free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

愛知県一宮市今伊勢町新神戸
郷浦11-1明和ハイツ203号
                  TEL.0586-43-0848

対人関係

相手に真剣に伝える

人は一人では生きていけません。
そんなことないって意見もあるかもしれませんが、必ずどこかで誰かと繋がっているものです。
生活がなりたっているのは、どこかに属しているからです。
誰かと繋がっていたい、と思うのかもしれませんね。

でも、属する以上、思い通りにならないことも出てきます。
そんな時、今までの人間関係をリセットしたい、と思われる人もいますよね。
今までの自分が嫌で、心機一転新しい環境でやり直したい、考えることあるんではないでしょうか。
そんな時に、連絡手段を絶つ、という手段を使う方もいるんではないでしょうか。
手っ取り早く番号とアドレス変えちゃえば、煩わしい人間関係に悩む事なくなりますものね。
確かに対策としては、利にかなってますよね。
他人同士だと、いい悪いは別として、本人さえよければその対策でいいんではないでしょうか。
相手もそこまで執着することはよっぽどないでしょうから。お互い様でしょうし・・・。
でも、家族に同じ事をしてしまうとどうなんでしょう?

確かに、連絡つかないようにするほど、追い詰められてたかもしれません。
しかし、ちょっとだけ考えて下さい。本当にほっといてくれるんでしょうか?
もしくは、本当にほっといてもらいたいんでしょうか?
関係が近ければ近いほど、許せないことは多くなってくるものです。
そこにはどうしても"甘え"というものが存在するからかもしれません。

連絡手段を断たれた家族はどうするんでしょう?
関係を断ってくれるんでしょうか?
それはないですよね、そうしてくれるなら追い詰められる事なかったわけですから。
確かに、今まであなたが望んでいた関係性、距離感ではなかったのかもしれません。
逃げたくなるほど追い詰められていたことに気づいてくれなかったのかもしれません。
本当に助けて欲しかった時に、助けてくれなかったのかもしれません。
すごく悩んだんでしょうね、すごく苦しかったんでしょうね。
それを伝える、という意味でも連絡手段を絶ったのかもしれません。

同じ苦しみを、連絡手段を断たれた家族は味わっているんではないでしょうか?
それを伝える、関係を修復したいという連絡手段もないので、ずーっと苦しみは続くので、より深くなるかもしれません。
本当に、そこまであなたは相手を苦しめたいんでしょうか?

人は過ちを犯す生き物です。と同時に自分の過ちに気づいて正す事が出来る生き物でもあります。
対して、許す、という事もできる生き物です。
どうせずーっと続いていく関係なら、お互いにいい関係のほうがいいですよね。
今まではいい関係ではなかったのかもしれません。
今までは今まで、これからはこれから、です。
もちろん、わだかまりはあると思います。
それも、お互いに真剣に話し合うと、歩み寄ることが出来ると思います。
歩み寄るということは、わだかまりも同時に解消されているものです。
踏み出す一歩、とんでもなく困難な一歩だと思います。
自分には無理だ、と思うかもしれません。
そんな時は、自分には(今は)無理だ、と考えて見てください。
今はまだその時ではないのかもしれませんが、いずれその時がくるかもしれません。
その時がきたら、あなたの一歩で、もう一度、あなた自身も、そして家族にもやり直す機会を与えて下さい。
きっと今度はうまくいく、と僕は信じています。

仕事を任せる ~ある格闘競技(?)の結果を見て~

上に立つ者の条件として、仕事を任せるというのがあります。
当たり前に感じるかもしれませんが、それは上手くいってる時だけを想定してるんではないでしょうか。
任せた相手が失敗した時に、実は上に立つ者の資質が問われるんです。
失敗したときに、自分はその責任を負う事ができるのか、それも考えて初めて任せる事が出来るのではないでしょうか。
責任が取れない時は、言い訳が出てきます。それは仕方のない事かもしれませんが、聞く方としては気持ちのいいものではないですよね。

