free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
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ある日突然、花粉症が治るは本当? を読んで

実は、最近この手の話題をしていたんです。
この記事によると、どうもあくまでも「レアケース」とのことですが、では、僕は「レアケース」のようです。
僕も、花粉症が治ったのかどうか分かりませんが、気にならなくなりました。
これといって、何か対策をしたわけではありません。
以前は、くしゃみ鼻水、目のかゆみ、もうそれはひどいものでした。
でも、最近は苦しまなくなりました。
ですから、今回は、僕がした事を、とりあげてみようと思います。
ひょっとかしたら、そこに何かしらのヒントがあるかもしれません。
なんて書くと、いかにも怪しいですが、まああくまでも個人的体験談として気楽に読んで頂ければ幸いです。
では、お付き合い下さい。

そうですね、まずはインフルエンザが猛威を振るった年に、自己防衛として、マスクを常に着用するようにしましたね。
それまでは、どんだけ花粉症で苦しくても、マスクはしていませんでした。
息苦しいのが嫌でしたので・・・。
最初は本当に息苦しくて、しんどかったんですが、それからは、夏もマスクを着けていましたね。
暑くて大変でしたが・・・。
なんか息苦しいのも慣れると心地よいもので、変な安心感もありましたね。
それから、学校に通って、本格的にカウンセリングを学び始めたのもありますね。
それまでは、独学で学んでいましたが、資格を取りたいと思い立って、入学しました。
結果的には、ここで独学では無理だという事を思い知らされました。
と同時に、とてもたくさんの事を学び、それを消化した、と思います。
心と身体には、密接な関係がある、知識として独学でももちろん学べます。
それが、本当に自分の中で消化されたからこそ、身体にも変化が現れたのではないかな、と今では思っています。

マスクを常に着用するようになった、
カウンセリングを本格的に学んで、資格をとった、
元々、花粉症ではなかったのかもしれない(あり得ないと思いますが、一応)、
とまあ、思い当たるのは、こんな点ですか。

参考になるかどうか分かりませんが、「レアケース」が存在する以上、治る可能性もあるわけです。
どうせなら、楽になりたいですよね。

 

義姉が母に冷たくあたる

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も一部文章の色を変更してあります。
それもあわせて、どうぞお付き合い下さい。

今回は、義姉の希望で、両親がお兄さん一家と同居している娘さんの相談です。
先日、お母さんが一ヶ月入院をしたとのことです。
お母さんは一刻も早く家に帰りたくて、退院日の朝、義姉に連絡すると"朝は忙しい"と言われ、病院で二時間待たされたと聞いた、との事です。
お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見える、とのことです。
育った生活環境で考え方が違うのは十分理解しているつもりですが、こんな仕打ちはないと思う、とのことです。

なるほど、お母さんから二時間待たされたというのを聞いて、こんな仕打ちはないと感じたんですね。
この方から見て、お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見えてるんですね。
本当にお母さんを大切に思われているんでしょうね。
大切に思っているお母さんが待っているのを想像して、義姉が冷たくしている、と考えているんですね。

さて、人間関係のトラブルの元は、実は思い込みが大半を占めています。
~のように見える、というのは、思い込みの可能性がありますね。
それを念頭においてもらうと、客観的に物事が見れるのではないかな、と思います。
この方は、育った生活環境で考え方が違うのは十分理解している、との事ですが、そのように考えれるのは本当に素晴らしいことだと、僕は思います。
ただ、今度はその考えに囚われてしまっているのではないかな、と感じました。
その考えに合わせようとして、今は、思考と感情にズレが生じている状態なのではないでしょうか?
無理に合わせようとすると、どうしてもズレは生じます。
自然に、自分なりの思考になるように消化する、というのも有効だと思います。
すると、そのようなズレは生じなくなるでしょう。

さて、今回このこらむを書くときに、父親に連絡を取って、ある確認をしました。
どんな確認かというと、僕の父親も以前入院していたので、退院のタイミングを確認しました。
それによると、病院側の指定ではなく、患者さん(家族)の指定なんですよね。
となると、退院の時間の目安は病院側と話し合われていたのではないでしょうか?
お母さんを迎えに来る、義姉は、"朝は忙しい"んですよね。
わざわざ日常生活で"忙しい朝"に退院の時間を指定はしないんではないでしょうか?
となると、”忙しい朝”を外した時間に退院する予定になっていたのではないでしょうか?

