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”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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音楽界、スポーツ界、最近のニュースの相似点

最近は、色々なニュースが世間を賑わしていますね。
18年間のゴーストライター、ある特定ボクシングジムの活動停止、この二つについてちょっと考えてみようと思います。
お付き合い下さい。

なぜ、この二つを選んだか、不思議に思うかも知れません。
たまたま同じ時期にニュースで取り上げられたから、もっともな意見だと思います。
では、なぜ同じ時期にニュースになるんでしょうね。
あくまでも僕の考えですが、この二つの問題、根っこは同じ問題なんですよ。
もちろん、繋がってるという意味ではありません。問題の本質が同じなんです。
同じような問題だからこそ、ひょっとかしたら、同じ時期に発表されるのかもしれませんね。

さて、本題に入ろうと思います。
まずは、あまりにもメジャーな例えを思い浮かべて下さい。
それは、"人"という文字です。
"人"という字はお互い支え合って・・・かの有名な先生の言葉ですよね。
で、そこからもう一つが、片一方が片一方を倒れるのを支えている、です。
だから、人はどちらかが損をしている、という見方です。

それを踏まえて、ここからです。
実は、これって、お互いなりたくてこのような役割を選んでいるんですよ。
だからどちらかが一方的に損をしているわけではないんです。
支えられたい人、支えたい人、お互いに自分がやりたい役割が一致してるから、"人"という文字が成り立つんです。
自分が落ち着く立ち位置、と表現しても過言ではないかもしれませんね。
自分が逆の立場になりたいかどうか考えてみると、納得できると思います。
この関係って、他にも思い当たるケースありませんか?
そうなんです、DVの問題も実は当てはまっちゃうんですよね。
そして、最後はお決まりのパターン、関係の破綻に向かっていっちゃうんです。

今回も、両方とも最悪の破綻に辿り着いちゃいましたよね。
今まで我慢してた鬱憤を、周りを巻き込んで、一番相手が困るであろうタイミングで解消しちゃうんです。
今までの関係が、ここで一気に入れ替わるんです。
その代償は、お互いにあまりにも大きすぎます。
ひょっとかしたらですが、自分も意図していない結末になったと思っているんではないでしょうかね。

そういえば、いつも自分はこんな関係の繰り返しをしているなと思った人もいるのではないでしょうか?
もし、思い当たるなら、ちょっとだけ立ち止まって考えてみて下さい。
また同じ嫌な気持ちを味わいたいのかどうか、自分がどうしたいのか・・・。
一人で考えて行動すると、同じ事を繰り返してしまう可能性は大きいです。
その前に、自分が信頼できる人に話してみるだけでも違う結果になるかもしれません。
自分を変えるのは、自分だけです。
ただ、変化を見守ってもらうだけでも、かなり心強く感じるものです。

子どもおらず老後が不安

今回も、中日新聞のねえねえちょっとに掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回は、子宝に恵まれなかったご夫婦の奥さんの相談ですね。
何かと夫婦げんかになるようで、年を重ねて、若いころのようにいかないことも多くなり、老後が不安になるとのことです。
"趣味をもつ""仲間をつくる""一生懸命生きる"などと、頭では分かっているつもりですが、あくまでも理想だと思ってしまうようです。
子どももおらず、人間的に何か欠落しているのではないかと思い悩んでいる、とのことですね。

なるほど、子宝に恵まれなかったことで、色々と今までつらい思いをされてきたのではないかなと、個人的に思いました。
若い頃に描いていた人生プランと、今の現実が違うので、老後も不安になって、夫婦げんかも多くなるのではないでしょうか。
多分ですが、色々と人に相談したり、自分で調べたのが、どれもしっくりせず、理想だと思ってしまうのではないですかね。
正論は確かに正しいのですが、だからと言って、解決に結びつくかどうかは別問題ですからね。
ひょっとかしたらですが、子どもがいないことで、当たり前と思う事が出来なかった自分が何か欠落しているのではないかと、必要以上に自分を責めているのではないかなと、僕は感じました。

