free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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見方を変えるということ

少し前の話しになりますが、仕事としてではなく、ある人とちょっとだけお話しをする機会がありました。
その人は、職場の直属の上司にひどい事を言われ、かなり怒っていました。
一通り話し終えられ、その人がふっと聞いてきました。

「どうしてあんな事言っといて、しばらくしたら、笑いながら話しかけてこれるんだろう?普通、気軽に話し掛けてこないよね。」と・・・。

僕は少し考えて、こう答えました。

「ひょっとかしたらですが、その人は、自分でも言い過ぎたと思っているのかもしれませんよ。自分でも止める事が出来なくて、後で言った事に後悔してるのかも。だから、取り繕う為に、笑いながら気軽に話し掛けてくるのかも。」と・・・。

その人は、笑いながら聞いていましたが、ちょっとだけ、見方が変わったのかもしれません。
今まではそんな事、考えたこともなかったでしょうから。

人は自分の事ですら、理解する事は出来ません。
だから、絶えずカウンセラーである僕も自己洞察を欠かしません。
何か自分に違和感を感じたとき、
”今、何を感じたんだろう”と、自問自答をします。

自分の事ですら分からないのに、人の事は本当に理解できるんでしょうか?
僕の答えは、NOです。
ですから、僕は相手を理解する為に、自分が感じたことを相手に確認します。
そして、答えを擦り合わせて理解するようにしています。
そうしなければ、ただの思い込みになってしまいます。
思い込みほど、厄介なものはありません。

厄介なものですが、どうしても人は思い込みというものをしてしまいます。
どうせするものなら、上手く使いこなしてみませんか?
相手を悪く見るのは簡単です。
人は自分が可愛いものです。
相手を悪者にすることによって、自分を正当化してしまいます。
それが嫌な人もいるでしょう。
そんな人は、今度は相手を良く見すぎる思い込みをしてしまいます。
それはそれで無理があるので、長続きしません。

ほんの少しだけの、適度な思い込みでいいんです。
これなら、あるかも、という思い込みをしてみませんか?
そんな思い込みをしてみると、相手の見方が変わり、今までと違う事が起きるかもしれませんよ。

私の両親送迎 嫌がる義母

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
それでは、どうぞお付き合い下さい。

今回は、義母と互いの欠点をうまく補ってきて、結婚三十年、仲良く暮らしてきた主婦の方です。
最近、実家の母の入退院や父の認知症などで両親の事を心配してるとのことです。
両親の為に買い物や病院の送迎をしたいのに、義母には「タクシーを呼べばいいのに」と言われ、いい顔をされないとのことです。
義母の病院の送迎はこの方がしているのに、どうしたら快く行かせてもらえるか、困っているとのことです。

なるほど、なかなか難しい問題ですね。
義母の送迎と同じ事を実の両親にするだけなのに、快く行かせてもらいたいですよね。
では、一体どうしたらいいんでしょう。

さて、義母との関係ですが、お互いの欠点をうまく補って仲良く暮らしているんですよね。
そこまでの関係って、なかなかできるものではないと思います。
その関係を上手く使うってのは、どうなんでしょうね。

確かに、義母が言うように、タクシーを呼んでも用事は済ます事は出来ますよね。
でも、それでは両親を心配する気持ちが収まらないんですよね。
なら、それを説明すれば、分かってくれるのではないでしょうか?
三十年という長い年月を仲良く暮らしてきたという、義母との関係なら、大丈夫のような気がします。
分からないから、いい顔をしてないだけかもしれません。
となると、ちゃんと説明してもらって、分かりさえすれば、快くいい顔で行かせてくれるかもしれません。

互いの欠点をうまく補ってるのは、この方一人だけではなく、義母も同じようにされてるからですよね。
なら、今まで同様、今回もお二人なら、何も問題はないのではないかなと、僕は思います。

 

「ちゃんと説明できるのか」 小保方氏 会見へ心揺れる を読んで

いまさら説明が不要なニュースですよね。
でも、この一連の出来事で、小保方氏は心身の不調で病院に入院しています。

今はグローバル化の時代です。
世紀の発見として取り上げられることは、世界中に自分の存在を知られる事になります。
それは、今までの苦労が報われて、非常に嬉しい事でしょう。