さて、確かに、ある団体のルールだと、条件を満たさない相手なら、失敗しても何も失わないという項目があったみたいです。
相手は、条件を満たさないどころか、開き直って、今まで見たことがない行動に出ていました。
もちろん、この相手は最低限の条件も満たさなかったので、既にその時点で失っています。
ただ、残念なことに、二つの団体の統一というイベントでしたんで、擦り合わせが必要になります。
擦り合わせの結果、失敗した場合、失うということで、なんとかイベントを盛り上げようとしました。
成功もしくは引き分けで統一、失敗したら失う、という擦り合わせのルールを発表したんです。
成功したら、本当に盛り上がったことでしょうね。
ところが、結果、失敗してしまったんです。
さて、ここで困ったことが急に浮上してきました。
失敗してしまったので、失うはずが、失わないなんて言い出してしまったんですよね。
うちのルールだと条件を満たさない相手だからと言い出して・・・。
まさかそんな相手に負けるはずがない、と成功しか考えていなかったんでしょうか?
失敗を想定してないから、いざその時になったら、言い訳を始める。
聞く方としては、気持ちのいいものではないですよね。

では、失敗してしまった人はどういう気持ちになるんでしょうか?
よかったあ、ですかね。それとも、なんでそこまでするんだ、ですかね。
どちらかは分かりませんが、非常に居心地悪く感じてるでしょうね。

何を守りたいのか分かりませんが、間違いなく人気も人も離れてくでしょうね。
あえてそう仕向けて、実が熟するのを待ってる、なんて考えてたら凄いですけどね。

言いたい時に、言いたい事を適切に伝える

僕は昔から文房具も好きで、ついつい必要ないものも買っちゃうんです。
で、実は週末に、ボールペンの替え芯を買いにあるお店に行ったんです。
で、そこでネットでは売り切れ状態になってたペンを見つけてしまったんです。
うわあ、どうしよう、確かに欲しかったけど、ペン余るぐらい持ってるしなあ、でもなあ・・・。

これも昔からなんですが、決断は割と早い方です。ホント買い物早いんですよね。
いつも一緒に買い物に行く人、誰彼かまわず言われますね。
本当に困った事ではないですので、自分の個性として受け入れていますが・・・。
と、言い訳を入れてるぐらいですから、お察しの通り、買っちゃいました。

で、ここから本題なんですが、ネットで見てるぐらいですから、値段は把握しています。
で、いざショーケースから出してもらって、会計になった時に、その把握してる値段ではなかったんです。
確かに、値札見て買い物したわけではないですので、商品に値札ついてるかどうかも確認してません。
どれだけ値段が違ったかというと、6千円高く言われました。
もちろん、その場で、”そんな高い?”と聞き返しました。
店員は、丁寧に、”値札をお持ちしますね”、と断ってその場を離れました。
その商品には、ちょっとしたカタログも付いていたので、僕の選んだペンも出ています。
で、実際店員が持ってきた値札は、別の商品の値札でした。

すぐにその場で、店員も非を認め、謝りました。
僕は、お客として、”値段を把握してたからよかったけど、知らなければその値段払っていたんだよ”、と一言言っておきました。それで、終わりです。もちろん、今後もそのお店に買い物に行きます。

普通かどうかはわかりませんが、トラブルなんてこんなものです。
言いたい時に、言いたい事を適切に伝えられれば、問題は起こらないんです。
怒りって悪い感情に思うかもしれません。でも、喜怒哀楽って言葉になるぐらい、必要なものなんです。
感情は自然に出るもの、それを素直に認めれば、何も問題になりません。
嬉しい事を素直に認める、出来ますよね。なぜ、怒りはダメなんでしょう?
そんな事はないはずです。だって、同じ感情です。むしろ、適切に出さないから、爆発するんです。

どうでしょう?僕のエピソードから何か得るものがあれば、頑張って一日に二つupしたかいもありますね。
流石に今後は難しいでしょうが・・・。なんせ、適度に頑張る、ですからね。

適度に~する

前回こらむでも最後に、可もなく不可もなく、と触れました。
以前にも、メインタイトルで書くぐらい、僕の中では重要なキーワードだなって考えています。
どうして、それほど重要視してるか、今回書いてみようと思います。