そうですね、現実を受け入れる、という事は、本当に難しく、困難なことだと思います。
それが出来たら、自分がこれからどうしたいのかと思えるのではないかと思います。
今は、まだ無い物ねだり妻、というPNが表す通り、受け入れきれていないのではないかと思います。
無いものを欲しいと思うのは、自然な事です。
自然な事ですから、そう思う自分を無理に否定しようとすると、自然ではなくなってしまいます。
本当に、受け入れれたら、不思議に思うかもしれませんが、自分で自ずと答えが出るものです。
その時には、人間的に何か欠落しているという不安も違った考えになっていると思います。

何かと夫婦げんかになるとの事ですが、自分一人だけが悩んでいるのではなく、ご主人も悩んでいるのかもしれません。
相手も悩んでいるのかもしれないと考えてみると、案外落ち着いて話しをすることができるものです。
老後を一緒に過ごすパートナーとして、お互いに話し合ってみてはどうでしょう。
身近な人こそ、自分が思ってる以上に理解していない事って、けっこう多いものです。
身近だからこそ、勝手な思い込みはよくあることです。
時間はまだたくさんあります。じっくりと時間をかけてみてはどうでしょうか。

嘘とどう向き合うか

人は誰でも嘘をつきます。
なんていきなり断定しちゃいましたが、嘘をついたことがない人なんていないんではないかなと思います。
そんな事ない、嘘は悪い事だから今まで嘘なんてついた事ないと反論したい人もいるかもしれません。
確かにその通りだと思います。嘘は悪い事だと思います。これ以上ない正論ではないかと個人的にも思います。
でも、ちょっとだけ考えて下さい。
自分の気持ちに正直に、嘘つくことなく生活できるのでしょうか?
自分の気持ちに正直に、嘘つくことなく生活したら、どんな状況になるんでしょう?
ちょっとだけ、想像してみて下さい。

どうでしょうか、今までうまくいっていた関係もギスギスした関係になった状況が想像できたんじゃないでしょうか?
自分の気持ちに正直になるのは大事な事ではありますが、それだけでは、人付き合いは上手くいきません。
つまり、周りと上手くやっていくために、自分の為に自分の気持ちに嘘をつくんです。
人付き合いが苦手な人、もしくは周りと衝突ばかりする人は、自分の気持ちに純粋に正直なのかもしれませんね。
嘘という言葉に抵抗があるなら、気を使う、と置き換えて下さい。
周りに気を使えない人もまた、人付き合いが上手く出来ないですよね。
それでは、せっかく気を使ったのに、と言いたい時って、どんな事を感じていますか?
そんな時は、自分の気持ちと違う行動をとった時が多いんじゃないでしょうか。
せっかく気を使ってしてあげたのにしなければよかった、とまではいかないまでも、近い気持ちにはなるんではないでしょうか?
でも、相手は気を使って欲しかったんですかね、勝手に気を使ったのは、誰なんでしょう?

さて、あなたは、今、誰かとギスギスした関係はありますか?
それは、あなたが自分の気持ちに、純粋に正直に行動してしまった結果も一因ではないのでしょうか?
それは良い事なのか悪い事なのかは分かりません。
ただ、自分で行動した結果ですので、責任は自分で取るしかないですよね。
もちろん、その関係で特に困っていないならそれでいいと思います。
自分を取り巻く環境を決めるのは、他の誰でもない、自分自身だけなんです。

その関係で困っているなら、どうしたらいいんでしょうか?
まずは、自分の為に、何が自分に出来るんだろう、と考えてみたらいいのではないでしょうか。
困っているのは、他の誰でもありません。あなた自身なんです。
自分の気持ちに、純粋に正直に行動してしまった結果も一因なら、まずは自分で出来る事として、その行動を修正する事が出来ますよね。
相手と上手く付き合う為に、自分の為に自分の気持ちに嘘をつく、その嘘とどう向き合っていくか、となるのではないですかね。
案外、向き合ってみると、今まで見えなかった、見えないようにしていた事に気づくものです。
関係は修復出来るものです。修復出来なかったとしても、何かしらの答えは出るものです。
何かしらの答えを出すのもまた、他の誰でもない、あなた自身なのです。

