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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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自分に問いかける

今回は、せっかくお問い合わせ頂いたのに、中にはメール返信出来ない方とかがおられます。
そんな方たちにこの場を使い、考え方のひとつの手段としての、問いかけを記してみたいと思います。
どの場面でも活用できるスキルとして有効ですので、一度お試しいただければ幸いです。

(誰かの手前)何々しなければならない、何々するべきである等々
と考え、行動に移してしまっていませんか?
それで問題なく出来ていればよいのですが、
出来ていないから、今の状況を招いてしまっていませんか?
それは、あなたが本当にしたいことなんでしょうか?
本当にしたいことが薄々分かっているからこそ、今の状況に陥っていませんか?
もし、あなたの知り合いの方が、あなたと同じ状況に状況に陥っていたら、
あなたはその方に、どのように答えてあげますか?
その答えを自分に適用してみませんか?
その答えを自分に適用しないのはどうしてですか?
知り合いの方が同じように適用しなければどう感じますか?
出来ないことで、あなたに本当に責任があるのでしょうか?
世間一般的に考え、あなたが本当に背負いこまなければならない問題なのですか?
出来ないことで、自責の念にかられていませんか?
あなたが信頼できる人に、あなたが本当にしたいことを話したら、反対されるのでしょうか?
世間一般的にみて、どちらに非があると思いますか?
世間一般的にみて、相手に非がある出来事を背負いこみ、苦しんでいませんか?
それは、本当にあなたが苦しまなければならないことなんですか?
その重荷を降ろしたからといって、あなたは世間一般的に批判されるのでしょうか?
その重荷を降ろしたからといって、あなたが信頼する人は批判するでしょうか?
あなたが信頼する人が同じような状況に陥り、
その重荷を降ろしたからといって、あなたは信頼する人を批判しますか?
無理に納得した答えが、
はたしてこれから先のことを考えた時、新たな障害になりませんか?
感情を抱くことと、感情のままに行動に移すことを同じと考えていませんか?

等々、自分に問いかける質問はいくらでも作れると思いますので、
ひとつの参考として活用して頂ければ幸いです。

「秋祭りで怒られPTSD」女児の逆転敗訴確定の記事を読んで

ちょっと気になる記事が出てましたので、触れてみたいと思います。
というか、正直、世間一般の常識でしょってレベルの裁判記事だと思います。
この記事を読んで、今まで理不尽な目に合ってきた人、
しっかりと裁判で判決として確定してますので、自信を持って、正しい事を正しいと言ってください。
理不尽な言動を取ってしまう人、
この記事を読んで、しっかりと反省して下さい。
記事をそのまま抜粋しますので、少々長くなりますが、一読の価値はあると思います。

埼玉県深谷市が管理する施設で開かれた秋祭りでボランティアに怒られ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、女児(9)が市に約190万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(戸倉三郎裁判長)は、女児の上告を受理しない決定をした。女児の逆転敗訴とした2審東京高裁判決が確定した。決定は25日付。4裁判官全員一致の結論。
判決によると、女児は5歳だった平成26年11月、家族とともに市内の施設で行われた秋祭りに参加。女児が輪投げゲームの会場に置かれた袋から景品の駄菓子を取り出したところ、ボランティアの高齢男性から注意された。近くにいた父親が駆けつけ、謝罪を求めて男性と口論。その後、女児はPTSDと診断された。
1審東京地裁判決は「男性に大声で注意され、口論を見たためにPTSDを発症した」として男性の過失を認め、使用者責任に基づいて市に約20万円の支払いを命じた。
一方、2審は「景品の駄菓子を勝手に取ろうとした女児を注意したのは社会通念上、全く正当」と指摘。「親として謝罪すべきなのに、道理に反して男性に謝罪を求め、警察に通報するなどした」とし、女児の請求を退けた。

最初は一部だけ抜粋で書こうかなとも思いましたが、少しでも正確に伝えたいと思い、全文抜粋としました。
こんな、僕個人としては、当たり前と思える事に4年も費やすなんて、正直いいとばっちりですよね。
この親も引くに引けない状況になっちゃった、なんて、思いたいぐらいですね。
止めてもらってありがとう、なんて思う心理ですかね。
本人の意見を知らないので、あくまでも希望的感想ですが。

一般常識は大事です。
常識ではありません。
一般常識です。
常識なんて、個人個人で微妙に違っています。
ですから、人間関係はトラブルの宝庫なんです。

あとは、子どものために、
怒られたからではなく、
口論を見たためにPTSDという点をしっかりと理解し、
子どもにしっかりと親として謝ってもらいたいと思います。
真剣な気持ちは相手に届きます。
お子さんのPTSDが直ることを祈っています。