実は、可もなく不可もなく、と同じ意味合いで以前から使っている言葉が、適度に~してね、です。
主に使うのは、仕事(カウンセラー)を離れたプライベートです。
この言葉って、言われた相手が自分の判断で決めれるかなって思い、使い始めました。
例えば、適度に頑張ってね、と使ったとします。
自分でちょっとしんどいなあって感じてる人は、適度に力を抜こうかなって判断してくれるかもしれません。
自分でちょっと頑張り足りないなあって感じてる人は、適度に頑張ろうかなって判断してくれるかもしれません。
適度に頑張ってる人は、そのままの文面でとらえてくれるかもしれません。
あくまでも、判断基準は相手に任せる、という意味合いの言葉です。

自分で物事を解決出来る人は、僕も含めてですが、ある意味純粋ではない、と言えるかもしれません。
まさしく、適度に~する、ですね。
どう言う事かというと、困った事が起こったとしても、上手く教えられた事(自分で決めた事)を状況に応じて変化できるんです。上手く解釈出来る、ですかね。原則と例外を作っちゃうとか・・・。
それって、元々の教えられた事(自分で決めた事)とは違っていますよね。
ですから、純粋ではない、といえるかなと・・・。
もちろん、僕自分も含めてですので、悪い意味ではありませんよ、僕は自分好きですんで(笑)

物事には、丁度いい位置関係があります。
距離感、といってもいいかもしれませんね。
親子関係、仕事関係、友達関係、夫婦関係、それぞれ人に寄って立ち位置って違っていますよね。
では、適度に仲良くね、と使ったとします。
ちょっと踏み込み過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を取ろうとするかもしれません。
ちょっと離れ過ぎてるなあって感じてる人は、適度に距離を縮めようとするかもしれません。
そういう人は、相手との関係で、思い当たる事があるわけです。
それは、本人にしか分かりません。
ですから、ここも判断基準は相手に任せる、です。

相手に任せるって、冷たいなあって感じますか?
では、こう言い換えるとどうですか?
相手を信じてるから、相手に任せてる、です。
信じるってのは、信じる事によって、信じた自分も責任も負ってるんです。
これが丁度いい距離感ではないかと、僕は思っています。

手を差し伸べるのは、本当の意味では、自分が楽をしたい、とも言えます。
自分が相手をコントロールできるから、少なくとも自分の不安はなくなりますよね。
でも、相手が自分で解決できる可能性も、奪ってしまっているんです。
大事なのは、見極め、ではないでしょうか?
ここまでは、大丈夫、でも、これ以上はキツイかも・・・。
そんな時は、一言、”大丈夫?”、と聞いてみましょう。
”大丈夫だよ”なら、見守ってみましょう。それだけでも、心強いものです。
”大丈夫じゃないかも”、なら、手を差し伸べてみましょう。今はまだ、解決出来ないのでしょう。
何か日常生活に弊害が出だしたら、”何かあった?”で見極められるかもしれません。

たった一言、されど一言、コミュニケーションはこれだけでも、十分成り立ちます。
大切なのは、必要な時に必要な事をする事、だけです。

では、適度に出来ない時は、どうすればいいんでしょう?
それは、自分一人で解決するのは、難しいかもしれませんね。
今までも周りの人に相談しても解決できない状態なんでしょうね。
そんな時の為に、プロのカウンセラーがいるんです。
体調悪い時は、病院に行ってお医者さんに診てもらいますよね。
それと同じです、心の調子が悪い時は、カウンセラーです。
きっとあなたの助けになると思いますよ。

 

 

 

 

 

 

家庭料理で考えてみる

このこらむでも頻繁に取り上げているんですが、悩み事のの大半は人間関係のトラブルといっても過言ではありません。それぐらい人間関係って難しいもんなんですよね。
では、なぜそれだけ人間関係ってこじれるんでしょうか?
それは、自分の考え方がある以上、相手にも考え方があるから仕方ないわけなんです。
て、そんな一言で納得できるならいいんですが、そんな簡単ではないですよね。
てなわけで、今回は少しだけ深く考えてみますね。