では、それが手のひらを返すようになったら・・・。
世界中に自分の存在を知られています。
想像できないほどの苦しみでしょう。
とてつもない、ストレスだと思います。

「私の口からきちんと説明します」
「説明しようとしたら遮られ、言いたいことを言えなかった」
「不安な気持ちでいっぱいです。でも頑張ります。支えてください」

小保方氏は、言いたいことを言う為に、会場の費用も負担し、会見後は病院に戻るとのことです。

小保方氏が、自分の望んでいることができ、自分自身で納得できるのを、
僕は、切に願います。

自分の為に行動する

少し前の話になるんですが、踏み切りで電車が通過するのを待ってる時、見知らぬおじいさんに話しかけられました。
今日の天気の話しから始まり、色々と話しかけてこられました。
お話しを聞いてる間に、電車も通過し、踏み切りが開いて線路を渡り終えても、お話しは続きました。
立ち止まられたので、そのままお話しを聞いてると、本当に話したかった核心が出てきました。

"あ、これを誰かに聞いてほしかったんだろうな"
そう思い、今まで以上に丁寧にお話しを聞かせてもらいました。

一通り話し終えられると、おじいさんは非常に満足されたようで、お礼も言われ、今度お茶でもと誘われました。
丁寧に返事をさせて頂き、お互いに帰途に着きました。

さて、これは僕自信のエピソードです。
このエピソードでどんな事が言いたいかというと、僕もおじいさんもお互い自分の為に行動してる、ということです。
それ以上でもそれ以下でもありません。

おじいさんは、誰かに話を聞いてほしかった。
その場に、たまたま僕がいた。
だから、話しかけてみたら、話しをちゃんと聞いてくれた。
自分の目的が達成されて、満足感を得る事が出来た。
僕は時間もありましたので、断る理由もないので、お話しを聞かせてもらいました。
仕事柄、傾聴は基本ですし、スキルアップにもつながるので、僕にとってもマイナスにはなりません。
おじいさんも満足されたので、僕自身のスキルアップにもなりました。

このように、お互い自分の為に素直に行動しているので、気持ちよく別れることができるんです。

相手の為に、という考え方は大事な考えかただとは思います。
でも、それは本当に相手が望んでいることなのか考慮しないと、相手との間に溝ができます。

大事なのは、相手の為に、自分がしたいから、自分の為に行動する、が大事なのではないかな、と僕は思います。
同じように見えますが、ちょっとの違いで結果は大分違ってきます。
もし、相手にうまく伝わらないなあって悩んでいる時は、ちょっとだけ試してみて下さい。
ひょっとかしたら、今まで上手くいってなかった関係も、上手くいくようになるかもしれませんよ。

自分が我慢すれば、うまくいく・・・ある事件の信念を考えてみる

少し前のニュース記事になりますが、ちょっと気になりましたので今回考えてみたいと思います。
あくまでも、事件にまで発展してしまったケースですので、それも考慮して読んで頂ければ幸いです。

”自分さえ我慢すれば、うまくいく”
ある事件を起こした容疑者の言葉です。
事件の内容はあえて省かせてもらいますが、大なり小なりこの考え方を持たれてる人は多いのではないでしょうか?
なぜなら、対人スキルとしては、短期的には有効な手段だからです。
相手の要求を聞いているわけですから、対人関係はスムーズにいきます。
相手にとっては、これ以上ない、とてもいい関係に感じるでしょう。
ただ、短期的には、です。

いずれ、そのまま続けていると、喧嘩になるでしょう。
喧嘩が増える事は、決して悪い事ではありません。
それは、親密さを増しているからとも言い換えれます。
親密な関係だからこそ、喧嘩は起こります。
親密な関係だからこそ、自分が我慢していたことを分かって欲しいという期待が生まれるのかもしれません。
それを受け入れもらえれれば、うまく修正がすんで、この点は問題がなくなるでしょう。

受け入れてもらえない時は?
同じ事を繰り返す(我慢する)か、はたまた関係が破綻するか、押し通すか、色々あるでしょう。
でも、多分ですが、他の事柄にしても、我慢してしまっている事は多々あるのではないでしょうか?
ですから、その個々について、いずれ喧嘩になるのが推測されます。
喧嘩になって、また修正されていく。
それが繰り返される。
ちょっと、疲れちゃいますよね、お互いに。

