょうか。
となると、仕事に変わる、新しい事を始めるのがいいのかもしれませんね。
自分の時間を作る、つまり、興味を持った事を始めてみる、趣味を作るという方法ですかね。
確かに、今は心配ですが、テレビを見ることによって、情報を収集するという考え方もできます。
自分が興味を持ったことなら、始めるきっかけとしては最適だと思います。
逆をかえすと、興味がなければ、始める事は難しいのではないでしょうか?
拒否するということは、興味がないという事かもしれません。
確かに、せっかく誘ってるのに、拒否されるとあまりいい気分にはなりませんが、今は仕方ないのかもしれません。
こちらに合わせてもらう、ではなく、相手に合わせる。
同じ番組を見て、情報を共有し、趣味に結びつきそうなら、さりげなく話し掛けてみて一緒にやってみる。
こちらから合わせにいってますから、拒否される可能性も低いかもしれません。
なかなか難しいかもしれませんが、毎日情報を収集していると考えて、いずれやってみたい事が出てくるはずです。
それを上手く後押し出来れば、テレビを見る時間が減るかもしれませんよ。

義母が勝手に家を出入り

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、隣に住む義母が留守中に合鍵で入り、自分で作ったおかずや畑で採れた野菜などを置いていくとのことです。
在宅でもチャイムも鳴らさず、玄関で声をかけるでもなく、居間のドアから入ってくるそうです。
勝手に入られるのが嫌で、夫に相談すると「そんなことを言う、おまえがおかしい」と言われたそうです。
勝手に入ってほしくないと上手に伝えたいのですが、どうすればいいのでしょうか、とのことです。

なるほど、これは本当に困りますよね。
自分の家に、勝手に入られるのが嫌なのに、おかしいと言われちゃうとどうしたらいいのか分かりませんよね。
では、上手に伝えるにはどうしたらいいんでしょうね。

勝手に入ることによって、どんな危険があるか、それを伝えてみてはどうなんでしょうか。
帰宅した後に、自分の知らないおかずや野菜が置いてあると、どう考えてしまうのか、それを伝えるんです。
義母は、自分のした行動だから、それによって相手がどう感じるか、どう考えるかまでは考えていないと思われます。
ですから、本当に、義母が置いていったものなのかどうか、分からないから怖いと伝えてみてはどうでしょうか?
今のご時世、何があるか分からないから、それを未然に防ぎたい等々、デメリットを伝えるんです。
そして、相手も立てる為に、素直にうれしいままもらいたいから、直接手渡しでもらえたら有難いと付け足すのもいいかもしれませんね。

在宅時に勝手に入られるのも、同様です。
泥棒かもしれない、強盗かもしれない、等々、怖い思いをどうしてもしてしまうと伝えてみるんです。
それを防ぐために、一声かけてほしいとお願いしてみてはどうでしょうか。
それだけで、安心して義母を迎えることができると、メリットを伝えるんです。

素直に思う事を伝えるのは、本当にとても大事な事です。
ただ、内容によっては、相手に不快な思いを与えてしまいます。
伝えすぎも、伝えなさすぎも後々トラブルに発展する可能性があります。
どちらの場合も、伝えた後に、なにか自分自身で感じる事があると思います。
言い過ぎたな、なら、今後は意識して、セーブを心掛ける。
言いなさ過ぎたな、なら、今後は意識して、思いを伝える。
どちらも、最初は難しいと思われます。
練習することによって、自分にとっての、ちょうどいい、着地点がわかると思います。
まずは、行動してみる、です。
誰のために、自分のために、です。
そして、その事を自覚する、です。

立ち止まる時、立ち止める時

週末に、新聞に乗ったある記事が気になりました。
どのような記事かは、あえて記載しませんが、その一部分だけ記載させてもらって、ちょっと考えてみたいと思います。

"集落の人に「殺していいか」と確認した上で、おりで捕まえて殺すことにした。"

