free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
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2018年

内からでてくるもの

個人的な話しですが、僕はけっこう新しいものが好きで、電子書籍が出た当初も真っ先に飛び付いたものです。
本当に簡単にデータとして本が買える手軽さから、それまで全く手を出さなかったジャンルの書籍も購入するようになって、怖くて自分が今の時点で何冊書籍を持っているか数えたくないくらい所有しています。
元々映画も好きで、DVDが出た当初から買い集めていたので、こちらもまた、目に見えて数多く所有しています。
もちろん、今はデータとして購入しているので、こちらもまた数えたくないですね。
それだけ所有しているので、もちろん見ていない作品も数多くあります。
時間くっちゃいますからね、見よう、読もうとするとどうしても。

さて、映画では僕の中で以前からあった兆候だったのですが、本においても初めて体験した経験があります。
うーん、入ってこないな、難しいなあというのは作品によってあるのですが、
気持ち悪い、という感情を文章で初めて経験しました。
作者の人の描写がスゴいんでしょうね、なんかリアルに感じすぎて、
気持ち悪すぎて、その本は読むことが僕にはどうしてもできませんでした。

その人の作品はそれ以前に購入していて、その作品は僕的には面白く読む事ができました。
かなりある意味リアルに突き詰めた作品だなとは感じましたが、
多分どこか作り物であると僕には思えたので、気に入った作品になったと思います。

で、二冊目を購入したのですが、
僕にはどうしても作り物と思えなくて、リアルに想像してしまい、
気持ち悪くて読めなくなった、そんな感じですかね。

その作品は僕にはダメでしたが、好きな人にはたまらない一冊なんでしょうね。
僕にとっての一冊目の作品のように。

カウンセリングで問題を解決するにおいて、
自分の中にあるものに真摯に向き合う必要があります。
自己洞察というものです。
何気ない日常においては無視するものですが、
問題が起こった時には避けては通れないものです。
目を背けたくなるぐらい、自分にとって嫌なものです。

その人の内にあるものなのか、
その作品の人物の内に深く潜ったものなのか、
そんな作品は、見るものを深く揺さぶります。

カウンセリングの場にいるように。

 

行動には目には見えないが理由がある

一度根付いた習慣を変えるのはなかなか大変な事です。
だって、自分に適した行動だから根付いたわけですから、それを変えるなんて考えただけでも大変ですよね。
でも、変えなければならない事が起こるんです。
それを変えれるかどうかで周りの環境もまた変化していくんです。

なんて、ちょっと固い文章になってしまいましたが、例えば朝起きるなんて行動を考えてもらえばいいです。
仕事、学校、家事、一日の始まりに基づいて起きる時間は人それぞれ違いますが、起きる時間はその人の一番適した時間なわけです。
他人から見てみると、早すぎるとか遅すぎるとかあると思いますが、だからといって変えないですよね。
だって、自分に適した時間ですもんね。
もちろん、問題がなければ、ですよ。
遅刻ばっかりしていて、起きる時間をそのままにしていたら、遅刻という問題行動はなくなりませんよね。
遅刻という問題行動をなくすためには、今までの起きる時間を早くするしかありません。
早く起きる為には、就寝時間も見直さなければならないかもしれません。
だって、自分に適した時間に合わせるということは、たった一つの行動だけでなく、他にも連動した行動を見直さなければ根付かないからです。
睡眠時間の減少によって、新たな問題行動が出たら目も当てられませんよね。
で、もし、睡眠時間の減少によって問題行動が起きてしまったらどうしますか?
早く起きるように言われたから問題行動が起こったんだ、なんて言います?
いやいや、言わないですよね、さすがに。
何言ってんだ、で終わっちゃいますよね。