ここで、それぞれの"真実"が出てきています。
お母さんにとっての"真実"は、"一刻も早く帰りたくて、二時間も待たされた"です。
義姉にとっての"真実"は、"朝は忙しくて、迎えに行くのは無理"です。
どちらにとっても、尊重しなければならない言い分はあります。
ですから、それぞれの"真実"になるんです。

もっとも大事なのは、あなたは"当事者ではない"という"事実"です。
"真実"はそれぞれありますが、"事実"は一つだけです。
自分は"当事者でない"と冷静に考えてみて下さい。
すると、たくさんある"真実"の中からたった一つの"事実"が見えてくるのではないでしょうか。
それを自分だけの為に使うのもいいですし、お母さんと義姉の関係の間を取り持つのもいいでしょう。
あなたがどうしたいか、それによって、変化は訪れると思いますよ。

夜9時からスマホダメ ~刈谷市の取り組みについて考えてみる~

今回のタイトルは、今朝(3月15日)の中日新聞の朝刊の記事の見出しです。
どのような内容かというと、"LINE"などのトラブルに子どもが巻き込まれるのを防ごうと、愛知県刈谷市の全小中学校が四月から、午後九時以降に児童生徒に携帯電話を使わせないルールを申し合わせる、という内容です。
正直、最初ちょっとだけ読んだ率直な感想は、"そこまで介入するか"、でした。
でも、記事を読み進めながら、ちょっと考えてみると、全く違う感想になりました。
どう変わったかというと、"なかなかいい取り組みではないかな"、に変わりました。
自分でも、これだけ考えが変わるというのはあまりなく、驚いています。
では、どうしてそうなったのか、説明させてもらいますね。
どうぞ、お付き合い下さい。

まずは、"そこまで介入するか"と感じたのは、どうも僕自信の考え方に一因があります。
このカウンセリングルーム、”free mental place 航”は、けっこう悩みながら名付けました。
自由なこころの空間、それを第一にしたいと思い、そのままストレートに出しました。
どうも僕自身の弱点は、自由の対になる、過干渉とかルールとか枠組みに反発を覚えてしまうんです。
個人主義と全体主義とも置き換えれますね。
それがそのまま出たのではないかな、と思います。
一応断わっておきますが、プロですので、もちろん問題はないですよ、念のため(笑)

さて、通常なら、この手の記事は読み進めても、僕の中では、”どうなのかなあ”で終わってしまいます。
それが今回、違っているのは、明確に目的を達成できるかもしれない、と思える箇所があるからです。
それがどこなのかというと、児童生徒愛護会委員長の言葉です。
”子ども自身がラインと距離を置く言い訳に使ってほしい。”
つまり、自分達を悪者として、それを言い訳にして、上手く距離をとってほしい、という点です。

良い悪いは別として、集団がまとまる一つの方法として、共通の敵を作るというのがあります。
俗にいう、スケープゴートというものです。
もちろん、された人はたまったものではありません。
ただ、確かに集団は一つにまとまるんです。

LINEの問題は、今更ここで書く必要がないぐらい色々な問題が出ています。
それを何とかしたいという目的を達成する為に、学校が自ら悪者(スケープゴート)になって目的(子どもを守る)を達成するわけです。
上手く距離を取れない子どもにとって、そんな子どもを見て心配してる親御さんにとっても、正に渡りに船ではないんでしょうか。

この取り組みを、上手く活用して、少しでも問題解決に結びつければいいなと切に願います。

口下手で役員の仕事 不安

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も少し趣向を変えて、原文をそのまま変えずに記載しています。
もちろん理由はありますので、どうぞ今回もお付き合いください。

地域の役員に選ばれ、受けることになりました。
多い時は月に五~六回、研修会や行事のための会合があり、あいさつをしたり、意見を言ったりする機会が多くなります。
口下手の私は、頭の中で話す内容を考えていても、その場になると何も話せなくなります。
これから二年の役員任期の間、人前で話すことができるか、不安でいっぱいです。

さて、今回、全く手を加えず、そのまま記載しました。
どうしてか、その理由はとても簡単です。
とても素晴らしく、分かりやすく、伝わりやすい文章だと、僕が感じたからです。
そのあなたの持っているものを、そのまま利用してみませんか?

