free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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自分自身

夏といえば・・・。

最近暑い日が続いていますよね。
こんな暑い夏の日の夜といえば、肝試しとか怪談話なんてあまりにも安易すぎますかね。
てなわけで、今回は、そっち関係の話にしてみようかなと思います。

以前、このこらむでも書きましたが、僕は残念ながら、霊感は全くないです。
残念ながらと書くぐらいですから、個人的には見たいって欲求は非常に強いですね。
その代り、不思議な体験は何度か経験しました。
その話を霊感がある当時の知り合いに話したら、うっそだあなんて言われちゃいましたが・・・。
霊感があって困ってる人には本当に申し訳ないです。
好奇心が旺盛な困った奴だなって思って頂ければ幸いです。

今までの知り合いにも、霊感がある人は何人かいました。
で、今回そのうちの一人とお盆休みを利用(?)して、少しだけ突っ込んだ話をしてみました。

その人が言うには、今思うときっかけは、専門学校時代の大阪城だったそうです。
友達数人と夜中の大阪城に行って、ある音を聞いて、非常に気持ち悪くなったそうです。
傍から見ても顔面蒼白というんですか、それまではそんな経験は一度もなかったと言っていました。
それからは霊は見えないんですが、気配があると左腕が痺れて冷たくなるようになったそうです。
あ、ちなみに僕のお気に入りの京都の護国神社はダメなようです。左手がいつも冷たくなっていましたね。

その人の話の中で面白いなって思った事が一つありました。
大阪城に行った後に、霊感が強い友達にある事を言われたそうです。
”なんか悪い霊を連れてきたんじゃないの”って・・・。

実は他の霊感がある知り合いも、当時同じような事を話していました。
その知り合いは中学時代から霊を見るようになったそうですが、大学に入ってもっと霊感が強い友達が出来たそうです。
それから、その知り合いは、飛躍的って表現がいいのかどうか分かりませんが、格段に霊感が強くなったって話していました。心霊体験の話しも本当にリアルでしたね。

どうなんでしょう、共通して僕が感じた事は、理解者が現れると良いか悪いかはともかく人の能力って伸びるのかなって感じました。ただ、その二人ともあまり伸びて欲しくなかったみたいでしたが・・・。

では、理解者が現れなかったら、どうなっていたんでしょうか?
どうなっていたんでしょうかね、見えなくなっていた可能性もあったのかもしれませんね。
ただ、見えてるものを誰にも信じてもらえないってつらいですよね。

最後に以前猫を飼っていたんですが、時々なにか目で追っていたんですよね。
で、いつも最後は尻尾がぼんっておっきくなったんですよ。
あれはなにを追っていたんですかね。

自意識"過剰"の意味

最近、自意識過剰って言葉を聞く機会が個人的に多い気がします。
実は今回、テーマとして決めた時に、僕の中でもふっと思い出したエピソードがあります。

思春期真っ只中に、"自意識過剰なんじゃない"ってクラスメートに言われた事がありました。
いつの頃とか詳しくは書かないですが、けっこう鮮明に思い出しました。
いやあ、当時けっこう嫌な気分になりましたねえ。
なんでお前に言われないかんのやって・・・。
それから、どうしたかというと、話しかけられてもその人を意識的に避けるようになりました。
ホント、思春期真っ只中、若いですよねえ、我ながら・・・。

今思えば、そんな時期だったんだろうなって思えます。
でもその当時は、自分でも嫌になるぐらい周りを意識していました。
まさに分かってるのに、止められない状態ですね。

自分が思う以上に他人は気にしていないって分かってるんですよね。
言われるまでもなく・・・。
でも、どうしても気になってしまう。
どうしてなんでしょう?

それは、言葉通り、自分の意識に過剰に反応するからなんです。
つまり、自分が気にしている事、欠点とかになると考えられます。
人によっては、欠点に思えないよなあって事柄があるかもしれません。
でも、実はさらに深く追求してみると、欠点を隠す為にその事柄が表に出てる事が多いです。
人間の心理って、ホント凄いですよね。うまく隠しちゃうんですよ、自分でも気づかないのに。
知れば知るほど、心理の複雑さ、その深さに興味が尽きません。

では、どうすればいいんでしょう?

それは問題が絞られたので、これから自分がどうしたいか考えてみるのがいいのではないでしょうか。

”自分はどうしたい?どうなりたいんだろう?”