睡眠時間の確保もして、新たな起床時間の習慣が根付くわけです。

さて、個人的な話しですが、僕の起床時間は仕事の時間に対してめちゃめちゃ早いです。
さらに15分早くし、その生活もはや3ヶ月が過ぎました。

理由は至極シンプルです。

混むのが嫌、待つのが嫌、ただそれだけです。

でも、自分に適しているから根付いています。

行動には、目に見えないですが、その人にとっての理由、意味があります。
問題行動をどうにかしたいなら、見えない理由を聞いてから対処しましょう。

舞台が大きかろうと小さかろうとすることは同じ

普段僕はテレビを見ないのですが、それでも何回も繰り返し目にするスポーツの反則行為が気になっていました。
そして昨日、その行為をした選手の記者会見がありました。

一言、僕の感想を述べたいと思います。

素晴らしい、その一言につきます。

確かに、行為自体は許されるものではありません。
一般人が記者会見を開くなんてとても勇気がいることです。
しかし、端的に分かりやすく、出来事を述べながら一つ一つに自分の思いを述べることにより、自分が追い詰められていたかを客観的に見ることができ、過ちも素直に認めることが出来ていたと思います。

理屈では分かることですが、大きい舞台で出来るのは並大抵ではありません。
効果は大きいことが分かっていたとしても。
元々、素直な人柄をしているんでしょうかね、周りのサポートも素晴らしいのではないでしょうかね。
もちろん、それを素直に受け入れる人柄がさらにいい効果を生んでいるんでしょう。

人は過ちを犯す生き物ですが、同時にやり直す事も出来る生き物です。

名前を書くのもどうかと思いますが、宮川さんの今後に幸多いことを祈っています。

で、締めれたらよかったんですが、今朝のニュースでコーチの意見がでていました。

いやー対照的ですね、本当に。

テンプレっていうにはこのことを言うものです。
興味がある方は交流分析を少しだけ調べてみて下さい。
非常に分かりやすく、今回の出来事が理解出来ると思います。

少しだけ。
ダチョウ倶楽部の”押すなよ、押すなよ”は”押せ”っていうお約束。
だって、”押す”と喜ぶもん。

会見文を読むだけで、全て理解できますね。

10万人で12袋!!

通勤途中にニュースを聞いていて思わずビックリしたんですが、羽生選手の凱旋パレードに10万人以上の人が集まったそうです。
それだけの偉業を成し遂げた選手なので、スゴいなあとは思いましたが、それ以上に驚いたのが、パレード後のゴミの回収量に驚きました。
家庭用の40リッターのゴミ袋、12袋だけだったそうです。
10万人もいてですよ。
それってスゴい意識の高さではないですかね。
もちろん、それだけではなく、しっかりとしたゴミの回収方法を構築しているとは思いますが、それにしてもスゴいとは思います。

”仕方ない”という言葉を、カウンセラーになった直後はあえて使わないようにしていました。
”仕方ない”には、あきらめ、納得させる等、断念の思いがあり、後々問題になる原因という思いがあったからです。

10万人もいるなら、ゴミがたくさん出ても”仕方ない”。
やれるという例外がある以上、”仕方ない”ではすまされなくなっちゃいますよね。
このような例外がどんどん増えていって欲しいものです。

王さまの耳はロバの耳

ストレスは溜め込むことができます。
色々自分に言い訳を作って、知らず知らず溜めていってしまいます。
言い訳をするのは他人ではありません。
自分自身に、です。
ですから、よく言われるように、問題は自分で作る、自分にしか解決できないと言われるわけです。
ですが、もちろん際限なくストレスを溜め込むなんて無理です。
いずれ爆発し、発散します。
まあ、キレるとも言いますかね。
普段おとなしいのに、穏やかなのに、
そんな風に周りからみられる人にありがちですね。
周りからいい子に見えるように、その人が自然と身につけてしまった対人スキルです。
周りの意見と自分の意見、いい子はどちらを選ぶ?
いい子ほど闇が深い、言い過ぎかもしれませんが、あながち間違いではないと思います。
呪縛みたいなものですね。

で、ちょっと前の出来事なんですが、
僕自身、個人的に嫌な出来事がありまして、もちろんカウンセラーですので、スキルも身に付けています。
ですが、いかんせん数十年にもおよぶ問題に、答えを出さなければならない状況になりまして、どうしたものかと思っていたわけです。

で、”王さまの耳はロバの耳”です。

ちょっとはしょりますが、おもいっきり吐き出すとスッキリする、
とまあ、そんな意味で使わせてもらいますかね。
誰かに聞いてもらう必要は全くなく、ただ吐き出すだけ。
もちろん、相手に言いたいことを言う必要なんてありません。
ただ、溜めたものを吐き出すだけ。

