free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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相談、質問

娘の爪かみ、実母が非難

さて、今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について、考えてみようと思います。
今回の相談内容は、深く考えれば色々な事が出てくるのではないかなと、個人的に思いました。
ですから、個人的に気になる所を、今回は色を変えて書いてみたいと思います。
と、ちょっといつもと違う前振りですけど、どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、この方の五歳の娘さんが爪をかむ癖があるとのことです。
この方も、結婚するまで同じ癖があったとのことです。
母は「あなたのしつけができていない」と非難。「私は育児に成功したのに、あなたはなぜできないの」と言い、
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」と娘さんの手をたたくとのことです。
義父母は見守ってくれますが、娘のためにも、母とどう接すればいいか分からなくなる、とのことです。

なるほど、本当に今回はどうすればいい分からないという状況なんではないかなと、僕は感じました。
それでは、状況を一度整理するとこから始めてみましょうか。

さて、それでは、まずは義父母の立場から、見て見ましょうか。
義父母が見ている景色は、そのままの景色なんではないかなと思います。
つまり、五歳のお孫さんが"爪をかむ癖がある"という、今、現在の景色だけです。
ですから、見守っているという立場にいるんではないでしょうか。
それか、それほど困った癖とは感じていないか、そのうち収まると考えているのかもしれませんね。

ひょっとかして、見守っている義父母に助けてもらいたい、とこの方は感じているのではないでしょうか?
本当に助けてもらいたいのは、誰なんでしょうか?
五歳の娘さんでしょうか、それとも・・・。

それでは、この方とお母さんが見ている景色とは、一体どんな景色なんでしょうか?
それは、娘さんの"爪をかむ癖"を見て、実は"自分達の過去の出来事"を見ているのではないでしょうか。
お母さんは、自分のこの方に対するしつけ、この方は自分自身の癖、それに対するお母さんへの思いを、今、ここで見てしまっているんです。
物事に過剰に反応しているなって時は、大抵、過去の出来事を今の景色に被せちゃってる時が多いです。
この方は、自分の癖がどうしてあったのか、原因は分かっているのではないでしょうか。
結婚するまで、という事は、母親と離れる事によって癖が直ったと考えているんではないでしょうかね。
その癖が出ていた時、一体どんな事を感じていたんでしょうね。

お母さんの言葉だけを見ると、この方を否定しているように僕は感じました。
否定されると、どうしても萎縮しちゃいますよね。
萎縮しちゃうと、どうしても自信を持てず、おどおどしてしまうのではないでしょうか。
おどおどしてる姿を見ると、相手はそれが気に入らず、また否定してしまう。
そして、さらに萎縮してしまう・・・。
抜け出せない、負の繰り返しになってしまっているのではないでしょうか。
抜け出せないと書きましたが、抜け出せない事はないです。抜け出さないだけなんです、実は・・・。

お母さんにとっても、この方の娘さんは大事なお孫さんです。
大事なお孫さんが将来、"爪をかむ癖"で苦労しないように、悪い事だと、しつけているんですよね。
その中には、ひょっとかして、この方の"爪をかむ癖"を直せなかったという"自責の念"もあるのかもしれません。
何かがなければ言葉もキツクなりません。だからといって、言われた方はいい気分にはなりませんよね。
手をたたくとこも見たくないですよね。

さて、問題は確かに娘さんの”爪をかむ癖”ですが、しつけについてになってる気がします。
ですから、ちょうどいい題材ではないですが、お母さんの言動をうまく利用して、娘さんにしつけをするのはどうなんでしょうか。
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」
そう言われて、実際自分がどんな悲しい気持ちになったか、そんな相手を悲しい気持ちにさせるような事はしないようにと、娘さんに話してみるのもいいかもしれません。
娘さんのために、でしたら、いがみ合うのは極力避けたいですよね。
なら、お母さんも立てなければなりません。
おばあちゃんはわざとそうやって言ってるんだよ、本当は仲がいいんだよ、とお母さんもいる場で娘さんに話せば、両方ともうまくいくような気がします。
器の違いではないですが、包み込むぐらいにされると、お母さんも毒が抜かれると思います。
そうすることによって、娘さんの”爪をかむ癖”も、ひょっとかしたら収まるかもしれません。
この方が癖が直ったように・・・。
すぐに収まらないとしても、いずれ爪をかまなくなると思いますよ。