それだけでも、大分違ってくると思いますよ。

困った口癖

みなさん、口癖ってありますか?
僕は、けっこうあるみたいで、よく知り合いに指摘されます。
指摘されて、初めて気づくんですよね。
いやあ本当、自分では気づかないもんですよね。

で、指摘されるぐらいですから、相手にとっては非常に嫌な気分になるみたいです。
本当、気づかずに相手を嫌な気分にしてしまうって困ったことですよね。
なんて他人事みたいに書いてますが・・・。

指摘されたのを聞いた時、確かにそうだよなあって、素直に直そうって思ったんですよ。
でも、これがなかなか直らないんですよね。
指摘されて、意識するようになって、言う頻度は減ったんですが、話しに調子が出てくると出ちゃうんですよね。
癖ってのは、直そうと思うとなかなか手強いですよね。困ったもんです。

なんて手強いなんて言っててもしょうがないし、テーマで取り上げたので、今回じっくり考えてみたいと思います。

今の問題としては、意識してるときは言わなくなったけど、調子よくなると出ちゃうって点ですね。
ということは、言い換えると無意識に言ってしまうってことになりますかね。

なるほど、確かにこれでは、今まで口癖直らないのも仕方ないですね。
問題点をしっかり絞ってなかったので、対策が不十分だったみたいです。
僕自身の信念を検証してみて、当てはまる信念を特定してみました。
その信念を特定するときに、その信念が形成されたであろう場面も浮かんできました。

ある問題にじっくり取り組んでみると、関連した出来事がぱっと出てくるんです。
でも、大事なのは、その時に誤った信念として、自分自身で選択したことをまずは認めることです。
僕も間違いなく、誤った信念として選択してました。
あとは、自分で選択したことなので、自分で新しい信念を選択するだけです。

とまあ、自己洞察としては、このような流れになりますか。
あとは、普段の生活の中で、実際に試してみてどうだったか検証することになりますかね。
近々、実際に検証する場面があると思いますので、続きはその時にでも書きたいと思います。

祇園祭にて

今年も行ってきました、京都の祇園祭。
といっても、実は去年が初めてだったんですよね。
やはり、めっちゃ混むって分かってるとこには行きたくないってのが避けてた理由ですかね、やはり。
なんせ、日本三大祭りの一つですもんねえ。
で、去年はちょうど週末に日程が当たったから、まあ行ってみようかと。
毎年7月14日~16日が宵山、17日が山鉾巡行という日程になっています。

で、去年初めて見た感想は、ほんと一言、スゴいって一言に表されます。
今まで見に行ってなかったのがめっちゃもったいなかったです、素直に悔しいですね。
完全に四条烏丸河原町までの一区画を18時頃から23時まで封鎖だけでもスゴいですからね。
地元の人間ではなく、普段の四条烏丸を見てる人は、これだけでも感動します。

今年は急遽決めたので、京都に着いたのが19時頃、そこから21時まで見て回りました。
帰宅したのは、夜中の1時でしたね。
知り合いには、マジってびっくりされましたが、僕の中では、それだけの価値がありますね。
でも、確かにそれだけの価値あるんですが、それだけなのか、自分自身考えてみました。

京都滞在時間は、ざっと夕食の時間も含めて4時間ぐらいですか。
片道2時間、あらためて考えてみると、移動だけで滞在時間と同じ時間使ってるんですよね。
客観的に考えてみると、これは確かにマジでって思っちゃいますよね、我ながら。
でも、それだけのデメリットを上回るメリットが大きいんですよね。

人は、思考があって、行動を起こします。僕の場合は、迷うことなく、見たいって欲求に忠実なんでしょうね。
逆に言うなれば、行動に迷いがあるのは、思考がはっきりしていないとも言い換えれます。
ただ、物事には、良いも悪いもないと思います。決めるのは、他の誰でもない、自分自身です。
もし、問題になってきたと自分で感じたら、なりたいように自分で試行錯誤してみればいいと思います。
決めるのは自分ですからね。

あ、あと以前経験しているかどうかも、行動に影響を与えるかもしれませんね。
僕の場合ですが、学生時代に京都滞在30分ってのがありました。
いやあ、ムチャしたもんですよねえ・・・。

答えを知りたい欲求について

以前、教えたいという欲求について考えてみました。
今回はそれに対する、答えを知りたいという欲求について考えてみたいと思います。

では、一体どういう時に答えが知りたいと思うんでしょう?

悩んでいる時、もちろんですよね。答え知りたくなりますよね。
どうしたらいいのか分からないのは、本当に苦しいですよね。
あー 答えがあったら楽になれるんだろうなぁって考えますよね。

では、答えがあったら、本当に楽になれるんでしょうか?