今回、僕が使った手段がメールです。
でも、書くだけ。
がーっと、言いたいことを書いて、期日に送ろうかと思っていたんですが、
筆が進むんでしょうね、短時間でかなりの大作になっちゃいました。
で、気づいたらスッキリしてたんですよね。

それまでメールをあまり重要視していませんでしたが、
案外、吐き出す手段としては有効だと認識させられました。
もちろん、メールは相手に送っていません。
スッキリしちゃいましたからね。
他人に見せられない秘密ノート。
まるでそんな感じですね。
なんか、ちょっとイタイ気もしますが、
まあ目的も達成できますし、結果オーライってとこですかね。
もちろん、大作になっちゃいましたので、
消すのももったいないので下書きで保存しちゃっていますが・・・。

伝えて、新たな火だねを作るより、
吐き出すだけで問題解決、
目的をはっきりさせるとトラブルはなくなりますね。

テニスボールは黄色か緑色か

僕は車通勤をしていますが、社内ではラジオをつけています。
いつ頃か忘れましたが、ナビが故障して修理に出した時、音楽が聴けなくなって、たまたまラジオを聞き出したら結構面白かったんですよね。
それ以降、ナビが戻ってきても、ラジオばっかにしています。

で、今日の仕事帰りにラジオを聞き流していたら、タイトルの、
”テニスバールは黄色か緑色か”
なんてふざけた内容の時事ニュースを紹介してたんです。

んなもん、黄色に決まってるやん、テニスボール持ってるし、なに言ってんの、
なんてツッコミながら聞いていたら、驚いた事に、半分以上の人が緑色だと主張しているとかなんとか。

で、つい最近、そんな長年の討論に結論が出たそうです。

なんと、レジェンドのフェデラーにわざわざ聞いたそうなんです、
テニスボールは黄色か緑色か、なんて。
もちろん、フェデラーの回答は、黄色。
当たり前ですよね、そんなの。

レジェンドのフェデラーが言うなら間違いない、
と、いうわけで長年の討論に決着がついたそうです。

いやいや、そもそも何言ってんの、どうしたら緑色なんて話しになるの、
てか、そこまでしないと納得しないの、ホントどんな話しなの、一体。

なんて聞いていて、赤信号で止まる時に、たまたま通勤路の途中にあるテニスコートを見たんですよ。
時間は18時30分頃でしたかね、たしか。
距離も道路から少し離れてはいますね。
もちろん、そんな時間ですから、照明をつけてプレーしています。
ゆったりとロブを交えてストロークしていますね。

”あれ、緑色、緑色だねえ、あれ、緑色に見えるねえ、え、マジで”

緑色だったんですよ、黄色のテニスボールが。

いや、ちょっとマジでビックリしましたね、緑色に見えちゃいましたから。

つまり、プレイヤー側からは当たり前なんですが、観客側から見てみると色が違って見えるってことなんですよね。
距離、照明、諸々の条件で変わってしまうんですね、見えてるものが。

テニスボールという物自体は変わらないんですが、見方によっては違うものに見えてしまう。

当たり前の事なんですが、当たり前すぎて当事者には疑問自体が理解できない。
さらに、見るほうは、物自体を歪曲して見てしまい、疑問にも思わない。

なんとなく、思い当たることありませんか?

僕はけっこう改めて考えさせられる事案に思えちゃいました。

物事の本質をしっかり見極めよう、そんな思いを再確認させてもらう体験をさせてもらいました。
ラジオ、いい仕事してるねえ。

 

言葉アレルギー

さて、前回のこらむに関連して、ちょっと個人的な事を書かしてもらいます。

取り上げるニュース、気になる話題等々、人それぞれ違いますが、違って当たり前なんです。その人の思考に左右されるからであって、その思考が全くない人は気にもなりません。”へーそう”なんてもんですね。

で、言葉アレルギーとあえて言わせてもらいますが、個人的にどうも
”ボランティア”
という言葉がどうもダメです。
花粉症のように過敏に反応してしまいます。
どれぐらい過敏に反応するかというと、立て続けにこらむ書くぐらいダメですね。
それもこんな短時間で書き上げるぐらいに。