PTAの委員選びが強引

今回も、中日新聞のねえねえちょっとに掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のお子さんが通う小学校で毎年、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められ、そのたびに、憂鬱になるとのことです。
役を引き受けられない場合、その理由として、家の経済状況、子どもの病気や障害、自分の病気や介護など、私的なことまで言わなければ納得してもらえず、本来、任意加入のはずなのに、なぜここまで強いられるのか、理解に苦しみます、とのことです。

なるほど、これは本当に難しい問題ですよね。
お子さんをお持ちの方は、どなたも思っている事なんではないでしょうかねえ。
さて、それでは、一体どうすればいいんでしょう。

それでは、ちょっとだけ考えてみましょうか。
まずは、PTAのクラス委員がくじ引きで強制的に決められるとの事を考えてみましょうか。
なぜ、くじ引きなんでしょう?
立候補者がいるなら、くじ引きになるんでしょうか?
確かに、やりたい人がいても、くじ引きにして平等にするとも考えられますが、まず可能性として、低いですよね。
となると、立候補者がいないから、くじ引きになるんですよね。
誰もやりたくないから、仕方なく、くじ引きで決めるしかない、となるんではないでしょうか。
それって、本当に強制的なんでしょうか?

さて、次に任意加入についてちょっと考えてみましょうか。
確かに、PTAは任意加入になってますよね。
入るのも自由、入らないのも自由、さて、どちらを選びます?
大抵の人は、入らない方を選ぶのではないでしょうか。
入らない人ばかりです。
それって、果たして、組織として成り立つのでしょうか?
大事なお子さんが通う小学校のPTAが組織として成り立ちません。
それでもいいんでしょうか?

物事にはちょうどいいバランスがあります。
どちらかに片寄っていると、倒れちゃいます。
でも、倒れないような何かしらの力が働きます。
それが、くじ引きという力ではないでしょうか。
個と集団のバランスとも言えますね。

あなたにとっての、ちょうどいい折り合うところを見つけてみませんか。

免罪符の乱用をしてませんか?

最近、ちょっとそんな事をふっと考えます。
そんな僕自身も、果たして免罪符の乱用をしていないかどうかというと、正直自信はありません。
ただ、自覚するかどうか、それだけでも大分違ってくるのではないかと思います。

最近のテレビ番組ですが、どうもやりすぎの気がしてなりません。
少し前はドラマもありました。
今回は、バラエティーで、です。

もちろん、お笑いは素晴らしい仕事だと思います。
個人的にも大好きです。

ですが、です。

相手は一私人です。
それをネタに笑いをとろうというのは、どうも免罪符の乱用だと、個人的に思います。

幸い、放映前に抗議を受け入れ、テレビ局も放映を中止しました。

少し、ほんの少しだけでいいです。
常識で考えてみて下さい。
傷つく人がいます。
少なくとも、放映によって、さらに深く傷つくことになります。
それは、もう、笑いではないのではないでしょうか。

