free mental place 航

”自由なこころの空間”を提供する カウンセリングルームです

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2014年

次男の妻が節約に細かい

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみようと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、同じ敷地内に住む次男の妻が、物事をすべて金銭に結び付けて考え、行動しているとのことです。
特に公共料金の節約に細かいようで、貯金は殖えても人として大切なことを失ってしまうのではと心配しているとのことです。
小六の孫も、母親の小言にビクビクしているとのことです。
料理を工夫するなど違う方向で努力し、孫のためにも笑顔の絶えない家庭をと望みますが、どうすれば伝わるでしょうか、という内容です。

なるほど、これはなかなか難しい問題ですね。
ですが、具体的な方法がこの方にはあるような印象を僕は持ちました。
料理を工夫するなど、とありますが、この方は料理が得意なのかもしれませんね。
それなら、一緒に料理をして、教えながら伝えるのが一番いいのではないでしょうか。
食費も毎日掛かるものです。
となると、公共料金と同じように節約の対象になりますよね。
節約という目的に合致してますので、興味を持つかもしれません。
それか、なにか節約する知恵をお持ちなのかもしれませんね。
方法を伝えるのは、やはり直接教えるのがいいのではないでしょうかね。

一緒に料理をすることによって、他にもメリットがあると思います。
料理するには、水道、ガス、電気等、公共料金が関わっています。
どれだけ節約に厳しいのか、自分の目で判断できるのではないでしょうか。
どうでしょう、節約は悪いことなんでしょうか。
そうではないですよね、ただ、限度の問題ではないかなと思います。
この方と次男の妻とは、多分ですが考え方が違っているのではないでしょうか。
ですから、なんとかしたいという思いを持っているのではないですかね。
考え方が違うと、どうしても悪い事を相手がしてるように誰でも感じてしまいます。
それを続けることによって、人として大切なことを失ってしまうのではないか、と心配するのもその現れではないのかなと思います。
でも、果たして本当にそうなってしまうんでしょうか?
物事には、良い面と悪い面があります。
今は悪い面ばかりに目がいっていますが、良い面を見つける機会になるかもしれませんよ。

定年後の夫がテレビ漬け

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合下さい。

今回の内容は、ご主人が昔から自分の部屋で一人でテレビを見て過ごしているそうです。
定年後も起きてから寝るまでずっと見ているとのことです。
外出といえば犬の散歩で五分、畑は二日おきに一時間、ゴルフの練習が週二日、コンペ月二回だそうです。
友達から誘われれば出掛けますが、この方が図書館や喫茶店に誘ったり、アルバイトを提案したりしても拒否し、テレビばかりに依存しすぎて心配だとのことです。

なるほど、起きてから寝るまでずっとテレビを見ていると心配になっちゃいますよね。
今までは、仕事があるので、その時間は仕事をする事によって時間を過ごす事ができました。
定年になると、その時間をどうやって過ごしていいか分からず、もて余してしまうのかもしれませんね。
ですから、結果的にテレビを見て過ごすという生活習慣になってしまっているのではないでしょうか。
となると、仕事に変わる、新しい事を始めるのがいいのかもしれませんね。
自分の時間を作る、つまり、興味を持った事を始めてみる、趣味を作るという方法ですかね。
確かに、今は心配ですが、テレビを見ることによって、情報を収集するという考え方もできます。
自分が興味を持ったことなら、始めるきっかけとしては最適だと思います。
逆をかえすと、興味がなければ、始める事は難しいのではないでしょうか?
拒否するということは、興味がないという事かもしれません。
確かに、せっかく誘ってるのに、拒否されるとあまりいい気分にはなりませんが、今は仕方ないのかもしれません。
こちらに合わせてもらう、ではなく、相手に合わせる。
同じ番組を見て、情報を共有し、趣味に結びつきそうなら、さりげなく話し掛けてみて一緒にやってみる。
こちらから合わせにいってますから、拒否される可能性も低いかもしれません。
なかなか難しいかもしれませんが、毎日情報を収集していると考えて、いずれやってみたい事が出てくるはずです。
それを上手く後押し出来れば、テレビを見る時間が減るかもしれませんよ。

義母が勝手に家を出入り

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、隣に住む義母が留守中に合鍵で入り、自分で作ったおかずや畑で採れた野菜などを置いていくとのことです。
在宅でもチャイムも鳴らさず、玄関で声をかけるでもなく、居間のドアから入ってくるそうです。
勝手に入られるのが嫌で、夫に相談すると「そんなことを言う、おまえがおかしい」と言われたそうです。
勝手に入ってほしくないと上手に伝えたいのですが、どうすればいいのでしょうか、とのことです。