起こしてしまった出来事は、なくすことはできません。
過去は変える事は出来ないからです。
ですから、何かしら決断して、行動に移す時は、事が大きければ大きいほど、自分一人では行動に移せません。
どうしても、迷いが生じるからです。
もちろん、事の大小は個人個人によって違います。
自分が決断できる範囲なら、迷うことなく行動に移せます。
自分が決断できる範囲以上ならどうするのか?
記載させてもらったように振る舞う事が多いです。
つまり、他人に相談した上で、"許可"をもらって行動に移すんです。
"許可"をもらって、と書きましたが、ここは一番食い違うとこだと思います。
つまり、水掛け論に発展する可能性が高いです。
事が大きいだけに、責任を負いたくないからです。
相談する方も、相談を受けた方も、お互いに、です。

では、どうしたらいいんでしょう?

まずは、立ち止まりましょう。
少なくとも、一人で行動に移せない事を、しようとしてるという自覚をもちましょう。
立ち止まる時、今がその時かもしれないと、今一度、よく考えてみましょう。
本当に、自分は自分自身の行動に責任が取れるのかどうか、冷静になってみましょう。
確認しなければ行動に移せないなら、尚更です。

それでは、周りの人はどうしたらいいんでしょう?

非常に見極めが難しいと思います。
自分の良心に従い、責任を持てるなら、"許可"をしてもいいんではないでしょうか。
ただし、巻き込まれるかもしれないという自覚も必要です。
自分が‘許可”をしたという”行為”に責任を持つ、自己責任を念頭に置いとかないといけないでしょうね。
そこまで責任をとれない、そんな時は、相手が自分で責任を取るように促しましょう。
自分の行動に、自分で責任を持つ、相手に自律を促します。
自分の良心に従い、どうしてもダメなら、その行動を立ち止めましょう。
それでも立ち止まらないなら、ここでもまた、自分で責任をとる、自律を促しましょう。

さて、立ち止まる時を見誤ると、どうなるのか?

行動はエスカレートするケースが多いと思います。
どうしてか、それはどこまでいっていいのか判断つかなくなっちゃうからだと思います。
なぜなら、既に、自分の判断基準を超えてしまっているからです。

この記事に関して記載させてもらった部分は、立ち止まる時だと僕が感じた部分です。
ですから、その後ももちろんあります。
その後の行動が問題になり、新聞記事になってしまったわけです。
確かに、語っている事は正しいのかもしれませんが、行っている行動とはかけ離れています。
行った行動を正当化できていない、なぜ正当化できないのか、その点を今一度、考えてもらいたいものです。

 

友達から誘われずに悩む

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
今回の内容は、同じように悩まれてる方も多いんではないでしょうか?
今回もキーポイントだと僕が思う部分を色を変更しています。
そんな方も、参考にしていただければ幸いです。
それではどうぞ、お付きあい下さい。

今回の相談内容は、この方はいつも友達関係で悩まれているそうです。
友達はいますが、相手から誘われることはほとんどなく、この方が誘うか、幹事の順番が回ってくる程度だそうです。
誘われる人はいつも誘われ、自分には魅力がないのかと寂しくなるとのことです。
人見知りするタイプで、大勢いる飲み会などでは自分を見失う気がして、どう自分を出せばいいのかわからなくなり、そばにいる人ともろくに話せないとのことです。

なるほど、いつも悩まれてるのは、本当にお辛いですね。
相手から誘われることがほとんどないと、自分に魅力がないのかと寂しくなっちゃいますよね。
大勢いる飲み会では、どう自分を出せばいいのかわからず、そばにいる人ともろくに話せないのもまた、お辛いですね。
さて、それでは一体、どうしたらいいんでしょうね?

