free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

相談、質問

行動には目には見えないが理由がある

一度根付いた習慣を変えるのはなかなか大変な事です。
だって、自分に適した行動だから根付いたわけですから、それを変えるなんて考えただけでも大変ですよね。
でも、変えなければならない事が起こるんです。
それを変えれるかどうかで周りの環境もまた変化していくんです。

なんて、ちょっと固い文章になってしまいましたが、例えば朝起きるなんて行動を考えてもらえばいいです。
仕事、学校、家事、一日の始まりに基づいて起きる時間は人それぞれ違いますが、起きる時間はその人の一番適した時間なわけです。
他人から見てみると、早すぎるとか遅すぎるとかあると思いますが、だからといって変えないですよね。
だって、自分に適した時間ですもんね。
もちろん、問題がなければ、ですよ。
遅刻ばっかりしていて、起きる時間をそのままにしていたら、遅刻という問題行動はなくなりませんよね。
遅刻という問題行動をなくすためには、今までの起きる時間を早くするしかありません。
早く起きる為には、就寝時間も見直さなければならないかもしれません。
だって、自分に適した時間に合わせるということは、たった一つの行動だけでなく、他にも連動した行動を見直さなければ根付かないからです。
睡眠時間の減少によって、新たな問題行動が出たら目も当てられませんよね。
で、もし、睡眠時間の減少によって問題行動が起きてしまったらどうしますか?
早く起きるように言われたから問題行動が起こったんだ、なんて言います?
いやいや、言わないですよね、さすがに。
何言ってんだ、で終わっちゃいますよね。

睡眠時間の確保もして、新たな起床時間の習慣が根付くわけです。

さて、個人的な話しですが、僕の起床時間は仕事の時間に対してめちゃめちゃ早いです。
さらに15分早くし、その生活もはや3ヶ月が過ぎました。

理由は至極シンプルです。

混むのが嫌、待つのが嫌、ただそれだけです。

でも、自分に適しているから根付いています。

行動には、目に見えないですが、その人にとっての理由、意味があります。
問題行動をどうにかしたいなら、見えない理由を聞いてから対処しましょう。

王さまの耳はロバの耳

ストレスは溜め込むことができます。
色々自分に言い訳を作って、知らず知らず溜めていってしまいます。
言い訳をするのは他人ではありません。
自分自身に、です。
ですから、よく言われるように、問題は自分で作る、自分にしか解決できないと言われるわけです。
ですが、もちろん際限なくストレスを溜め込むなんて無理です。
いずれ爆発し、発散します。
まあ、キレるとも言いますかね。
普段おとなしいのに、穏やかなのに、
そんな風に周りからみられる人にありがちですね。
周りからいい子に見えるように、その人が自然と身につけてしまった対人スキルです。
周りの意見と自分の意見、いい子はどちらを選ぶ?
いい子ほど闇が深い、言い過ぎかもしれませんが、あながち間違いではないと思います。
呪縛みたいなものですね。

で、ちょっと前の出来事なんですが、
僕自身、個人的に嫌な出来事がありまして、もちろんカウンセラーですので、スキルも身に付けています。
ですが、いかんせん数十年にもおよぶ問題に、答えを出さなければならない状況になりまして、どうしたものかと思っていたわけです。

で、”王さまの耳はロバの耳”です。

ちょっとはしょりますが、おもいっきり吐き出すとスッキリする、
とまあ、そんな意味で使わせてもらいますかね。
誰かに聞いてもらう必要は全くなく、ただ吐き出すだけ。
もちろん、相手に言いたいことを言う必要なんてありません。
ただ、溜めたものを吐き出すだけ。

今回、僕が使った手段がメールです。
でも、書くだけ。
がーっと、言いたいことを書いて、期日に送ろうかと思っていたんですが、
筆が進むんでしょうね、短時間でかなりの大作になっちゃいました。
で、気づいたらスッキリしてたんですよね。

それまでメールをあまり重要視していませんでしたが、
案外、吐き出す手段としては有効だと認識させられました。
もちろん、メールは相手に送っていません。
スッキリしちゃいましたからね。
他人に見せられない秘密ノート。
まるでそんな感じですね。
なんか、ちょっとイタイ気もしますが、
まあ目的も達成できますし、結果オーライってとこですかね。
もちろん、大作になっちゃいましたので、
消すのももったいないので下書きで保存しちゃっていますが・・・。