カウンセリングという仕事を少しだけ説明しますと、困った出来事を深く掘り下げていくんです。
日常会話とは違ったアプローチで進めていくわけです。
そんな作業をすると、60分という時間は感覚的に短く感じます。
それぐらいカウンセリングの場というのは、非日常的空間になるんです。
本当に不思議な空間だなと、提供している自分でも思ってしまいますね。
で、掘り下げていくとどうなるかというと、全てとはいいませんが、問題が全く違う問題になっていくんです。
どんなふうになるかというと、大半は、家族関係の問題になっていくんですよ。
不思議に思いますか?でも、実は全然不思議でもなんでもないんですよ。

友達の家でご飯をご馳走になった時、結婚されて初めて家庭料理を食べた時、戸惑った経験はないですか?
食事というものは、ある意味長年の習慣の積み重ねともいえます。
家庭料理って、その家族では当たり前のルールが分かりやすく見える形で表現されているんです。
夫婦といっても元は他人同士です。お互いの育ってきた家庭料理でも違いがあるわけです。
目に見える食事で違いがあっても、まだ見えるものだから、違和感があればお互いに話し合って、新しい家庭料理というものが出来上がっていくのではないでしょうか。

では、お互いの育ってきた家庭にもそれぞれの価値観がありますよね。こちらは目で見えません。
どんな時に、その違いに気づくんでしょうか?
それは、子供を育てる時に価値観の違いが出てくるのではないでしょうか。
価値観はその人の常識ともいえますから、違いがあるのならお互いに歩み寄るって難しいかもしれません。
ましてや大事な自分たちの子供です。自分が育ってきた価値観が一番だと自分が証明してるわけです。
もちろん、相手も同じです。相手の存在が相手の価値観を証明しているんです。
自分に自信があればあるほど、譲れないものですよね。喧嘩になっちゃうかもしれませんね。
では、そんな両親を見て、子供はどう感じるんでしょうか?
自分の為を思って喧嘩しているんだ、なんて考えないでしょうね。それは自分達大人の考えです。
自分の存在で喧嘩しているんだ、ではないでしょうか?
そして、子供なりに考えて対策を立てるんです。その対策はその家庭では有効です。
なぜなら、その家庭の価値観にあった対策だからです。それがその子供の常識になるわけです。

子供の頃決断した対策が、今、問題を起こしているわけです。
これは、家庭料理と一緒で、自分には当たり前のことです。
目に見えないものですから、表面的には分かりません。
問題を深く掘り下げていかない限り、問題の核心である、この決断には到達しません。
多分、今までも同じような事はあったんではないでしょうか。
その時は、目に見える表面的な対策しかしていないわけです。
ですから、同じことが繰り返されるんです。
そう考えると、人間関係のトラブルが多いのも納得できるんではないでしょうか。

もう一言付け足すと、誰も悪者はいないんです。
誰の責任でもないんです。
だって、自分の両親も子供だった時はもちろんあるんです。
同じように育ってきたと想像できますよね。
誰かに責任を押し付けるのではなく、今、困っているのは誰なのか、それは自分ですよね。
自分で決断したことを、成長した今の自分がもう一度決断し直すのが、建設的ではないんでしょうか。
そうすると、不思議に思うぐらい変化が訪れるかもしれませんよ。

物事は可もなく不可もなく

仕事関係、友人関係、夫婦関係、等々でいつも聞き役で疲れるって経験した事はないですか?
なんで聞いているだけでこんなに疲れるんだろうって不思議に思った事はないですか?
どうして、話しを聞いているだけで疲れてしまうんでしょうね。

カウンセラーは人の話を聴く事が基本です。
相手に話をしてもらって、初めて仕事になります。
ですから、もちろん話を促すテクニック等も使っています。
でも、もちろん話すように強要はしません。沈黙も重要な意味を持っているからです。
待つのも大事な仕事なんです。
では、話しを聴く毎にカウンセラーは疲れ果てるんでしょうか?
答えはノーです。もし、疲れ果てるカウンセラーがいるなら、ちょっと(かなり)問題ですね。