それでは、もう一つ・・・。
相手はなぜ嘘をつくのでしょう?
あなたとの関係を上手くやっていく為に、嘘をつく、とも考えられませんか?
嘘を貫く為に、更に嘘をつく、あなたとの関係を上手くやりたい為にやっているのかもしれません。
もちろん、それだけではありません。でも、そんな嘘もあるのではないでしょうか。
他人を変える事は出来ません、でも、あなた次第で、他人は勝手に自分で変わっていくんです。
その嘘とどう向き合っていくか、それもまた、あなた次第なのかもしれませんね。

 

物をためこみ片付けぬ母

今回も、ねえねえちょっとに掲載された相談について考えてみます。
どうぞお付き合い下さい。

相談内容は、この方のお母さんが、人がいらないというものをとにかくなんでももらってきて、家の中が物であふれてしまっているとのことです。
もらってくるものは、サイズの合わない服、自転車、棚、雑誌など色々のようです。
この方は、実家の近くに住んでいるので、何度か掃除や片付けもしているのですが、お母さんは不機嫌になってしまうみたいです。
お母さんを変えるのは難しいと思っていて、気にしなければ楽なのに、そう簡単ではないとのことです。
どうすればいいのか、何かできることはないのか、と悩んでいるとのことです。

これは本当にお困りですよね。
このまま続くと、現実問題、人が住む事が出来ない家になってしまいますよね。
最悪、あまりいい言葉ではないですが、ゴミ屋敷みたいになってしまう恐れもあります。
その心配もされているのではないでしょうか?
どうすればいいのか、途方にくれちゃいますよね。

さて、それでは考えてみましょう。
まず、気にしなければ楽との事ですが、現実的な問題があるので、気にしないという方法は出来ないのではないでしょうか。
このまま続くと、間違いなく近所の人達との問題になって、娘であるあなたに飛び火するのは間違いありません。
それがあるから、簡単ではないのではないですかね。
ですから、まずは自分のためにも、お母さんに働きかけるのがいいのではないでしょうか。
自分がいかに困っているか、このまま続けられるといかに大変な事になるか、話し合ってみてはどうでしょうか?
それで自分がいかに迷惑をかけているか気づいてもらえればいいのですが、止めない可能性もありますよね。
その時は、お母さんは他人とのコミュニケーションの手段として、物をもらってる可能性もあるかもしれません。
いらないものをもらってもらうと、その人に感謝の言葉を言いますよね。その言葉を聞きたい為になんでも引き受けてしまうのかもしれません。
ですから、言葉さえもらえれば後は必要ないので、片付ける事はしないのかもしれません。
もらうという行為自体を自分でも止める事が出来なくなってるのかもしれません。
こちらですと、ちょっと時間かかるかもしれません。

あとは、そのお母さんの行為を仕入れと考えるのもいいかもしれませんね。
自分たちがいらなくても、他の人にとっては欲しいものもあるかもしれませんので、例えばバザーとかフリマに出店してみるとかすると、案外いいかもしれません。
困った行為がいい行為に見えるかもしれませんよ。

相手を変える事は出来ません。
こちらから働きかける事によって、相手が勝手に変わるんです。
色々と働きかけてみて下さい。お母さんは変わると思いますよ。

同居の気ままな義母に困る

今回も ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
お付き合い下さい。

内容は、ご主人と幼い息子さんと、義母との四人暮らしの方からの相談です。
義母は気ままに暮らしてきたようで、ご夫婦で使おうと買った"めおと茶わん"も、構わずに自由に使ってしまうみたいですね。
この方がつわりで気分が悪く、夕食の準備を頼んだら、"ばあちゃん、何もいらない"と言うとの事です。
協力してもらうには、どうしたらいいか、という相談内容です。

なるほど、気ままに暮らしてきた義母との関係で悩んでいるようですね。
せっかく使おうと買った”めおと茶わん”も使われちゃうと、あまりいい気分ではないですよね。
どうなんでしょう、自由に使われるのが嫌なんでしょうか、なら、自由に使われなければいいんでしょうかね。
例えば、家族一人一人食器を決めておけば使われる事もないのではないでしょうか。
予め決めておいても、構わずに使ってしまう、そんな事もあるかもしれませんね。
それなら、使われて嫌なものは、使われる前に使ってしまえば嫌な思いをすることもないですよね。
食事の用意が出来たら、自分で配膳すれば問題自体がなくなるのではないでしょうか。