なるほど、これは本当に困りますよね。
自分の家に、勝手に入られるのが嫌なのに、おかしいと言われちゃうとどうしたらいいのか分かりませんよね。
では、上手に伝えるにはどうしたらいいんでしょうね。

勝手に入ることによって、どんな危険があるか、それを伝えてみてはどうなんでしょうか。
帰宅した後に、自分の知らないおかずや野菜が置いてあると、どう考えてしまうのか、それを伝えるんです。
義母は、自分のした行動だから、それによって相手がどう感じるか、どう考えるかまでは考えていないと思われます。
ですから、本当に、義母が置いていったものなのかどうか、分からないから怖いと伝えてみてはどうでしょうか?
今のご時世、何があるか分からないから、それを未然に防ぎたい等々、デメリットを伝えるんです。
そして、相手も立てる為に、素直にうれしいままもらいたいから、直接手渡しでもらえたら有難いと付け足すのもいいかもしれませんね。

在宅時に勝手に入られるのも、同様です。
泥棒かもしれない、強盗かもしれない、等々、怖い思いをどうしてもしてしまうと伝えてみるんです。
それを防ぐために、一声かけてほしいとお願いしてみてはどうでしょうか。
それだけで、安心して義母を迎えることができると、メリットを伝えるんです。

素直に思う事を伝えるのは、本当にとても大事な事です。
ただ、内容によっては、相手に不快な思いを与えてしまいます。
伝えすぎも、伝えなさすぎも後々トラブルに発展する可能性があります。
どちらの場合も、伝えた後に、なにか自分自身で感じる事があると思います。
言い過ぎたな、なら、今後は意識して、セーブを心掛ける。
言いなさ過ぎたな、なら、今後は意識して、思いを伝える。
どちらも、最初は難しいと思われます。
練習することによって、自分にとっての、ちょうどいい、着地点がわかると思います。
まずは、行動してみる、です。
誰のために、自分のために、です。
そして、その事を自覚する、です。

立ち止まる時、立ち止める時

週末に、新聞に乗ったある記事が気になりました。
どのような記事かは、あえて記載しませんが、その一部分だけ記載させてもらって、ちょっと考えてみたいと思います。

"集落の人に「殺していいか」と確認した上で、おりで捕まえて殺すことにした。"

起こしてしまった出来事は、なくすことはできません。
過去は変える事は出来ないからです。
ですから、何かしら決断して、行動に移す時は、事が大きければ大きいほど、自分一人では行動に移せません。
どうしても、迷いが生じるからです。
もちろん、事の大小は個人個人によって違います。
自分が決断できる範囲なら、迷うことなく行動に移せます。
自分が決断できる範囲以上ならどうするのか?
記載させてもらったように振る舞う事が多いです。
つまり、他人に相談した上で、"許可"をもらって行動に移すんです。
"許可"をもらって、と書きましたが、ここは一番食い違うとこだと思います。
つまり、水掛け論に発展する可能性が高いです。
事が大きいだけに、責任を負いたくないからです。
相談する方も、相談を受けた方も、お互いに、です。

では、どうしたらいいんでしょう?

まずは、立ち止まりましょう。
少なくとも、一人で行動に移せない事を、しようとしてるという自覚をもちましょう。
立ち止まる時、今がその時かもしれないと、今一度、よく考えてみましょう。
本当に、自分は自分自身の行動に責任が取れるのかどうか、冷静になってみましょう。
確認しなければ行動に移せないなら、尚更です。

それでは、周りの人はどうしたらいいんでしょう?

非常に見極めが難しいと思います。
自分の良心に従い、責任を持てるなら、"許可"をしてもいいんではないでしょうか。
ただし、巻き込まれるかもしれないという自覚も必要です。
自分が‘許可”をしたという”行為”に責任を持つ、自己責任を念頭に置いとかないといけないでしょうね。
そこまで責任をとれない、そんな時は、相手が自分で責任を取るように促しましょう。
自分の行動に、自分で責任を持つ、相手に自律を促します。
自分の良心に従い、どうしてもダメなら、その行動を立ち止めましょう。
それでも立ち止まらないなら、ここでもまた、自分で責任をとる、自律を促しましょう。

さて、立ち止まる時を見誤ると、どうなるのか?