「守れない」→「守らない」、「許せない」→「許さない」

以前にも書かせてもらいましたが、ずいぶん前から早起きする習慣をつけ、けっこうな頻度でこのこらむも朝の時間を使い更新しています。
そんな早い時間から車の運転をしていると、時々とんでもない運転をする車を見かけます。
今朝もそんな車を見かけました。
今朝は朝から雨が降っていて、交通量はいつもより多めです。
僕は直進ですので、信号が変わり、右折信号が出てからもしばらく待っていました。
右折する車もいないようです。
すると右折信号が消えてから、とんでもないスピードで、右折ラインから一台の車が直進していきました。
信号が切り替わる少しの時間を見越してでしょうが・・・。

ホント、時々見かけます。
あえて言わせてもらいますが、バカ野郎です。
こんなバカ野郎が勝手にどうなろうが知ったこっちゃないですが、一歩間違えれば大事故です。
バカ野郎が勝手に自爆するのは自己責任ですので知ったこっちゃないですが、巻き込まれたらたまったもんではありません。
ふと、もし、巻き込まれた事故を目撃した時、僕自身はどんな行動を取るだろうと考えました。
僕はそんなバカ野郎は「許せない」ので、そんな理不尽な事故を見過ごすことが出来ず、あえて証言するだろうなと思いました。
まあ、僕自身の普段の行動を考えたら、そうするでしょうね。
でも、それはあくまでも勝手な僕の我儘であって、どうこう言うものでもありません。
僕の思考に基づいて、見過ごすと「気持ち悪い」からであって、
どこまでいっても自己満足でしかありません。
ですから、そのあとの予定に関しては、ひたすら謝るの一点でしょうね。
自分の我儘によって、後の予定をないがしろにしているわけですからね。
なんてことまで考えてしまいました。

戻しますが、道路交通法ですら守れない人が、
罰則もついてない、ルール等を守ると思いますか?

僕は、「守れない」と思います。

言い方を変えてみます。
「守れない」ではなく、
「守らない」です。

もう一度、書きます。

僕は、「守らない」と思います。

どうですか?
言い方一つで印象が変わりませんか?

ついでに、もう一つ、

僕は
「許せない」ではなく、
「許さない」です。

僕の、ちょっと考えたという行動に一貫性が出ていませんか?

誰にでも譲れないものがあると思います。
僕にとってはこの点が、とりあえず譲れない点なんでしょうね。

貴乃花親方も同じなんではないでしょうか?
とんでもない重圧だったと思います。
下げたくない頭も下げ、重々考え、熟考も重ね、身近な人たちとも相談を重ね、取った行動ですから、
尊重してあげてもいいのではないでしょうか。
ですから、
お疲れさま、
いままでよく頑張りましたね、
でいいのではないでしょうかね。

呪いの藁人形!?

以前もこらむで書いたと思いますが、車中はラジオをつけています。
けっこう有効なネタを提供してもらえて、僕的にはかなり重宝していますね。
で、今回もラジオから仕入れたネタで書かせてもらおうかなと思っています。

藁人形、です。
それも、呪いの藁人形です。
オドロオドロしいですねえ。
しかし、使うと使わないではストレスの減り方が
33%も違うというデーターが出たそうです。
どうですか、この数字!!
使わない手はありませんよね。

なんて、ちょっと悪ノリしてしまいましたが、
別段不思議な話でもなんでもないんです。
当たり前な、ストレス解消の一つの手段でしかないんです。

溜め込んでしまったものは、自然には消化されません。
当人の努力によって消化されるにすぎないんです。
知識を得る、気づきを得る、吐き出す、
腑に落ちるという表現がありますが、
本当に、心底納得するときはそんな感覚を味わいます。
で、その感覚を得たなら、悩みなんて解消されちゃっています。
納得できないからいつまでもどっかにひっかっかっちゃっているんです。