食事の準備を協力してもらうには、どうしたらいいんでしょうかね。
頼むと、”ばあちゃん、何もいらない”と義母は言うんですよね。
まるで、子供が言ってるように感じませんか。
なら、子供にお手伝いを頼むようにしてみたらどうでしょう。
最初は、こちらからの協力してほしいという欲求を満たそうとするわけです。
ですから、まずば下手にお願いしてみて、仕方ないなと思ってもらうように仕向けるんです。
難しいかもしれませんが、やってもらえれば、まずは成功です。
後は、最後に、手伝ってもらった感謝の言葉と褒めるという行為が大事だと思います。
いくつになっても人から褒められると嬉しいものです。それを何度も繰り返すと、ひょっとかしたら、手伝うのが習慣となるかもしれませんよ。

一般常識の重要性~あるニュース記事を見て~

一昨日、あるネットニュースを見て、今までと対応が違っていたので、違和感を感じていたんですが、昨日の朝その記事のその後を見て、やっぱりなと納得しました。
どのようなニュースかというと、あるお笑い芸人がしてしまったニュース記事です。
一昨日の記事の内容では、この芸人のマネージャーがマネージャー自身で判断して問題に対応する、となっていました。
今までのこの会社の対応と違っていたので、おやっと違和感を感じていました。
昨日の朝、この記事の続きを見ると、この芸人の自作自演だったとのことでした。
会社から怒られ、当のマネージャーからはクレームの電話が鳴りやまず、本当の事を書いたとの事でした。

確かに、事情を見ると、かなりしんどい思いをしながらそれを続けてるみたいでした。
事情は分かりますが、だからといって取った問題対策がまずかったですよね。
タレントを守るのもマネージャーの仕事かもしれません。
でも、その行為によって、相手はクレームの電話をかけ続けてるわけです。
笑いをとるために、やってみたのかもしれません。
それなら、笑いの専門である会社が怒るわけありませんよね。
明らかに、笑いという仕事を逸脱してしまった行為をしてしまったんです。

人によって常識って違うと思います。
ですから、一般常識って、非常に重要になると思います。
今回のニュースでは、少なくとも、他人に迷惑をかけてしまっているんですよね。
自分も迷惑を被っている、その通りだと思います。
だからといって、自分を守る為に、他人に迷惑をかけるなら、その人達と一緒ですよね。
今まで耐えてただけ、限界を越えた行為って、過剰になってしまうんです。

ここでもうひとつ、大事な一般常識があるんです。
こちらは、非常に簡単なことです。
"相手が悪いことをしたら、怒る(叱る)"です。
分からないから、悪いことをしてるかもしれません。
だから、分かりやすく、怒って(叱って)教えるんです。相手に伝わるようにです。
ですから、この芸人は、すぐ反省できたと思います。
多分、同じことは二度としないのではないかと思います。

簡単な事程、難しいですよね。
難しいですけど、その後を考えたら、やりたいですよね。

手のかかる子、手のかからない子

よく言われる事で、手のかかる子ほどかわいいって言葉ありますよね。
僕もよくその事を昔から考えた事がありました。
僕の場合は、手のかかる子が羨ましいっていう感情がありましたね。
自分的には、手のかからない子だったと思っていましたから、手のかかる子が大人に手を差し伸べてもらうのを見て、またかとあきれる反面、羨ましいとかいいなあとか妬む気持ちがかなりありましたね。
手のかかる子、出来ない子、甘え上手な子、となるんでしょうか、この場合。
実際、可愛がられるんですよね、そういう子たちって。
だからと言って、自分がそうなりたいと思っても、弱音を吐けないんですよね。
自分が出来ないから、出来る相手が羨ましい、妬ましいという複雑な感情を抱いていたと思います。
でも、実は違っていたんですよね。