こう考えることはできないでしょうか?本当は答えが分かっているから、悩んでいると。

えっ、どう言う事?と思うかもしれませんが、では、なぜ、悩むんでしょう?
できないからに決まってるじゃない、と聞こえてきそうですね。
何に対してできないんでしょう。あなた自身が持ってる答えに対してできないんですよね。

そうなんです、答えを知りたいわけではないんです。多分理想としての答えは持ってるんですよ。
ただ、それが出来ないんですよ。ですから、こうなりたい理想の自分自身をまずは想像してみるんです。
何が出来たらいいんだろうって考えてみるんです。
それが考えられるなら、問題は自分自身で解決できる可能性は高いんじゃないでしょうか?

では、それができないときは?

違う問題点があるんでしょうね、自分自身では気づきにくい問題点が・・・。
ただ、漠然としてたことが具体的になるだけでも、かなり進歩ではないんでしょうか?
一歩とはいいませんが、半歩だけでも踏み込んでみませんか?

心の強弱?

時々、心を強くしたい、メンタル面を強くしたいって話しを聞きます。
強くなれば悩むことなんてなくなるってことみたいです。
傷つけられたくないって気持ちもあるみたいですね。
確かに傷つくのって怖いですよね。出来ればそんな状況を避けたいですよね。
では、心が強ければ悩むことも傷つくことも避けられるんでしょうか?
ちょっと考えてみたいと思います。

強くするってことは、鍛えるってことになるんでしょうか?
てことは、鍛えられる環境にいなければできないですよね。
では、心が鍛えられる環境ってのはどんな環境なんでしょう?
なんか、僕の想像力が片寄ってるのかもしれませんが、非常につらい状況にいるように想像しちゃいますね。
では、心が強い人は、そんな環境をどうやって手に入れたんでしょうか?
なんか施設とかって話しは、個人的に苦手なので、ちょっとスルーさせてもらいます。
それ以外で考えると、あえて自分からそんな環境を作り出してる可能性がありそうですね。
案外気づかないことが多いんですが、状況って自ら作り出してることって意外と多いんです。

なんか非常に抽象的な話しになってきました。
もともと心って概念自体が抽象的だから仕方ないのかもしれません。
なんとなくですが、鍛えるってのは、イコールではないですが、慣れるに近いような気がしてきました。

どうなんでしょう、心が強い=打たれ強いでいいんでしょうか?
場数を踏んで、状況に慣れて、冷静に対処するってことになるんでしょうかね。
どうも個人的に根性論には懐疑的な意見をもってますんで、釈然としないですが・・・。

では、打たれ強い人は悩むことはないんでしょうか?
確かに危険回避能力は高いのかもしれませんねえ。
勝手に問題を解釈して、勝手に理解して、新たな問題を作っちゃう可能性の方が多いような気がしますが・・・。

同じ問題は存在しないと考えて、客観的に冷静に見極めて対処するって事が理想になるんでしょうか?
そんな人ってすごいですよね、素直にそう思います。ただ、近寄りづらいですよね、多分。

どうですか、結論として、今、悩んでることに真剣に向き合ってみる事が大事なんじゃないでしょうか?
とことん向き合ってみて、自分なりの答えを出すのが一番いいような気がします。
時間はかかるかもしれません、かからないかもしれません。
非常につらいかもしれません、つらくないかもしれません。
あくまでも、納得させるのは自分自身です。
自分自身を納得させるまで考えてみませんか?

教えたいっていう欲求

前回の更新からちょっと時間が立ちすぎていますね。
なかなか書きたいことが纏まらず、時間だけが経っちゃいました。
なんて言い訳から始めちゃいましたが、ここは反省して早速始めたいと思います。

ある本に書かれていた事なんですが、人は基本的に人に教えたいという欲求があると書かれていました。
今回は、人に教えたいという欲求について考えてみたいと思います。

では、ちょっと考えてみて下さい。

あなたが悩みの相談を受けました。その相談内容は、自分も経験した悩みの内容でした。
今のあなたは自分なりの答えを見つけて解決しています。その人はまるで過去の自分のように感じています。

どうですか?その人に自分の経験を教えたくなりませんか?

いや、そんな事ないよ、答えは自分で見つけるもんだよって人は、ある意味素晴らしいと思いますね。
正直、僕もカウンセラーになる前は自分の経験を話していました。

さて、あなたはその人に自分の経験に基づいた解決方法を話してみました。

どうでしょう、自分の経験を話して相手がそのようにしてくれない事の方が多いんではないでしょうか?
せっかく教えてあげたのに、なんだかなあって経験の方が多いのではないでしょうかね?