以前、親友に聞かれた事があります。
”人の悩みを聞くなんて、めっちゃしんどくない?”って・・・。
その親友は、間違いなく聞き役に回ってしんどい経験をしたわけです。
その当時はまだ僕も勉強中でしたので、仕事としてやってく事を純粋に心配してくれたわけです。
本当、親友って存在はありがたいですよね。

そんな昔話も織り交ぜ、最近、質問も受けましたので、今回テーマとして取り上げてみました。

さて、それでは一体何が違うんでしょうね?
まずは、問題の、なぜ疲れるのかを考えてみて下さい。
どうでしょう、相手の話しを聞く時、一緒に感情も受け入れていませんか?俗にいう感情移入です。
相手に感情移入することは、本当に素晴らしいことです。相手はすごく喜んでいることでしょう。
でも、待ってください、なら、どうして同じ感情なのに、自分だけ疲れるんでしょう。
同じなら、お互い一緒の状態になるはずですよね。でも、違いが出ている・・・。
それは、感情移入は、実は自分の感情を当てはめているからなんです。

例えば、愚痴とか人の悪口とかどう考えてもいい感情ではないですよね。
選り分けるなら、負の感情となるんでしょうかね。
それを持ち続けるのは、どう考えてもいい結果にはなりませんよね。
ですから、例えが悪いかもしれませんが、毒を吐き出すように、話すわけです。
それはスッキリしますよね、だって毒を出しているんですから。
では、聞いてるあなたはどういう思いでその毒を聞いているんでしょうか?
自分に押し付けられたと感じているんではないでしょうか?
それが続くと、あなたは相手をどのように見てしまうんでしょうね?

怒った事を話している相手が、いつの間にか戸惑っているなんて経験はないですか?
もしあるなら、それは、ズレが生じているんです。
当たり前ですよね、相手と自分は違う人間ですから、同じ感情でも違いが生じるのは当然なんです。
さらに、相手はその話をしている経験は既に時間が経っているんです。冷静になる時間があったわけです。
対するあなたは、今 聞いたわけです。ですから、生じる感情も強くなるわけです。
同じ経験をしていたなら尚更です。自分の経験も思い出されて自分の事のように感じてしまうでしょう。

どうです、ぱっと出して見ましたが、片寄ってますよね。
片寄って不均衡が生じていますので、いずれ破綻するのは目に見えてるんですよ。
何事にも当てはまると思いますが、物事は可もなく不可もなく、です。
負担になってるなって感じたら、相手の荷物を余計に持ってしまっているんです。
なら、戻し過ぎないように、相手に返してあげましょう。
”あなたの問題だよね”って、可もなく不可もなく、です。

最後に断わっておきますが、感情は自然に生じるものです。
良い感情もあれば、もちろん悪い感情もあります。(実は良い悪いではないのですが)
ですから、早めに適切に処理出来ればいいのですが、なかなか難しい事なんです。
愚痴や人の悪口を言う人も、そうしたくてしているわけではないと思います。
ですから、困ったちゃんだなあって暖かい目で見て上げてくださいね。
もちろん、可もなく不可もなく、です。

 

 

共存関係って

前回、共生関係について書いてみました。
今回、対する、共存関係について書いてみたいと思います。
むしろ、考え方としては、この共存関係の考え方が出来れば対人関係のストレスは間違いなく減ると思われます。
対人関係で悩んでいる人には、ちょっとだけ参考にしてもらえば楽になるかもしれません。
ただし、物事には必ずいい面もあれば悪い面もあります。悪い面も今回は触れてみたいと思います。
それも考慮にいれて、うまく取り入れてもらえれば幸いです。