もちろん、自己責任において”勝手に”ボランティアしてる方は全く問題ないです。
むしろ、尊敬さえしてしまいます。
続けば、ですが。
他人を巻き込む、酔いしれる、残念ながら少なくとも僕が知り合った方々はそんな人が大半でした。
”勝手に”やってるのに何言ってんの、
”勝手に”やってるのに嫌ならやめればいいやん、
そう思ったことがどれ程あったことか。

とまあ、そんなこんなで
”ボランティア”
という言葉、アレルギーです。

名古屋市 小学校部活廃止へ

名古屋市教委は、教員の負担軽減のため、小学校の部活動を2021年3月末に廃止する。
教員が指導する現在の部活動の代わりに、教員OBらを指導者として活動する場を新たに設ける意向。

名古屋飛ばしとかなんだかんだ言われること多いですが、これはとても素晴らしい取り組みだと個人的に思い、こらむで早速書かしてもらいました。
何十年も続く習慣というものは、それがまるで当たり前のように錯覚をしてしまいますが、それは錯覚であり、もちろん当たり前のことでもありません。
業務ではなく、自主的活動として指導する、そんなバカな話しあるわけないです。
教員の負担が増えるのは至極当然です。
仕事として給料がでるならいざしらず、全く出ないのに負担だけさせる、
誰かの犠牲の上に成り立っている幸せなんて、破綻しないわけありません。

このような取り組みができる名古屋市、見直しました。
どこかの団体も見直してもらいたいものです。
叩かれるのには、少なからず理由がありますから。

もちろん、やりたい人は自己責任において”勝手に”参加するのは問題ではないんではないでしょうか。
それはその人の責任においてやるわけであって、強制ではないですし。
どちらにおいても、強制は負担になります。
良いことも悪いことも両極にあるだけで根本は同じですから。

 

触らぬ(疫病)神に祟りなし

このこらむを書くようになって、僕はホント理屈好きだなあって思い知らされます。
漢字、熟語、ことわざとか、そっからこじつけるのホント多いですもんね。
てか、好きなんですよねえ、ホント。
昔、ある人に
「お前は理屈っぽい」
と言われましたが、その通りですよね。
まあ、自覚するのが一番大事ということで・・・。

さて、それでは本題です。

”触らぬ神に祟りなし”
余計なことをしなければ巻き込まれない、みたいな感じですかね。

どうですか、けっこう頻繁に起こっているイベントではないですかね。

大抵、そんなイベントを起こす人は決まっていて、むしろ、どこでも起こすんではないでしょうか。
というか、起こしますね。

分かりやすく解説すると、何回もこらむで書いてますが、人は

”思考、行動、感情”

というパターンを持っています。

思考によって、行動が決まっちゃうんですよね。
ですから、そんな人は、頑強な思考を持っちゃっています。

つまり、融通がきかないほど頑強な思考です。
ですから、どこでも衝突するんです。
というか、衝突しないわけありません。

これもまた、時々こらむで書いていますが、

”人は変わらない”

というのも取り上げています。

これは厳密にいうとちょっとだけ違うのですが、
自分で変えなければ、変わらない、です。

しかし、頑強な思考です。
余程、その人が困らない限り変えません。
ですから、その人は、変わりません。
今のところは。

なら、どうするのか。

”触らぬ(疫病)神に祟りなし”、です。

近づかなければ巻き込まれません。

さて、もうひとつ、です。

巻き込まれる人も、大抵、いつも巻き込まれます。
それはなぜか。

自ら寄ってっちゃってるからです。

これもまた、思考がなせるわざですね。

もちろん、立場上関わらなければならない人はお気の毒様です。

巻き込まれないにはどうするか、

逃げの一手です。
これしかありません。

もちろん、僕らカウンセラーはスキルを持っているので対処できます。
しかし、これは僕個人的な話しになりますが、仕事でなければ極力関わりません。
これもまた、思考のなせるわざですね。
もちろん、経験、知識に基づいてる思考ですので、これまた強固な思考です。
ここでもまた、変わらないいい例ですね。