頭の中で内容を考えているのを、文章にしてメモ書きとして持って人前で話す、というのはどうでしょう。
これだけ相手に伝わりやすい文章ですので、結果はかなり違ってくると思います。
口下手かもしれませんが、文章上手だと僕は思いますよ。
それを繰り返すことによって、人前でも話すという事に自信を持てるようになると思います。
自信が持てると、自ずと自分の意見も言えるようになるのではないかなと、僕は思います。

月に五回として、二年の任期で120回、少なくとも100回程度あるわけです。
最初は失敗しても、これだけ回数あるとしたら、なんとかなるように思えませんか?
文章上手なあなたなら、出来ると、僕は信じています。

3.11について考えてみる

あの未曾有の東日本大震災から今日で3年経過しました。
3年という時間は、長いんでしょうか、短いんでしょうか?
時間の流れというものは、誰もが同じなんですが、感覚は立場によって変わってくるものなんでしょう。

人間というものは、日常生活において、何かおやっと感じた事があると、いつまでも心に引っ掛かかっているものです。
逆に言うならば、おやっと感じなければ、そのまま日常の中に埋もれてしまいます。
ですから、同じ経験をした人でも、覚えている人と覚えていない人がいるんです。

風化させない、忘れない。

震災にあわなかった僕たちは、日常生活に埋もれて忘れがちになってしまいます。
なら、せめて今日、この日だけは忘れないように、なにか自分に出来る事を考えてみませんか?
色々ニュースで取り上げています。それについて、自分なりに考えてみる。
それが、風化させない事に繋がるのではないかな、と思います。

最後に、震災で亡くなられた人達のご冥福を心からお祈りいたします。

臨床心理療法士 砂場航一郎

孫を差別する義父

今回も、ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
途中、色を変更して書いているのは、原文のまま記載しています。
少し読みづらいかもしれませんが、ご了承下さい。

今回は、義父母と同居している方の相談です。
義父母の娘と同時期に、わが家にも子どもが生まれました。
娘の孫がかわいいのは分かりますが、義父の態度が明らかに違う、との事です。
娘の孫は何をするにも大事で心配。
この方のお子さんには、口調もきつく、"あなたがしっかりみておきなさい"と言われる、とのことです。
まだ子どもたちは幼く、分からず遊んでいますが、腹立たしく、平等に接してほしい、とのことです。

なるほど、同時期に生まれたのに、平等に接してもらえないと腹立たしく感じますよね。
ましてや、それが自分のお子さんだとなおさらでしょう。
さて、どうしたらいいんでしょうね?

ちょっと今回、書き方を変えてみました。
なぜかというと、文面を読ましてもらった時、僕は何か他人行儀な印象を感じました。
その部分を色を変更してみました。
僕の見当違いなら、本当に申し訳ありません。
ひょっとかしてですが、以前から義父とあなたはあまりいい関係ではないのではないでしょうか?
同居しているのに、わが家と書いてあるんですが、そこに何か強いこだわりがあるように感じました。
あえて分けている、という感覚ですかね。
そして、私は口を出さないから、”あなたがしっかりみておきなさい”と繋がっている気がしました。

もしくは、家族構成は分かりませんが、普段から同居している家族なら、孫とはいえ、厳しくなってしまうものではないでしょうか。
娘の孫というわけではなく、たまに会う孫には甘く接してしまう、とは考えられないでしょうかね。
確かに、平等ではないかもしれませんが、平等に接するのは難しいかもしれません。
ただ、娘さん家族も同居しているなら、また話しは別になってしまいますが。

義母かご主人に、義父の自分のお子さんに対する態度について相談してみてはどうでしょう。
明らかに態度が違うなら、二人も同じ事を感じているでしょう。
何か義父に働きかけてくれるきっかけになるかもしれません。
育て方というものは、自分が意識しなければ変わらないものです。
義父が昔からご主人に対しても同じような態度なら、本当の家族として接しているのかもしれません。
あるいは、義父自身もどうやって接していいのか分からないのかもしれません。
だから、つい厳しく接してしまうというのもあり得るかもしれませんね。

自分の都合押しつける母

今回も、ねえねえ ちょっとに掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回は、お母さんとの関係についてのようです。
七十代で健康体のお母さんはきつい性格のようで、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人のようですね。
実家から四十分ほどの場所で家族と暮らす相談者の方に、電話で家事の手伝いや用事を言いつけてくる、とのことです。
引き受けないとすぐ不機嫌になるので、いつもお母さんの言いなり、とのことです。
五十歳を過ぎて親の顔色をうかがい、ビクビクしている自分が惨めでつらい、そんな状況のようですね。