笑いは素晴らしいものです。
元気の源になるものです。
沈んだ気分も、一瞬で明るい気分にしてくれます。
笑いは、本当に、素晴らしいものです。

笑いにする、
笑い(者)にする、

たった一言加わるだけで、全く違ったものになってしまいます。

テレビで放映されるという事が、どれだけ影響力があるのか、今一度、考えてみてもらいたいものです。

変わらない関係

個人的な話しになりますが、高一からの付き合いの親友達がいます。
かれこれ二十数年の付き合いになりますね。
本当に色々なことがあって、良い事も悪い事も全て知っている、そんな親友達です。
良い所も悪い所も、ではないですよ、本当に色んな事をしました・・・。
昔というと、なんかちょっと抵抗がありますが、毎日なんだかんだで遊んでいた、悪友達でもあります。
誰かに何かあったら、駆けつける、そんな青臭い事もありましたね。
これは反省してる事ですが、彼女と遊んでいる時も、誰かに何かあった時は、そっちを優先させていました。
もちろん、彼女とは喧嘩になりましたが、もっともらしい事を言って、押し切っちゃいました。
本当にごめんなさい、とここで謝っておきます。
言い合いも、喧嘩もたくさんしました。
絶交なんて事もありましたね。
でも、それ以上に、悪いと思ったことは、たくさん謝りました。

今はみんな忙しく、会う機会も長期休暇の時ぐらいになっていますが、会うと本当に居心地のいい空間を感じます。全く気を使う必要がない、ほっとする時間をそこに感じさせてくれますね。
昔と変わらない、そんな時間がそこには存在しています。
といっても、時間は残酷ですので、姿形は変わっちゃっていますが・・・。

こんな関係を話すと、誰からも決まって羨ましがられます。
確かに、時間は誰にでも平等に流れていますので、積み重ねられた時間は二度と手に入れる事はできないでしょう。
手に入れられなかった関係、二度と手に入らない関係だからこそ、羨ましく感じるんでしょうね。

でも、ちょっと待って下さい。
本当に羨ましいなら、今からでもそんな関係を築いてみてもいいんではないでしょうか?
確かに、高一からの関係となると、いい大人には無理ですよね。
でも、今からでも、今の友達達とそんな時間を積み重ねていけばいいのではないでしょうか?
どうせ続かない、そう思ったら続きません。
なぜなら、そう自分で決めてしまっているんです。

”変わらない”
僕が昔から決めている、彼等との関係です。
確かめてはいませんが、もちろん、僕一人だけではないと思います。
だからこそ、”変わらない関係”はずっと続いていくんでしょうね。

もちろん、努力はしていますよ、なんせこの前も前日に会う日程決まりましたからね。
次の日も、朝から一日予定ありましたが、合わせました。
そんな努力しているのは、僕だけでないのも、いいのかもしれません。
それもまた、昔から”変わらない関係”です。
なんて、いい話で締めれないのも、またいい関係だなと、素直に思います。

 

相手が何を考えているか分からない時は?

「あいつは何を考えてるか全く分からん」
そんな会話を、誰もが一度は聞いた事があるんではないんでしょうか?
そんな事を感じた瞬間も、一度ならずありますよね。
では、どうして、そんな風に感じるんでしょう?
そして、そんな時、どうしたらいいんでしょうか?

人は誰でも、考えがあって、それに基づいて行動しています。
ですから、実は分からんなりに、ちゃんとした理由はその人にはあるんです。
ただ、それが分かりづらいだけなんです。
なぜ分かりづらいのか、それは全てとは言いませんが、本当に単純な思い込みなんです。

どんな思い込みか、それは、自分本位で考えてから相手に聞いているんです。
答えを決めてから聞いている、と言ってもいいかもしれません。
ですから、自分の答えと違っているから、分からんになっちゃうんです。
これって、自分も分からんになるし、相手も分からんになっちゃうんです。
何一つ、自分の意見を聞いてもらえませんので・・・。
そして結局、分からんだらけになっちゃって、何一つ問題は解決しません。
だから、同じ事を繰り返しちゃうんです。
で、最終的にあいつはダメだって結論になっちゃうんです。
そして、ダメだって言われた方も、それを信じちゃうんです。
自信をなくし、本当にダメになっちゃう可能性が高くなっちゃいます。
何一つ良い事ないですよね。

では、どうしたらいいのか?

