free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

自分自身

仕事を任せる ~ある格闘競技(?)の結果を見て~

上に立つ者の条件として、仕事を任せるというのがあります。
当たり前に感じるかもしれませんが、それは上手くいってる時だけを想定してるんではないでしょうか。
任せた相手が失敗した時に、実は上に立つ者の資質が問われるんです。
失敗したときに、自分はその責任を負う事ができるのか、それも考えて初めて任せる事が出来るのではないでしょうか。
責任が取れない時は、言い訳が出てきます。それは仕方のない事かもしれませんが、聞く方としては気持ちのいいものではないですよね。

さて、確かに、ある団体のルールだと、条件を満たさない相手なら、失敗しても何も失わないという項目があったみたいです。
相手は、条件を満たさないどころか、開き直って、今まで見たことがない行動に出ていました。
もちろん、この相手は最低限の条件も満たさなかったので、既にその時点で失っています。
ただ、残念なことに、二つの団体の統一というイベントでしたんで、擦り合わせが必要になります。
擦り合わせの結果、失敗した場合、失うということで、なんとかイベントを盛り上げようとしました。
成功もしくは引き分けで統一、失敗したら失う、という擦り合わせのルールを発表したんです。
成功したら、本当に盛り上がったことでしょうね。
ところが、結果、失敗してしまったんです。
さて、ここで困ったことが急に浮上してきました。
失敗してしまったので、失うはずが、失わないなんて言い出してしまったんですよね。
うちのルールだと条件を満たさない相手だからと言い出して・・・。
まさかそんな相手に負けるはずがない、と成功しか考えていなかったんでしょうか?
失敗を想定してないから、いざその時になったら、言い訳を始める。
聞く方としては、気持ちのいいものではないですよね。

では、失敗してしまった人はどういう気持ちになるんでしょうか?
よかったあ、ですかね。それとも、なんでそこまでするんだ、ですかね。
どちらかは分かりませんが、非常に居心地悪く感じてるでしょうね。

何を守りたいのか分かりませんが、間違いなく人気も人も離れてくでしょうね。
あえてそう仕向けて、実が熟するのを待ってる、なんて考えてたら凄いですけどね。

言いたい時に、言いたい事を適切に伝える

僕は昔から文房具も好きで、ついつい必要ないものも買っちゃうんです。
で、実は週末に、ボールペンの替え芯を買いにあるお店に行ったんです。
で、そこでネットでは売り切れ状態になってたペンを見つけてしまったんです。
うわあ、どうしよう、確かに欲しかったけど、ペン余るぐらい持ってるしなあ、でもなあ・・・。

これも昔からなんですが、決断は割と早い方です。ホント買い物早いんですよね。
いつも一緒に買い物に行く人、誰彼かまわず言われますね。
本当に困った事ではないですので、自分の個性として受け入れていますが・・・。
と、言い訳を入れてるぐらいですから、お察しの通り、買っちゃいました。

で、ここから本題なんですが、ネットで見てるぐらいですから、値段は把握しています。
で、いざショーケースから出してもらって、会計になった時に、その把握してる値段ではなかったんです。
確かに、値札見て買い物したわけではないですので、商品に値札ついてるかどうかも確認してません。
どれだけ値段が違ったかというと、6千円高く言われました。
もちろん、その場で、”そんな高い?”と聞き返しました。
店員は、丁寧に、”値札をお持ちしますね”、と断ってその場を離れました。
その商品には、ちょっとしたカタログも付いていたので、僕の選んだペンも出ています。
で、実際店員が持ってきた値札は、別の商品の値札でした。

すぐにその場で、店員も非を認め、謝りました。
僕は、お客として、”値段を把握してたからよかったけど、知らなければその値段払っていたんだよ”、と一言言っておきました。それで、終わりです。もちろん、今後もそのお店に買い物に行きます。

普通かどうかはわかりませんが、トラブルなんてこんなものです。
言いたい時に、言いたい事を適切に伝えられれば、問題は起こらないんです。
怒りって悪い感情に思うかもしれません。でも、喜怒哀楽って言葉になるぐらい、必要なものなんです。
感情は自然に出るもの、それを素直に認めれば、何も問題になりません。
嬉しい事を素直に認める、出来ますよね。なぜ、怒りはダメなんでしょう?
そんな事はないはずです。だって、同じ感情です。むしろ、適切に出さないから、爆発するんです。

どうでしょう?僕のエピソードから何か得るものがあれば、頑張って一日に二つupしたかいもありますね。
流石に今後は難しいでしょうが・・・。なんせ、適度に頑張る、ですからね。