さて、そんな共存関係とは一体どんな関係なんでしょう。
前回同様、"共に存在する"関係と、漢字から推測してもいいんではないでしょうか。
つまり、お互いに存在を認めるのが前提なんです。
それでは、存在を認めるとは、いったいどんなことなんでしょう?
簡単に述べてみると、自分の考え方がある以上、もちろん、相手にも考え方がある、というのが前提なんです。
同じ考え方の相手なら全く問題はないですよね。
問題になるのは、考え方が違う相手と出会った時が多いんではないでしょうか?
そんな時は、なんであんな事するのかなあ、理解に苦しむなあって思っちゃいますよね。

でも、そもそも、なぜ理解に苦しむ必要があるんでしょう?
相手は理解して欲しいなんて思っているんでしょうか?
理解しようとしているのは、自分の勝手な思い込みなんです。相手が望んでいるわけではないんです。
さらに困ったことに、自分の考え方で判断してますんで、ズレが間違いなく生じる結果になっちゃうんです。
そもそも、考え方が違うわけですから、相手の事を理解できるわけないんです。
本当に相手を理解したいなら、相手に聞くしか方法はないんですよね。
それをしないから、いつまでもズレたままなんです。

そもそも厳密に考えるなら、全く同じ考え方の人って存在しないんではないでしょうか?
だって、誰だって自分とは違う時間を過ごしてきたんんです。なら、全く一緒のはずないですよね。
一緒だと勝手に自分が思い込んでしまうのが、問題なんです。
自分が一番相手の事を理解しているって考え方は、陥りやすく正しいような気になってしまう誤った思考の一つです。
最初はいいんですが、いずれズレが大きくなってしまうんではないでしょうか?

大事なのは、自分の考え方もありだし、相手の考え方もありだよって事です。
同じである必要なんてないし、違ってても共に在ればいいんじゃないのって考え方です。

悪い面としては、お気づきかもしれませんが、感情的より理性的に偏りがちな点です。
感情的な人からしてみれば、非常に冷たい人って印象を持たれてしまうかもしれません。
というか、持たれますね、本当に。
でも、それもありだなって考えてしまうんです。だって、それは相手の考えですからね。
適切な距離感を取れれば問題ないんですが、取れないなら、かなり辛いかもしれませんね。
そんな時は、なぜ(自分が)距離感を取れないのか、考えてみて下さい。
前回の共生関係と違い、お互いにお互いを必要としてないので、結びつきも比べると強くはないです。
激しくないと表現した方がいいかもしれませんね。ただし、安心感、安定感はあります。

自分にとって、一番楽になれる考え方が出来ればいいですよね。

 

共生関係ってどうなの?

共生関係ってどう思います?
っていきなり聞かれても答えようないですよね。
”共に生きる”関係って漢字から推測してもらえばいいかもしれないですね。
共に生きるって、なんか、いい関係って思っちゃいませんか?

実際、共生関係になってる人間関係は非常に結びつきが強いです。
何故なら、お互いがお互いを必要としているんです。まさに二人で一人って関係ですね。
お互いの利害関係が一致しているって言っても過言ではないですね。二人の間では、ですが。

そうなんです、二人の間ではいいんですが、周りから見るとちょっと首を傾げたくなっちゃう関係なんですよ。
二人で一人ですから、周りからしてみるとどうしても違和感があるんですよね。
で、悲しい事にどうしても人間ってのは違和感を修正したくなっちゃうんです。
その違和感を修正する為に周りは干渉するんですよね。

でも、困った事に、当の本人達は違和感なんて全く感じていないんです。
だって、お互いに必要としているわけですから。むしろ、干渉を理不尽に感じるんじゃないでしょうか?

どうなんでしょう?無理矢理干渉して関係を悪化させるのがいいんでしょうか?
それだとなんか嫌な感じになっちゃいますよね。なら、今はしない方がいいんではないでしょうか?
物事にはタイミングがあります。その時になると、自然にそうなるようになってると思います。
その時に、適切に関わるのがいいんではないのかなと、個人的には思います。

そうですね、共生関係が終わった時の感覚って、自分の半身がなくなった感覚を感じるかもしれません。
半身がなくなる感覚なんて誰だって味わいたくないですよね。
その感覚を味わった後は、また違う関係が出来上がるのかもしれませんが、あくまでも後ですので。
一つの参考として考えて頂ければ幸いです。