吐き出すという行為は、お酒の席でも有効ですね。
真剣に悩みに向き合うと、自然と感情は昂ります。
普段は意識して押さえていた感情がひょこっと顔を出します。

イメージしてもらうのは、狭いお風呂ですかね。
膝を曲げないとお湯につかれない湯船なんて最高ですね。
お湯から曲げた膝がひょこっと出ています。
まるで氷山の一角状態ですね。
水面が普段自分を押さえつけている、自分の中の常識のラインです。
道徳とか、規律とか、まあもろもろですかね。
それに当てはまるものは水面から上に、
当てはまらないものは水面から下に押し込まれます。
水面から上は意識、
水面から下は無意識、
浅瀬は前意識、
となります。
さて、お酒はそのラインをちょこっとだけ下げてしまいます。
普段は頑張って隠されている、氷山の一部が顔を出しちゃうんです。
それが、前意識となります。
普段隠しているもの、
そりゃ、酒癖悪くなりますよね。
でも、出しきるとかなりスッキリします。
ちなみに泣く行為は個人的見解ですが、
真剣さが増すほどカウンセリングと同じ効果はあると思います。
押さえ込まずに、ありのまま出しきる、ですね。
で、泣くぐらいならいいのですが、
暴力を伴ったのは、ちょっと頂けません。
他人の権利を無視していますからね。
それは許されることではありません。

で、藁人形です。
これはかなりいいと思いますね。
ちょっと取り入れたいと、真剣に検討しています。
途中で気づくというのもいいですしね、
そこまでやる必要あるのかな、と。
そこで気づきを得たならそれでよし、
やり抜いてスッキリするならそれもよし、
自分の悩みに自分で答えを出す、
理にかなってますよね。

食事中常にスマホの夫

今回のねえねえちょっとの質問は、最近よく見かける景色であり、
同じことを思っている方も多いのではないでしょうか?
ちょっとだけ考えてみませんか?

夫は食事中、常にスマホを操作しています。
外食時もスマホでニュースを見ているようです。
目線は常にスマホ画面。
食卓を挟んで正面に座っている私にとっては、とても気分が悪いです。
二歳の子どもがいるので、食事中は会話を楽しみたいのですが。
夫にはどのように声をかけて、やめさせればよいでしょうか?

冒頭でも書きましたが、見慣れた景色とはいいつつも、
違うことを考えてる相手にとってはあまりいい気分ではないですよね。
この方のように、とても気分が悪い、そのように感じているのではないでしょうか?
同じ考え方同士なら同じ行動を取るので全く問題はないのですが。

さて、どのように声をかけ、やめさせればよいでしょうか?とのことですが、
小細工はしない方が良いと思います。
例えば、子どもが寂しがってるとか、教育に悪いとか、
誰かの為に、あなたの為を思って、
なんて意見は建前が見え隠れしているので、鋭い人には一瞬で見透かされます。
本当は誰の為、と。

素直に、あなたが感じてること、思ってることを、
端的に、分かりやすく伝えるのがいいと思います。
食事中は会話を楽しみたい、と。
もちろん、会話ですので、お互いに話題を提供しなければなりません。
相手は今の現状に満足しているわけです。
今の現状をなんとかしたいと思い立った人から動くしかありません。
だって、満足している人が動くわけありませんよね。
ですから、まずはあなたから働きかけるしかありません。
最初は強引かもしれませんが、動きだすのはそれぐらいがちょうどいいです。
動きだしさえすれば、自然と流れていくと思いますよ。

生活苦の姉が金の無心

今回のねえねえちょっとの内容は個人的にも思うところがあり偏った内容かもしれませんが、そこも含めて読んでいただければ幸いです。

一人暮らしを始めた姉が、多いときは週に2~3回、私のところにお金を借りにきます。
食費や娯楽費が自分の給料では間に合わないとのこと。
私自身も給料が少なく生活は苦しいのですが、助けてあげたくて何度かお金を貸しました。
でもそのことは両親には内緒です。
姉から私の携帯に電話が入るたびに苦痛です。

身近な人が困っていたら、なんとかしたいと思ってしまいますよね。
でも、人が人にできることは本当に限られた事しかありません。
例外はありません。
ギブアンドテイク、お互いイーブンでなければいずれ破綻します。
一方的に我慢を強いられるなんて、耐えられるわけないですよね。
貸したものは返さなければならない、
当たり前だと思っているかもしれませんが、
それができるなら、そもそもお金に困ることなんてありません。

さて、そんなことは既にこの方は理解しているのではないでしょうか。
両親と姉は既に揉めている、
自分の行為を知ると両親に怒られるから内緒にしている、
姉に口止めされている、
そんなとこではないでしょうか。
いずれにしても、誉められた行為ではないと自覚しているのではないでしょうかね。
食費や娯楽費、
思うところがあるような気がします。