早めに、的確に・・・

今までと違う事が自分の身に起こったとき、どうしますか?
例えば今までなら、こうなった原因は自分なりにはっきりしていたとします。
そうですねえ、次の日も仕事なのに、深夜まで飲んでいたとか・・・。
だから、今日は仕事中もしんどいんだ、いつも通りだよなあ、まあ仕方ないか、なんて・・・。
でも、ここまでしんどいことは今までなかったなあって・・・。
そういえば、今までなかった頭痛もするぞ、なんて・・・。

そんなとき、ちょっとだけ考えてみて下さい。
本当にあなたが考えてる原因が正しいんでしょうか?
もう一言付け足すなら、原因は本当にそれだけなんでしょうか?

何事もそうなんですが、まずは問題点を的確にとらえなければ、問題は解決できません。
自分が考えている問題点が正しければ、問題はいずれ解決すると思います。
もちろん、ちゃんと対策を考えて行動した結果、解決に結び付くイメージですね。
なら、もし、その自分の考えた問題点が違っていたら、その後はどうなっちゃうんでしょうね?

なんか想像しただけで、解決どころか、問題が変な方向に進んでいくのが目に見えますよね。
さらに、行動も起こしていたら、その行動によって新たな問題も起こる気がしませんか。

雪だるまを作った事ってないですか?
その時をちょっとイメージして下さい。
雪だるまって、最初から巨大な体ではないですよね。ある程度の塊を転がした結果、雪だるまが出来上がるんですよね。

もう 自分ではどうしたらいいか分からない、そんな状態は、既に雪だるまが出来上がった状態なんです。
元々の最初の塊なんて、出来上がった雪だるまからは分かんないですよね。
つまり、元々の問題点が、既に分からなくなっちゃってるんですよ。

そうなんです。この最初の取っ掛かりの塊で、対処出来るかどうかで結果が変わるんです。
同じ問題が起こっても、人によって感じ方も対応も違いますよね。
最初の塊で適切に対処できる人は、何も問題に感じる事もないのではないでしょうか?
問題自体が、その人にしてみれば、存在しないと言い換えてもいいでしょうね。
ですから、その人からすれば、さらに大きな雪だるまにしてしまうのが、理解できないんです。
逆に、最初の塊で対処できるのが、雪だるまにしてしまう人からすれば、理解できないんです。

理解できない同士なんです。それならば、どうすればいいんでしょう?

それは、お互いに歩み寄るのがいいのではないでしょうか?
そして、丁度いい着地点を見つけるんです。
可もなく不可もなく、ですよ。
丁度いい着地点でなければ、それは、塊でなく、既に雪だるまを作ってる作業に入っちゃってます。
大きな雪だるまになる前に、周りの雪を削って、塊を見つけましょう。

ここに、他の人の経験って、役に立つのでしょうか?

どうなんでしょうね、でも、可もなく不可もなく、となると・・・。

流れに逆らわない

僕はクライエントさんと面談する時、毎回事前に準備して面談に臨むようにしています(誰でもでしょうが)。
前回までの話しの流れからみて、今回はこれを取り入れてみようかな、この話を深くしてみようかな、等々けっこうな時間使う時もありますね。
で、いざ面談を始めてみて、事前に準備したことを取り入れるかどうかというと、ほとんど取り入れないですかね。まあ僕が若輩者なのもあるかもしれませんが・・・。
ただ、無理に取り入れない方がなんとなく、個人的にですが、いいような気がしています。

こんな事がありました。
悩みを事前に聞いていて、取り入れる療法も決めて面談に臨みました。
で、いざ始めてみると、違う話しになっていました。
内容もなにもかも事前に知らされていた話しと全く違っています。
これはどうしたものかと、最初は思いました。
もちろん、違う話しになっていましたから、準備した療法は使えません。
ただ、丁寧に話を聴いていると、より悩みに深い、根本的な問題に近づいていました。
結論を述べると、面談が終わる頃には、ほとんど問題解決に近づいていました。

その時に僕がなにをしたかというと、大げさに言うと、特に何もしていません。
違う話しだよね、と確認することもなく、ただ、話しの流れに逆らわず、流れを止めず、流れに乗っただけです。
もちろん、流れが淀む時もありますので、その時には流れを促す事をしました。
ただ、それだけです。