行動はエスカレートするケースが多いと思います。
どうしてか、それはどこまでいっていいのか判断つかなくなっちゃうからだと思います。
なぜなら、既に、自分の判断基準を超えてしまっているからです。

この記事に関して記載させてもらった部分は、立ち止まる時だと僕が感じた部分です。
ですから、その後ももちろんあります。
その後の行動が問題になり、新聞記事になってしまったわけです。
確かに、語っている事は正しいのかもしれませんが、行っている行動とはかけ離れています。
行った行動を正当化できていない、なぜ正当化できないのか、その点を今一度、考えてもらいたいものです。

 

友達から誘われずに悩む

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
今回の内容は、同じように悩まれてる方も多いんではないでしょうか?
今回もキーポイントだと僕が思う部分を色を変更しています。
そんな方も、参考にしていただければ幸いです。
それではどうぞ、お付きあい下さい。

今回の相談内容は、この方はいつも友達関係で悩まれているそうです。
友達はいますが、相手から誘われることはほとんどなく、この方が誘うか、幹事の順番が回ってくる程度だそうです。
誘われる人はいつも誘われ、自分には魅力がないのかと寂しくなるとのことです。
人見知りするタイプで、大勢いる飲み会などでは自分を見失う気がして、どう自分を出せばいいのかわからなくなり、そばにいる人ともろくに話せないとのことです。

なるほど、いつも悩まれてるのは、本当にお辛いですね。
相手から誘われることがほとんどないと、自分に魅力がないのかと寂しくなっちゃいますよね。
大勢いる飲み会では、どう自分を出せばいいのかわからず、そばにいる人ともろくに話せないのもまた、お辛いですね。
さて、それでは一体、どうしたらいいんでしょうね?

今回、誘われる人はいつも誘われ、を色を変更してみました。
どうしても、自分と他人って比較しちゃいますよね。
自分にないものを相手が持ってると考えちゃうと、自分に魅力がないのかと寂しく思っちゃいますよね。
身近な人にそんな人がいると、ひょっとかしたら、羨ましいと感じているのもあるのかなと僕は感じました。
相手から誘われることはほとんどなく、という部分に、相手から誘われたい、という思いも感じましたね。
それでは、そんな時はどうしたらいいのか?
羨ましかったら、まずはやってみる、なんです。
何をやってみるのか、それは、こうなりたいという相手のまねをしてみるんです。
多分、その人をよく観察してみると、自分とその人の違いが分かると思います。
自分には出来てなくて、その人には出来てることがあるのではないでしょうか?
その違いによって、結果が違ってるのではないでしょうかね。
この場合ですと、いつも誘われるか誘われないかの違いになるんでしょうね。
ですから、それをまねしてみるんです。
すると、自ずと誘われるようになるかもしれませんよ。

さて、それではもう一つの、大勢いる飲み会を考えてみましょうか。
 人見知りするタイプとの事ですが、確かにそうなのかもしれません。
ですが、自分で自分を決めてしまうと、そのまま変わりません。
なぜなら、自分を決めるのは、自分だけなんです。
自分の可能性を決めるのもまた、自分だけなんです。
人見知りだから、話すのが苦手と決めちゃうと、話せないになっちゃいます。
人見知りだけど、世間話ぐらいなら出来るかもしれない、これなら、世間話なら出来ますよね。
そばにいる人ともろくに話せないとの事ですが、簡単な世間話から話してみませんか。
大勢いる飲み会も、個人個人の集まりともいえます。
なら、基本はやはり個人との会話ではないんでしょうか。
例えは違うかもしれませんが、まずは木を見て、そして林を見、いずれは森を見る、そちらの方が建設的だと思いますよ。

長男の嫁が名前呼び捨て

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
ちょっと気になった部分を色を変更して書いていますので、参考にしていただければ幸いです。
それでは、どうぞお付きあい下さい。

今回の内容は、長男の妻が長男を呼ぶ時に名前を呼び捨てにするのが気になる、とのことです。
夫婦や兄弟で呼び合う分にはいいのですが、電話やメール、この方との会話でも呼び捨てです。
この方は夫をさん付けで呼び、次男、三男の妻も呼び捨てにはしていないそうです。
せめてこの方と話す時だけでも呼び捨てはやめてほしいのですが、角の立つ言い方はしたくありません。
長男に相談しても効果はありませんでした、とのことです。