では、何が違っていたんでしょうか?
僕が手のかからない子だったというとこだったんでしょうか?(ちょっと書いてて不安に思いましたんで、親に確認しました、自覚通りちゃんと手のかからない子だったようです)。

さて、気を取り直してもう一度、何が違っていたんでしょうか?
手のかかる子も、手のかからない子も、子供らしく素直であればそれでいい、のではないでしょうか。
つまり、二つに無理に分ける事自体、違ってるのではないですかね。
手のかかる子はいつもどんな時も、手のかかる子なんでしょうか?
手のかからない子はいつもどんな時も、手のかからない子なんでしょうか?
そんな事ないですよね、もしそんな事があるとしたら、
手のかかり過ぎる子、手のかからなさ過ぎる子、となりますよね。
僕ほどうも、手のかからなさ過ぎた子だったんではないか、と思います。だから、当時、複雑な感情を抱いていたのではないかなと思います。素直に感情を出す事を自分でしないようにしていた、自分の気持ちに嘘をついてた、と思います。
だから、素直に感情を出せる子が疎ましくもあり、羨ましく妬ましいと思っていたんでしょうね。

ただ、ここで大事なのは、子供でも、自分で選択している、という事実なんです。
僕の場合を例に出しましたが、子供の時の僕であれ、僕が選択しているんです。
ここって、難しいとこなんですが、親の責任ではないんですよ。自分の責任なんです。
それを選択したのは親ではなく、自分だから、です。
責任を取るって、嫌ですよね。だから誰かの責任にしたいんです。だから、親の責任にしたいんです。
誰かのせいにしたら、楽ですよね。楽なんですけど、それだけなんです。
もし、問題だと思ってたとしたら、その問題は解決しないのではないかなと思います。
あくまでも、大人になって、問題だと思った場合の話しですが・・・。

さて、もう一つ。
物事は、可もなく不可もなく、です。
過剰過ぎるのも、過小すぎるのも、なく、です。
過剰過ぎるなと思うなら、過小にして、
過小すぎるなと思うなら、過剰にして、適切に、です。

 

 

兄が毎日夕飯に来る

今回も ねえねえちょっと に掲載された悩みについて考えてみたいと思います。
お付き合い下さい。

今回の内容は、別居中のお兄さんが四ヶ月前からお金に困り、毎日夕食を食べに来てる状況のようです。
この方は、両親と三人暮らしで、食事の支度はこの方がされてるようです。
更年期の症状と戦いながら大食いのお兄さんの食事に悩んでいるんですが、お兄さんは感謝の言葉もなく、横柄な態度をとり、やりきれず時に涙し、両親は見て見ぬふりをして、お兄さんを毎日家に呼ぶみたいです。
いつまで続くのか、つらい毎日を送ってるとのことです。

なるほど、ただでさえ更年期症状で苦しいのに、感謝の言葉もないとやりきれない気持ちになっちゃいますよね。
そんな状況なのに、一緒に暮らしている両親が見て見ぬふりをしてると感じてたら、余計つらいですよね。
ましてやそれがいつまで続くか分からないとなると、つらい毎日になっちゃいますね。
それでは、どうしたらいいんでしょう。

まずは感謝の言葉をもらうためには、どんな状況なのか、相手に理解してもらわないともらえないのではないでしょうか。
自分がこれだけ苦しんで食事の用意してるんだよ、と言葉で伝えてみてはどうでしょうか?
あなたが更年期の症状と戦いながら食事の用意をしてる事実を、お兄さんは気づいていないのではないですかね。
察するって、案外難しいものではないのかなって僕は思います。
自分の事を察してほしいという思いがある以上、相手にも同じように察してほしいという思いがあるからです。
それが満たされないなって感じたなら、状況を伝えるしかないですよね。
そうして、始めて状況は動き出すのではないでしょうか。
同じことは両親にも当てはまると思います。
見て見ぬふりとのことですが、両親があなたがつらい毎日を送っているのに気付いていないだけかもしれません。
言葉で伝えることによって、状況は動きだし、変化が起こると思います。
その変化によって、多分今の状況よりは少なくともいい状況になると思います。
その変化の中に、気分転換も時々入れる、もいいと思いますよ。