カウンセリングの時間は基本一時間です。
より深く、根本的な問題に触れた瞬間、クライエントさんにとって、目まぐるしく感情が揺り動かされます。
なぜなら、より激しい抵抗も一緒に味わう事になるからです。
例えるなら、感情のジェットコースターと言っても過言ではないかもしれませんね。
カウンセリングを受けるって、クライエントさんにとって、実は非常に疲れるものなんです。
さらっと流れに乗るって書きましたが、難しさが伝わるでしょうか。
たった一時間、されど一時間・・・。
そこから得られる気づきという経験は、いつ立ち会っても素晴らしいものです。
プロになってよかったなあって心底嬉しく感じる瞬間ですね。

で、最初に戻りますが、事前に準備しても取り入れないなら、必要ないやなんて事は全くないですからね。
いつも変わらず、事前に入念に準備をしています。ご安心して下さいね。
もし、悩み事がおありなら、当カウンセリングルームをご検討して頂ければ幸いです。

物事は可もなく不可もなく

仕事関係、友人関係、夫婦関係、等々でいつも聞き役で疲れるって経験した事はないですか?
なんで聞いているだけでこんなに疲れるんだろうって不思議に思った事はないですか?
どうして、話しを聞いているだけで疲れてしまうんでしょうね。

カウンセラーは人の話を聴く事が基本です。
相手に話をしてもらって、初めて仕事になります。
ですから、もちろん話を促すテクニック等も使っています。
でも、もちろん話すように強要はしません。沈黙も重要な意味を持っているからです。
待つのも大事な仕事なんです。
では、話しを聴く毎にカウンセラーは疲れ果てるんでしょうか?
答えはノーです。もし、疲れ果てるカウンセラーがいるなら、ちょっと(かなり)問題ですね。

以前、親友に聞かれた事があります。
”人の悩みを聞くなんて、めっちゃしんどくない?”って・・・。
その親友は、間違いなく聞き役に回ってしんどい経験をしたわけです。
その当時はまだ僕も勉強中でしたので、仕事としてやってく事を純粋に心配してくれたわけです。
本当、親友って存在はありがたいですよね。

そんな昔話も織り交ぜ、最近、質問も受けましたので、今回テーマとして取り上げてみました。

さて、それでは一体何が違うんでしょうね?
まずは、問題の、なぜ疲れるのかを考えてみて下さい。
どうでしょう、相手の話しを聞く時、一緒に感情も受け入れていませんか?俗にいう感情移入です。
相手に感情移入することは、本当に素晴らしいことです。相手はすごく喜んでいることでしょう。
でも、待ってください、なら、どうして同じ感情なのに、自分だけ疲れるんでしょう。
同じなら、お互い一緒の状態になるはずですよね。でも、違いが出ている・・・。
それは、感情移入は、実は自分の感情を当てはめているからなんです。

例えば、愚痴とか人の悪口とかどう考えてもいい感情ではないですよね。
選り分けるなら、負の感情となるんでしょうかね。
それを持ち続けるのは、どう考えてもいい結果にはなりませんよね。
ですから、例えが悪いかもしれませんが、毒を吐き出すように、話すわけです。
それはスッキリしますよね、だって毒を出しているんですから。
では、聞いてるあなたはどういう思いでその毒を聞いているんでしょうか?
自分に押し付けられたと感じているんではないでしょうか?
それが続くと、あなたは相手をどのように見てしまうんでしょうね?

怒った事を話している相手が、いつの間にか戸惑っているなんて経験はないですか?
もしあるなら、それは、ズレが生じているんです。
当たり前ですよね、相手と自分は違う人間ですから、同じ感情でも違いが生じるのは当然なんです。
さらに、相手はその話をしている経験は既に時間が経っているんです。冷静になる時間があったわけです。
対するあなたは、今 聞いたわけです。ですから、生じる感情も強くなるわけです。
同じ経験をしていたなら尚更です。自分の経験も思い出されて自分の事のように感じてしまうでしょう。

どうです、ぱっと出して見ましたが、片寄ってますよね。
片寄って不均衡が生じていますので、いずれ破綻するのは目に見えてるんですよ。
何事にも当てはまると思いますが、物事は可もなく不可もなく、です。
負担になってるなって感じたら、相手の荷物を余計に持ってしまっているんです。
なら、戻し過ぎないように、相手に返してあげましょう。
”あなたの問題だよね”って、可もなく不可もなく、です。

最後に断わっておきますが、感情は自然に生じるものです。
良い感情もあれば、もちろん悪い感情もあります。(実は良い悪いではないのですが)
ですから、早めに適切に処理出来ればいいのですが、なかなか難しい事なんです。
愚痴や人の悪口を言う人も、そうしたくてしているわけではないと思います。
ですから、困ったちゃんだなあって暖かい目で見て上げてくださいね。
もちろん、可もなく不可もなく、です。