それは、自分本位でなく、相手本位で話しを聞くんです。
行動をしたのは、相手なんです。
行動をした以上、相手にも考えが必ずあるんです。
それが間違っているか、問題になってるから、行動に現れちゃうんです。

すると、自ずと問題点が明確になり、対策を立てれます。
もちろん、その時には、分からんという事はなくなっている可能性は高いです。
相手も自分の問題点に気づく事ができ、同じ事の繰り返しはなくなります。
お互いにスッキリし、信頼関係もできるかもしれません。

あなたは、どちらの方がいいと思いますか?

見方を変えるということ

少し前の話しになりますが、仕事としてではなく、ある人とちょっとだけお話しをする機会がありました。
その人は、職場の直属の上司にひどい事を言われ、かなり怒っていました。
一通り話し終えられ、その人がふっと聞いてきました。

「どうしてあんな事言っといて、しばらくしたら、笑いながら話しかけてこれるんだろう?普通、気軽に話し掛けてこないよね。」と・・・。

僕は少し考えて、こう答えました。

「ひょっとかしたらですが、その人は、自分でも言い過ぎたと思っているのかもしれませんよ。自分でも止める事が出来なくて、後で言った事に後悔してるのかも。だから、取り繕う為に、笑いながら気軽に話し掛けてくるのかも。」と・・・。

その人は、笑いながら聞いていましたが、ちょっとだけ、見方が変わったのかもしれません。
今まではそんな事、考えたこともなかったでしょうから。

人は自分の事ですら、理解する事は出来ません。
だから、絶えずカウンセラーである僕も自己洞察を欠かしません。
何か自分に違和感を感じたとき、
”今、何を感じたんだろう”と、自問自答をします。

自分の事ですら分からないのに、人の事は本当に理解できるんでしょうか?
僕の答えは、NOです。
ですから、僕は相手を理解する為に、自分が感じたことを相手に確認します。
そして、答えを擦り合わせて理解するようにしています。
そうしなければ、ただの思い込みになってしまいます。
思い込みほど、厄介なものはありません。

厄介なものですが、どうしても人は思い込みというものをしてしまいます。
どうせするものなら、上手く使いこなしてみませんか?
相手を悪く見るのは簡単です。
人は自分が可愛いものです。
相手を悪者にすることによって、自分を正当化してしまいます。
それが嫌な人もいるでしょう。
そんな人は、今度は相手を良く見すぎる思い込みをしてしまいます。
それはそれで無理があるので、長続きしません。

ほんの少しだけの、適度な思い込みでいいんです。
これなら、あるかも、という思い込みをしてみませんか?
そんな思い込みをしてみると、相手の見方が変わり、今までと違う事が起きるかもしれませんよ。

自分の為に行動する

少し前の話になるんですが、踏み切りで電車が通過するのを待ってる時、見知らぬおじいさんに話しかけられました。
今日の天気の話しから始まり、色々と話しかけてこられました。
お話しを聞いてる間に、電車も通過し、踏み切りが開いて線路を渡り終えても、お話しは続きました。
立ち止まられたので、そのままお話しを聞いてると、本当に話したかった核心が出てきました。

"あ、これを誰かに聞いてほしかったんだろうな"
そう思い、今まで以上に丁寧にお話しを聞かせてもらいました。

一通り話し終えられると、おじいさんは非常に満足されたようで、お礼も言われ、今度お茶でもと誘われました。
丁寧に返事をさせて頂き、お互いに帰途に着きました。

さて、これは僕自信のエピソードです。
このエピソードでどんな事が言いたいかというと、僕もおじいさんもお互い自分の為に行動してる、ということです。
それ以上でもそれ以下でもありません。