なるほど、第三者として聞いたときに、名前を呼び捨てにしてるのが気になるんですね。
自分と話す時にはせめて呼び捨てをやめてほしいと思っているんですが、角の立つ言い方はしたくないんですね。
それでは、どうしたらいいんでしょうね。

今回、角の立つ言い方ははしたくありません、を色を変更してみました。
ところで、角が立つ時って、一体どんな時なんでしょう?
一般的には、一方的に要求する時とかが多いんではないかなと、個人的には思います。
今回のケースで考えてみると、たしなめるとか、礼節とかそんな事があるんではないでしょうかね。
確かに、そのように接すると、角が立つのかもしれませんよね。

となると、一方的でなければ、角が立つ可能性も低くなるのではないでしょうか?
そうですね、例えば、相手も立てて、その上こちらのお願いもしてみる、というのはどうでしょう。

それにはまず、相手が名前を呼び捨てにするという行為の悪い面だけでなく、良い面も考えてみないといけません。
良い面なんて本当にあるの、と思うかもしれませんが、なければそのような行為をするのでしょうか?
確かに自分にとってはないかもしれませんが、相手にとってはよい面があるのかもしれません。
例えば、ありのままの自分でいられるとか、取り繕う事のよって、なんか壁みたいなのを作っちゃいそうで嫌だとか、あるのではないでしょうか。
呼び捨てにする事によって、親しみを表しているのかもしれません。
この方との関係も、良いか悪いかは別として、遠慮しない分、フレンドリーな関係なのではないんでしょうか。
あくまでも推測ですので、実際はどうかは分かりません。
ですが、それらを含めつつ、お願いしてみるのがいいのではないでしょうかね。
少なくとも、一方的ではないですので、角の立つ言い方にはならないとは思いますよ。

義妹一家の来訪に閉口

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について考えてみたいと思います。
どうぞお付きあい下さい。

今回の方は、還暦を過ぎた長男の奥さんで、義母(87)と夫、長男一家の計七人家族だそうです。
車で十分の近所に住む義妹は、正月やお盆など年に数回、義弟と子二人、その妻や孫まで連れて夕食に来るとのことです。
あいさつもありません。
子どもの代に替わったので、今後は遠慮してほしいのですが、どうすれば分かってもらえるのでしょうか、とのことです。
夫は妹がかわいいので、話せないとのことです。

なるほど、これはなかなか難しい問題ですね。
長男の嫁として、義母と同居されてる方は、そのような思いをされてる方もおられるのではないでしょうか。
さて、それではどう考えたらいいんでしょうね。

まずは、何が問題なのか、だと思います。
年に数回の夕食との事ですので、義妹と義弟家族の里帰りなのは頭では分かっているんではないでしょうかね。
なら、恒例行事として、義母も楽しみにしていると推測されるので、その機会がなくなる可能性は今は少ないのではないでしょうか。
今後はどうなるか分かりませんが・・・。
還暦過ぎるまで、この方が我慢してきた事はどんな事だったんでしょう。

多分ですが、七人家族ですので、毎日の食事の準備も大変なのではないでしょうか。
年に数回とはいえ、さらに倍に近い人数の準備はさぞ大変だろうと思います。
あいさつもありません、との事から、夕食の準備を手伝ってもらえてないのではないでしょうか。
一緒に作業すると、自然にあいさつをする間柄になると思いますので・・・。
それか、一緒に作業するのを、この方自ら望んでいなかったのかもしれませんね。
夫は妹がかわいいので、にこの方の気持ちが表れているように、僕には感じられました。

ずっと不満に思ってるのを我慢する事は、本当に辛くて苦しい事だと、僕は思います。
どうでしょう、一度ご主人に、自分が今まで思ってきた事を話すいい機会ではないんでしょうか。
同じように思うかもしれませんが、話せないと話さないは、似て非なるものです。
~だから話せないは、どこか相手の責任にしてしまっています。
~だから話さないは、自分で責任を持って選択しています。
それを見極める為にも、少しの勇気を持って、話してみませんか。
案外、話してみると、自分が思ってた以上に周りは気にしていない事は多いものです。
ほんのちょっとの勇気で、物事は大きく動き出しますよ。

休日に歯磨きをしない夫

今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
どうぞお付きあい下さい。

今回の相談内容は、この方のご主人が新婚の時から朝しか歯磨きをしなかったとのことです。
二十六年たった今、仕事が休みの日など、朝も歯を磨かないことがあり、口臭がきついので注意すると「わしのことをくさいと言う」と怒るとのことです。
休みでも外出することもあり、ひどい口臭で気分が悪くなるとのことですが、歯科医院にも行かず、頑固なご主人に歯磨きをさせるにはどうしたらいいか悩んでいる、とのことです。