伝えて、新たな火だねを作るより、
吐き出すだけで問題解決、
目的をはっきりさせるとトラブルはなくなりますね。

触らぬ(疫病)神に祟りなし

このこらむを書くようになって、僕はホント理屈好きだなあって思い知らされます。
漢字、熟語、ことわざとか、そっからこじつけるのホント多いですもんね。
てか、好きなんですよねえ、ホント。
昔、ある人に
「お前は理屈っぽい」
と言われましたが、その通りですよね。
まあ、自覚するのが一番大事ということで・・・。

さて、それでは本題です。

”触らぬ神に祟りなし”
余計なことをしなければ巻き込まれない、みたいな感じですかね。

どうですか、けっこう頻繁に起こっているイベントではないですかね。

大抵、そんなイベントを起こす人は決まっていて、むしろ、どこでも起こすんではないでしょうか。
というか、起こしますね。

分かりやすく解説すると、何回もこらむで書いてますが、人は

”思考、行動、感情”

というパターンを持っています。

思考によって、行動が決まっちゃうんですよね。
ですから、そんな人は、頑強な思考を持っちゃっています。

つまり、融通がきかないほど頑強な思考です。
ですから、どこでも衝突するんです。
というか、衝突しないわけありません。

これもまた、時々こらむで書いていますが、

”人は変わらない”

というのも取り上げています。

これは厳密にいうとちょっとだけ違うのですが、
自分で変えなければ、変わらない、です。

しかし、頑強な思考です。
余程、その人が困らない限り変えません。
ですから、その人は、変わりません。
今のところは。

なら、どうするのか。

”触らぬ(疫病)神に祟りなし”、です。

近づかなければ巻き込まれません。

さて、もうひとつ、です。

巻き込まれる人も、大抵、いつも巻き込まれます。
それはなぜか。

自ら寄ってっちゃってるからです。

これもまた、思考がなせるわざですね。

もちろん、立場上関わらなければならない人はお気の毒様です。

巻き込まれないにはどうするか、

逃げの一手です。
これしかありません。

もちろん、僕らカウンセラーはスキルを持っているので対処できます。
しかし、これは僕個人的な話しになりますが、仕事でなければ極力関わりません。
これもまた、思考のなせるわざですね。
もちろん、経験、知識に基づいてる思考ですので、これまた強固な思考です。
ここでもまた、変わらないいい例ですね。

もちろん、他のカウンセラーの方々のことは知りませんので、あしからず。

新しい船出

さて、個人的な話になりますが、本日、2月10日、僕が所属している協会主催の講演に行ってきました。
といっても、もちろん今回が初めてではありません。
資格を取得する前にはもちろん、毎年必ず講演には参加しています。
資格を取得する前の方が、毎回イベントには参加していましたね。
鉄は熱いうちに打て、ではないですが、カウンセラーの資格を取ると決めて動き出してからは
迷うことなく講演には参加していましたね。
自分でいうのもなんですが、決めたらとことんやりたいと思っちゃうんでしょうね。
まるで他人事のように書いちゃいましたが。

で、いざ資格を取ったら、年一回の講演には参加しますが、
興味を持った講演以外は参加しませんね。
理由としては、カウンセラーの資格を取得し、知識も得たので、
後は自分の中で熟成していく、てとこですかね。
綺麗にまとめると、ですが。
もしくは、
鉄は熱いうちに打て、ですかね、ホント。
または、熱しやすく冷めやすい、ですかね。

それで、わざわざ今回の講演をこのこらむで書いてる理由なんですが、
カウンセラーの資格を取得し、もうすぐで6年となりますが、
新たに資格を取得し、学びたい、と今回の講演で強烈に思ってしまったんですね。

さて、で、今回のタイトルとの結びつきです。

僕は今回の講演に非常に興味を持ち、資格取得をしたいと思い、資料を取り寄せようと動き出しました。
元々のカウンセラーの資格プラスですので、厳密には新しい船出とは違うかもしれませんが・・・。
とりあえず新しい事をしたいと思い立ったら動き出す、ですかね。
新しい事を学ぶ事にも抵抗はありませんし。