 

 

いい習慣も学習の成果

高校時代の担任の先生がよく、”継続は力なり”と学生時代言っていました。
確かにその通りなんですよね。正論なんですよ。毎日の積み重ねが力になるんです。
実際やってた人は力になったんでしょうね。
でも、出来なかったんですよね。学生時代・・・。出来ていれば今頃・・・。
なんて考えちゃいませんか?もしくは思い当たりませんか?
僕も色々と言い訳しながらやらなかったですね。やる事たくさんあるし、なんて。

でも、一体、誰に言い訳してたんでしょうね?
先生、親、それとも・・・。

なんて、昔話で始めてみましたが、やった人とやらなかった人の違いはなんだったんでしょうね?
勉強が好き嫌い、もちろんあるでしょうね。嫌いだからやらない、まさしく僕ですね。
嫌いだけどやったよ、って人もいるでしょうね。いや、むしろそんな人の方が多いでしょうね。
勉強好きな学生なんて本当一握りなんじゃないでしょうか?なんてちょっと偏見入ってますかね。
では、同じ嫌いなのに、なぜ違いが出来たんでしょうね?

それは、習慣として自ら取り入れたかどうかの違いではないでしょうか?

勉強するという習慣を取り入れた人、勉強しないという習慣を取り入れた人(僕)ですかね。
自ずと結果は違ってくるわけです。ちょっとだけアレンジしますね。

まさしく、”継続(習慣)は力なり”です。それも自分が選んだ結果なわけですね。

何事でもそうなんですが、1からは始まらないんです。0からなんです。
0から始めて、いずれ自分にとっての当たり前の習慣として根付いていくんではないでしょうか?

どうせなら、言い訳が必要ない習慣をたくさん作りたいですよね。

でも、一体、誰に言い訳してたんでしょうね?
先生、親、それとも・・・自分・・・。

 

 

夢の検証

今朝、久々に夢を見ました。
厳密にいうと、覚えていました、が正しいでしょうね。
夢はいつも見ているもので、それが残っているかどうかの違いなんです。
ですから、今回は朝からその夢の内容を忘れないように、仕事に行く準備をしがてら検証してみました。

結論から述べますと、ちょっと前にある決断をして、その時にその決断が自分になにか影響あるかなあって考えていました。
夢の検証をしてる時には、その決断は不思議と出ないものなんですよね。
でも、検証を進めていくと、そこにたどり着いちゃったんです。
感覚的に言ってみると、あ、そういえばって感じですかね。
実際、自分の信念を見直す事になりました。それも自然に納得できる結果になりました。

僕はよく、記憶として残っているエピソードは、何かひっかかりがあって残っている、とお話しさせてもらっています。
そして、そのひっかかりを解消すると、思い出す頻度は減るかもしれないと説明させてもらってます。
夢は、無意識からのメッセージと言われています。
でも、無意識だろうとそれも自分自身なわけです。無意識に押し込んじゃってるのも自分なわけです。
なら、夢を検証し、それを解消すれば必然的に同じような夢を見るのは減るんではないでしょうか。

ただ、もちろん夢の内容は、実際はそのままの意味ではありません。でも、もちろん意味はあるんです。
むしろ、たくさんあり過ぎる、と言っても過言ではないでしょうね。
それだけ、無意識からのメッセージはたくさんあるんです。出来る限り、答えてあげたいですよね。
世の中に偶然はなく全て必然である、本当にその通りなんだなってつくづく思い知りました。
今回、たまたま夢を検証してみようかなって思い立ったのも偶然ではなく必然だったんでしょうね。

もし、興味がおありなら、一度ご相談ください。
自分の無意識からのメッセージに答えてあげませんか?

ちょっと考えてみる大事

今回は、ちょっと気になったニュースを取り上げてみたいと思います。
どんな内容のニュースかというと、宅配便運転手が荷物を海に捨てたという内容です。
一体どうしてこんな事になってしまったんでしょう?
ちょっと僕なりに考えてみたいと思います。
ただ、最初に断っておきますが、あくまでも記事に書かれている"事実"で進めていくことをご了承下さい。

出来事は、誤った方面の荷物を間違えて積んでしまったとなります。
その時、会社に怒られるのを恐れているのが、頭に浮かんだわけです。怒られたくないとかですかね。
その結果、どういう行動にでたかというと、その荷物を海に捨てて処理したとなります。

なんでそんな事をしたんだろうって思いますよね。
でも、実はこの時点では、この人の目的は達成してるんですよ。
海に捨ててしまえば問題もなくなって、怒られることもなくなるから、恐れもなくなるわけです。
荷物を捨てた事が発覚しないかもしれないって思ってたのかのしれないですね。
もちろん、この時点ではですし、良い悪いは抜きです。

では、なにが足りなかったんでしょう?