さて、本題に戻ります。

その人の悩みは、本当にあなたの経験した悩みと一緒だったんでしょうか?
あなたは、あなた自身の考え方に基づいて答えを導き出しました。
あなた自身の考え方は、あなたが今まで関わってきた人達からも少なからず影響を受けています。
あなた自身の考え方があるように、もちろん相手にも相手自身の考え方があります。
もちろん、相手も今まで関わってきた人達から少なからず影響を受けています。

本当に一緒なんでしょうか?あれ、そう考えれば違うかもしれないって思いませんか?

そうなんです、同じかもしれないし、違うかもしれないんですよ。

なら、なぜ、教えたくなるんでしょう?

本当に教えたいんでしょうか?なにか違う欲求もあるように思いますね。

こう僕は解決したんだよって、相手に聞いて欲しいという欲求もあるように思いますね、個人的には。

どうですか?そう考えてみると、あなたの聞いて欲しいという欲求はすでに叶えられているんですよ。

しっくりこなければ、話したいという欲求の方がしっくりするかもしれないですね。

そう考えてみれば、相手がどのように選択しようが後は相手次第なんだなって思えませんか。

あ、もちろんこの考え方もあくまでも個人的経験に基づいてますので、その点も考慮して頂ければ幸いです。

 

 

 

嫌いじゃないの、嫌なだけ

タイトル見て、いきなりなんだ~って思ったかもしれませんが、最近聞いた歌のフレーズです。
なんか僕の中ですごく気になってるようで、時々浮かんできますんで、今回取り上げたいと思います。

まず、気になったのが、"嫌い"と"嫌"を別物ととらえてるとこですかね。
同じ漢字を使ってるのに、全く意味が違うんだよっていってるんですよ。
では、どう意味が違うんでしょうか?

"嫌い"という概念は、前提に"好き"があります。つまり反対語ですね。
”好き”があるから、”嫌い”が存在する。なんか哲学的ですが、ちょうど正反対に位置してるわけです。
これは僕の感覚ですが、"好き""嫌い"ってけっこう強い感情ではないかと思います。

"あなたのことが好き"
どうですか、なんかそう言ってる表情からも"好き"という感情が伝わりませんか?
文字にしてる僕のこっぱずかしさも伝わっていただければいいんですが・・・。

"あなたのことが嫌い"
う~ん、微妙に言い方のニュアンスで違う意味になりそうですね。
でも、今回は"嫌い"って言ってると仮定すると、頑なに拒絶の感情が伝わりませんか?
ただ、日常生活を送るうえで、相手に"嫌い"と伝えるのは、それほどないとは思いますが。
もし、"そんなことないよ、いつも使ってるよ"って人はちょっと気にした方がいいかもしれませんね。
強い感情なだけに"嫌い"って伝えられた相手は多分それ以降関わりを持たないでしょうから。
余談ですが、確かに正反対の感情に位置してますので、反転する可能性はありますけどね。

余談ついでにもう一つ。
言い方のニュアンスと書きましたが、言語としてのコミュニケーションって実は実験のデータの数字で表すと、たった7%だけなんです。残りの93%は表情と音声が占めているんですよ。
なんか、人間関係のトラブルや悩みが多いのも仕方ない気がしますよね。

では、"嫌"はどうなんでしょう。
"嫌"という言葉の反対語って・・・。自信ないですが、”好い”なのかなあ。
それだと、”良い”と”悪い”になりそうだし・・・。

”あなたのことが嫌”
どうですか?なんか釈然としないのは僕だけですかね?
”どこが?”って聞きたくなりませんか?
そして、そう聞いたら答えてくれるような気になりませんか?
”あなたのこういうとこが嫌”
相手にそう言われて、本当に思い当たるなら、直したら関係がよくなる気になりませんか?

”じゃあさ、ここ直したらいいのかな?”って言えるんじゃないでしょうか。

もし、本当に思い当たらないなら、相手にそのまま伝えてみて下さい。
もしくは、相手にも同じことが当てはまると思った時には・・・。
それは、間違いなく、相手の問題です。あなたに相手が無意識に自分の問題を重ねてるだけです。
もしくは、違う相手を重ねて見ているのかもしれないですね。
どちらにしても、それはもうあなたの問題ではなく、相手の問題になります。
もちろん、解決するのは相手です。相手の問題は相手だけの問題です。
あなたは、ただ見守るだけでいいんです。

まあ、”あなたの存在自体が嫌”なんて言う相手にまで合わせる必要はないと、個人的に思いますが・・・。
関係を続けるメリットがあるとは思えないですし、魅力ある相手とは思えないですしね。