今回、誘われる人はいつも誘われ、を色を変更してみました。
どうしても、自分と他人って比較しちゃいますよね。
自分にないものを相手が持ってると考えちゃうと、自分に魅力がないのかと寂しく思っちゃいますよね。
身近な人にそんな人がいると、ひょっとかしたら、羨ましいと感じているのもあるのかなと僕は感じました。
相手から誘われることはほとんどなく、という部分に、相手から誘われたい、という思いも感じましたね。
それでは、そんな時はどうしたらいいのか?
羨ましかったら、まずはやってみる、なんです。
何をやってみるのか、それは、こうなりたいという相手のまねをしてみるんです。
多分、その人をよく観察してみると、自分とその人の違いが分かると思います。
自分には出来てなくて、その人には出来てることがあるのではないでしょうか?
その違いによって、結果が違ってるのではないでしょうかね。
この場合ですと、いつも誘われるか誘われないかの違いになるんでしょうね。
ですから、それをまねしてみるんです。
すると、自ずと誘われるようになるかもしれませんよ。

さて、それではもう一つの、大勢いる飲み会を考えてみましょうか。
 人見知りするタイプとの事ですが、確かにそうなのかもしれません。
ですが、自分で自分を決めてしまうと、そのまま変わりません。
なぜなら、自分を決めるのは、自分だけなんです。
自分の可能性を決めるのもまた、自分だけなんです。
人見知りだから、話すのが苦手と決めちゃうと、話せないになっちゃいます。
人見知りだけど、世間話ぐらいなら出来るかもしれない、これなら、世間話なら出来ますよね。
そばにいる人ともろくに話せないとの事ですが、簡単な世間話から話してみませんか。
大勢いる飲み会も、個人個人の集まりともいえます。
なら、基本はやはり個人との会話ではないんでしょうか。
例えは違うかもしれませんが、まずは木を見て、そして林を見、いずれは森を見る、そちらの方が建設的だと思いますよ。

長男の嫁が名前呼び捨て

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
ちょっと気になった部分を色を変更して書いていますので、参考にしていただければ幸いです。
それでは、どうぞお付きあい下さい。

今回の内容は、長男の妻が長男を呼ぶ時に名前を呼び捨てにするのが気になる、とのことです。
夫婦や兄弟で呼び合う分にはいいのですが、電話やメール、この方との会話でも呼び捨てです。
この方は夫をさん付けで呼び、次男、三男の妻も呼び捨てにはしていないそうです。
せめてこの方と話す時だけでも呼び捨てはやめてほしいのですが、角の立つ言い方はしたくありません。
長男に相談しても効果はありませんでした、とのことです。

なるほど、第三者として聞いたときに、名前を呼び捨てにしてるのが気になるんですね。
自分と話す時にはせめて呼び捨てをやめてほしいと思っているんですが、角の立つ言い方はしたくないんですね。
それでは、どうしたらいいんでしょうね。

今回、角の立つ言い方ははしたくありません、を色を変更してみました。
ところで、角が立つ時って、一体どんな時なんでしょう?
一般的には、一方的に要求する時とかが多いんではないかなと、個人的には思います。
今回のケースで考えてみると、たしなめるとか、礼節とかそんな事があるんではないでしょうかね。
確かに、そのように接すると、角が立つのかもしれませんよね。

となると、一方的でなければ、角が立つ可能性も低くなるのではないでしょうか?
そうですね、例えば、相手も立てて、その上こちらのお願いもしてみる、というのはどうでしょう。

それにはまず、相手が名前を呼び捨てにするという行為の悪い面だけでなく、良い面も考えてみないといけません。
良い面なんて本当にあるの、と思うかもしれませんが、なければそのような行為をするのでしょうか?
確かに自分にとってはないかもしれませんが、相手にとってはよい面があるのかもしれません。
例えば、ありのままの自分でいられるとか、取り繕う事のよって、なんか壁みたいなのを作っちゃいそうで嫌だとか、あるのではないでしょうか。
呼び捨てにする事によって、親しみを表しているのかもしれません。
この方との関係も、良いか悪いかは別として、遠慮しない分、フレンドリーな関係なのではないんでしょうか。
あくまでも推測ですので、実際はどうかは分かりません。
ですが、それらを含めつつ、お願いしてみるのがいいのではないでしょうかね。
少なくとも、一方的ではないですので、角の立つ言い方にはならないとは思いますよ。