しかし、以前からこうだったわけではありません。

カウンセラーの資格を取りたい、と思い立った時はなかなか行動できませんでした。
実際、働きながら資格を取れるのか、等々、色々言い訳をしながら、行動に移せませんでした。

あえて、自分自身の事ですので、言い訳と書かさせてもらいます。

当時はそんな事、思いもしませんでしたし、認めたくなかったですが、
今なら断言できます。
自分自身に言い訳をし、新しい事を始める事に抵抗、不安を感じていました。
やりたいのに、やりたくない、
二律背反、と言いますが、
まさしくそんな状況ですかね。

その当時には必要な時間だったのかもしれませんが、
もったいない時間の過ごし方だったなあ、と今なら思います。

知人が新しい事を始めるにあたり、
いざ、その時が近づいた時に、不安に押しつぶされそうになった時に、
このタイトルの言葉を贈りました。

本当に、上手い言葉だと思います。

あえて、船出としているのが素晴らしいです。
地に足がついていない状況なんです。
そりゃあ、揺れまくりですよね、船ですから。
ですが、いずれ陸地には着きます。
なら、揺れまくりの船出をあえて味わいながら、
船旅を楽しんでみませんか、と。

豪華客船の安定した旅もいいのですが、
揺れる船旅もまた、いいものではないでしょうかね。

さて、この言葉にはもう一つの意味もあるんです。

新しいんです。

ですから、気づいていないだけで、以前にも船旅はしているんです。
ただ、安定していた陸地に長く留まっていたために、
新しい出航に抵抗があるだけなんです。
もう既に、船旅は経験済みなんです。
なら、恐れる必要はありませんよね。
あえて言うなら、船旅の準備が不足しているのかもしれませんね。
食料であり、水であり、足りない物を補う必要はあるかもしれません。

ですが、たった一つだけ注意して下さい。

大海原に、いかだで出航するとどうなっちゃいますか?

もし、周りに反対ばかりされるなら、今一度、考えてみて下さい。
ひょっとかしたら、あなたの船はいかだかもしれません。
当人より他人の方が客観的判断を下せます。

そんな時も、諦めるではなく、準備する、です。

せっかく自分自身で決めた事ですし、準備不足で諦めたらもったいないですよね、悔いも残りますし。

いかだも時間をかければ、それなりに出航に耐えられる船になります。

大事なのは、あなたはどうしたいか、です。

頭痛の日

本日、二月二日は頭痛の日との事です。
幸いな事に、僕自身は頭痛持ちではないので、悩まされる事はないのですが、頭痛持ちの方にとっては本当に辛いですよね。
身近な人間が二人ばかり頭痛持ちだったので、頭痛に悩まされるしんどさは多少は分かります。
こう言ってはなんですが、逆説的に当たり散らされる苦しみの方は、心底身に染みて分かります。

ですから、こんな日だからこそ、考えてみませんか?

どうしてなんだろう、と。

極論ですが、頭痛という結果がある以上、なにかしらの原因はあるのではないでしょうか。

もちろん、大前提としてお医者さんに診断してもらうのは絶対です。
でなければ、ひょっとかしたら、病気の可能性を見落としてしまうかもしれないからです。
素人判断程、怖いものはありません。

医療の専門家である、お医者さんに診断してもらって、病気の可能性がないという診断結果が出たなら、原因不明なんて言われてしまうかもしれません。
ですが、それはあくまでも、医学的臨床データによってのみです。
ですから、病気の可能性はなくなった、と考えましょう。

原因不明ではなく、原因を特定できない、だけなんです。

なら、特定してみませんか。

だって、苦しいの、痛いの、嫌じゃないですか?
頭痛のせいで色々犠牲にするの、疲れませんか?
頭痛で苦しいのに、苦しさを理解されないの、辛くないですか?

何かしらのストレスかもしれないし、歯痛かもしれないし、肩こりかもしれないし、身体のいがみかもしれないし、緊張かもしれないし、原因の可能性は色々あると思います。
ですが、あなたの頭痛の原因は何かしらあるはずです。
頭痛の日だからこそ、あなたの頭痛と向き合ってみませんか?
原因と向き合って、対策を立て、結果を変えてみませんか?