さて、あとは覚悟の問題です。
このまま続けるなら、貸しではなく援助と自覚するしかありません。
今は返してもらえてるかもしれませんが、近い内返ってこなくなるでしょう。
既に返ってきてないかもしれませんが・・・。
もう嫌だ、
そう思うなら、キッパリ断るしかありません。
ただし、貸したものを返してもらう、
そんな甘い思いはサッパリ忘れたほうがいいでしょう。
なんとかなるなら、週に2~3回も借りにきません。
自分の行動は自分で責任を持つ、
当たり前のことですが、他人が関わると忘れがちになってしまいます。
貸したのは自分の意思、
返すのは相手の意思、
相手に委ねている以上、返ってこなくても仕方ありません。
キズはより浅いほうが治りが早いです。
少しでも、早めに処置をすることをお勧めします。

我慢しすぎると・・・

最近あった事なんですが、僕の二台前の車が法定速度40㎞の道路を20㎞で走行していたんです。
法定速度の半分の速度で走っているんですよ。
もちろん、後ろは大渋滞です。
僕が通勤途中ですので、めちゃくちゃ早い時間にも関わらず・・・。
これはあくまでも僕の考え方なんですが、法定速度を守らないというのは早すぎてももちろんダメですが、遅すぎるのも問題があると思います。
その結果が、僕の後ろの大渋滞という結果が証明していると思います。
ですが、僕の前の車、つまり大渋滞を引き起こしている車の後ろを走っている車の運転手さんですね、
ちょっと僕的には感心しているんですが、よくもまあ付き合ってるなあと思ってたんですよね。
もし、僕がすぐ後ろを走っていたなら、速攻抜かしていたと思います。
法定速度を守っていない車に付き合う必要はないですからね。
それでイライラするのも嫌ですし、そんなのに付き合う必要もないですからね。
ですが、僕の前の運転手さんは抜かすタイミングは沢山あったんですが、そんな素振りも全く見せず、律儀に後ろを走っているんですよね。
法定速度の半分の速度の車の後ろをですよ、
まあ僕も急いでるわけではないですし、直接後ろでもないですから抜かすわけにはいかず、そのまま走っていたわけですが。

で、その遅い車が信号で直進し、その後ろの車、つまり僕の前の車ですね、ちょうど僕と同じに信号を左折したんですよ、
つまり遅い車から解放されたわけです。

いやあ、ビックリですよ、
僕もそこそこ速度は出す時は出す方ですが、
全く着いていけませんでした。
あっという間に引き離されちゃいました。

車というものは、自分の意志で動かす事が出来ます。
つまり、ある意味、素の自分が出せるものだと個人的には考えています。
ですから、以前も書いたかもしれませんが、車に乗ると性格が変わるというわけではなく、
周りを気にする必要がなくなると勘違いするので、運転が荒っぽくなる人が多いと思うんですよね。

で、僕の前の運転手さんです。
気を使ってたんでしょうね、法定速度を守っていない人に対して。
過剰な程に。
その結果、その人が離れたと同時に、今までの鬱憤を晴らすような破天荒な運転をしちゃったんでしょうね。
僕はその一部始終を見ていたから納得できますが、見てない人にはどんな風に映っているんでしょうかね。

付き合うのは大事だと思いますが、
それによって、自分をなくす事になるほど我慢する必要は果たしてあるんでしょうかね。

何事にも言える事だと思いますが、
距離感というのは大事だと思います。
それも、他人目線ではなく、
あくまでも、本人目線に置ける距離感です。
もちろん、第一に置いてほしいのは、世間一般の常識ですよ。
常識なければ単なる我が儘でしかないですからね。
それを押し通すなら結果は自明の理ですよね。

普通に生活するだけでも学ぶ事は沢山あると思います。
何気ない日常こそ、色々な思惑が集まって
何気ない日常を作り出しているんです。
何気ない日常を知っているからこそ、
何気ない日常を壊してしまう違和感に気づけると思います。

何気ない日常を壊す違和感に、我慢しますか?
我慢するぐらいなら、何か対策を立てませんか?
その方が、より建設的だと、個人的には思います。
放り投げれるならいいんですが、そういうわけにもいかないなら、
対策たてた方がいいのではないでしょうか?
だって、我慢しすぎると・・・。

義母が植え込み私物化

今回は ねえねえちょっとの質問を考えてみたいと思います。

義母が自宅前の歩道の植え込みを私物化して困っています。
初めは花を植え、最近は苗木を植え支柱まで立てて、自分の庭のようにして手入れを楽しんでいます。
近所の方は、「きれいだね」と褒める方もいますが、「ちょっとやり過ぎ」という声も聞こえてきます。
義母は自分は正しいと思っているので、家族の意見は聞きません。