誰かの犠牲の上に、よりよい関係は成り立ちません。
他人の事はよくわかりますが、人間というものは、自分自身の事は案外気づきにくいものです。
そのような人は、自分の事は多分勘定に入っていないのではないでしょうか。
誰か、の中には、当然、自分も含まれています。
自分も含めての、相手との関係です。
どうせ築くなら、よりよい関係にしたいですよね。

やむなく退職、夫が非難

今回も、中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
それでは、どうぞお付き合いください。

今回の相談は、長年、正社員として働いた会社を辞められた主婦の方です。
子育てをしながら家も建て、頑張ってきたみたいですが、子どものために転勤を断り、退職せざるを得なかったとのことです。
ご主人は、収入が大幅に減ることで、将来への不安から退職に反対だったそうです。
夫婦でこのつらい選択を共有し、励まし合えると思っていたのに"勝手に辞めやがって"と言われ、その薄情さに悲しい気持ちでいっぱいです、とのことです。

なるほど、辞めたくて辞めたわけではないのに、"勝手に辞めやがって"の言葉が薄情に聞こえ、悲しい気持ちでいっぱいなんですね。
つらい選択をしたのに、その気持ちを受け止めてもらえなくて、本当に辛い思いをしたんだろうなと僕は感じました。

さて、これはなかなか難しい問題ですね。
それではちょっと、整理してみましょうか?

この方は、子どものために転勤を断り、退職をせざるを得なかったんですね。
そして、そのつらい選択を夫婦で共有し、励まし合えると思っていたんですね。
一方、ご主人は、収入が大幅に減ることによる将来への不安から、退職に反対だったんですね。
そして、"勝手に辞めやがって"と発言されたんですね。

ちょっと気になったんですが、ひょっとかして、話し合いは結論出ていなかったんではないでしょうか?
結論が出ていないのに、退職の選択をされたのではないんですかね。
だから、ご主人は"勝手に~"と言われたのではないでしょうか?
その言葉の中には、将来に対する不安な気持ちを受け入れてもらえなく、逆に薄情だという思いがあるのかもしれません。
となると、意見が分かれているのに、自分の意見と違う選択を、はたして共有できるんでしょうか?
多分、できないんではないでしょうかね。

では、どうすればいいんでしょう?

話し合いを途中で切り上げてしまうと、わだかまりが残る事が多いです。
今回も、二人とも、自分の意見を受け入れてもらえず、わだかまりが残ってるのではないでしょうか?
本当に退職しなければならなかったのか、
収入が大幅に減る事に対する対策は何かなかったのか、
それがクリアされれば、わだかまりも消えるのではないんですかね。

退職はもう決定事項ですので、仕方ありません。
となると、あとは大幅に減る収入を少しでも多くすれば、将来に対する不安は減りますよね。
新しい仕事は決めてたんでしょうか?
多分、決めていないんではないでしょうかね?
となると、まずは具体的な対策を立ててみてはどうでしょう。
それが達成されて、初めてつらい選択を共有し、励まし合えると思いますよ。

予想外の出来事

つい最近のことですが、買い物をして、レジを打ってもらった時の話しです。
その店員さんは、最近入ったみたいで、胸に研修中のバッチがついていました。
研修中というわけではないでしょうが、非常に丁寧なお辞儀をゆっくりしながら、「いらっしゃいませ。」で始まり、値段を復唱しながら籠につめていきます。
会計を済ませて、立ち去ろうとしたら、「いらっしゃいませ。」と言われてしまいました。
あまり気にもした事ないのですが、予想外の言葉を掛けられると、立ち止まってしまうものですね。
立ち止まって、店員さんの顔を見ながら、しばし、時が止まりました。

「?」
店員さんの反応です。それはそうでしょうね。
僕も、今まさに、予想外の行動をしているわけです。

「ありがとうございます、だよね。」
「?」
「今、いらっしゃいませって言ってたよ。」
「本当ですか!?申し訳ございません。」
「いえいえ、いいですよ~。」

とまあ、こんな事がありました。

緊張していたから言い間違えたのか、他事に気を取られて間違えたのか、それは本人にしか分かりません。
大事なのは、相手の事ではなく、自分が気になったことを伝えるかどうか、です。