頭痛に悩まされない、これからの生活を想像してみてください。

動かなければ結果は変わりません。

何事にも言えますが、結果を変えるのは、動くあなた自身です。

答えはそこにある

一方的な関係というのは成り立つものなのでしょうか?
個人個人で意見は違うのでしょうが、
僕は個人的には成り立たないと思います。
というか、僕は成り立たせないですね、あえて。

とは言っても、仕事ならある程度仕方ない面はあるとは思います。
ただ、あくまでもある程度です。
ある程度を超えたらどうなるのか?

我慢の限界、というものですね。
溜めてただけ、反動は大きくなります。
この世の中、そんなケース、ホントありふれていますよね。

なら、仕事とかしがらみがない場合はどうなんでしょうか?

仕事だから仕方ない、しがらみがあるから仕方ない、
なんて思い込むものがない状態です。

ある意味、地盤がない状態なわけです。考え方によっては。
それはもう、悩むわけです。
悩みを作ってしまうわけです。

では、どうすればいいんでしょう?

まずは、整理してみましょう。

誰かに話しを聞いてもらって、客観的に整理してもらうとか、
人によっては、話す事によって、客観的に整理できてしまうとか、
時系列でメール等のやり取りを見直すとか、
色々な方法はあるとは思います。

さて、これって一方的じゃないのと気づいたとしても、
だからといって、どうこうできるとは限りません。

踏ん切りが必要なんです。
踏ん切りをつける為に、一方的だと思える何かを聞いてみるんです。

一方的な関係を作る相手です。
踏ん切りをつける確証的な答えをくれるはずです。

さて、その後はどうしましょうか?
一方的な関係を、一方的に断ちますか?
それもありっちゃあありだと思います。
でも、それって、相手と同じことをしちゃってますよね。
なんかそれって悔しくないですか?

どうせなら、言いたい事を言って、スッキリするのが理想だと思います。
といっても、あくまでも理想ですので。
理想はあくまでも理想です。
無理する必要なんてこれっぽっちもありません。

そもそも、散々無理をしてきたんですから。
肩の荷を降ろしてほーっとしちゃって下さい。

 

傾聴とカウンセリングの違い

久々に、知り合いと飲みに行きました。
そこで指摘されたのですが、
”なんで?”
という概念が、どうも僕には欠けているようです。
会話の流れで、
”どこどこへ行く”
って話しになったのですが、それに対し、僕は
”お祝いしなきゃ”
と返事したのですが、
どうも、その流れは不自然らしく、
”どこどこへ行くんよ”
”なんで?”
”こうこうこうで、どこどこへ行くんよ”
”それじゃお祝いしなきゃね”
と、なるそうなんです。

結果的には、お祝いに近い内容なのでいいのですが、
相手からしてみると、
””なんで?”がないのに、どうしてお祝いって返事になるの?”
だそうです。

指摘されて初めて考えてみましたが、
”あ、そんな概念ないわ”と思い至りました。
いいのか悪いのか分かりませんが、ある程度の知り合いなら、ある程度行動も推測できますよね。
推測できる以上、”なんで?”ではなく、”へーそうなんだ”ぐらいなんですよね、僕の中では。
だからそこから推測して、今回は
”お祝いしなきゃ”
と返事したわけなんです。
指摘されなければ全く気づきもしないことなんですが、
いざ知ってみると、我ながら面白いものですね。

とまあ、こんな感じでスタートしたわけなんですが、
タイトルを見てもらうと、なんかえっらい難しい内容だと思われるかもしれません。

いやいや、全く違いますので。

本当に、基本さえ押さえてもらえれば、
ただの飲み会も悩みの解決の糸口に結びつくかもしれません。

では、その違いから。

傾聴というのは、相手の話すことを、そのまま否定もせず、受け入れる行為です。
老人ホームとかでは、傾聴ボランティアの方々が活躍されています。
ただ、話し相手になってもらう、否定もされず、ただ、そのまま受け入れてもらう。
ただ話しを聞いてもらえるだけでも、すごい安心感があります。
自分自身を受け入れてもらえた、肯定してもらえた、たったそれだけでも素直に嬉しいものです。
聞き上手、そんな人って周りでも人気ありませんか?
そのスペシャリストが、傾聴ボランティアの方々です。
しかし、相手が何か悩みがあったとしても、解決に結びつく可能性は低いです。
まあ、元々悩みの解決が目的ではないですからね。
でも、可能性が低いだけであって、解決に結びつくことももちろんあります。
あえて、勝手にと書いておきますが、話しながら勝手に解決してしまう、そんな方々もいます。

さて、一方カウンセリングというものはどういうものなのか?