なるほど、顔色をいつもうかがいながら生活するって、疲れちゃいますね。
そんな自分を、惨めでつらいって感じちゃうんですね。
本当にお辛いんだなって、お察しいたします。

さて、それではどうしたらいいんでしょうか。
お母さんとの関係ですので、長年続けてきた対人スキルの見直しになるのではないかな、と思います。
何故なら、家族との関係、それも自分のお母さんとの関係というものは、最も影響を受けているとも言い換えれる関係だからです。
もちろん、それが全てではありませんが・・・。
"自分がお母さんの言いなりになれば、お母さんは不機嫌にならない。だから、関係はうまくいく"。
多分ですが、子供の頃から、そのように考えてずっと続けていたのではないでしょうか。
自分さえ我慢すれば、と考えていたのもあるのかもしれませんね。
これって、一見正しく見える考えですが、実は誤ってる考えなんですよ。

どこが誤っているかというと、まずは自分で条件をつけてしまっているんです。
”お母さんの言いなりになる”という条件を満たす事によって、”不機嫌になる”のを防いでいたんです。
確かに、その通りですよね。有効な手段だとは思います。
ずっと”言いなり”になれれば、ですが・・・。
ですが、今回の事でも分かるように、一方的に負担を負うという行為は、いずれ破綻してしまうんです。
気づきにくいんですが、相手の行動を促す事もしているんです。
"言いなり"になっていると感じているのは、自分です。
相手であるお母さんは、"言いなり"になって、迷惑に感じているとは気づいていないんではないでしょうか。
だから、自分の用事を何でも言いつけてくる(言ってくる)。
悪循環が生じているんです。

今、自分はどうしたいんでしょう。
ビクビクしている自分が惨めでつらいんですよね。
このままお母さんの言いなりを続けると、ずっとそれが続くんです。
それをずっと味わい続けてもいいんでしょうか?
そんな自分を変えたい、それなら、今まで避けてきたことを取り入れるタイミングなんでしょう。

避けてきた事、それは"断る"という事です。
今まで避けてきた事ですから、最初は、難しいと思います。
これだけは"言いなり"になりたくない、そんな場面を特定して、まずは、それだけを"断る"ようにしてみて下さい。
今までは、"断れない"と思っていたと思いますが、"断らない"事をしていたんです。
実際、やってみると、自分が想像していた程、難しいものではないですよ。
そのうち、自然に身に付いて、普通にやれると思います。

名古屋駅の暴走車の事件について思うこと

この週末、痛ましい事件が起こりました。
地元の名古屋駅周辺で、暴走車が歩道に突っ込み、13人に重軽傷を負わせる、という事件です。
事件に巻き込まれた人達、近くで目撃された人達の恐怖、痛み、怒り等々を察すると、言葉になりません。
僕もよく行く場所ですので、こんな場所で、あり得ない事件が起こるのは、本当に怖いですね。

"人をはね殺そうと思った。誰でもよかった"
"わざと突っ込んだ。殺すつもりでやった"
"悪いことだとは分かっている"
反省するような言葉は述べていない。

犯行に及んだ犯人の供述のようですが、悪いことだと頭で理解しているつもりだから、今は反省の言葉を述べれないんでしょう。
自分の犯した罪を、これからの長い時間をかけて考えることによって、本当に心から反省するのではないでしょうか。
ただ、残念に思うことは、色々事情があると思いますが、行動に移す前に少しだけ考える時間が取れなかったのが残念でなりません。

自分でも呆然としてしまうような大きな事件を起こす事情は、確かにあるでしょう。
だからといって、他人に危害を加えていい理由にはなりません。
身勝手な犯行、と言われても仕方ないでしょう。
自分の犯した罪は、しっかりと自分で償っていってもらいたいものです。

色々な悩みを抱えていたから、極端な行動に走ってしまったのでしょう。
極端な行動に走ってしまう前に、悩みを相談する、カウンセリングを受けてもらいたいと、僕は心から願います。
もちろん、カウンセリングは万能ではありません。
ただ、少しだけ、考える時間は取れるのではないかなと思います。
その、少しの時間で、違う結果になったのかもしれません。同じ結果だったのかもしれません。
あなたは一人ではありません。
一人で抱え込まず、カウンセラーに寄り添ってもらって、一緒に考えませんか。