おじいさんは、誰かに話を聞いてほしかった。
その場に、たまたま僕がいた。
だから、話しかけてみたら、話しをちゃんと聞いてくれた。
自分の目的が達成されて、満足感を得る事が出来た。
僕は時間もありましたので、断る理由もないので、お話しを聞かせてもらいました。
仕事柄、傾聴は基本ですし、スキルアップにもつながるので、僕にとってもマイナスにはなりません。
おじいさんも満足されたので、僕自身のスキルアップにもなりました。

このように、お互い自分の為に素直に行動しているので、気持ちよく別れることができるんです。

相手の為に、という考え方は大事な考えかただとは思います。
でも、それは本当に相手が望んでいることなのか考慮しないと、相手との間に溝ができます。

大事なのは、相手の為に、自分がしたいから、自分の為に行動する、が大事なのではないかな、と僕は思います。
同じように見えますが、ちょっとの違いで結果は大分違ってきます。
もし、相手にうまく伝わらないなあって悩んでいる時は、ちょっとだけ試してみて下さい。
ひょっとかしたら、今まで上手くいってなかった関係も、上手くいくようになるかもしれませんよ。

口下手で役員の仕事 不安

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も少し趣向を変えて、原文をそのまま変えずに記載しています。
もちろん理由はありますので、どうぞ今回もお付き合いください。

地域の役員に選ばれ、受けることになりました。
多い時は月に五~六回、研修会や行事のための会合があり、あいさつをしたり、意見を言ったりする機会が多くなります。
口下手の私は、頭の中で話す内容を考えていても、その場になると何も話せなくなります。
これから二年の役員任期の間、人前で話すことができるか、不安でいっぱいです。

さて、今回、全く手を加えず、そのまま記載しました。
どうしてか、その理由はとても簡単です。
とても素晴らしく、分かりやすく、伝わりやすい文章だと、僕が感じたからです。
そのあなたの持っているものを、そのまま利用してみませんか?

頭の中で内容を考えているのを、文章にしてメモ書きとして持って人前で話す、というのはどうでしょう。
これだけ相手に伝わりやすい文章ですので、結果はかなり違ってくると思います。
口下手かもしれませんが、文章上手だと僕は思いますよ。
それを繰り返すことによって、人前でも話すという事に自信を持てるようになると思います。
自信が持てると、自ずと自分の意見も言えるようになるのではないかなと、僕は思います。

月に五回として、二年の任期で120回、少なくとも100回程度あるわけです。
最初は失敗しても、これだけ回数あるとしたら、なんとかなるように思えませんか?
文章上手なあなたなら、出来ると、僕は信じています。

自分の都合押しつける母

今回も、ねえねえ ちょっとに掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回は、お母さんとの関係についてのようです。
七十代で健康体のお母さんはきつい性格のようで、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人のようですね。
実家から四十分ほどの場所で家族と暮らす相談者の方に、電話で家事の手伝いや用事を言いつけてくる、とのことです。
引き受けないとすぐ不機嫌になるので、いつもお母さんの言いなり、とのことです。
五十歳を過ぎて親の顔色をうかがい、ビクビクしている自分が惨めでつらい、そんな状況のようですね。

なるほど、顔色をいつもうかがいながら生活するって、疲れちゃいますね。
そんな自分を、惨めでつらいって感じちゃうんですね。
本当にお辛いんだなって、お察しいたします。

さて、それではどうしたらいいんでしょうか。
お母さんとの関係ですので、長年続けてきた対人スキルの見直しになるのではないかな、と思います。
何故なら、家族との関係、それも自分のお母さんとの関係というものは、最も影響を受けているとも言い換えれる関係だからです。
もちろん、それが全てではありませんが・・・。
"自分がお母さんの言いなりになれば、お母さんは不機嫌にならない。だから、関係はうまくいく"。
多分ですが、子供の頃から、そのように考えてずっと続けていたのではないでしょうか。
自分さえ我慢すれば、と考えていたのもあるのかもしれませんね。
これって、一見正しく見える考えですが、実は誤ってる考えなんですよ。