まず、前提として、傾聴は基礎です。
傾聴を心掛けて相手の話しを聞いていると、話しの中に”矛盾”が生じているのが分かります。
傾聴だけなら、それはそのまま受け入れます。
ですが、カウンセリングではそれをそのまま受け入れません。
その矛盾こそ、問題のキーポイントとなるからです。
悩みがある以上、何か問題があったわけです。
となると、何かが流れを阻害しているから問題になったわけなんです。

問題にもよりますが、話しの中で矛盾は何か所も出てきます。
そこを相手に指摘してみるんです。
相手が話した内容のままに。
面白いことに、矛盾を指摘してみて話しを促してみると、
まるで関係ないと思える話始めの、最初の内容までつながったりします。

とまあ、あくまでもこれはカウンセラー目線での話しですが、
飲み会は飲み会、とくにこれといった療法もテクニックも使うわけではありません。
使うのは、傾聴と矛盾点の指摘。
そして、話しの促し。
たったそれだけです。
あとは相手がある時、勝手に気づいてくれます。
それはホントすぐに分かります、お互いに。
それをただひたすら待つだけです。

悩みを解決する、
いえいえ、
悩みを解決させる、
それがカウンセリングだと思います。

答えは与えられるものではなく、
答えはちゃんとそこにあるものなんです。
目を逸らさず、逸らしたものに向き合ってみませんか?

 

 

 

四つ角のコンビニにて

タイトルを見ると、まるで最近のコンビニ競争激化について書いてるみたいですが、全く違います。
と最初にお断りだけさせてもらいますね。

ただ、何気ない日常風景から少しだけ気づきを得てもらえばいいかなという、他愛ない内容です。
とはいっても、それがけっこう重要だと個人的には思っています。

なんて固い話から入らせてもらいましたが、四つ角のコンビニ、つまり信号に面してるコンビニの風景です。
僕は車通勤なんですが、いつもぼーっと考えることがあって、それがここ、つまり四つ角のコンビニの、とある日常の一コマを見る時です。
文章で起こすと少し分かりづらいかもしれませんが、コンビニから出ようとする車で、右折しようとしてただ待ってる車を、僕はいつもぼーっとしながら不思議に思うんです。

”なんで?”と。

車線をまたがないと出れないわけですから、その車はただひたすら車の流れが途切れるのを待ってるわけなんです。
で、いざ途切れたと思っても、右折して合流しようとするなら、これまた車の流れが途切れるタイミングを待たなければならないんです。
で、それを待ってると、逆の車線の流れが動き出す。
で、また繰り返す・・・。

そんな光景を、その車が合流したいだろう車線で、信号待ちしている車内からぼっと見ているんです、僕は。
”なんで?”と。
”無駄な時間を”と。

なぜ、そのように僕は感じるのか?
断言できますが、僕はそのような行動を取ることはないからです。

心理学的に大まかにとらえると、人は

”思考”⇒”行動”、”感情”か、
”思考”⇒”感情”、”行動”か、
どちらにしても、思考を元にして始まるわけです、人というものは。

同じ環境にあっても、人によって反応が違うなんてことばっかじゃないですか?
不思議でもなんでもないんです。
その環境においての、個人個人の思考が違うから、自ずと違いが出てくるわけです。
その違いを正そうなんて、できると思いますか?
自分が正しいと信じてることを、否定されて、素直に頷けますか?
僕は頷けないですね。
だって、正しいですもん、少なくとも自分の中では。

なんて事が起こってるわけです、
なんであんな行動をとるんだろうって思う相手は・・・。

つまり、思考を自ら修正しない限り、人は変わりません。
人から注意されて行動を改めたとしても、思考が変化してなければしばらくすると元に戻ります。
わかりやすくないですか?
単純に、こんな流れにそってるだけなんです。
理解できない行動をとる人ってのは・・・。