 

誰でも世界の中心は自分である

世界の中心は自分である、なんて聞くとどう感じますか?
物語の主人公になったような気分になりませんか?
ある意味、そうなんです。
物語には、ストーリーがあって、話しの展開上どうしても主人公視点になります。
では、登場人物は主人公だけでしょうか?
もちろん、違いますよね。他の魅力的な登場人物がいて、ストーリーを盛り上げますよね。
それだけではなく、ちょっとした脇役もいますよね。
一つの大きな目的を達成するために、登場人物は互いに協力して物語は進行していきます。

前ふりが長くなっちゃいました。
何が言いたいかというと、人は自分の視点でしか物事を見れないということなんです。
自分の価値観で世界を見るから、見たいように見てしまうんです。
厳しい人、優しい人、怖い人、面白い人、等々色々な人がいると思います。
でも、こんな経験はないですか?同じ人物なのに、人によって評価が違うって経験は?

それが世界を見たいように見てしまうことなんです。
納得できないなら、(自分にとって)と付けて下さい。
逆に、人からの評価が納得できない人は、(あなたにとって)と付けてみて下さい。
どうでしょう、しっくりきませんか?

人は、それぞれ個性があります。ですから、衝突する時はもちろんあります。
その時に、自分は自分が見たいように見ている、相手も相手が見たいように見ている、
だって、誰でも世界の中心は自分だもんなあって、頭の片隅にでも置いといてみて下さい。
悩みを解決するアイテムになるかもしれませんよ。

中には、自分は今まで人に合わせてきたから無個性ですよって人もいるかもしれません。
でも、それも無個性という個性ではないんでしょうか?
人に合わせてきたという世界の中心にいるわけですから。

最後に、前ふりの話しに戻りますが、一つの大きな目的を決めたのは誰なんでしょうか?
そうです、作者ですよね。作者の考えに沿って、登場人物は動くわけです。
ですから、物語って作り変える事もできますよね。視点を変えて物語を作るってのもありでしょうし。
世界の中心は自分ですから、その世界にもし違和感を感じることがあるなら、作り変える事も出来ます。
まずはやるかやらないか、その後に出来るか出来ないか、そうなるんではないでしょうかね。

 

 

自意識"過剰"の意味

最近、自意識過剰って言葉を聞く機会が個人的に多い気がします。
実は今回、テーマとして決めた時に、僕の中でもふっと思い出したエピソードがあります。

思春期真っ只中に、"自意識過剰なんじゃない"ってクラスメートに言われた事がありました。
いつの頃とか詳しくは書かないですが、けっこう鮮明に思い出しました。
いやあ、当時けっこう嫌な気分になりましたねえ。
なんでお前に言われないかんのやって・・・。
それから、どうしたかというと、話しかけられてもその人を意識的に避けるようになりました。
ホント、思春期真っ只中、若いですよねえ、我ながら・・・。

今思えば、そんな時期だったんだろうなって思えます。
でもその当時は、自分でも嫌になるぐらい周りを意識していました。
まさに分かってるのに、止められない状態ですね。

自分が思う以上に他人は気にしていないって分かってるんですよね。
言われるまでもなく・・・。
でも、どうしても気になってしまう。
どうしてなんでしょう?

それは、言葉通り、自分の意識に過剰に反応するからなんです。
つまり、自分が気にしている事、欠点とかになると考えられます。
人によっては、欠点に思えないよなあって事柄があるかもしれません。
でも、実はさらに深く追求してみると、欠点を隠す為にその事柄が表に出てる事が多いです。
人間の心理って、ホント凄いですよね。うまく隠しちゃうんですよ、自分でも気づかないのに。
知れば知るほど、心理の複雑さ、その深さに興味が尽きません。

では、どうすればいいんでしょう?

それは問題が絞られたので、これから自分がどうしたいか考えてみるのがいいのではないでしょうか。

”自分はどうしたい?どうなりたいんだろう?”

それだけでも、大分違ってくると思いますよ。