物事のとらえかた

前回、京都の伏見稲荷の"千本鳥居"と"おもかる石"について書きました。
今回、さらにその上にある、"こだま池"であった事について書きたいと思います。

先に結論から述べますと、撮っちゃったんです、心霊写真を、たぶん。

"こだま池"周辺では、写真を6枚ほど撮ったんですが、池を2枚撮ったんですよ。
で、その1枚を見たとき、"なんか もやかかってるよねえ"って話してたんです。

で、年が明けてしばらくしてから、寝る前にその時の写真を見てたんですよ。
"あれ?この写真って確かもやかかってたよな・・・"
なぜか もやが晴れていて、なにか写ってるんですよ。夜中の1時過ぎです、言い知れない不安でぞくぞくってきましたね。
"なんでこんな時間に写真見直しちゃったのかな、寝れんぞ"って思いながら、寝てました・・・。

見間違いもあるかなって考えて、一緒に見た人にも確認したら、やっぱし当時は写真にもやがかかってました。

僕は霊感というものは全くないです。でも、けっこう自分でも不思議な体験はしています。
霊感があるという人と知り合う機会もそこそこあって、その人達からいろいろな話しも聞いたりしています。
そのかいもあってか、当時から考え方のベースに、自分は見えないけど、見えるんならあるんだろうね、って素直に思えます。

そんな僕も今回、ばーんと写真として目の前に見せつけられたわけです。
今まで見たことがなかった僕は、この出来事をどのように受け止めたか?

寝ちゃったのが、そのままの答えだと、自分では思います。
そのまま、あるがままに受け入れてるから、自然に寝れちゃったんでしょうね、多分。
起こった出来事にこだわることがあると、それにとらわれて寝付けなくなるってあるんじゃないでしょうか。
もちろん、いろいろある寝付けない要因の一つだとは思いますが。

あと、僕の考え方に、幽霊って究極のクライアントなんじゃないだろうかってありますね。なにか心残りがあって、すごく苦しんでこの世に留まってるわけです。
なら、間違いなく僕の領分です。映画の”シックス・センス”が理想といっても過言ではないですね。
残念ながら、見ることはできないんですが・・・。

このように物事をとらえるって、その人の思考がすごく重要なんです。それによって、行動と感情が決まってくるんです。
ちなみに一緒にみた人は元々霊感が強くて、同じ体験をしても違う物事のとらえかたをしてました。
僕は個人的にそれぞれのとらえかたがあって、いいんじゃないかなって思います。だって、楽しくないですか、みんな違うって事を素直に受け入れるだけで、考え方が広がる気がします。
どうせなら、たくさん吸収したいですよね。

偶然ではなく必然

今回はカウンセラーの資格を取る年の年末に、京都の伏見稲荷に行った時のお話しです。
以前から一度は訪れてみたいとは思ってたんですが、なかなか機会がなく、今回が初めての訪問でした。

まずは"千本鳥居"、話しには聞いてましたが、実際目の当たりにすると、圧倒されました。
あれだけの数の鳥居をくぐるって体験は他ではできないんじゃないでしょうか。
身が引き締まるというか、なんとなく鳥居のトンネルを潜ることによって、身を清められ神様の前に行くって感覚を初めて感じましたね。あ、ちなみに僕の宗教観は日本人らしい宗教観です。そんな僕ですらって感じですね、まさに。

"千本鳥居"をくぐった後に、"おもかる石"があります。
願い事をしながら灯籠の頭の石を持ち上げ、自分の想像より重く感じると願いが叶わず、軽く感じると願いが叶うという試し石です。
これは非常に面白い考えだなと思いました。
出来事(持ち上げる行動)は誰でも同じなんですが、結果(重い、軽い)が違ってくるんですよ。

なぜ、結果が違ってくるんですかね?

それは、簡潔に定義すると、出来事と結果の間に、信念(できる、できない)があるんです。

自分は願いを叶えられるって自分を信じてる人は、体感として、軽く感じることができるんです。
自分は願いを叶えられるって自分を信じれない人は、体感として、重く感じてしまうんです。

ちなみに僕はどう感じたかというと、めっちゃ軽く感じましたよ、いや、マジで。

この”おもかる石”は他にも色々な考え方を含んでいて、非常に興味深いですね。

今まで来たくても縁がなく、この年に初めて訪れたって事になんとなくですが、
”世の中に偶然はなく全て必然である”って気がしました。

ちなみに、ここではもう一つ不思議な体験をしたので、次回にその事について書いてみたいと思います。