といっても、あくまでも理屈であって、それを修正するとなるとこれまた大変です。

”わかっちゃいるけど、やめられない”
以前もこらむで書いた気がしますが、なかなかやめられないんですよ、そーゆーものは。
自分の信じてきたものを、まずは疑って、そして、それを修正する。
理屈は簡単です。
ただし、できるかどうかは別問題です。
今の世の中、調べようと思えばなんでも調べられます。
は、言い過ぎかもしれませんが・・・。
まあ、ある程度の情報は調べられますよね。
で、調べて実際やってみて、できると思いますか?
できないんではないでしょうかね、大抵の人は。
だって、自分の信じてきたものを否定するんですよ、自己否定ですよ。
そんなこと、よっぽどの事、よっぽどの覚悟がなければできるわけないですよ、一人では。
まあ、よっぽどの事があると、改めざる得ないですけどね・・・。
できるなら、そんなよっぽどの事が起こる前になんとか出来るならいいんですが、暗に匂わせてるように難しいです、実際は。
ですから、”後に悔やむ”、つまり”後悔”することばっかなんですよね。
まあ、そこで”思考”を修正する機会を得るわけですから、悪いことばっかではないんですけどね。
でも、それを乗り越えたもの、”新しい思考”は強いものです。
ただ、本当に”正しい”かどうかは、これまた別問題ですが・・・。
まあ、本当に”正しい”ものってのがイマイチピンときませんが。
もちろん、一般常識はわきまえてるつもりですので、その意味の”正しい”ものは理解してますよ、念の為。

とまあ、かなり、びっくりするぐらい脱線しましたが、修正せず、続けさせてもらいますね。
(修正したくないぐらい気分がのってしまったので・・・。まあこれも一つの例だと思っていただければなあって)

ではでは、あらためて、
僕の今回のボーとしてる時に、僕の中で起こってるものは、

”無駄な時間を過ごしたくない”⇒”左折して信号を使う”
僕ならね、となるんですよね。
だって、どう考えても、僕の中では、確実に早いわけです。それを使わない手はありません。
だから、”無駄な時間を”
となるわけです。
ですから、この車の行動が理解できないわけです。
だから、”なんで?”
となるわけです。
感情を生じさせるなら、僕が取らないと断言した、この車と同じ行動を取るなら生じますかね。
”イライラ”という感情が。
まあ、取るわけないですがね、何度も言いますが・・・。

不確定要素に頼るぐらいなら、確実な方法を取る。
急がば回れ、ですかね。
なんか改めて文章に起こしてみると、硬いなあって我ながら思っちゃいますが・・・。

とまあ、何気ないこんな日常の一コマでも、突き詰めると色々な発見があるものです。
で、案外こんな”思考”パターンは、どんな場面でも使われています。
ちなみに僕は多様しています。

何かをを見て、ぼーとしてる時間を、有効に使ってみませんか?

邪魔をするもの

昔の話しですが、ある自動車学校の校長先生と会う機会があって、その人の色々な話を聞きました。
その方はホント多趣味な方で、バイクもですが、ラリーのレースにも出ておられたとの事です。
その方との話の中で、よく覚えていることがあります。
車で事故を起こした時はハンドルを離せ、です。
車は、回転していても自然に戻るそうなんです。
それを妨げるのが、つまりハンドルを握ったままの人だそうです。
自然に戻ろうとしているのに、その動きを逆に邪魔してしまう、そんな気はないのに。
だから思い切ってハンドルを離せ、なんだそうです。

自然の摂理ではないですが、物事は落ち着くとこに落ち着くものではないでしょうか。
落ち着くとこに落ち着かなければ、なんか居心地が悪い、
そんなことが最近は多いよう気がします。

つまり、ハンドルを握ったままの誰かがいるんです。

自然に戻るのを、戻らないようにしてしまう。
そんな流れは不自然ですから、歪みができます。
歪みはやがて大きなうねりになります。
生じた力は自然には元に戻りませんから。
元々、不自然が生じた力でもありますから。