どこが誤っているかというと、まずは自分で条件をつけてしまっているんです。
”お母さんの言いなりになる”という条件を満たす事によって、”不機嫌になる”のを防いでいたんです。
確かに、その通りですよね。有効な手段だとは思います。
ずっと”言いなり”になれれば、ですが・・・。
ですが、今回の事でも分かるように、一方的に負担を負うという行為は、いずれ破綻してしまうんです。
気づきにくいんですが、相手の行動を促す事もしているんです。
"言いなり"になっていると感じているのは、自分です。
相手であるお母さんは、"言いなり"になって、迷惑に感じているとは気づいていないんではないでしょうか。
だから、自分の用事を何でも言いつけてくる(言ってくる)。
悪循環が生じているんです。

今、自分はどうしたいんでしょう。
ビクビクしている自分が惨めでつらいんですよね。
このままお母さんの言いなりを続けると、ずっとそれが続くんです。
それをずっと味わい続けてもいいんでしょうか?
そんな自分を変えたい、それなら、今まで避けてきたことを取り入れるタイミングなんでしょう。

避けてきた事、それは"断る"という事です。
今まで避けてきた事ですから、最初は、難しいと思います。
これだけは"言いなり"になりたくない、そんな場面を特定して、まずは、それだけを"断る"ようにしてみて下さい。
今までは、"断れない"と思っていたと思いますが、"断らない"事をしていたんです。
実際、やってみると、自分が想像していた程、難しいものではないですよ。
そのうち、自然に身に付いて、普通にやれると思います。

受験合否聞かれうんざり

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回は、お子さんが大学受験中の方の相談ですね。
職場の同僚にも同い年の子どもがいて、興味津々の様で、受験の状況を事細かく聞いてくるので、うんざりしているとのことです。
受験校、合否はどうなったかにいたるまで、のようですね。
受験の時期は本人だけでなく、家族もぴりぴりしているので、そっとしておいてほしいのに探られ、あまりの配慮のなさにいら立ちます、との事です。

なるほど、お子さんが受験中って、本当に気を使いますよね。
少しでもベストな状況で受験してもらおうと思って、お子さん中心の生活になっちゃいますよね。
ぴりぴりしていて、そっとしておいてほしいのに、あれこれ探られると、いら立ちますよね。

では、どうしたらいいんでしょうね。
そうですね、まずは、自分がどうしたいのか、自覚を持つのが第一ですね。
この文章から察すると、"そっとしておいてほしい"でいいんでしょうか。
そっとしておいてほしいのに、事細かく聞かれるから、"配慮ないと感じて"いら立つんですよね。
となると、聞かれなければ、"そっとしてもらえ"て、目的は達成されるわけです。
一番有効な方法は、"その場を離れる"というのがあります。
話題が、嫌な話題になったら、トイレに行くとか、その場を離れる事によって、話題をコントロールできます。
戻ってきたら、違う話題にすれば、いら立つ事もなくなるんではないですかね。

あと、ちょっと気になったのが、”探られる”という表現が気になりました。
確かに、聞かれたくない事を聞かれると、探られてるんじゃないかと思う事があると思います。
聞かれたくない事を聞くから、配慮がないと感じていら立つわけですよね。
ただ、聞かれたくないかどうか、相手は分かるんでしょうか?
相手は、会話として普通に聞いてるだけ、なんではないでしょうか。
となると、探っているわけではないんです。
探っていると考えてしまうと、違う可能性を見落としちゃうこともあります。
例えば、同い年の子どもを持つ親として、心配して聞いているのかもしれません。
合格してよかったね、って喜びを分かち合いたいのかもしれません。

あるいは、一方的に聞き出されて、”探られている”と感じているのかもしれませんね。
その場合は、相手と同じ事をする、という方法もあります。
”どうしてそんなに聞きたいの?”と、逆に質問して、聞き出してみてはどうでしょうか。
この方法なら、前述の可能性を確かめる事もできますよ。