これはなかなか難しいですね。
多分、ご主人は子供の頃から夜歯を磨くという習慣がなかったのかもしれませんね。
となると、歯磨きをするという行為自体、たった数分の事でも、習慣として根付かせるのは時間がかかるかもしれません。
といっても、周りが気分が悪くなるほどの口臭は問題ですよね。
さて、どうしたらいいんでしょうね。

ところで、自分の口臭、体臭って分かる人って、果たしているんでしょうか?
僕も自分自身の臭いって分かりません。
他の人に言われて、そうなんだあって思うぐらいですね。
ここもまた難しい問題で、その人が傷つくだろうなあって事って、言いづらいのではないでしょうか。
ですから、臭い関係って、難しい問題ではあります。
自覚できない事は、なかなか受け入れづらいものです。
だから、ご主人も、悪口を言われたと思い、怒るのではないでしょうか。

身近な人からの指摘は受け入れられない。
それなら、やはり専門家から言ってもらった方が、本人も納得するのではないでしょうかね?
歯科医院に行かないとのことですが、あなたの為ではなく、わたしの為に一緒に行ってとお願いしてみてはどうでしょう。
一緒に定期検診行こう、みたいな感じですかね。
診察さえしてもらえば、口臭の原因も分かるでしょうし、正しい歯磨きの仕方も教えてもらえると思います。
歯磨きをしないことによって、どんな弊害があるか、専門家から言われると、大分受け取り方も違ってくると思います。
自ずと歯磨きをするようになるかもしれませんよ。

義母へのお礼なく不満

今回も、中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談を考えてみたいと思います。
僕がキーポイントだと思う部分を、今回も一部色を変更して記載しますので、読んでいただければ幸いです。
それでは、どうぞお付き合い下さい。

今回の相談内容は、この方のご主人が友人の母に駐車場を借りてお世話になっているので、お礼のお菓子を毎月と、お中元、お歳暮を届けているとのことです。
その友人は兄弟で義母に茶道を習いに来ているのですが、金銭はもちろん、何かを持ってきたことは一度もないとのことです。
義母は「好きで教えているのだからいいよ」といいますが、この方は釈然としない気持ちで、自分が細かいのでしょうか、との事です。

なるほど、こちらはお世話になってるお礼をしているのに、向こうもお世話になってるはずなのにお礼がないのは釈然としない、そんな思いをしているんですね。
これは、なかなか難しい問題だと思います。
こんな思いを経験された方も多いんではないでしょうか。
それでは、一体どうしたらいいんでしょうね。

まずは、自分と相手が全く別の考え方を持っていると考えたらいいのではないでしょうか。
毎月、お礼のお菓子を届けているのは本当に素晴らしい事だと思います。
でも、それはこの方が当たり前と思う事であって、他の人も当たり前と思う事だとは限りません。
この方の友人は、駐車場の契約で十分と考えているのかもしれません。
友人(の母)は駐車場を貸す、この方(のご主人)は駐車場代を払う、それで十分だと考えているのではないですかね。
もちろん、ここにも同じように、それは友人が当たり前と思う事であって、他の人も当たり前と思う事だとは限りません。
ですから、どううまく、自分の中で折り合いをつけるか、だと思います。
このままお礼を続けるか、続けないか、それもこの方次第だと思います。

さて、次に本題の、義母へのお礼なく不満、について考えてみたいと思います。
ここは本当に誰でもややこしくしちゃうとこだと、個人的に思います。
どうしてややこしくしちゃうのか、それは当事者と第三者を混同しちゃうからです。
この場合の当事者は、茶道を習う友人兄弟と、茶道を教える義母になります。
となると、当事者の義母は、今のままでいい、と言っているんです。
当事者間で了解済みなら、それ以上何もする事はないのではないでしょうか。
下手に第三者が関わっちゃうと、今までのバランスも崩れちゃうかもしれません。
かといって、釈然としない気持ちも残っちゃいますよね。
義母が気を使って言ってるのかもしれないし、本当にそう思って言っているのかもしれないですしね。
もし、確かめたいなら、友人にさりげなく聞いてみるのもいいかもしれません。
自分が紹介した手前、ちょっと心苦しいみたいな感じですかね。
ひょっとかしたら、なにかしらの回答が返ってくるかもしれませんよ。