大きなうねりも、力を出し切ると、穏やかになります。
まるで、何事もなかったかのように。

同じことを繰り返しているな、
そんな気がしているなら、
ハンドルを握ったままなんです。

思い切ってハンドルを離してみませんか?
自然に戻るものですよ。

まずは自分を知る事から

”自分を知る”
なんか言葉にするといい感じに聞こえますが、実際はかなりキツイ体験をする事になります。
カウンセリングって楽なイメージがあるかもしれませんが、実際体験するととんでもなくシンドイ作業になります。
悩みがある、つまり問題があるわけです。
問題視しているのは自分です、つまり自分にも問題が少なくともあるわけです。
気づかないようにしていたのに、
自分の嫌な部分と直面し、
それによって起こっていた問題に気づき、
その問題に真摯に向き合い、自ら解決する、
言い訳もできません、
だって、今まで言い訳して問題になったわけですから。
人のせいにもできません、
だって、今まで人のせいにしてきて問題が解決しなかったわけですから。

問題に感じているのは自分なんです。
それをどうにかしたくて悩んでいるんです。
なら、今までと同じ事したって解決するわけありません。

とまあ、言葉にしてみてもピンとこないかもしれませんので、
僕の実体験でどのような流れになるのかちょっと書いてみたいと思います。
ただ、僕個人では別に問題視しているわけではないので
問題の解決とは違っていることだけ理解してもらえば幸いです。

さて、出来事としては
理屈は分かるのだが、どうしてそれが解決に結びつくのかどうしても僕には理解できない、
なんて事をつい最近体験しました。
言ってる事は正論なんです、
むしろ正論を通り越して綺麗ごとにしか僕には聞こえません、
そして、僕はどんな行動をとったか、
逃げるようにその場を離れました。
もうホント一刻も早く、その場から離れたい、ただそれだけでしたね。

これは本当に正しい事なんだ、
なんて信じ切っている人達と対面する機会が何度もありましたが、
その時も逃げるようにその場を離れました。

僕は何回も同じことを言いたくないんです。
で、改善が見込めないと分かった時、いつも逃げ出すんです。
理解できるまでとことん付き合う、そんな考えは全く持ち合わせていないですし、むしろ持ちたくない思考ですね。
ある程度はいいんですが、度を超すと傲慢としか思えないんです。
他人がするにしても、自分がするにしても、どうしても。

あ、もう何言っても何度言っても無駄だ、
そう感じるんです。
なら、逃げよう、一刻も早く立ち去りたい、
だって、無理ですわ。
そんな流れが僕の中にあります。

で、せっかく逃げ出したのに、追っかけられ、
自分の主張を押し付けられるとイライラするんです。
いやいや、こっちの主張を受け入れんくせして何言っとるんや、と。
おかしいんやないか、と。

見捨てる、そんな言葉が当てはまるかもしれません。
いえ、綺麗ごとですね、
長年迷惑をかけられ、関係を完全に断った人がいますから、見捨てる、ですね。

とまあ、”自分を知る”という流れはこんな感じですかね。
出来事があり、それに沿って自分の中でどんな事が起こっているか、
それに向き合うわけです。

で、最初に書いた通り、僕は自分の中のこの流れをあまり問題視していないので、
問題としてみていません。
ですから、もちろん対策をとるつもりもありません。
だって、問題ではないですから。

他人が見て問題ととらえても、
自分が問題と見なければ、問題にはなりません。
ですから、必然的に何も変わりません。
自分が問題と見て、初めて問題になるんです。

そんな流れも僕の中の流れに触れられていますが、
それは当然なんです。
だって、これは僕の考えだからです。
そりゃ、当たり前ですよね、僕自身の考え方ですから。

ですから、正しい答え、正しい考え方なんてないんです。
むしろ、正しい答え、正しい考え方ばっかなんです、世の中。
だからぶつかり合っちゃうんです。

ですが、問題視していないとはいえ、カウンセラーとしては弱点でもあります。
ですから、弱点を知る為にも、”自分を知る”というのはとても大事な事なんです。
自分の弱点を知っていると知っていないとでは雲泥の差があります。
もちろん、カウンセリングの場ではそんな流れはないですので。
一応、念の為。