相手を気遣って言わないやさしさもあれば、間違いを指摘するやさしさもあると思います。
指摘されないと、人は気づかないものです。
気付かないから、同じ過ちを繰り返します。
もちろん、気づいても同じ過ちを繰り返す事もありますが・・・。

伝えるなら、適切に、簡潔に、相手に伝わり易く、です。

あ、あと、伝えないなら、不審な行動は取らないように、です。
でないと、”変な人”扱いになっちゃいますので・・・。

妻との第二の人生に悩む

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
どうぞ、お付き合い下さい。

今回の方は、退職後の奥さんとの暮らしで悩んでいるとのことです。
奥さんは気難しい性格で、物事の判断が自分の気分次第。
思い通りにならないとこの方と息子さんたち、学校や地域の人にまで文句を言い、恥ずかしい限り。
定年が迫り、この先ずっと奥さんと過ごす生活が待っているかと思うと、気分が沈むとのことです。
これまでのように聞き役に徹し、波風を立てないことを第一としていくよりないのでしょうか、とのことです。

なるほど、奥さんが気難しい性格で、思い通りにならないと周りに文句を言って、恥ずかしい思いをしてるんですね。
今はまだ仕事で会社で過ごせるけど、定年になったらずっと一緒に過ごす生活を思うと、気分が沈むんですね。
聞き役に徹し、波風を立てないことを第一としていくしかないのか、と考えているんですね。

さて、なかなか難しい問題ですね。
それでは、ちょっと考えてみましょうか。

どうでしょう、思い通りにならないと、程度の差はあれ、嫌な気持ちにならないでしょうか?
どうしてなんだろうって思う事、あるんじゃないでしょうかね?
そんな時って、誰かに愚痴を言いたくなることはありませんか?
その愚痴を聞いてもらえると、スッキリするって経験は、誰でも一度はあるのではないでしょうか?
となると、これまで取られてきた、聞き役に徹するという方法は、とても素晴らしい方法だと思いますよ。
ただ、徹するというのは、身構えてるようで、ちょっと苦痛に感じてしまうように感じますが・・・。

思い通りにしたい、ではなく、思い通りにならないから文句を言う、ではないんでしょうか?
奥さんは、文句(愚痴)を言って、スッキリしたい。
だから、まず、この方に話す。
でも、スッキリしない。
息子さんたちに話す。
でも、スッキリしない。
学校や地域の人に文句(愚痴)を言う。
そこでやっと、スッキリするか、諦める。

となると、最初で目的を達成さえすれば、学校や地域の人に文句を言って、恥ずかしい思いをする事もなくなるかもしれません。

話しを聞くって、簡単そうで、けっこう難しいものです。
なぜなら、話しを聞いてもらえたって、相手が感じなければならないからです。
こちらがするってわけではなく、正に相手次第なんですよね。
でも、それが達成されると、面白い事に人間関係って変化する可能性があります。
自分が変わる事によって、相手も影響を受けて、変化するんです。
それは、勝手に相手が変わるという事です。
そうなると、今までと違って、良好な関係になる可能性はあります。

話しを聞いてるよって、相手に分かるようにするには、相槌をとりいれると効果的です。
一度、取り入れてみて下さい。
非常に効果的ですよ。

ある日突然、花粉症が治るは本当? を読んで

実は、最近この手の話題をしていたんです。
この記事によると、どうもあくまでも「レアケース」とのことですが、では、僕は「レアケース」のようです。
僕も、花粉症が治ったのかどうか分かりませんが、気にならなくなりました。
これといって、何か対策をしたわけではありません。
以前は、くしゃみ鼻水、目のかゆみ、もうそれはひどいものでした。
でも、最近は苦しまなくなりました。
ですから、今回は、僕がした事を、とりあげてみようと思います。
ひょっとかしたら、そこに何かしらのヒントがあるかもしれません。
なんて書くと、いかにも怪しいですが、まああくまでも個人的体験談として気楽に読んで頂ければ幸いです。
では、お付き合い下さい。