娘の爪かみ、実母が非難

さて、今回も中日新聞の ねえねえちょっと に掲載された相談について、考えてみようと思います。
今回の相談内容は、深く考えれば色々な事が出てくるのではないかなと、個人的に思いました。
ですから、個人的に気になる所を、今回は色を変えて書いてみたいと思います。
と、ちょっといつもと違う前振りですけど、どうぞお付き合い下さい。

今回の内容は、この方の五歳の娘さんが爪をかむ癖があるとのことです。
この方も、結婚するまで同じ癖があったとのことです。
母は「あなたのしつけができていない」と非難。「私は育児に成功したのに、あなたはなぜできないの」と言い、
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」と娘さんの手をたたくとのことです。
義父母は見守ってくれますが、娘のためにも、母とどう接すればいいか分からなくなる、とのことです。

なるほど、本当に今回はどうすればいい分からないという状況なんではないかなと、僕は感じました。
それでは、状況を一度整理するとこから始めてみましょうか。

さて、それでは、まずは義父母の立場から、見て見ましょうか。
義父母が見ている景色は、そのままの景色なんではないかなと思います。
つまり、五歳のお孫さんが"爪をかむ癖がある"という、今、現在の景色だけです。
ですから、見守っているという立場にいるんではないでしょうか。
それか、それほど困った癖とは感じていないか、そのうち収まると考えているのかもしれませんね。

ひょっとかして、見守っている義父母に助けてもらいたい、とこの方は感じているのではないでしょうか?
本当に助けてもらいたいのは、誰なんでしょうか?
五歳の娘さんでしょうか、それとも・・・。

それでは、この方とお母さんが見ている景色とは、一体どんな景色なんでしょうか?
それは、娘さんの"爪をかむ癖"を見て、実は"自分達の過去の出来事"を見ているのではないでしょうか。
お母さんは、自分のこの方に対するしつけ、この方は自分自身の癖、それに対するお母さんへの思いを、今、ここで見てしまっているんです。
物事に過剰に反応しているなって時は、大抵、過去の出来事を今の景色に被せちゃってる時が多いです。
この方は、自分の癖がどうしてあったのか、原因は分かっているのではないでしょうか。
結婚するまで、という事は、母親と離れる事によって癖が直ったと考えているんではないでしょうかね。
その癖が出ていた時、一体どんな事を感じていたんでしょうね。

お母さんの言葉だけを見ると、この方を否定しているように僕は感じました。
否定されると、どうしても萎縮しちゃいますよね。
萎縮しちゃうと、どうしても自信を持てず、おどおどしてしまうのではないでしょうか。
おどおどしてる姿を見ると、相手はそれが気に入らず、また否定してしまう。
そして、さらに萎縮してしまう・・・。
抜け出せない、負の繰り返しになってしまっているのではないでしょうか。
抜け出せないと書きましたが、抜け出せない事はないです。抜け出さないだけなんです、実は・・・。

お母さんにとっても、この方の娘さんは大事なお孫さんです。
大事なお孫さんが将来、"爪をかむ癖"で苦労しないように、悪い事だと、しつけているんですよね。
その中には、ひょっとかして、この方の"爪をかむ癖"を直せなかったという"自責の念"もあるのかもしれません。
何かがなければ言葉もキツクなりません。だからといって、言われた方はいい気分にはなりませんよね。
手をたたくとこも見たくないですよね。

さて、問題は確かに娘さんの”爪をかむ癖”ですが、しつけについてになってる気がします。
ですから、ちょうどいい題材ではないですが、お母さんの言動をうまく利用して、娘さんにしつけをするのはどうなんでしょうか。
「母親みたいになりたくなければ爪をかまないの」
そう言われて、実際自分がどんな悲しい気持ちになったか、そんな相手を悲しい気持ちにさせるような事はしないようにと、娘さんに話してみるのもいいかもしれません。
娘さんのために、でしたら、いがみ合うのは極力避けたいですよね。
なら、お母さんも立てなければなりません。
おばあちゃんはわざとそうやって言ってるんだよ、本当は仲がいいんだよ、とお母さんもいる場で娘さんに話せば、両方ともうまくいくような気がします。
器の違いではないですが、包み込むぐらいにされると、お母さんも毒が抜かれると思います。
そうすることによって、娘さんの”爪をかむ癖”も、ひょっとかしたら収まるかもしれません。
この方が癖が直ったように・・・。
すぐに収まらないとしても、いずれ爪をかまなくなると思いますよ。