”心が折れる”についてちょっと考えてみる

よく表現方法で、”心が折れる”って見かけますよね。
今まであまり気にしていなかったし、僕も”心”を扱うプロの端くれですから、今まで使っていなかったのかと言われれば自信ないですが、ちょっとこの”心が折れる”という表現を考えてみたいと思います。

”自由なこころの空間”をうたい文句にしてる僕が言うのもなんですが、”心”って目に見える形としては存在してはいないですよね。
目に見える形として存在してはいないけど、確かにそこにあるだろうっていう感覚はありますが、抽象的な概念でしかない、ですよね。
それでは、その目に見えない、存在しない抽象的な概念の”心”って、”折れる”もの、なんでしょうか?

だからと言っても、確かに、”はあ~、心折れそうだわ”なんて言われると、違和感なく本当に辛そうだなって伝わりますよね。
そうなんです、伝わっちゃうんですよ。ですから表現としては本当に素晴らしいんですよね。
でも、逆に言うなら、伝わっちゃうからこそ、問題を複雑にしちゃうのではないかな、って気がします。

それでは、一体どんな時に、”心が折れる”って表現するんでしょう?
どうなんでしょう、辛い状況に身を置いていて、ギリギリ耐えている時は”心が折れそう”で、もう無理って時に、”心が折れる”になるんでしょうか。
ギリギリ耐える時って、どうしたら耐えられるんでしょう。頑張って耐えてる、のではないでしょうか?
頑張って頑張って耐えようとして、頑張り過ぎて疲れ果て、もう無理ってなって、”心が折れる”となってしまう・・・。うーん、書いていても辛いですねえ。

頑張って耐えるって、元々無理がありますよね。堪え切れたとしても、疲れ果てちゃいますよね。
ですから、頑張って耐える時点で、ひょっとかしたら、そのもの自体(こだわりとでもしときましょうか)、間違っている可能性もあるかもしれません。
そんな時、ちょっとだけ自分の周りを見て下さい。
周りの人も条件は同じなのに、そんな状況になっているのは、自分だけって事はないでしょうか?
となると、一体何が違うんでしょうか?
頑張らないと耐えられない自分のこだわりが、自分自身を苦しめている、という事はないんですかね。

”心が折れそう”ではなく、”こだわりが折れそう”
”心が折れる”ではなく、”こだわりが折れる”

これならなんとかなりそうな気になりませんか?
これならなんとかできそうな気になりませんか?
これならなんとかしてみようという気になりませんか?

そんな風に感じて頂ければ幸いです。

男性役員の誘い断るには

さて、今回も紙面に掲載された悩み事を考えてみたいと思います。お付き合い下さい。

内容は、子ども会の役員をされてる方で、会議後の飲み会などに出ていたら、他地区の男性役員に食事に誘われたり、旅行の土産を頂いたりするようになったみたいですね。
いつもごちそうしてくれるので出掛けていましたが、トラブルになっては困るので、これ以上の付き合いは避けたいと思ってるみたいです。
ただ、今さらどう断ればいいのか分からず、困ってる、とのことです。

なるほど、なかなか難しいですね。
実際に断わる方法は、簡単だと思います。
誘われた時に、ちょっと用事が、とか今はちょっと忙しくて時間を取れないとか、理由は作れば色々あると思います。
いつも出掛けていた、との事ですので、相手も付き合いがいいので、誘うのでしょう。
単純に、付き合いが悪くなれば、誘わなくなると思います。
誘っていい返事がこないとなると、新しい付き合いがいい人を探すでしょうから。
そうしたら、これ以上の付き合いの心配も、トラブルも起こらないでしょうから、目的は達成するのではないでしょうか。

ただ、それができない、もしくはしたくない、という思いもあるような気がしますね。
例えば、付き合いが悪い人だと思われたくない、とか。
それなら、ごちそうされなければいいのではないでしょうか。
自分の分は、自分で出す、自分の付き合いも自分で選択する、お金を出すだけの付き合いの価値が自分にとってあるのかどうかの判断基準になると思います。
出してもらえるから行くですから、出してもらえないと行かない、となるような気がしますが、どうなんでしょうね。