そうですね、まずはインフルエンザが猛威を振るった年に、自己防衛として、マスクを常に着用するようにしましたね。
それまでは、どんだけ花粉症で苦しくても、マスクはしていませんでした。
息苦しいのが嫌でしたので・・・。
最初は本当に息苦しくて、しんどかったんですが、それからは、夏もマスクを着けていましたね。
暑くて大変でしたが・・・。
なんか息苦しいのも慣れると心地よいもので、変な安心感もありましたね。
それから、学校に通って、本格的にカウンセリングを学び始めたのもありますね。
それまでは、独学で学んでいましたが、資格を取りたいと思い立って、入学しました。
結果的には、ここで独学では無理だという事を思い知らされました。
と同時に、とてもたくさんの事を学び、それを消化した、と思います。
心と身体には、密接な関係がある、知識として独学でももちろん学べます。
それが、本当に自分の中で消化されたからこそ、身体にも変化が現れたのではないかな、と今では思っています。

マスクを常に着用するようになった、
カウンセリングを本格的に学んで、資格をとった、
元々、花粉症ではなかったのかもしれない(あり得ないと思いますが、一応)、
とまあ、思い当たるのは、こんな点ですか。

参考になるかどうか分かりませんが、「レアケース」が存在する以上、治る可能性もあるわけです。
どうせなら、楽になりたいですよね。

 

義姉が母に冷たくあたる

今回も中日新聞の ねえねえ ちょっと に掲載された相談について考えてみます。
今回も一部文章の色を変更してあります。
それもあわせて、どうぞお付き合い下さい。

今回は、義姉の希望で、両親がお兄さん一家と同居している娘さんの相談です。
先日、お母さんが一ヶ月入院をしたとのことです。
お母さんは一刻も早く家に帰りたくて、退院日の朝、義姉に連絡すると"朝は忙しい"と言われ、病院で二時間待たされたと聞いた、との事です。
お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見える、とのことです。
育った生活環境で考え方が違うのは十分理解しているつもりですが、こんな仕打ちはないと思う、とのことです。

なるほど、お母さんから二時間待たされたというのを聞いて、こんな仕打ちはないと感じたんですね。
この方から見て、お母さんは義姉の機嫌をうかがっているように見えてるんですね。
本当にお母さんを大切に思われているんでしょうね。
大切に思っているお母さんが待っているのを想像して、義姉が冷たくしている、と考えているんですね。

さて、人間関係のトラブルの元は、実は思い込みが大半を占めています。
~のように見える、というのは、思い込みの可能性がありますね。
それを念頭においてもらうと、客観的に物事が見れるのではないかな、と思います。
この方は、育った生活環境で考え方が違うのは十分理解している、との事ですが、そのように考えれるのは本当に素晴らしいことだと、僕は思います。
ただ、今度はその考えに囚われてしまっているのではないかな、と感じました。
その考えに合わせようとして、今は、思考と感情にズレが生じている状態なのではないでしょうか?
無理に合わせようとすると、どうしてもズレは生じます。
自然に、自分なりの思考になるように消化する、というのも有効だと思います。
すると、そのようなズレは生じなくなるでしょう。

さて、今回このこらむを書くときに、父親に連絡を取って、ある確認をしました。
どんな確認かというと、僕の父親も以前入院していたので、退院のタイミングを確認しました。
それによると、病院側の指定ではなく、患者さん(家族)の指定なんですよね。
となると、退院の時間の目安は病院側と話し合われていたのではないでしょうか?
お母さんを迎えに来る、義姉は、"朝は忙しい"んですよね。
わざわざ日常生活で"忙しい朝"に退院の時間を指定はしないんではないでしょうか?
となると、”忙しい朝”を外した時間に退院する予定になっていたのではないでしょうか?

ここで、それぞれの"真実"が出てきています。
お母さんにとっての"真実"は、"一刻も早く帰りたくて、二時間も待たされた"です。
義姉にとっての"真実"は、"朝は忙しくて、迎えに行くのは無理"です。
どちらにとっても、尊重しなければならない言い分はあります。
ですから、それぞれの"真実"になるんです。

もっとも大事なのは、あなたは"当事者ではない"という"事実"です。
"真実"はそれぞれありますが、"事実"は一つだけです。
自分は"当事者でない"と冷静に考えてみて下さい。
すると、たくさんある"真実"の中からたった一つの"事実"が見えてくるのではないでしょうか。
それを自分だけの為に使うのもいいですし、お母さんと義姉の関係の間を取り持つのもいいでしょう。
あなたがどうしたいか、それによって、変化は訪れると思いますよ。