もちろん、他のカウンセラーの方々のことは知りませんので、あしからず。

新しい船出

さて、個人的な話になりますが、本日、2月10日、僕が所属している協会主催の講演に行ってきました。
といっても、もちろん今回が初めてではありません。
資格を取得する前にはもちろん、毎年必ず講演には参加しています。
資格を取得する前の方が、毎回イベントには参加していましたね。
鉄は熱いうちに打て、ではないですが、カウンセラーの資格を取ると決めて動き出してからは
迷うことなく講演には参加していましたね。
自分でいうのもなんですが、決めたらとことんやりたいと思っちゃうんでしょうね。
まるで他人事のように書いちゃいましたが。

で、いざ資格を取ったら、年一回の講演には参加しますが、
興味を持った講演以外は参加しませんね。
理由としては、カウンセラーの資格を取得し、知識も得たので、
後は自分の中で熟成していく、てとこですかね。
綺麗にまとめると、ですが。
もしくは、
鉄は熱いうちに打て、ですかね、ホント。
または、熱しやすく冷めやすい、ですかね。

それで、わざわざ今回の講演をこのこらむで書いてる理由なんですが、
カウンセラーの資格を取得し、もうすぐで6年となりますが、
新たに資格を取得し、学びたい、と今回の講演で強烈に思ってしまったんですね。

さて、で、今回のタイトルとの結びつきです。

僕は今回の講演に非常に興味を持ち、資格取得をしたいと思い、資料を取り寄せようと動き出しました。
元々のカウンセラーの資格プラスですので、厳密には新しい船出とは違うかもしれませんが・・・。
とりあえず新しい事をしたいと思い立ったら動き出す、ですかね。
新しい事を学ぶ事にも抵抗はありませんし。

しかし、以前からこうだったわけではありません。

カウンセラーの資格を取りたい、と思い立った時はなかなか行動できませんでした。
実際、働きながら資格を取れるのか、等々、色々言い訳をしながら、行動に移せませんでした。

あえて、自分自身の事ですので、言い訳と書かさせてもらいます。

当時はそんな事、思いもしませんでしたし、認めたくなかったですが、
今なら断言できます。
自分自身に言い訳をし、新しい事を始める事に抵抗、不安を感じていました。
やりたいのに、やりたくない、
二律背反、と言いますが、
まさしくそんな状況ですかね。

その当時には必要な時間だったのかもしれませんが、
もったいない時間の過ごし方だったなあ、と今なら思います。

知人が新しい事を始めるにあたり、
いざ、その時が近づいた時に、不安に押しつぶされそうになった時に、
このタイトルの言葉を贈りました。

本当に、上手い言葉だと思います。

あえて、船出としているのが素晴らしいです。
地に足がついていない状況なんです。
そりゃあ、揺れまくりですよね、船ですから。
ですが、いずれ陸地には着きます。
なら、揺れまくりの船出をあえて味わいながら、
船旅を楽しんでみませんか、と。

豪華客船の安定した旅もいいのですが、
揺れる船旅もまた、いいものではないでしょうかね。

さて、この言葉にはもう一つの意味もあるんです。

新しいんです。

ですから、気づいていないだけで、以前にも船旅はしているんです。
ただ、安定していた陸地に長く留まっていたために、
新しい出航に抵抗があるだけなんです。
もう既に、船旅は経験済みなんです。
なら、恐れる必要はありませんよね。
あえて言うなら、船旅の準備が不足しているのかもしれませんね。
食料であり、水であり、足りない物を補う必要はあるかもしれません。

ですが、たった一つだけ注意して下さい。

大海原に、いかだで出航するとどうなっちゃいますか?

もし、周りに反対ばかりされるなら、今一度、考えてみて下さい。
ひょっとかしたら、あなたの船はいかだかもしれません。
当人より他人の方が客観的判断を下せます。

そんな時も、諦めるではなく、準備する、です。

せっかく自分自身で決めた事ですし、準備不足で諦めたらもったいないですよね、悔いも残りますし。

いかだも時間をかければ、それなりに出航に耐えられる船になります。

大事なのは、あなたはどうしたいか、です。