なかなか難しい問題ですよね。
自分が正しいと思っているなら、それを自分が止めるなんてありえませんよね。
だって、正しいんですもん、本当かどうかは別として。

さて、そんな自分は正しいと思っているらしい義母の行動をどのように止めさせたらいいのでしょうか?
と、勝手に止めさせたいと書いてしまいましたが、そこまで書かれていませんがその流れで進めたいと思います。
といっても、最終的にはどうするかになるとは思いますが。

家族の意見を聞かないので、それなら意見を聞かなければならない立場の人に登場してもらえばいいんです。
つまり、本来の所有者である、役所関係の方に。

告げ口みたいで嫌だと思うかもしれませんが、
そこで話しあえばいいのではないでしょうかね?
義母には義母の言い分があるでしょうから。
ダメならダメ、良いなら改めて許可をもらう。
それでスッキリするんではないでしょうかね。

自分でダメで止めず、使えるものは使う、
問題を解決する一つの手段として活用してもらえば幸いです。

勝手に問題を作る構造

昨日のことですが、ちょっと面白いことを経験しましたので早速書いてみたいと思います。

当人同士の間で、指示をし、それに従って行動していたのに、それを見ていた第三者が何かあったと勝手に勘違いし、すぐに様子を見に行く、という行動を取りました。
もちろん、何も問題があるわけありません。
簡単な指示を出し、それに従った、ただそれだけです。
ですから、すぐに戻ってきました。

ただ、その一連の行動全てを、その指示を出した当人である僕が見ていた、ただそれだけです。

もちろん、勝手に勘違いする理由もあるでしょう。
ですが、問題もない出来事に、
勝手に自分の価値観で判断し、
勝手に問題として見てしまい、
勝手に問題を捏造してしまい、
勝手に行動し、
その一部始終を当人の目の前で行い、
勝手に終わらせる。

流石に、目の前でされるとイラッとした感情になりますね。
まあ、いい例を提供してもらえたと、考え直しましたが。

どんな場面においても、
人は思考に基づいて行動します。
ですから、この人は、間違いなく、
どんな場面においても
同じ行動を取ります。
今までも、これからも。
思考を改めない限り。

たまたま今回は僕でしたが、
今までも同じようにイラッとした人はいるでしょうね。

問題を勝手に作ってしまい、
新たな問題に気づかず、
そのまま放置してしまう。

構造は至ってシンプルなものです。
気をつけましょう。

もちろん、自覚さえしていれば
何も問題はありません。

問題なのは、
無自覚、
それが一番の問題です。

内からでてくるもの

個人的な話しですが、僕はけっこう新しいものが好きで、電子書籍が出た当初も真っ先に飛び付いたものです。
本当に簡単にデータとして本が買える手軽さから、それまで全く手を出さなかったジャンルの書籍も購入するようになって、怖くて自分が今の時点で何冊書籍を持っているか数えたくないくらい所有しています。
元々映画も好きで、DVDが出た当初から買い集めていたので、こちらもまた、目に見えて数多く所有しています。
もちろん、今はデータとして購入しているので、こちらもまた数えたくないですね。
それだけ所有しているので、もちろん見ていない作品も数多くあります。
時間くっちゃいますからね、見よう、読もうとするとどうしても。

さて、映画では僕の中で以前からあった兆候だったのですが、本においても初めて体験した経験があります。
うーん、入ってこないな、難しいなあというのは作品によってあるのですが、
気持ち悪い、という感情を文章で初めて経験しました。
作者の人の描写がスゴいんでしょうね、なんかリアルに感じすぎて、
気持ち悪すぎて、その本は読むことが僕にはどうしてもできませんでした。

その人の作品はそれ以前に購入していて、その作品は僕的には面白く読む事ができました。
かなりある意味リアルに突き詰めた作品だなとは感じましたが、
多分どこか作り物であると僕には思えたので、気に入った作品になったと思います。

で、二冊目を購入したのですが、
僕にはどうしても作り物と思えなくて、リアルに想像してしまい、
気持ち悪くて読めなくなった、そんな感じですかね。

その作品は僕にはダメでしたが、好きな人にはたまらない一冊なんでしょうね。
僕にとっての一冊目の作品のように。

カウンセリングで問題を解決するにおいて、
自分の中にあるものに真摯に向き合う必要があります。
自己洞察というものです。
何気ない日常においては無視するものですが、
問題が起こった時には避けては通れないものです。
目を背けたくなるぐらい、自分にとって嫌なものです。

その人の内にあるものなのか、
その作品の人物の内に深く潜ったものなのか、
そんな作品は、見るものを深く揺さぶります。

カウンセリングの場にいるように。