それは、その後に起こる出来事を考えていないんですよね。ただ、それだけなんです。
荷物を捨てる事によるメリットとデメリットを考えていれば、大事にはならなかったんです。
荷物を捨てる事が発覚しないかもしれないのは本当なのかどうなのか。
会社に怒られるけど、自分が恐れている程のことなのかどうなのか。
その点も、本当かどうかちょっとだけ考えてみればよかったんですが。

最終的には、会社にも怒られましたし、さらに社会的にも怒られることになってしまったわけです。
事実が明るみになるまでのストレスもかなりのものだったんではないでしょうか?
今回この人は、苦しい思いをして、やってはいけない対処方法を学んだわけです。

なぜ今回取り上げたかというと、陥りやすい過ちなんではないのかなと個人的に感じて、考えてみました。
そんな事しないよって思うかもしれませんが、似たような事はないでしょうか?
自分にとって都合の悪いことを捨ててしまう、後回しにして忘れてしまうとか・・・。
人の事はよく分かるんですが、自分の事となると、けっこう分からないものです。
気になった時は、ちょっと考えてみるのもいいかもしれませんね。

 

道具を使う、道具に使われる

最近の技術の進歩は本当にすごいですよね。
どんどん便利になっていって、気を抜くと置いてきぼりになっちゃいますよね。
なんて書いている僕は今もガラケーですが・・・。
まあ言い訳をするなら、タブレットを持っているので必要ないかなって自分に言い聞かせています。
決して、置いてきぼりになってるわけでは、ありません。
なんて、ちょっと違うとこで熱くなっちゃいました。

では、気を取り直して・・・
最近のニュースを見ていると、果たして生活が便利になっているのかどうなのか少し疑問に感じます。

現代は間違いなく、ネット中心の世の中になったと思います。
使うと本当に便利ですから、なくなるなんて考えられないですよね。
僕も個人的にパソコンが壊れた時は、非常に苦労しました。
でも、所詮便利になったとはいえ、道具なんですよ。
道具とは、人が使うものだと思いませんか?

今、色々ニュースの記事を賑わせている内容を見ると、どうも道具を使っていないんではないかと感じます。
どういう事かというと、人が道具に使われているんではないのかなって感じずにはいられません。

道具を使うだと、使いこなすとか使いこなせないとかの問題だと思います。
もちろん、使いこなせないのも問題かもしれませんが・・・。
それは、使い方に慣れると問題は解決しますよね。
でも、道具に使われるだと、中心が人ではないので、人は振り回されてしまうんではないでしょうか。

もし、使われているかもって感じるなら、中心に戻りましょう。
道具とは、人が使うものです。自分にとって、本当に必要なこと、必要ではないこと、
道具を使うことで気にしていることは、本当にその通りなんでしょうか?
もし、その通りだとしても、他に方法はないんでしょうか?
実は周りみんなが道具に使われているってことは、ありませんか?

あなたは、道具を使っていますか、それとも、道具に使われていますか?

 

 

本当の自分って・・・。

本当の自分はこんなんじゃないって思う事ってありますか?
僕も学生時代はそんな事を思ってた事あったと思います。
そんな事を考えちゃうと、辛いですよね。なんだか分からないけど、イライラしてた気もします。
では、そう考える本当の自分ってどんな自分なんでしょう?

外面と内面で例えるなら、外面に出てないのが本当の自分って事になるんでしょうか。
内面が本当の自分ですから、外面は本当ではない自分って事になるんでしょうね。

なんだか、自分以外のなにかがいるように感じるのは僕だけでしょうか?

でも、ちょっと考えて下さい。
外面だろうと内面だろうと、どちらも自分ではないんでしょうか?
ちょっと分かりづらい表現かもしれませんね。
このように訂正してみたら、ちょっとは分かりやすくなるかもしれません。

”本当”という部分を”本音”に訂正したらどうですか?
本音の自分、本音ではない自分。

内面にあるのは、言いたいこと、やりたいこと、我慢してること、とかになるんではないでしょうか?

本当の自分を分かって欲しいではなく、自分の本音を分かって欲しい。

内に溜め込んだ本音をうまく外に出せれば、辛い気持ちとかイライラは解消するかもしれませんよ。