受験合否聞かれうんざり

今回も ねえねえ ちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回は、お子さんが大学受験中の方の相談ですね。
職場の同僚にも同い年の子どもがいて、興味津々の様で、受験の状況を事細かく聞いてくるので、うんざりしているとのことです。
受験校、合否はどうなったかにいたるまで、のようですね。
受験の時期は本人だけでなく、家族もぴりぴりしているので、そっとしておいてほしいのに探られ、あまりの配慮のなさにいら立ちます、との事です。

なるほど、お子さんが受験中って、本当に気を使いますよね。
少しでもベストな状況で受験してもらおうと思って、お子さん中心の生活になっちゃいますよね。
ぴりぴりしていて、そっとしておいてほしいのに、あれこれ探られると、いら立ちますよね。

では、どうしたらいいんでしょうね。
そうですね、まずは、自分がどうしたいのか、自覚を持つのが第一ですね。
この文章から察すると、"そっとしておいてほしい"でいいんでしょうか。
そっとしておいてほしいのに、事細かく聞かれるから、"配慮ないと感じて"いら立つんですよね。
となると、聞かれなければ、"そっとしてもらえ"て、目的は達成されるわけです。
一番有効な方法は、"その場を離れる"というのがあります。
話題が、嫌な話題になったら、トイレに行くとか、その場を離れる事によって、話題をコントロールできます。
戻ってきたら、違う話題にすれば、いら立つ事もなくなるんではないですかね。

あと、ちょっと気になったのが、”探られる”という表現が気になりました。
確かに、聞かれたくない事を聞かれると、探られてるんじゃないかと思う事があると思います。
聞かれたくない事を聞くから、配慮がないと感じていら立つわけですよね。
ただ、聞かれたくないかどうか、相手は分かるんでしょうか?
相手は、会話として普通に聞いてるだけ、なんではないでしょうか。
となると、探っているわけではないんです。
探っていると考えてしまうと、違う可能性を見落としちゃうこともあります。
例えば、同い年の子どもを持つ親として、心配して聞いているのかもしれません。
合格してよかったね、って喜びを分かち合いたいのかもしれません。

あるいは、一方的に聞き出されて、”探られている”と感じているのかもしれませんね。
その場合は、相手と同じ事をする、という方法もあります。
”どうしてそんなに聞きたいの?”と、逆に質問して、聞き出してみてはどうでしょうか。
この方法なら、前述の可能性を確かめる事もできますよ。

若い職員だけ誘う院長

今回も ねえねえちょっとに掲載された記事について考えてみたいと思います。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回は、小規模の内科クリニックで働く看護士さんの悩みです。
四十代の院長は月に数回、二十~三十代の事務の女性とランチや飲み会に行くそうですが、看護士は皆四十代で、誘われないとのことです。
更衣室で、誘われた事務の女性達がランチの日時をひそひそ伝言していたり、院長がいそいそと女性たちを車に乗せて行くのを見たりすると、イライラする、とのことです。

なるほど、若い女性達だけ誘われて、自分達が誘われないのはあまりいい気分はしないですよね。
誘われた女性達のひそひそ話、院長のいそいそとした行動が視界に入るとイライラした気分になっちゃいますよね。
では、どうしたらいいんでしょうね。

ひょっとかしたらですが、院長が誘ってるのではなく、事務の女性が、どうせならご一緒にという流れでそのような機会ができた、という事はないですかね。
仕事の内容でどうしても仲間意識というものはできるものです。
ランチにしても、事務の人達、看護士の人達、というグループはできていないですかね。
それなら、看護士の人達が誘われない、というのは自然の流れのような気がします。
となると、年齢もたまたまなんではないでしょうか。

なら、月に数回ですので、看護士さん達とのランチや飲み会を院長に提案してみたらどうなんでしょう。
不公平に感じているのなら、公平にしてもらうように働きかけてみるといいかもしれませんね。

といっても、全く検討違いかもしれませんね。
もしそうなら、誘われないとの事ですので、実際、誘われたら自分が行きたいのかどうかちょっと考えてみてはどうなんでしょう。
行きたいのなら、機会を作るのもいいのではないでしょうか。
行きたくないのなら、自分にとって、何がイライラする原因なのか、考えてみるのがいいのではないでしょうか。
イライラする感情は、自分が持った感情ですので、何か出てくるかもしれませんね。